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終章 リキエルとキリエル

「そろそろ白状したらどうだ、シンクノア。貴様、ナルム村にいた時、私に対して『もう隠しごとは何もない』といった風を装っていたが……この期に及んでなお、さらに私に隠していることがあるだろう?」

 王立魔術院内にある、魔導邸から引き上げてくる前に――アスラン王子とマトヴェイが辞去したあと、シンクノアはエリメレクに何故鞘から剣が抜けないのか、その相談をしていた。対する彼の答えというのは、「強い封印がかかっているからですよ」というもので、彼がその封印を調べてみたところ、「ある種の条件が満たされれば鞘から剣が抜けるといった種類のもの」であるということだった。

「では、私が以前透視魔法を使って、鍵のような形に見えたものは……」

 センルがそう言いかけると、エリメレクは呪文をひとつ唱え、センルが見たのと同じ幻影イリュージョンを、誰の目にも見えるよう浮かび上がらせた。

「まあ、どこかいびつな形をした鍵のような剣に見えますが、これがこの剣の本当の姿ではない。いわば一種のフェイクのようなものですな。アスラン王子が言っていたとおり……本来この剣は、イツファロ王国の<北斗七聖将>と呼ばれる剣豪たちが守っているものなのです。彼らはこの剣のことを単に隠喩として「鍵」とか、あるいは「不殺の剣アスタリオン」と呼んだりしていますな。ですが、わたしがマキラから受けた報告の限りにおいて……この剣は、今も王宮内に安置されているということになっているはずです。この剣が何故、リキエル殿の手からシンクノア殿の手に渡されたのか、お心当たりがありますまいか?」

「特にこれといってないなあ」 

 そう言ってシンクは、無造作にぼりぼりと髪の毛をかいていたが、この時、センルは彼が嘘をついていると、はっきり見抜いていた。また、エリメレクもそれ以上深く追求してこなかったが、彼も心の中では目の前の赤い瞳の男が何者なのか、見抜いていたような節がある……さらに、エリメレクはミュシアに対しても、最後にどこか謎めいたことを言い残していた。

「今一度ご足労をおかけすることを、どうかこの老いぼれにお許してくだされ、姫巫女殿。この老体も何かと忙しい身ゆえ……ミッテルレガント王国へ出発する前に、是非お渡ししたいものがありますのでな」

 金と銀の二連の指輪である<ルーシュの指輪>であれば、すでにミュシアの首にかかっていた。エリメレクは最初、アスラン王子の同意を得た上で、それをセンルのほうに渡したほうが良いかもしれぬ、と考えていた。何故といって、聖竜の秘宝が近くにあった場合――秘宝の所持者にはそのことがわかるからである。

 だが、センルはアスランの同意を得ても、やはりその指輪は姫巫女が持つべきであると主張して、指輪に口接けし、エルフとしての祝福を与えると、自らの手でそれをミュシアの左の薬指にはめていた。

 アスランはその時の様子を見て、このふたりが仮に肉体関係をこれから先持たぬままであったとしても、彼らの間の絆は断ち切られることはないだろうと予感した。つまり、己の失恋をはっきりと悟ったのである。

<ルーシュの指輪>以外に一国のブリンクが姫巫女に渡したいものとはなんだろうとセンルは思いもしたが、ヤースヤナ・ホテルへ戻ってきて彼が真っ先にしたのは、シンクノアのことを問い詰めるということであった。

「そーんなこと言ったってさあ」

 シンクノアは、すっかり冷えきっているホテルの室内を暖めるため、灰の始末をしてから、そこに薪を放りこんでいた。火のほうはセンルが魔法で一秒とかからず点けてくれたが、その炎の燃え上がり方にはどこか、彼の怒りを感じさせるところがある。

「大体センルだって、俺に隠してることなんかいっぱいあんでしょーが。なんで俺ばっかりがそんな、あれもこれもそれもケツの毛まで数えあげるみたいに、あんたに教えなきゃなんないんだよ。ま、あんたには宿の世話にもなれば食事の世話にもなってるし……そこんとこを盾にとられりゃ俺も、話さないってわけにはいかないけどさ」

「ほーう。ようやく自白したな。話さないわけにはいかないということは、ようするにそういう種類のことがあるというわけだ。ここからは私の推測だが、リキエルという<北斗七聖将>と呼ばれる剣豪が、わざわざ命懸けで奪った剣をおまえに託したということは、それだけの理由があったとしか思えん。ということは、つまり――」

「やめてください、センルさん!」

 以前、ルシア神殿の巫女制度などについて、センルに根堀り葉堀り聞かれた時、シンクノアが庇ってくれたことを思いだし、ミュシアは彼に詮索をやめさせようとした。

「センルさんだって、人に聞かれたくないことのひとつやふたつ、あるでしょう?シンクノアだって、今まで自分が悪くもないことで、つらいことがたくさんあったんですから、彼が嫌だと思うことをしつこく聞いたりするのはどうかと思います。それに、シンクノアが自分で話したい時が来たら、自然と話してくれるのを待つべきだとも思いますし」

 ――この時一瞬、センルは胸を弾かれたような微かな痛みを胸に覚えた。彼はここ数十年以上、心が傷つくであるとか、そうした経験をした記憶がない。だが、こんなほんの小さなことでも、自分が愛する者の拒絶に近い感情は、もともと繊細なセンルの心に掠り傷を作った。

 そして彼はそのことに驚くあまり……暫しの間、らしくもなく言葉を失ったのである。

「さっすがミュシアはわかってくれてんな、俺の気持ちを!!」

「もちろんです、シンクノア。わたしたちは大切な仲間なんですから」

 それから三人は、夕食をとりながら、まったく別のことに話題を移していった。ミッテルレガント王国へ出発する日どりのこと、聖竜の秘宝のこと、またエリメレクがミュシアに渡したいと言っていたもののことなど――話はどこまでいっても、途切れるということがなかった。

「あの、でもこれはわたしが自分でそうしたいと思っているだけのことであって……おふたりが一緒につきあう必要は、本当は全然ないんです。<蝕>という病いは、もしかしたら伝染性のものかもしれないと言いますし、仮にミッテルレガント王国まで来てくださったとしても、施療院のほうまで来るのは危険だと思うんです。だから……」

「私に関しては心配ない」

 ポークチョップをつまみながら、センルがそう言った。

「私は、普通の人間がかかるような病気には、一切かからないからな。それが仮にらい病であったとしても、うつる心配は一切ないということだ。だが、シンクノアはやはり、そうした施療院へは近づかないほうがいいだろう。べつにシンクノアの身を案じてこう言うのではなく、施療院を赤い瞳の男がうろちょろしていたら、奴が呪いを運んできただのなんだの、色々うるさく言う連中が出てくるだろうということだ」

「へいへーい」

 シンクノアは白パンに蜂蜜をたっぷり塗ると、それをデザートがわりに食べながら答えた。

「ま、下手すりゃリンチにあって生き埋めってことにもなりかねないって、身に沁みて知ってるからな。人間ってのは、それが飢饉であれ病気であれなんであれ、自分のまわりにある面白くないことを、<何かのせい>に出来る対象を常に求めてるってわけだ。俺はちょっとリキエルのことが気になるから、今ミッテルレガントの宮廷で魔導騎士になってるとかいうおっさんのことを訪ねてみるよ。この剣のことでも聞きたいことが色々あるし」

 ここで再び、センルはシンクノアに質問したいと思うことがいくつかあったが――先ほどのミュシアの言葉を思いだし、彼は好奇心が頭をもたげてくるのを、ぐっと抑えつけねばならなかった。

(あーらら。センルの旦那ってば、無理しちゃって)

 ぷくく、とシンクノアは笑いだしたいのを必死で堪えた。シンクはセンルが人前で指輪に口接けを与え、それをミュシアの左手の薬指にはめるのを見て、ここまで来ても彼は自分でまったく気づいていないのだと思っていた。

(つーより、俺でさえわかるくらいだから、あの勘の鋭いミッテルレガント王国の王子さまなんか、もっと丸わかりだったろうな。しかもミュシアはもっとわかってなくて、巫女は装身具類は一切身に着けられないとか言いだす始末……まあ、ようするに普段はセンルのほうがミュシアのことを言うなりにさせてるように見えたとしても、結局、切り札を持ってるのはこの子のほうなんだ)

 シンクノアはいつもどおり、センルがミュシアに「もっと食え」と言って色々な皿の品をすすめるのを見て――(おまえらは新婚の夫婦かっつーの)と突っ込んでやりたい衝動を堪えつつ、ミュシアが寝室のほうへ下がって眠る時が来るのを待った。

 何もべつに、ミュシアに聞かれたくない話を、就寝後に男ふたりでしようというのではない。むしろ、自分が話したいと思う時が来るまで待つべきと言ってくれたミュシアにこそ、話すべきなのかもしれないと、シンクノアはそう思いもした。

 だが、彼にとってこのことは本当に……人に話すのが心底、気のすすまない以外の何ものでもなかったのだ。

「よくぞ我慢なさいましたな、センルさんよ」

 シンクノアはミュシアが続き部屋の寝室へいってしまうと、寝床の用意をはじめたセンルに、笑うような声でそう言った。

「仕方あるまい。それに、確かに私にも、今さらあえて突ついてほしくない過去というのはあるからな。あの娘は本当によくわからん。この間は泣いていたかと思えば、今日は姫巫女らしく毅然と振るまったり……私の考えではな、聖竜の秘宝さえ集まれば、飢饉もいかなる病いも万事解決されるものとして、そちらの探索行を急ぐべきだと思っていた。だがあの娘は、<蝕>とかいう流行り病いのために自分に意地の悪いことをした王子が治める国へ、治療へ行きたいのだという。実際私は、ここでミュシアと一度別れて、ロンディーガの情勢を探っておこうかと思ったりもした。ルシアス島のどこに何があるか、細かいことの書き記された地図を再度調べておきたくもあるし……だが、あの娘が私の不在中にアスランに何かされるかもしれないと思うと……なんだ、シンクノア。貴様、一体何がそんなにおかしい」

「いや、あんたってほんとにいい奴なんだな~と思ってさ」

 ソファの上にあぐらをかきながら、シンクノアは微笑った。

「あのアスランって王子が登場してくれたお陰で、俺、そのことがほんとによっくわかった気がする。まあ、簡単にいうとあの王子とセンルって若干キャラが被ってんだよな。知的でクールな策謀家ってところがさ。でも、あの王子はちょっと利己的で意地悪なところがあるのが玉に瑕ってとこかな。けど、センル、あんたには本当の真心ってもんがあるよ。こんな小っ恥かしい科白を言うからには、俺はあんたのその真心ってもののために、センルの好奇心をちょっとばかり満たすような話をこれからしようかなって思うんだけど」

「べつに、無理しなくてもいいんだぞ」

 シンクノアには、センルが本当にそう言ってくれているのがわかったが、むしろそうであればこそ、話してしまうべきだろうという気がしていた。

「前にさ、俺のことを第十三月の十三日に森で拾って育ててくれたマリサっていうばあさんの話、センルにしたことがあったよな。もうすぐその第十三月の十三日ってのが近づいてるわけだけど……センル、その時こう言ってくれたよな。生まれてすぐ捨てられたってわけじゃないんだから、おまえの生まれ月は本当は第十二月とか第十一月とか第十月なんじゃないかって。けど、俺の生まれは間違いなく確かに第十三月の十三日で、しかも生まれた時間も深夜の一時ときてる。マリサっていうのは、リキエルと同じく、元<北斗七聖将>のひとりで、称号名はキリエルと言ったらしい。リキエルの本名については俺も本当に知らない。けど、マリサが普通のばーさんじゃないっていうことには、小さい頃から気づいてたよ。やたら物識りだったし、何よりもさ――女なのに刀傷が体中にたくさんあるんだ。リキエルがうちの丸太小屋に住みはじめて、増築するまでの間、俺は小さい一間の部屋にマリサと寝起きしてたんだ。湯浴みをする時なんかも、冬は室内だからさ、まあ当たり前のようにお互いの裸なんかを見たりしてた。俺が物心ついたばかりくらいの頃……確かこんなことをマリサに聞いたことがあるのを覚えてる。背中に深々と剣による傷が走っているのを見て、どうやったらこんな傷がつくのかって聞いたんだ。けど、なんか曖昧に誤魔化されて、それで終わりだった。それからまた七つか八つか十くらいの頃にも、似たようなことを聞いたよ。そんなに深い傷を負ったら、一体どのくらい血が流れるんだろう、みたいなこと。そしたら彼女は、「いずれおまえにもわかるだろう」って、どこか悲しそうな瞳で言った。その後、リキエルがうちに住みつきはじめた時にも、「なんかおかしいな」とはずっと思ってた。リキエルは自分のことを「放浪の剣士」だなんて名のってたけど、マリサのことをよく「キリエ」っていう名前で呼んでたんだ。そしてその度にマリサは、「シンクノアの前でその名を呼ぶのはやめておくれ」って言った。リキエルっていうのがまた、やったらなんでも知ってるおっさんでな。剣術の他にも俺に、自分の知ってることはなんでも教えたがったよ。聖五王国の共通語であるルーシス語はマリサにも教えてもらってたけど、リキエルは他にもカーディル語やロディーガ語やレガント語なんかも教えてくれた。俺がそういう勉強をさぼりたがるとさ、耳にタコが出来るくらい、繰り返し同じことを言ったよ。おまえには赤い瞳というハンディがある。それを乗り越えるためには、今から人の十倍以上努力しておかないと、のちに人生で後悔することになるぞってね。ついでに、好きな女とも一生結婚できないだろうとも言われた。まあ、そんなこんなで俺は十四になり、ある時マリサがこれからはリキエルについて旅にでろって言ったんだ。けど、その頃彼女は病気だったから……俺はリキエルについていく道ではなく、マリサのことを看病することのほうを選んだんだ。人間、歳をとって病いを得ると弱くなるっていうだろ。マリサもそうだった。元は剣の達人と言われるくらいの気丈な人だったのに、体だけじゃなくすっかり心のほうが弱っていて……それで、死ぬ何日か前に、言われたんだ。『自分がおまえにしたことを許しておくれ』って。もちろん俺には、なんのことを言われてんのかわからなかった。そして、俺はその時に自分の本名を知った。シンクノアっていうのは、彼女が幼い時に死んだ、弟の名前だったんだ。俺の本当の名前は、『ティアムール=ゼン=イツファロというんだ』って……」

 そこでシンクノアは思わず泣きだしてしまい、服の袖で目頭を覆った。自分を育ててくれた母親ともいうべき人の死の悲しみを、その時と同じ強さで思いだしてしまったのだろうと、センルはそう思った。

 センルは彼が話の続きを語りだすのを、静かに黙って待った。シンクノアの告白はある意味、彼の推測していたとおりではあったのだが――彼が本当は一国の王子の血筋を引いているとあらためてわかり、センルはアスラン王子に対してより、この赤い瞳のイツファロ国の王子にこそ、心からの敬服の念を感じてやまなかった。

 シンクノアはイツファロ国を出てからの、七年にも及ぶ艱難辛苦の旅について、そのすべてをセンルに語ったというわけではない。だが、それでもその放浪の旅がどのくらい凄まじいものであったのかは、ある程度想像がついた。マザル=マゴクの烙印を押された人間というのは、奴隷と同じで、人間として扱われないことが多いのだ。

 瞳の色が赤でさえなかったなら、彼は今ごろイツファロの王宮で、何不自由なくぬくぬくと暮らし、その天真爛漫な明るさと賢さとで、周囲の人間を喜ばせていたかもしれない……もちろん、彼が貧しい老女に育てられることになったから、今の性格が形成されたのだともいえたかもしれないが、センルはこのシンクノアという男は、王として生まれようと奴隷として生まれようと、いずれにしても似た気質を持っていたように思えてならなかった。

「ははっ。笑っちまうよな。こんな、寝るところにも食べることにも毎日事欠くような男が、本当は王家の血を引く男だなんてさ。イツファロじゃあ、というより、聖五王国のどこでもだけど、赤い瞳の子は王子にも王にもなれない。キリエルであったマリサが命じられたのは、忌み子の殺害だった。でも彼女は俺のことをどうしても殺すことが出来ず、連れて逃げたんだ。当然追っ手がかかった。そしてマリサの背中にある、特に大きな刀傷は、その時七聖将のひとりに打たれて出来たものだったんだ。リキエルっていうのは、その時ラキエルっていうマリサと俺を殺そうとした聖将のことを命に背いて殺害した恩人だった。リキエルはその時、マリサにこう言ったんだって。王宮内には揉めごとが多いから、次に誰が世継ぎになるかもわからん。だから、マリサはマリサでこの子を大切に育てることにしろって。ろくな世継ぎが立たないようであれば、いつか自分がその子に帝王学を学ばせるために出向くことにしよう……アスラン王子は、リキエルが聖竜の剣を命懸けで王宮内から持ち去ったんじゃないかと言ってた。でも俺、正直いってこんなもの、欲しくもなかったよ。マリサのことも愛してるけど、それでも彼女が自分を赤ん坊の頃に殺してくれたほうが良かったんじゃないかって、何度も思った。けど、センル、あんたとミュシアに出会って俺、初めて思ったんだ……これまで生きてきて、ああ本当に良かったなあってさ」

 シンクノアはぐすっと鼻水をすすりあげると、ハンカチで鼻をかみ、それから黙って話を聞いていたセンルに向かって、照れたように笑った。

「ま、頭のいいあんたのこったから、この程度のことは予測がついてたかもな。でも、これで今度こそ本当に秘密みたいなもんはなくなったぜ。俺のケツに何本毛が生えてるか、知りたいっていうんなら、教えてやってもいいけどさ」

「馬鹿者。そんなことを知ってどうする」

 センルがあくまで真顔のままそう言ったので、シンクノアは笑った。

「あ~あ。俺、自分の出生をそんな、一大事であるみたいには全然思ってないんだぜ?単にセンルにずっと話さなかったのは、マリサのことを話そうとすると、ほら、今みたいにお目々から鼻水がでてくるっていう、そのせいだかんな。なんにしても、ミッテルレガントの王都についたら、リキエルにこの聖竜の剣がどうやったら抜けるのかとか、色々聞かないと」

「そうだな。それと、今の話についての感想を私が言うとするなら――王冠はなくても、やはりおまえは王だよ、シンクノア。私はおまえが王になるような国でなら、ロンディーガの宮廷魔導士など即刻やめて、おまえの国でこそ永久顧問魔導士というやつになってやろう。そして、おまえの子孫を私の命の日が続く限り、陰日なたなく見守り続けてやるよ。もっとも、その過程のどこかで煙たがられて、国から追いだされる可能性もなくはないがな」

「ははっ。でもそんな俺も今では、姫巫女ミュシアさまの側近くに仕える案山子の王子ってところだ。あの子は、本当にいい子だよ……もし俺にアイリって存在が心になくて、あの子に出会ってたら、俺とセンルの関係っていうのは、毎日がジ・エンドの繰り返しだっただろうよ。あの子はあんたのことが好きなのに、俺は身分違いも甚だしく、恋焦がれて千年前の探索行の鎧の保持者みたいに――闇の側へ魂を売っちまってたかもしんない。センル、この鎧ってやつは、絶対あんたがひとりで取りにいこうとするなよ。それから、あんたと俺のふたりでっていうのも駄目だ。俺たち三人で取りにいってこそ意味があるんだ。なんでかわかんないけど、そんな気がする」

「確かにな」

 姫巫女であるミュシアの身を、危険にさらしたくはないとは思いつつも、シンクノアに対してセンルは同意した。

「何故かはわからんが、そんな予感は私にもあった。おまえも知ってのとおり、私は極めて考え方が合理的だから……まずは自分ひとりでルシアス島の下調べをして、なんていうことは考えていたんだ。だが、直感に従うとすれば、三人でそれは探しだすべきだろうという気がしていた。これはミュシアには絶対言わないでほしいんだが、闇魔法や邪教といったものに属する力が、私は心底苦手でな。あいつらは私の魂の生き血をすするというか、とにかくそばにその種のものがあると、そうした感触を私は味わうんだ。といってもこれは、あいつらよりも私の力のほうが劣っているとか、弱いということではない。魔力といった点では私のほうがあいつらより遥かに上だし、圧倒的に強くもあるだろう。だが、私も伊達に九年も闇魔導士狩りを行っていたわけではないからな、あいつらのずる賢さ、人の心を騙す巧みさには、つくづくうんざりさせられたものだ。私が心配しているのはとにかく、ミュシアのことだけだ。二千年前にあった秘宝探索行では、空から凶星が落ちてきたことにより、後世にその記録が残らなかったとされているが、私はそのことを思うと……心配でならないんだ。もし秘宝探索行がうまくいかなかった場合、ジ・エンドの結末というのはそういうことなのではないかという気がしてな」

「センルってほんと、ミュシア命って感じだよな」

 軽いからかいの意味をこめてそう言っても、やはりセンルは真面目な顔をしたままだった。

「阿呆。それを言ったらおまえだって同じだろうが」

(あんたと俺のそれは、質っていう点で全然違うんだよ)と、シンクノアは心の中で微笑った。(鈍い誰かさんは、賢いくせに、そのことにてんで気づいちゃいねーんだから。ま、ある意味そこがセンルの輪をかけていいところだったりもするんだけどさ)

「なんにしても俺、ちょっとベランダで一瞬涼んでくるわ。人前で泣いたことなんかほとんどねーのに、柄にもなく、少しおセンチな気分になっちまったからな」

 シンクノアはそう言い置いて、ベランダに通じる窓を開けると、室内の暖かい空気が逃げていかないよう、ぴったりそこを閉ざした。

 ベランダから見上げる夜空には、冬の三大星座である、セリオン(竪琴)座、ユニコーン(一角獣)座、ドラゴン(竜)座が見える。ルエルナとルエルガの双子月は半月で、どこかその輝きも鈍かったが、それでも満天の星空と王城や王立魔術院の不思議な煌めきを眺めていると――今が第十三月という、一般でいう忌み月であることなど、忘れてしまいそうになるほどだった。

 シンクノアが夜気に吐く息は白かったが、彼は冬は零下三十度にもなることがある、厳しい寒村の生まれであったので、この程度の寒さはまだ序の口といったところではあった。 

(アイリ、おまえは一体今、どこにいるんだろうな?俺はいつも夜に月や星を見上げるたびに……こう思っていたよ。おまえもこの世界のどこかで同じものを見ているだろうかって。そういやさ、おまえがよく言ってたうさぎみたいに赤いお目々の俺にも、友達って奴が出来たぜ。それもふたりとも、一等いい奴らなんだ。いつか、おまえに会えたら紹介できるといいな。アイリはさ、もしかしたら俺のことなんか、もう忘れちまってるかもしれないけど……)

 それからシンクノアは、アイリの消息を聞くために彼女の家へ行った時、アイリの両親が気が狂ったように泣き叫びながら、「赤い瞳のあんたの呪いがうつったから、アイリはこんな目にあったんだ!!」と、痛烈に責められた時のことを思いだし、今さらながら、胸の奥が痛んだ。

 シンクノアの当初の計画というのは、なるべく速くアイリの居所をつかみ、彼女のことを故郷のイツァーク村へ連れ帰るということだった。いなくなった娘を無事、自分が連れ戻すことさえ出来たら……両親も娘とマゴクとの結婚を許してくれるかもしれないと思ったのだ。

(けどもう、あれから七年以上にもなる。俺も、今月の十三日で二十四歳だ。俺は他に女の子っていうのを知らなかったから、アイリが滅法美人だったってことに、実はよく気づいてなかったんだよな。でもあんな、飛空艇だの竜だのを操る連中に連れ去られたんだから、あいつらのうちの誰かの嫁さんになってるって考えたほうが自然なんだろうけど……俺に七年以上もの間、諦めない気持ちを与え続けたのは、このセリオン座なんだ)

 それからシンクは、アイリが子供の頃から好きだった、故郷の短い夏のことを歌った歌を、小さな声で口ずさんだ。そしてマリサとリキエルとアイリが同じひとつの部屋にいて、楽しかった時代のことを思いだし――それと似たような時が果たして、自分にもう一度訪れるだろうかと、胸の底を深い悲しみに似た感情が走っていった。

(なんでかな。聖竜の槍が<地の崖ての民>とやらに奪われたっていうことは、なんか俺、秘宝探索行のどこかで、アイリに会えるような気がして仕方ないんだ。もっとも、俺の背中の剣が抜けたとして、もし聖竜の槍を持つ男と戦うことになったとしたら……秘宝の使い手のうち、どちらが勝つことになるのかは、カルディナル王国のブリンクである、エリメレクどんにもわからないらしいんだけどな)

 そしてシンクノアは、(アイリ、おまえは一体今、どこでどうしてるんだろうな)と、彼女と別れて以来何度となく繰り返してきた心の問いを、もう一度繰り返した。

 寒さのせいで、身が一瞬震えると、シンクノアは満点の星空に背を向けるような形で、室内へ戻ることにした。そのあと彼が背を向けた夜空には、蒼い流れ星がひとつ、涙のように流れていったが、彼がそのことに気づくということはなかった。




 終わり






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