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第5章 魔導会議室での会見

「しっかし、そんな場所に俺っちみたいのが行って、本当にいいもんなのかね?」

 シンクノアはカーディル王立図書館の二階で、テガシエルパの民について書かれた本を読みながら、隣のセンルにそう聞いた。

「アスラン・ミッテルレガント王子がそうおっしゃってるんだから、いいんじゃないのか」

 ムスっとした顔の表情のまま、センルはどこか平板な声で答えた。あの時、自分がただ「試されただけ」だというのは、あとになればなるほど、センルの中では明確な記憶として甦ってきた。もう一度アスランと会った時、怒りのあまり彼を殴るかもしれないと思うほどだが――相手が<王子>という高貴な身分である以上、高ぶる感情をなんとか静めねばならない。

「センルさん、図書館の二階から上は、どんな本も魔石がなければ絶対に読めないようになってるんですか?」

<魔導の心得・幻術に対する防衛策Ⅰ>という本を手にし、ミュシアはそれを開いてくれるようセンルに手渡した。センルがヒヤシンス石の嵌まった樫の杖を本の上へかざすと、書物を閉じている縞瑪瑙の石と呼応し、その部分が静かに開く。

「そうだな。二階から上の本はすべて、こうして開けない限りは文字が紙の上に浮かび上がってこない。縞瑪瑙というのは、第十級エディナの魔導士が持つ杖の魔石だ。二階の本はすべて縞瑪瑙で閉じられているが――三階のクワイルの書架は、第九級の魔導士が持つ杖の魔石である、トパーズでしか開かないといった具合だな。もっとも、トパーズの嵌まった杖があれば、二階の図書もすべて閲覧が可能ということになるが」

「えっと、でもその理屈でいったとしたら、普通の平民たちもお店で買った宝石を持ちこめば、本を読めるっていうことにはならないんですか?」

「まあ、そこが魔法というものの、なんとも不思議なところだな」

 最近、ミュシアがやたら魔導のことに興味を持って色々聞いてくるので、センルはその度に当たり前のようなことを根気よく答えてやっていた。昔は、魔導教師だけは絶対自分に向いてないと信じて疑わなかったセンルだが、ミュシアのようになんでもしっかり「聞く」姿勢を持つタイプの生徒になら――どんな面倒な説明も、まるで苦にならないのが不思議だった。

「魔導生たちが学院を卒業する時にもらう杖は、すべて魔術院の地下に住む小人たちが作っているんだ。私の知る限り、その秘密についてはどうもホビットだけしか知らないらしく、とにかく彼らの作ってくれた杖に嵌まった魔石でしか、王立図書館の本は開かないように出来ている。ところでミュシアは、幻術の防衛策なんかに本当に興味があるのか?」

「えっと、前にシロンっていう町で……シンクノアが強い幻術に惑わされたってあとから聞いて、その時にすごく気になったんです。またそういうタイプの幻術使いと対面することになったら、どうしたらいいんだろうって」

「あ、俺もそれ、めっちゃ興味ある」

<船上の民、テガシエルパについての覚え書>という本を書架にしまうと、シンクノアもまたミュシアが手にしている本を横から覗きこんだ。

「え~と、なになに。『相手の幻術から自分の身を守るためには、まず気構えというものが非常に重要です。第一に深呼吸をして、よく目を凝らしましょう。それでもまわりの風景に変化がなかったら、数を数えるなど、まったく別のことに思考を集中させましょう。しかしながら、相手がこちらを殺害しようと目論んでいるような場合、そんな悠長なことはしていられないとあなたは思うに違いありません。たとえば、幻術によって自分の身内の血潮が沸騰するように熱いと感じる時、わたしたちはどうしたら良いのでしょう?この場合には、氷山を脳裏にイメージすると良いのです。けれども、相手の惑わす力が圧倒的に強い場合には、幻術に引きずられて実際に体温が上昇し、あなたは倒れ、死に至る危険もあります。こうした時のために、幻術を跳ね返すための幻術返しの呪文が非常に有効となるのです……』

 なんだよ!それなら全然ダメじゃん!!俺、魔法使えないから、そんな言葉唱えたって意味ない気がする」

「いや、そうでもないぞ」と、センルは本から顔を上げたシンクノアに向かって言った。「魔法を使えない者が、ここに書かれている呪文を唱えただけでも、大分違うものなんだ。魔導というものには、それぞれ法則があって、その法則性を完全に修めた者だけが術を駆使できるようになる。だが、呪文を唱えることは、その法則性を完全にではなくても、一部分は発動できるということだ……まあ、まじない程度の効果は、どんな人間の上にも現れるといったところかな」

「でも、相手の魔力のほうが圧倒的に上だったら、ほとんど焼け石に水なんじゃねーの?」

「そうかもしれん。だが、幻術というものはとにかく、一点突破だからな。たとえば、目の前に憎くて仕方ない奴が幻として現れ、そいつを百度斬っても相手が死ななかったとするな。だが、その過程で幻術にかかっている本人自身が、そのことで気が済み、相手に対する憎しみを捨てるということはありうる……そうなれば、まるで何かの恨みの念が晴れたみたいに、その幻術はもはやなんの効果も及ぼさないことになるわけだ」

「な~るほど。さっすが、センル大先生!!」

 シンクノアが感心したように、何度もセンルの背中を叩いて寄こす。

「……おまえに褒められても嬉しくないどころか、むしろ馬鹿にされているように感じるのは、私の気のせいか?」

「何をおっしゃいますやら!これでも俺、センルのことはほんと、大尊敬しまくってるんだぜ!!」

 ふたりのそんな会話のやりとりを聞いていて、ミュシアは思わずくすりと笑った。ミュシアにとってカーディル王立図書館へやって来て良かったと思うことのうちに、センルがどんな場所で一番若かった頃を過ごしたのかを知れたということがある。

 二階より上にある図書館内の本はどれも、魔法文字によって書かれているものが多いので、ミュシアにとって実用性があるように感じられる本は少なかったとはいえ……それでも、こうして読むことの出来るうちの何冊かを手にとってみるだけでも、大分違っていた。

 センル自身はおそらく、自分で気づいていないに違いないが、彼は魔導に関することを話す時、ふと少年に戻ったような顔をすることがあるのだ。センルの顔に浮かぶその表情を何度も見たくて、ミュシアが魔法について色々質問しているのだとは――彼は思いもしなかったに違いない。

「さて、と。そろそろマゼルの刻か。何しろ相手は一国の王子さまだからな。一分でも待たせたとしたら、死ぬまで嫌味たらしくネチネチそのことを覚えているだろうよ」

「まあなあ。アスラン王子にとっちゃあ、俺なんか平民以下のゴミそのものか、その上にたかるハエくらいの存在なんだろうからな。ハエがライオンを待たせちゃ悪いもんな」

「そう卑屈になることもないさ」

 魔導寮に続く渡り廊下のほうへ歩いていきながら、センルは言った。

「私にとっては、おまえのほうがあの王子などより、よほど魂に値打ちがあると思うからな。アスラン王子も、王の器としては良い方であろうとは思う……だが、王冠がその頭上から落ちた時、どの程度人間として値打ちがあるのか、わたしが貴族や王族と呼ばれる連中と過ごす時に思うのは、そういうことだからな」

「ははっ。センルって時々、真顔ですごいこと言うよな。俺、一瞬今あんたに、本気で惚れそうになったぜ」

「気持ちの悪いことを言うな」

 軽くしなを作ってうふっと笑うシンクノアのことは無視し、一番後ろからついて来ていたミュシアのことを、センルは振り返った。

「どうした。もしかしてアスラン王子に会うのが怖いのか?」

「えっ、えっと……」

 ズバリそのとおりではあったのだが、そう言うことも出来ずに、ミュシアは渡り廊下の中央で立ち止まった。廊下の窓からは、本当はないはずの渓谷と、美しい川が流れている光景が見える……その上、時々絶壁の頂上付近から鷲や鷹といった猛禽類が飛んでくるということさえあるのだった。

「大丈夫だ。おまえのことは必ず私が守ってやる」

 そう言ってセンルは、黒に近い蒼のマントをバサリと広げ、その中に小柄なミュシアのことを包み隠した。

(うっわ、気っ障!!)と、いつもながらシンクは思うが、もちろん口には出さずに黙っておいた。

 ミュシアはといえば、ぎゅっとセンルに抱きつき、そのままの姿勢で彼について歩いていった。前までの自分ならおそらく――せっかくの彼の好意を突き返していたかもしれない。というより、反射的に恥かしいと思う気持ちのほうが先に立ち、センルの体から自分の身を離そうとしただろう。

 けれど、アスラン王子の部屋から戻ってきた時、ベッドの傍らにいたセンルは、ミュシアに対してこんなことを言っていたのである。

『おまえは意外に、人を芯から信頼するということを知らないな』

 最初、自分の目が覚めた場所が<ロダールの間>であると信じて疑っていなかったミュシアは、センルに抱きかかえられ、階段を下りていくうちに怖くなった。知らない間に、自分はまた彼に迷惑をかけてしまったのだと、そう思ったから……。

『まあ、親しき仲にも礼儀ありとはいうがな。その点シンクノアは大した男だ。押すところは押し、引くところは引くというかな。あれで瞳の色が赤以外でさえあったなら、彼の元には始終人がやってきて、家の炉辺にはいつも笑いがあるといったような人生だったかもしれん。それでおまえは、一体何がそんなに怖い?自分が何かをしたら、そのせいで私やシンクノアがおまえのことを嫌うとでも思っているのか?』

 ミュシアはしきりに首を振った。何故かはわからないけれど、涙が溢れて止まらなくなった。アスランに言われたことがきっかけで泣いたのとは違う、心の温かくなるような涙だった。

『ミュシア、おまえはどうもわかってないらしいが……おまえが何をしようと、どんなことを言おうと、私やシンクノアがおまえを嫌うだなんて、ありえないことなんだともっと自覚しろ。見知らぬ男の寝室にいたからといって、そんなのはおまえのせいではないし、私はおかしなように誤解したりもしない。そのことはわかるな?』

 真っ赤になりながら、ミュシアはこくりと頷いた。一度は引いたと思った熱が、再びぶり返してきたみたいに体が熱かった。

『よし。それで、一体あいつに何を言われた?彼は魔法の心得があるから、おまえに強い暗示をかけるような魔法を使ったのだろうと私は思っている。いわゆる精神魔法と呼ばれる類のものだ。それを使って何か言われると、普通であればありえない馬鹿みたいなことが、突然本当にそのとおりだと感じられてくるものなんだ。しかも、それを誰にも言わないよう二重に暗示をかけることも出来る……だが、たった五分の間に彼もそこまでのことはしなかったろうと私は思っている。どうだ?それでも話したくないか?』

『えっと、あの人の妹さんが……センルさんと仲が良くって、でもセンルさんに興味がなくなった途端捨てられちゃったって。だから君も気をつけたほうがいいって言われたんです。センルさんが、姫巫女であるわたしに今は興味を持っていても、そのうち妹さんみたいになるかもしれないからって……』

 ここでセンルは、天を仰ぐようにして前髪をかき上げた。

(あの野郎……!!)というのがセンルの本心ではあったが、これがミュシアに色々話しておく、ちょうどいい機会かもしれないと思いもした。

『ベスラン王妃のことだな。誤解のないよう言っておくが、彼女は私が仕えるロンディーガ王国の現国王の妃だ。婚姻の宴に私は出席しなかったが、それでもその後宮廷内にいる時に、色々話しもしたし、魔術を見せてほしいとせがまれて、ちょっとした幻術を見せたりもしたよ。だが、それだけだ』

『それだけって………』

 思わずそう言ってしまってから、ミュシアは再び口を噤んだ。

『どうした?今心の中で思ったことを言ってみろ』

『センルさんは、ご存知ないんです』

 ミュシアは勇気をだして、振り絞るような声で言った。

『ベスランさんはセンルさんのことが好きだったんだと思います。センルさんはただ、何気なく彼女に優しくしたのだとしても、彼女はそうは思わなかった。わたしも、センルさんに優しくされると、それがとても嬉しいのに、何故か時々胸がすごく苦しくなるんです。わたし、そんなに色々良くしていただいても……センルさんにお返し出来るようなものも、何も持っていないし』

『そんなにあまり、可愛いことをいうもんじゃない』

 ミュシアが顔を上げた時、センルは彼女が今まで見たこともないような顔の表情をしていた。彼が何故そんなふうに照れたような顔をしているのか――ミュシアはその夜、何度となく考えてみたけれど、やはりよくわからなかった。

 それからセンルは、今から二百年くらい昔に、リエラ王妃という女性と自分の主君の目を欺いて、恋人関係にあったということをミュシアに話した。彼には滅多にないことだったが、その話を彼女が聞いてどんなふうに思うのか……センルが自分の反応を気にしているらしいことが、ミュシアには不思議だった。

 そして、その時に彼女は初めて気づいたのだ。自分もたぶん、何か言ったりしたりする度ごとに、センルやシンクノアの反応が気になるといった態度をしているのだろう、と。

 ある意味不思議なことだったかもしれないが、ミュシアはセンルの口からリエラ王妃のことを聞かされても、それほど深いショックは受けなかった。それよりも、「こんなことは出来れば話したくないのだが」といったセンルの態度のほうが気になった。そして彼もまた、自分を信頼していればこそ、話す必要のないことまで語ってくれたのだということが、ミュシアにはよくわかっていたのである。

『つまり、だ。私は時々おまえが、何か完璧な人間でも見るような目で私を見ていると知っている。だが、今まで生きてきた中で、私も時にはそういう失敗もしたし、おまえが尊敬の眼差しで見上げるほどの存在でもないということだな。アスラン王子の目的は、私とおまえの心を離すことだった。次に会った時、彼はまた似たようなことを言ってくるかもしれないが……彼が何をどう言おうと、おまえは私のほうを信頼しろ。秘宝探索行については、この先どうなるかわからないにしても、私はミュシア、おまえに出来ることはなんでもしてやりたいと思っている。まさかそのことを、一時的に面白がっているだけだとか、そんなふうにはおまえだって思わないだろう?』

『センルさん、わたし………』

 ここまでセンルが色々話してくれた過程で、ふたりの間には疑いや怖れの念といったものはまったく消えてなくなっていた。それでミュシアは自分が一番聞きたいと思うことを、ただストレートに聞いたのだった。

『あの、センルさんはリエラ王妃のことを、今も心から愛しているんですか?もし仮に二百年の時が過ぎても、人はまったく同じ想いで同じ人を愛し続けるということが、出来るものなんでしょうか?』

『私はハーフエルフだからな。エルフというのは、とても情の深い生き物だから、彼らにはそれが出来る。というのも、そもそも彼らはそういう永遠性の世界で暮らしているからだ。私も、自分がもし今も向こうの世界へいたら、そんなふうに彼女のことを愛せたのかもしれない……だが、人間の世界では時の流れ方が違う。その時は永遠の忠誠をもってリエラのことを愛していて、その気持ちに偽りはなかったとしても、やはり時が過ぎるとそれは<過去>のことになってしまうんだ。だが、彼女がとても誇り高くて素晴らしい女性だったということは、私の中で消えない記憶として残り続けるだろう。他に何か質問はあるか?』

『いえ……ただわたし、巫女として時々思っていたことがあるんです。わたしは自分が一生ルシア神殿に仕えて、誰か男の人を好きになるとか、そういう人生についてはあまり考えてみたことがなくて……でも、そういう形で人を愛したことがないのに、神さまの愛を説くだなんて、少し矛盾してやしないかしらって。けれど、神殿の外に出てみて思ったんです。本当は、どちらも同じくらい素晴らしいことなのかもしれないって』

『確かに、おまえのような生き方は、誰にでも出来るものではないからな。私は、何故おまえが聖杯の継承者として姫巫女に選ばれたのか、よくわかる気がする。もっとも、おまえ自身にはそれがわからないかもしれないが……まあ、それがおまえの一番の美点でもあるのだろうよ』

 ミュシアには、センルの言っている言葉の意味がやはりよくわからなかったが、ふたりの間ではもう、それ以上の言葉による繋がりはさして重要ではなくなっていた。

 ミュシアは、自分もまたリエラ王妃のように、センルの中で<過去の人>になって終わるのではないかとか、そうした思いは一切持たなかった。センルがリエラ王妃のことを愛したように、強く彼に求められてみたいとか、そうした発想も彼女にはない。ゆえに、リエラ王妃と自分の存在を秤にかけたとしたら、センルの中で目方が重いのはどちらなのだろうとは――露ほども思うことはなかったのである。

 この日の夜、眠る前にミュシアが思ったこと、それはセンルが時々見せた不可思議な顔の表情と、彼の優しさについてだけだった。そして神に対して深く感謝の祈りを捧げた。センルのような人に巡り会えたことと、また、彼が自分に対して好意を抱いてくれているということに……それから、リエラ王妃という女性が、今生きている女性でなくて良かったと、ミュシアはそうも思っていた。もしセンルの想い人がロンディーガ王国の宮廷に今もいるのだとしたら、彼がどんなに優しくしてくれたとしても、自分は複雑な思いしか抱けなかったに違いない。

 そしてそこまで考えて、何かの矛盾を流石にミュシアも感じたが、自分にとって深い愛情を持てる人物が、ふたりも隣の部屋にいることを神に感謝しているうちに――彼女はそのまま深い眠りへ落ちてしまった。



「秘策が聞いて呆れますね。<隕石落としの術>(メテオフォール)などという危険極まりない魔術で、奴らのことを殲滅できるなどと、本当にそのようなことをブリンク殿はお考えなのですか!?」

 時はマゼルの刻のこと、象牙の円卓を囲んで、そこにはアスラン王子と従者マトヴェイ、それからセンルにシンクノアにミュシア、カルディナル王国のブリンク、エリメレクの六名が顔を揃えていた。

「一応、理論上ではそうだ、ということですよ。アスラン王子」

 エリメレクはアスランがそう言うだろうことを見越していたのだろう、まったく冷静で、落ち着き払ったまま(というか、素人に説明するのはまったく疲れるといった面倒くさそうな顔の表情さえ見せて)、大儀そうに言った。

「隕石の命中率は、高く見積もって92.4%程度。それでは残りの7.6%をどうするのかと、アスラン王子はおっしゃるでしょうな。わたしの考えでは、五人一組の魔導隊を作って、ひとつの隕石群をコントロールするのがよかろうと思っています。当然位はセリク以上の……それでも御しきれなかった隕石については、わたしや蒼の魔導士たちがなんとかフォローするといったところです。それでも一般市民には被害がでるかもしれません。ですが、他国の侵略に甘んじる代償はそれ以上かもしれないのですぞ。なんにせよ、この案については円卓の魔導士十名もすでに承認済みのことです」

「さぞや議会は紛糾したことでしょうな」

 ミュシアはアスランと目が合うのがなんとなく怖かったので、少し顔を俯けるようにして、彼のほうは見ないようにしながら話を聞いていた。だが、彼女がそうしているからこそ、アスランはどこか容赦のない眼差しをミュシアのほうに向けていたのだともいえる……ゆえに、センルとシンクノアは「この野郎っ!!」という同じひとつの思いを隠し持っていたが、顔の表情は両者とも、不自然なほど冷静そのものであった。

「それで、そちらの方が姫巫女さまですか」

(白々しい奴めっ!!)と、ここでもまた、シンクノアとセンルはまったく同じ思いを持った。だが、シンクノアにとって何より心配だったのは――ここでもしセンルが切れたら、アスラン王子の思うつぼということになるかもしれないということだった。

 しかしながら、そこは仮にも一国を代表する宮廷魔導士である。センルはおとといミュシアがアスランに拉致されてのち、自分の弱味となりそうなことは大体話してあったので、安心して彼に立ち向かっていくことが出来た。

「そんなに不躾にジロジロと眺められては、姫巫女に失礼というものでしょう。彼女があまりに美しいので、見とれる気持ちはわかりますが、もう少しお控えになってほしいものですな、アスラン王子?」

「それは、とんだ御無礼を致しました」

 アスランは何かの科白を読み上げるように、棒読み口調で言った。とはいえ、隣のマトヴェイはミュシアのような少女が自分の好みに合っていたのだろう。彼はセンルの言葉に、ハッとしたように顔を赤らめていた。

「ところで、蒼の魔導士センル殿。今あなたは姫巫女殿の後見人のようなお立場であるというのは本当ですかな?あわよくばそのことを盾に、ロンディーガ王国が今後五王国の実権を握ったり、はたまたあなた御自身が覇権を掌中にするということもありえると、そのように思いますが、いかがかと?」

「ありえませんね」

 センルはまるで馬鹿を見るような目つきで、アスランのことを見返してやった。それも白々しいような溜息とともに。

「私と姫巫女殿の邂逅と、聖竜の剣の保持者のそれとは、ただの偶然によるものです。まあ、一般に聖竜の秘宝を手に入れた者はこの世を制すと言われていますが――歴史として書き記された秘宝探索行の中では、秘宝を使った時に世界が救われ癒されたということしかわかりません。私が姫巫女殿と行動をともにしているのは、彼女が無私の精神によってそのようなことを目的としているからなのです。今我々の元にあるのは、聖杯、剣、そしてエリメレク殿がカルディナル王国のブリンクとして持つ指輪という、その三つです。ここにミッテルレガント王国の次期国王であるアスランさまが盾をお貸しくださると確約してくだされば、秘宝のうち四つが揃ったということになります。残りは鎧と冑と聖槍……このうち聖槍は、<地の崖ての民>とやらに奪われてしまった可能性が高いと思われますが、彼らの目的がもし聖竜の秘宝をすべて揃えることであったとすれば、もっとも危険なのはおそらく我がロンディーガでもなく、イツファロ王国でもなく、ミッテルレガント王国ということになるでしょうな。何故といって聖書を読めば一目瞭然、聖竜の盾の継承者は二度とも、ミッテルレガント王国の王子と魔導騎士なのですから。そのことを思えば、カルディナル王国から魔導隊を派遣してもらって国の危難を救う策を打っておくことは、非常に重要かと思われますが、いかがかと?」

 アスランが黙りこみ、何か真剣な物思いに耽りはじめたのを見て、シンクノアは(センルってすっげーっ!!)と、あらためて感心した。シンクノアは彼が屁理屈を並べてもっとごねるのではないかと想像していたが、確かに、聖竜の盾があるとすればミッテルレガント王国のどこかであろうというのは、誰もが想像するようなことなのである。

「確かにそれは、貴公の言ったとおりかもしれぬ。また私自身もそう考えて、飛空艇と竜の襲撃事件以来、眠られぬ夜を幾夜も過ごしたというのも事実……だが、ミッテルレガントに聖竜の盾があり、カルディナル王国にルーシュの指輪があったのだ。ということは、貴公が宮廷魔導士を勤めるロンディーガにも、冑か鎧があるということではないのか?」

「それが、わからないのですよ」

 センルは相手が若干胸襟を開いたように感じ、自らもまた同程度にアスランに対して心を開いた。

「王子もご存知のとおり、私がロンディーガ王国で宮廷魔導士となってすでに二百年余り……ですが、聖竜の秘宝のひの字も聞いたことはありません。ということは、最低でも王都やその近辺にそれらしきものはないと考えるのが自然です。ですが、唯一気になるのが……」

 センルはここで、いかにも気が進まなそうに、溜息を着いた。自分が内に持つ情報をアスランに渡すのが嫌だったわけではなく、闇魔法や邪教に関することを口にするのは、ハーフエルフである彼にとって、実に気の重いことだったのである。

「ロンディーガの国土の南西に、ルシアス島と呼ばれる島があります。ここはみなさん御承知のとおり、聖竜ルシアスが暗黒竜との戦いで傷ついた時、その羽を休めた伝説の場所であるとされています。また、ルシアスが後に妻となるルーシュと出会った愛の島だとも言われるわけですが……現在は偶像崇拝のメッカとでも言ったらいいのか、一種の観光名所的な場所に成り果てていると言わざるをえない。ロディーガ民族は、一に音楽、二に踊り、三に語りといったような、享楽的な気質を持ってますからね。ようするに聖竜ルシアスとルーシュの名にあやかっているうちに、どんどん真のルシア信仰とはかけ離れた場所になっていってしまったんですよ。聖竜ルシアスとルーシュが出会ったとされる場所などもあるのですが、私の知る限りその歴史的信憑性には限りなくあやしいものがある……なんにしても、今ではなんの神を祀っているのかもわからぬような、おかしな塔やピラミッドが建っていたりと、邪教の聖地という言い方はおかしいかもしれないが、そのような場所にルシアス島はなってしまっている。もしいつか、聖竜の秘宝を探索する日が来るかもしれぬと私にわかっていれば――ルシアス島をもう少しどうにかすべきだと、私の口から王に進言することもできたかもしれない。だが、今となっては後の祭りといったところ……」

「つまり、センル殿はもしロンディーガ国内のどこかに鎧か冑があったとすれば、現段階ではそこがもっともあやしいと思っておられるということですか?」

「まあ、そうですね」

 センルは再び溜息を着いて、アスランに答えた。

「消去法でいくとすれば、そこから探す他ないかもしれません……ただ、あの島には何かあるとは、大分以前より思ってはいました。といっても、私が感じていたのは邪教の影のようなものですがね。普通は、聖竜伝説の伝わる島にそのようなものがはびこるなどありえないと思われるでしょうが、あそこは本土から離れていることもあって、私としても「嫌な感じがする」と思い続けていただけに、あまり関わりあいになりたくなかったのですよ」

「なるほど……」

 相手が本音で話しているということが感触として伝わり、アスランは用意してきた辛辣な言葉のいくつかを、心の内に引っこめるということにした。本当はリエラ王妃のことを口にすることで、姫巫女とセンルの動揺を誘いたいと思っていたが、ハーフエルフとして気質に合わない場所であれ、彼は犠牲と代償を支払ってもそこへ赴く覚悟があるのだと、そう感じたからである。

「では、聖竜の剣の持ち主殿に聞きたい。その剣の出どころは一体どこなのですか?」

「あ~、俺はまあイツファロの出身で、この剣をくれたおっちゃんも、イツファロの人間っつーか……」

 意外にもアスランが、丁寧な言葉遣いで自分より目上とまでは言わないにしても、対等な人間と接するように聞いてきたので、シンクは思わず普段の地が出てしまった。本当は、もし話を振られたら、センルのようにきちんとした共通語で話したいと思っていたにも関わらず。

「俺は瞳の色がこれだからさ、まあ小さい頃からいわゆる村八分的境遇で暮らしてきたってわけなんだけど……そんな俺の元にある日、剣の達人のおっさんがやって来て、何年か稽古をつけてくれたんだ。で、このおっさんが村を立ち去り際に聖竜の剣を何故か置いてったってことなんだけど……」

「その者の名は?」

 シンクノアは一瞬ためらったが、彼がマリサと話していたことで、リキエルというのは剣士の称号だというのを思いだした。本名でないなら大丈夫だろうと思い、シンクはその名を出した。

「リキエルだと!?はっはっはっ!!なるほど、いかにもありえそうなことだ」

 シンクノアもセンルもミュシアも、またエリメレクも――アスランが何故その名前に強く反応したのか、まるで見当もつかなかった。

「リキエルというのは、もしかしてあのリキエルさまのことなのですか?」

 マトヴェイもまた、石の椅子から身を乗り出し、アスラン王子に若干身を寄せるような形でそう聞いた。

「あの男は今、我ら魔導騎士の騎士団長のひとりをしておるよ。今からもう七年くらい前に、イツファロ王国から流れてきてな。おそろしく剣の腕が立つので、魔法は当時まったく使えなかったにも関わらず、父上が寵臣のひとりとして迎え入れたのだ。リキエルは元、イツファロ王国の<北斗七聖将>と呼ばれる剣の使い手だったのだが――まあ、あの国も色々あるからな。彼は自由を求めて祖国を逃れてきたと言っていたが、実はそうではなく、王都イツファルにある聖竜の剣を奪って逃げたということなのだろう。リキエルというのはまったく愉快な男でな、その気質に免じて、私も父も特にイツファロの国情について深く詮索したりはしなかった……あれほどの男が貴公に剣の稽古をつけ、なおかつ自分の命をかけて王宮から奪った剣を渡したのだ。シンクノアとやら、貴公は実は相当の手だれであるに違いない」

 そうアスランが言い終わるか終わらぬうちに――彼はローブの襟元に隠したナイフを取り出し、目にも止まらぬ速さでシンクに向けてそれを放った。シンクノアは反射的に剣の柄でそれを弾いたが、実際にはその必要もなかったと、すぐ気づいた。もし自分が微動だにしなかったとしても、ナイフは首と右肩の間をただ通り過ぎていったに違いない。

「魔導邸内での争いごとは御法度ですぞ」

 シンクノアが剣の柄で弾いたナイフに、エリメレクは浮遊魔法をかけていた。そこでナイフは床へ落ちる寸前で空中静止し、エリメレクが手を伸ばして取ると、象牙のテーブルの上へのせられた。

「大丈夫ですか、シンクノア!?」

 ミュシアが顔を青くしてシンクのほうを振り返ると、アスランは初めて彼女がいたことに気づいたように、ハッとした。自分はどうも、最初の出会いから今に至るまで、彼女に嫌われる言動ばかりとっている気がする……。

「ああ、心配はいらない。そもそも王子も当てるつもりなんかなかったんだ。まあ、リキエルの消息もわかったことだし、今のはなかったことにしてやるよ」

「すみません。アスラン王子はリキエルさまと剣で渡りあって、いまだに一本も取れないままなものですから、それでつい……」

「余計なことを言うな、マトヴェイ」

 アスラン王子は気分を害したように両腕を組むと、暫くの間何かを考えこむように黙りこんでいた。イツファロ王国に聖竜の剣があり、カルディナル王国にルーシュの指輪、ミッテルレガント王国には聖竜の盾がある……これでもし、ロンディーガに鎧か冑があったとして、残るひとつの秘宝は、一体どこに眠っていることになるのだろうか?

 アスランは、おそらく蒼の魔導士センルが、今自分とまったく同じことを考えているだろうとわかっていた。そして彼と目があうと、一国の王子である自分に遠慮して、先に意見するのを控えているに違いないと感じた。

「どうやら私は少々、話しすぎた上に手まで動かしすぎたようだ。これからは少し、大人しく黙っていることにしよう」

「といってもまあ、私の考えていることと、アスラン王子の考えていることとは、おそらくまったく同じことでしょうな」

 アスランがシンクノアにナイフを放っても、センルにはまるで動じるところがなかった。アスランはそれを、センルが自分の連れの腕を、それだけ信頼している証しとして受け止めていた。

「聖書に書かれたことについては……まあ、私などより姫巫女のほうがよほど詳しいに違いないが、三千年前の探索行でも、千年前にあった探索行でも――冑が見つかるのは最後だったんですよ。この正訳聖書の記述には不思議な点がいくつもあって、まず、探索行に関わった人物の心の描写が事細かくでてくる……この聖書と呼ばれる書物を書いたのは神であるとされているが、それこそ神でなければそんな深いところまで人の心の内を読めはせぬだろうというくらい、そうした描写がとても多い。ゆえに、これは秘宝探索行に随行した人物のうちのひとり、あるいは探索行に何がしかの形で関わった人物、あるいは、秘宝の保持者のひとりが自分の家来などに伝えて、物語ふうにまとめさせたものであろうと言われています」

 そこまでの自分の説明で、センルはミュシアが不服そうな顔をしているのに気づき、隣の彼女に向かって微笑みかけた。

「どうした。私の今の説明では、まったく十分でないとでも言いたげだな」

「はい。だって、聖都のルシア神殿の巫女もルシアス神殿の神官も――正訳聖書の信憑性を露ほども疑ってはいないからです。センルさんは魔導士だから、そんなふうに分析的にただの物語として聖書を読むのかもしれないけれど、わたしたちにとって聖書というのは、本当に神の指が書いたそのままの言葉なんです」

 姫巫女が蒼の魔導士にそう意見するのを聞いて、(なるほど。この娘にはこういう側面もあるのか)と、アスランは少し感心した。てっきり、蒼の魔導士にいいようにされている、ねんねの人形か何かだとばかり思っていたのである。

 そして、自分の早計な行動について、彼はあらためて後悔していた。

「そのことは別にしても……」

 ミュシアはさらに言を継いだ。

「センルさんが言いたいのはたぶん、次のようなことなんだと思います。正訳聖書には、秘宝探索行に関わった人物の、おそらく本人にしかわからない心の描写が多く出てくるのと同時に――明らかにこの部分は必要というか、重要と思われる点に、欠落箇所がとても多いんです。これは、聖書が人から人へ伝えられ、写しとられていく過程で、後世の人々が不適切と感じた部分が削除されたからではないかと推測する聖書学者もいますが、わたしはそうは思いません。いえ、仮にそうであったとしても、それもまた神の御旨であったのです。ゆえに、現存する聖書を頼りにすれば、秘宝探索行は必ず最後にうまくいくと思っています……たとえば、歴史として残っている二度の探索行では、ともに冑が見つかるのは一番最後です。ところが、三千年前の探索行でも千年前の探索行でも、どうやって冑が見つかったのか、その記述がともにまったくありません。秘宝が六つ集まった時点で、どこからともなくそれがやって来たようにしか……」

 ここでミュシアは、魔導会議室に集った全員が、自分の話す言葉を傾聴していることに気づき、ハッとしたように顔を赤らめた。

「あ、あの、わたし――なんだか場違いなことを言ってしまったみたいで………」

「いやいや、そんなことはありませんとも。流石は姫巫女殿と思い、このブリンク、感動のあまり言葉もなかった次第ですよ」

 エリメレクはそう言ってミュシアに対し、励ますように微笑みかけた。歴史に残っている過去の秘法探索行において、姫巫女は姫巫女としか書き記されず、彼女が言った言葉に関しては記述があるものの、他の随行者たちとは違い、姫巫女の心理描写といったものは一切出てこない。だが、それが一体何故なのか、エリメレクにはたった今、わかったような気がしていた。

「まあ、そういうことだな」

 センルは助けをせがむようにミュシアに見つめられ、仕方ないといった顔になると、再び座上の手綱を握ることにした。

「なんにしても、次なる我らの任務は、秘宝のうちのひとつを探しだすということです。イツファロ王国に聖竜の剣が、カルディナル王国にルーシュの指輪が、ミッテルレガント王国に聖竜の盾があったわけですから――よもや我がロンディーガには何もないということだけは、ありえないように思われる。そこでエリメレク殿にひとつお聞きしたいが、前にも申し上げたとおり、私はロンディーガのブリンクであるアヒトフェルとはあまりうまくいっていません。まさかとは思いますが、エリメレク殿がルーシュの指輪を持っておられたように……ロンディーガのブリンクだけに伝わるそうした秘密があるということはないでしょうな?」

「一応、あらためて書面にしてアヒトフェルには訊いてみましょう」と、エリメレクはセンルに約束した。「まあ、まずそうしたことはありえないと思いますがね。もしそうだとすれば、とっくにカルディナル王国の歴代のブリンクのうち、誰かに伝えられているはずですから。そもそもカルディナル王国のブリンクには、聖都ルシアスに聖杯と聖槍が、イツファロ王国に聖なる剣が、ミッテルレガント王国に代々盾が伝わっているという情報は掴んでいた……ですから、運命に導かれて姫巫女殿が王立魔導院を訪ねてきたとすれば、まず秘宝のうち五つが揃うだけの手がかりは得られていたはずなのですよ。今姫巫女殿のお話にもあったとおり、聖竜の秘宝は六つ揃った時点で最後の冑がどこからともなく現れるのだとした場合、もっとも重要なのはおそらく、聖なる鎧ということになる。千年前の秘宝探索行では、ロンディーガ出身の鍛冶屋が邪教の軍勢に寝返ったとされていることから見ても、センル殿のお話と合致するところがあると思われる。まあ、あやつら闇の軍勢は、姫巫女に秘宝をすべて集めさせねば良いわけであるから、そのうちのどれかひとつを人の近寄れぬような場所に封じたのかもしれません。灯台もと暗しとは、よく言ったものですな、センル殿。聖竜の島とすら呼ばれる場所なんですから、真っ先にあやしむべきはずなのに――あの島にはどこか、そうした人の気を逸らせる力がずっと以前より張り巡らされているとしか思えない。なんにしても、あの場所は危険な地です。エルフが持つのとはまったく逆の、邪な力が働いているとしか思えませんからな……あやつらの手に落ちたとすればセンル殿、御身はただでは済みますまいぞ。闇の軍勢どもはいつだって、人間の血よりもハーフエルフの血を邪教の神殿に捧げたいと思っているものですからな。それでも御身は行かれるか?」

「それがもし、神の御心であったとするなら」

 珍しくもセンルは、神の名とともに誓いの言葉を口にした。というよりむしろ、そんな場所であるからこそ、ミュシアのことを近づけさせたくないと彼は考えていた。自分ひとり、もしくは自分とシンクノアがその危険な場所へ赴き、聖なる鎧を闇の軍勢より奪取するというのが理想ではあるが――これまでの道中で、ミュシアが持つ信仰の力がいかに邪教勢力に対し強い力を示したかを思い起こすと、彼女がただ「いる」というだけで大分違うことは明らかであった。

「わたし……わたしは嫌です!そんなの!!」

 不意に強い口調でミュシアがそう叫んだのを聞き、象牙のテーブルを囲んでいた面々は、弾かれたように一斉に顔を上げた。

「わたしのせいでセンルさんがそんな場所へ行くだなんて、耐えられません。第一、聖なる鎧と呼ばれる秘宝を、どうやって邪教勢力が隠しておけるのかもわかりませんし……センルさんが無理をしてそんな場所へ行く必要はないと思います。それに、危険な場所へ足を踏み入れたにも関わらず、結局そこに聖なる鎧はなかったということだってありえるんですから。秘宝を探すことも大切かもしれませんが、わたしはその前になすべきことがあるとも思っています。ミッテルレガント王国では<蝕>という原因不明の病いが流行っていると聞きました。もしそれが姫巫女がルシア神殿に不在であることが原因なのだとしたら――わたし自身がその、神殿になりにいこうと思っています」

「……姫巫女御自ら、流行り病いを鎮めに、我が国へ来てくださると?」

 アスランは、ミュシアの妙に熱心な顔つきを見て驚いた。自分はミッテルレガント王国の王子である。そしてその前に、蒼の魔導士センルが彼女のことを何かの道具のように扱っているように感じ、同じく姫巫女を操ることは出来ないかと、邪な動機も持っていた……だが、それとこれとは別の問題として捉え、彼女はミッテルレガントへ来てくれるというのである。

(なんという娘だ。というより、それであればこそ、この蒼の魔導士は……)

 アスランが視線を転じた時、センルは彼には理解できない種類の表情を浮かべていた。ここは公の場なので、口にだしては言えないが、あとでたっぷり押し置きしてやるとでもいうような……。

「姫巫女殿」

 アスランはスッと立ち上がると、離れた席にいるミュシアの元まで近づいてゆき、それから彼女の足元に跪いた。

「数々の御無礼、何卒許されよ。このアスラン・ミッテルレガント、次期国王となりしその暁には、必ず生涯に渡って御身に忠誠を誓いますぞ。聖竜の秘宝のひとつである聖なる盾もまた、御身のもの……私には貴女の足の指に口接ける値打ちもありませぬが、もし許されるなら、今、その手に忠誠の誓いを立てることをお許しいただきたく……」

 ミュシアはアスランに対し、左の手の甲を与えた。そして彼はそこに神聖な口接けをしたのだったが、アスランがそうしていた時間は妙に長く感じられた。

 そして最後に彼が、一瞬悔悟の思いを眼差しに浮かべるのを見て――ミュシアは心の中で、アスラン王子のことを完全に許すということにしたのである。

「さて、話はまとまりましたな」

 エリメレクはアスランが座席に戻るのを待ってから、ニコニコしてそう告げた。それが何故だったのかは、座上の誰にもわからなかったに違いない。だが今、カルディナル王国のブリンクは、この会議がはじまった時とはまるで別人のような晴れやかな顔つきをしていた。

 彼は多忙な中、この魔導会議室での時間を無理にとっていたのだが、他のすべての公務を投げ捨ててでも、この会見の場を持って良かったと、この場にいる誰にも知りえぬ理由から、そのように感じていたのである。

「ミュシア、いや、姫巫女殿よ。おまえは一体いつミッテルレガント王国へ出発するつもりなんだ?」

「なるべく早く、それも近いうちに」

 センルの問いにミュシアが即答すると、マトヴェイがやけに嬉しそうに反応した。

「あの、僕たちは……というか、アスラン王子と僕は、明日にでも王都カーディルを出る予定でいたんですが。どうしますか、王子?せっかくですから……」

「いや、我々は予定通り明日、出立するとしよう」

 アスランは、やけにきっぱりとした決意に満ちた口調で言った。

「姫巫女殿が来てくださるという、この嬉しき知らせを、なるべく速く我が国へと持ち帰りたいのだ。もちろん、姫巫女殿がミッテルレガントにあり、などという噂が立ったら、ルシアス王国のレグナ大公と対立することになるかもわからない。あの狐……いや、失礼。彼にはあまり良くない噂があるのですよ。なんにしても、今は聖五王国間で揉めているような場合ではない。国を揚げて姫巫女殿を盛大にお迎えしたいのは山々だが、極内輪だけでひっそりとそのような宴を持つべきなのでしょうな、おそらくは」

「はい。わたしは、ミッテルレガント王国で自分が姫巫女であると名のり出ようとは思っていません。出来れば、王子の御身内にさえ、このことは内密にしていただきたいのです。<蝕>という病いは、らい病によく似ていると聞きました。かかった者は肉が崩れ落ちていき、激しい苦痛の中で息を引きとるのだとか……秘宝探索行よりも先に、今苦しんで者のためにこそ、わたしは働きたいと思っています」

「では、私は治療院のほうがどうなっているのか、先によく調べておこうと思います」アスランはよどみなく言った。「この病気は一度罹ると根治がほぼ不可能であり、ただ無残に肉が腐り落ち、最後は灰のようになるのを待つしかないと言われています。そうやって腕や足を失った者が数多くおり、またその病いがうつるのではないかと恐れ、他の者はなかなか罹患者に近づきたがりません。恥かしい話、我が国でも治療者や介護者が不足しているのが現状……ですから、姫巫女をお迎えするのにそれなりの施設等を国を揚げて準備したいのですよ。そのために父上を説得するのに、姫巫女殿の名を使わせていただければと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「そういうことなら、構いませんが……ですが、わたしは宴の席などに出席するつもりはありませんので、その際には父王にその点を強くお伝えくださるよう、よろしくお願いします」

「承知致しました」

 アスランは最後に恭しくそう答え、蒼の魔導士が今度は実に満足げな顔の表情をしていることに気づいた。彼の眼差しは深い愛情をもって隣の姫巫女に注がれており、アスランはそれだけでも、センルが実はどのくらいミュシアという少女に夢中なのかが、よくわかったものである。

(だが、この男は三百歳にもなりながら、自分でそうと気づいていないのであろう)

 その翌日、エシュタリオン街道へ向かうアスランと、彼の従者マトヴェイの足は、実に軽やかなものであった。外では寒風が吹きすさび、雪雲が母国の方角を覆っていても、彼らは三千エリオン以上もの道のりを馬でゆくことに、なんの辛さも感じはしなかった。

 その胸には希望――何故なのかはよくわからない、希望だけが強く燃えていた。

 姫巫女はこの世の光である、というのは聖書に書かれている言葉でもあるし、事実そのとおりでもあるのだろうと、アスランはこれまで思ってきたが、彼にとって今その意味はまるで違うものになっていた。幼い頃から彼に神学を教えこんだ教師は、どこか教条主義的な四角ばったことばかり、アスランの脳に詰めこもうとしたが、彼が今持っているのは本物の<生きた信仰>とも呼ぶべきものだった。

 アスランは王子として、ルシア神殿やルシアス神殿を敬うべしと教えられてきたから、そのように生きてきたのだったが、今はミュシアという名の少女に、この世界の命運のすべてを賭けてもよい、という気にすらなっていた。

 何故といって、これまではただ理屈だけが書き記された分厚い板がアスランの心に眠っているばかりだったのが、墓から死人が甦ったように、初めて彼の中でそれが<生きた教え>となりつつあったからである。

(蒼の魔導士センルよ、私はおそらく、おまえになりたかったのだ。おまえのようにあの美しい娘を庇護し、なおかつ彼女に尊敬と賞賛の眼差しで見上げられたかった。そして、姫巫女があの時、ベッドの上でおまえの首に手をまわしたように――そのような関係を彼女と持ちたいと内心では切望していたのだろう)

「だが、まったく人生というのは皮肉というのか、うまく出来ているものだな、マトヴェイ」

「そのとおりでございますね、アスランさま」

 マトヴェイは、アスラン王子が何を指してそう言ったのか、彼なりに理解したつもりになって答えた。

「アスラン王子と僕が宿泊しているのと同じホテルに、姫巫女さまがいらっしゃっただなんて……僕は感動しました。あの人のためになら僕は、命を投げ捨てたとしても構わない」

「ほう、おまえもそう思うか」

 アスランは冗談めかした口調で、隣の馬上の従者を眺めやった。王都カーディルを出発し、約120エリオンを駆け、ヴァルダスという名の町を目前に控えた時のことだった。

「私はこれから、レイテハスキル家の御令嬢と数年内に婚姻せねばならぬ身であるというに――心の中では姫巫女に懸想する間抜けな男となるやもしれぬな。まこと、騎士道といったものはつらいものよ」

「王子、まさか本気でそうお思いになっておられるのではないでしょうね?」

 マトヴェイはどこか心配げな眼差しで、自分の主君のほうを見返した。アスランは白馬の馬上で、深窓の令嬢でも想っているかの如き、深い溜息を着いている。

「おお、愛し麗しの姫巫女よ!貴女の心はすでに、あのハーフエルフの君のもの。そしてハーフエルフの君もまた、自分ではそうと気づかず、貴女に恋をしているのだ……まったく、あれほど賢い男が、己の恋心にだけはまるで気づかぬとは、愚かなことよ。もっとも、そうでなければ、秘宝探索行といったものは完遂されずに終わるのかもしれぬがな。しかし、それにしても……」

 アスランはここで、センルが血相を変えて<ブリンクの間>の寝室へ飛びこんできた時のことを思いだした。そして彼は最初「くっくっくっ」と喉を鳴らして笑い、次の瞬間にはマトヴェイが驚くほどの大声で、大笑いしていた。

「いやはや、神というのはまったく、うまく事を仕組むものよ」

 自分の主君が何を指してそう言ったのか、マトヴェイにはよくわからなかったが――彼はただ忠実な従僕らしく、アスラン王子に対し「そうでございますね、アスランさま」と、答えるに留めておいたのだった。

 



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