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第120話 魔王は降臨する
「魔王さまあー。見えてます? ていうか起きてますかー、だいじょーぶですか」

 魔王の間にぽつりと置かれた広い机に探していた姿を見つけ、僕は滑るように空気の上を駆けた。
 実体を保とうともせずに僕は、執務机の上にひらりと舞い降りる。行儀の悪いことだとは分かっていたけれど、やめようなんて気は僕にはさらさらない。
 僕の声にむくりと頭を持ち上げた彼は、ひどく、顔色が悪い。いつも白いけど。やっぱり具合が悪いんだろうかと思っていると、彼は薄く唇を開いて掠れた声を落とした。

「…………影、か……?」
「あ、見えるんですね。すごいですねー、この状態じゃ光だって見えないのに」
「輪郭はぼやけてるけど……見えることには見える。どうした?」

 辛いだろうに、それを我慢して僕の言葉を待つ魔王様。いやあ健気だねえ。光が溺愛するのも分からないでもない。僕にそのケはないけど。
 というか、執務机の上に伏せてたってことは、やっぱり辛いんだろうなあ。何だっけ? 魔法の乱用? そりゃ自業自得だけど。――まあ、それはいい。

「んあー、ちょっと今地下で変な戦いが勃発してて……相手が他みたいな雑魚じゃなくて、ちょっと厄介な奴なんですよ。それで魔王様呼んでこようと思ったんですけど……大丈夫ですか?」
「戦い……? ああ、それで――ありがとう。コメットやヘルグは?」
「安い挑発に乗りました」
「…………そうか」

 僕があっさり言った瞬間、一瞬崩れ落ちそうに見えたのはきっと気のせいではないだろう。御愁傷様――じゃない、お疲れ様。

「あー、その、無理はしないで下さいね。一応側近さんも光もいるわけだし、魔王様が無理する必要は」
「いや、ありがとう。でもコメットは女の子だし、それにヘルグも……何だか最近、私の分も無理してたから」
「へー。あの人が無理ってねえ……」
「寝不足みたいだった。魔法なんてとても万全で使えた状態でもなかったし」

 魔王様はそう言って、よろけながらも椅子から立ち上がる。……本当大丈夫だろうか。
 むしろ側近さんよりもこっちの方が倒れそうなんですけど。
 ていうか、こんなの無理して連れてったらあとで僕が光や側近さんに説教でもされそうな。……まあでも、今はそんな場合でもないか。

「それに、その相手っていうのは例の罪人だろう? 気になってたんだ、邪気がさっきから大きくなってる……」

 頭痛でもするのか、頭を押さえながらも部屋を出ようとする魔王様。
 邪気なんてそういえば、あんまり気にしてなかった。
 ……僕がまあ邪気の塊みたいなもんだからなあ。もうちょっと可愛いもんだけど。

「それなのに挑発に乗ったのか? あの二人にしては少し安直な……」
「あー。魔王様のこと言われて激昂してたみたいですよ」
「……なら尚更止めに行かなきゃ駄目だな」

 小さくため息を零す。と、ともに、魔王様が突然大きく咳き込んだ。
 それは咳なんてものじゃない、尋常じゃない咳き込み方だ。
 驚いてワンステップで駆け寄れば、口元を押さえた手に付着する、べとりとした赤い色。

「か、喀血って……! や、やっぱり休んでて下さい魔王様! あっちは何とかしてきますってば――」
「げほ、……いや……大丈夫だ。……いつものことだから」
「いつものことって! んないつものことがあって堪りますか、んな状態の魔王様を連れてったらむしろ光と側近さんに僕がフルボッコなんですけど!」

 けれど魔王様は白い顔を緩ませて笑う。無理しているのは見え見えなのに。

「それよりそっちの方が気になる。囚人たちの中にはたまに、サタンが目を付けた“大当たり”がいるから――王として、放っておくわけにもいかないだろう?」
「いや、正直ただのストーカーでしたし! ていうかあっさり捕まってる時点で明らか小物ですし、魔王様のお手を煩わせるまでもないというか、……ああもうとにかくさっさとベッドに戻りやがって下さいよ! 僕が面倒なんですって!」
「呼びに来たのはお前だろう? 覚えておくといい、この城の主は相当頑固だぞ」

 どうやらそのようでございますけどね!
 魔王様は悪戯っぽい微笑を浮かべたまま引こうとはしない。ああもう、こういう人苦手なんだよなあ。僕には正直どうしようもないんだけど。
 仕方ないから皮肉とばかりに大きくため息をついてみせるが、それでもうろたえる様子すら見せない。それどころか彼は、含みのある笑みを優しく和らげて。

「大丈夫。今度は倒れたりしない、王としても、心配してくれる人がいるただの一個人としても……な」

 こんな頑固な王様見たことないよと、僕はまた小さく嘆息した。




 ◇




 息の詰まる音。漏れた呻きは咳交じりで、ひどく苦しげに聞こえた。

「おいおい、弱いなあ。本当に魔王の側近かよ? 正直きょーざめ」

 呆れるような、憐れむような声音が叩きつけられる。
 見ていられない。だけど、腕を伸ばしても届かない。助けることすら。
 そんな僕を見て口元を弧の形にひん曲げる、デュレイ。そして腕のさらに力を強めたのか、絞められたヘタレさんの喉から、苦痛を訴える呻きがまた漏れた。

「あーあ、仕方ねえな……これ以上は弱い者いじめだもんな。コメットにあんまり嫌われたくねえや、この辺にしといてやるよ」

 そう言い放ったデュレイは絡めていた指を突然解き、ヘタレさんの身体を冷たく固い地に叩きつける。僕は彼の名前を叫びたかったけれど、生憎喉からは掠れた空気の音しか聞こえてこない。

 惨敗、だった。

 こんな敗北を味わったのは、人生――と言っていいのかどうかは分からないけれど――で2度目だ。
 最初はリルちゃんと戦った時。そして2度目は、今。挑発なんかに乗って目の前の男に向かって行った……その結果、だ。
 2対1。言い訳のしようもない、するつもりもないけれど。一体何だって言うんだろう、この男……? 僕だけならまだしも、ヘタレさん、まで。
 横に転がる、ヘタレさんの身体を見遣る。彼は僕よりも徹底的に痛めつけられている。――理由なんて、明確だ。

「……最低」

 今にも潤んできそうな目を何度か瞬かせ、デュレイを強く睨む。けれど彼に堪えた様子は全くない。

「んあ、殺さなかっただけマシだと思って欲しいんだがな。だからってまあ、生きて返してやるような善人でもねえけど。……おい、どうするよ? コメット」
「な、にが……?」
「だから、こいつのこと。お前が喜んで俺の伴侶になってくれるっていうなら、まあ俺も極悪人なんかじゃない。こいつくらい見逃してやるぜ?」
「……っ!」

 何を、と言いたかった。だけど彼は決して冗談では言っていない。その証拠に、さっきまでの余裕のある笑みが口元から消えている。
 悔しい。ぎりと歯を噛みしめる。こんな屈辱的なことは、初めてかもしれなかった。動かないこの身体が、折れそうなこの心が憎い。
 でも何より、僕は目の前の男が憎かった。

 伴侶? 彼女? ふざけんな。どれもお断りだ。その彼女の首さえ絞めておいて、何を言うこの男。

「あーあー誤解すんなよ。違うからな、別にさっき首を絞めたのはお前を殺すためじゃない。好きな子を殺す趣味なんて俺にはないぜ? 誤解するなよ、な、な?」
「……当たり前だろ馬鹿」

 もう完全に口調が戻っていたが、そんなことを気にしている場合でもない。心を読まれたような気もしたけど。
 言い訳なんてどうでもいい。しかも、そんなの当たり前のことだ。もし殺すつもりでやったならそれはそれだけど、でも。
 僕は間違っても、こんな奴の妻にだけはなりたくない……!

「まあ聞けよ。だけどそれでも、他の奴を生かしておいてやるような優しさも俺は持ち合わせてないからな?」

 あくまで穏やかに、昂る僕の気持ちを鎮めようとするみたくデュレイは優しく言う。

「俺他人の気持ちって分かんないんだ、好きな子の気持ちは極力理解したいと思うけどその他の虫けらが何を考えてようが何を感じようが正直どうでもいい、魔王の側近だろうがお前の友達だろうがちょっと手加減出来そうもないぞ?」

 だけど、内容はかなり物騒なものだ。手加減できない、なんて生温いものではなく。
 それはつまり、脅し。僕に脅しをかけているのだ。……そんなことのため、だけに。
 ふざけんなよ。そんなことのためにヘタレさんを殺すとか、軽々しく言うな。
 叫ぼうとした、けれど。

「――あんまり調子乗ってると、はっ倒しますよ?」

 僕の気持ちを代弁するように。デュレイの身体が突然、後ろに反る。聞こえたのはヘタレさんの声。
 驚いて目を凝らせば、デュレイの後ろから、ヘタレさんが彼の襟首を引っ掴んでいた。

「……っと、起きてたのかよ。結構タフだなあ、あんた」
「もうちょっと絞めておけばよかったんじゃなかったんですか? どうも余裕があるみたいですが」
「一回倒れたくせして吠えるんじゃねえよ、負け犬」

 デュレイは笑みを浮かべヘタレさんに向けての皮肉を紡ぐが、ヘタレさんは無表情のまま淡々と返す。……ヘタレさんに余裕がないことは、僕にだって分かるが。
 それでもやめない。彼は。口元だけを動かして。

「いいですか、コメットさんに指一本でも触れたら許しませんからね。先程から伴侶だの彼女だのうるさいようですが、彼女に手を出したりしたら存在ごと焼却しますよシアン化水素」
「いい加減俺の名前を覚えてくれないかねえ? 側近さん。ていうか、その手離してくれよ」

 睨み合い、一閃。
 言った傍から、抜いた剣で空気を断つデュレイ。ヘタレさんはそれを後ろに反ってかわす。ぎりぎりのところだったと言うべきか、ぎりぎりのところになるよう避けたと言うべきなのか。
 僕はようやく身体を起こしつつ、二人を見ていた。ひどい頭痛。ヘタレさんに加勢したくとも、まず立てそうにはない。……悔しい。ヘタレさんだって、今し方首を絞められていたばかりなのに。
 それを幸としたのか、デュレイは笑って追撃を仕掛ける。

「そもそも存在ごと焼却って、そこまで弱いあんたが何かできるのかよ!」

 叫んで、大きな剣を軸にしつつ回し蹴りを叩き込んだのだ。
 結界バリアを張るより避ける方がいいと思ったのか、一瞬の躊躇もなくヘタレさんは後ろへとワンステップで跳躍する。
 そしてそのまま、小声で詠唱。ヘタレさんの手の内の空気が見る間に膨れ上がった。

「……風の囁きシルフ

 囁きとはまるで思えないような威力で、膨れ上がった空気が限界を迎えて爆発した。
 デュレイが縦に構えた剣を抉るように、シルフたちが悪戯する。さすがにデュレイも構えた剣ごと何センチか後ろへと押し戻された。

「――へえ、なるほど。今までは本気じゃなかったってことかよ、側近さん? 上級魔法なんて唱える余裕残ってたなんてな」

 僅かに傷の残った剣を弄ぶようにくるくると回し、にやりと犬歯を見せて笑うデュレイ。
 馬鹿言え……上級を受け止められるだなんて、ヘタレさんにとっては相当の屈辱だろう。余裕なんてない。
 だけどヘタレさんは、そんな素振りも見せない。完全なるポーカーフェイスだ。

「だけど魔力も気力も、いつまで持つもんだかねえ!」

 デュレイはだっと地面を蹴って、剣を振り上げる。あまりの速さにさすがのヘタレさんも反応し切れなかったらしく、その頬に赤い線が刻まれた。結構深い。
 そして、さらに追い討ち。好機を逃すものかとするように、刃の切っ先がヘタレさんを追う。喉元へと突き上げられる鋭い刃に、僕は思わず、鋭い悲鳴を上げかけた。

 ――が。

「いえ、時間稼ぎだけでいいんですよ……そこまでタフでもないもので、ね」

 呟いた途端、ふっとヘタレさんが後ろに倒れ込むように――というか、倒れた。
 驚いて、悲鳴も引っ込んでしまう。デュレイも一瞬、目を見開いて。

 ――その一瞬の隙に、闇がデュレイの剣を絡め取った。

「……待たせた」

 聞き慣れた声が、鼓膜を刺す。
 階上から差す、僅かな光。それから、圧倒的な闇の存在――。
 僕は目を見開いて、そちらに視線を移す。息を詰めて。

 半階分上の踊り場には、影と、――リルちゃんが立っていた。

「魔王様っ!」

 掠れた声で、僕は叫ぶ。一段だけ階段を下りて、微かに微笑むリルちゃん。
 肩の力がふと、抜けそうになる。

「やあ、魔王サマじゃねえか! 側近さんと婚約者ちゃんでも助けに来たかい? 無詠唱発動とはあんまり感心しねえけどなあ」
「……別に、お前に感心されたくもないが」

 デュレイは突然のリルちゃんの登場にも、おどけてそんなことをのたまった。けれどそんな軽い挑発に乗るリルちゃんではない。
 よか、った……。影が呼んできてくれたんだ。僕はほうっと安堵のため息を吐く。――って、さっきの素振り、まさかそれをヘタレさんは知ってたのか……?

「へ、ヘタレさん! 大丈夫ですか!?」

 そういえば、と僕はヘタレさんの方へ駆け寄る。
 ヘタレさんは倒れたまま動かないけれど、その顔には笑み。どうやら無事みたいだ。よかった。

「主役交代、ですね。疲れました……ああ、普段透視クレアボヤンスなんか乱用して勇者さんの部屋を覗き見たりするから魔力の蓄積が」
「何やってんですか!?」

 反射的に突っ込む。こ、この人アホだ!
 勿論それも、今になったから言えることだけど――。

「でも、どうして魔王様が来るってこと……」
「確証はなかったんですけどね」
「え?」

 対峙するリルちゃんとデュレイをちらりと一瞥し、ヘタレさんは倒れたまま含みのある笑みを浮かべる。

「影が出て行ってから魔王の間に辿り着くまで。それから、またこっちに戻ってくるまで――大体の時間、計ってましたから。影とは言えど勇者さんは勇者さん、まさか見捨てて逃げるなんてことはないでしょう?」
「え! じゃ、じゃあ、もし影が本当に逃げ出してたら――」
「死んでましたね、あはは」
「あははじゃないですよ!?」

 軽く笑うヘタレさんとは対照に、僕は真っ青になる。何ていう賭け! あのタイミングで来てくれなかったら、ヘタレさんは今――。

「でもまあ、今生きてるんだからいいじゃないですか? それよりも、心配なのは魔王様の方なんですが……」

 全くよくないけれど、今は確かに説教している場合ではない。ヘタレさんに促され、僕は睨み合うデュレイとリルちゃんの方を見た。
 一触即発の雰囲気、とでもいうべきなのか。僕は固唾を呑み、胸中でリルちゃんにエールを送る。頑張れ。

 ――あれ、そういえばリルちゃん、身体はもう大丈夫なんだろうか……?

「いや、全然大丈夫じゃなかったよ。喀血してたし……僕は止めたよ? 止めたんだからね」
「うわ、影!? ――て、ていうか、喀血ってどういうこと!?」
「そのままの意味だけど。血が手にべっとりと」

 嘘。僕はばっとリルちゃんの方を見上げた。
 この際心読まれたとかいつの間にお前後ろにいたんだとかそんなことはどうでもいい! 喀血って……!

「へえ、いいこと聞いちゃったなあ? 弱った身体で御苦労なこったぜ、魔王サマよお」

 にやりと厭らしく笑うデュレイ。まずい、あいつ、余裕を取り戻し始めてる……!
 見れば確かにリルちゃんの顔色は悪い。足取りも何となく覚束ないし、動かない身体に鞭を打ってここまでやってきたんだろう。僕たちを助けるためだけに。

「ま、魔王様……!」
「――大丈夫」

 僕の悲痛な叫びに、にこりと微笑んで返してくれるリルちゃん。だけど何が大丈夫なものか。そんなの嘘なくせに。
 喀血なんて、普通じゃない。異常だ。普段ならば全力でナースコールでもしているところ。
 けれどそんなことを言えるはずもなく、ただ僕は口を噤む。

「そんな満身創痍で俺に勝とうってか? 笑っちまうぜ、ったくよお」

 デュレイは言った通りに、鼻で軽く笑う。剣を奪われたにも拘らず、まだ余裕があるみたいだ。
 そりゃあ、あんな状態のリルちゃん相手じゃそうだろうけど……。
 だけどリルちゃんも負けてはいない。顔色は悪い、けれど。

「その満身創痍の私に剣を奪われるお前に言われたくはないが」

 そ、そうだ正論だもん。もっと言ってやれ。リルちゃんを笑われたのが許せなくて、僕は思わずそんな子供っぽいことを考えてしまう。

「……まあいい。正直体調が悪いのは本当だし……」

 しばしの沈黙の対峙の後。
 リルちゃんは言って、おもむろに突き出した右手の人差し指を立てた。
 それが何を意味するのかと目を瞬かせていると、リルちゃんはその顔に何の感情も載せないまま、言い放つ。

「――一発。私の身体にしても、ヘルグの状態にしても、それ以上は付き合っていられないからな……いいか?」

 彼の言葉に、デュレイの表情が怒りとも、笑みともとれないような形に奇妙に歪んだ。
 ただその中で、獲物を見つけた狩人のように、鳶色の目だけがぎらぎらと光っていた――。


ようやく来ました満身創痍←
アリスの執筆サボって何やってるんだろうと思わないこともなかったですがまあいいですよね! うん。
今月の目標は有言実行です。……頑張ろう。

というか、世の中は今黄金週間なんですね(←今さら)
5月5日はこどもの日、ではなくうちの親の結婚記念日です(`Д´)ノ←
ええと、とにかく皆さまよい休日を! ……私は明日から多分ネット環境から引き離され隔離されますので(´・ω・)
またGW明けにお会いできましたら、嬉しいです。

とりま次回も何だかこんな感じが続きます(←どんな)
次こそ魔王様の見せ場! 頑張れYAHOO!
好きな女の子の首を絞めるヤンデレなんて政治的に裁いてしまえばいいと思います!←

それでは今度こそ、皆さまよい課題地獄を…………あれ? 私だけか。
キャラ人気投票勝手に第二弾☆


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