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お前みたいなヒロインがいてたまるか! 作者:白猫

本編

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そして1か月後のバレンタインデー前のある日、エプロン姿の椿と杏奈、菫がクッキーを作る為に朝比奈家の厨房に集まっていた。
だが、生地を作るのは椿達ではなく朝比奈家の料理人である。

朝比奈本家の新年会から帰宅後、椿はバレンタインにクッキーを作る事を両親に告げた。
それを聞いた父親が、料理人に材料を揃えて下準備もするように指示を出しているのを見た時点で、椿は、あ、これ絶対失敗しないやつだ、と言う事にようやく気付いたのであった。

そんなこんなで、クッキー作りである。
エプロン姿の3人は料理人が手早く材料をボウルの中に入れるのを眺めていた。
料理人が生地を混ぜ合わせているのを見ていた椿は、料理人にお願いし生地を混ぜさせてもらうことにした。
3人で交代しながら順番に生地を混ぜ合わせて行く。
たどたどしい手つきで一生懸命に生地を混ぜる菫の姿を椿は思う存分、写真に収めた。
菫のボウルを持っていた杏奈からは白い目で見られていたが、椿は全く意に介さない。

そうして混ぜ終わった生地を調理台に乗せ麺棒で広げて行く。
さらにそれを3等分して、3人の前に型と一緒に料理人が広げてくれた。
後は型で抜いていくだけである。
今日用意されていた型は、ハート、星、クマの顔、猫、羊であった。

料理人は幼い菫の補助につき、椿と杏奈は適当に置いてある型を手に取り、思い思いに型抜きしていく。
穴だらけになった生地を1つにまとめて麺棒で伸ばし、また型抜きをしていく作業を繰り返すと、けっこうな量のクッキーが出来上がった。
隣の杏奈を見ると、杏奈も型抜きが終わったのか清々しい顔をしていた。

菫は料理人の補助もあり順調に型抜きしていたが、それでもやはり椿達よりは終わるのが遅くなっていた。

「おそくなってごめんなさい」
「いいのよ。菫のペースでやればいいんだから気にしないの」

落ち込む様子を見せた菫に椿がフォローを入れる。
そもそも本日のメインは菫だし、時間はたっぷりあるのだから気にしなくてもいいのにと椿は感じていた。
椿のフォローを聞き安心したのか、菫は笑みを浮かべている。

菫の作業が終わるまでの間に椿達は、大きなオーブントレイに型抜きした生地を並べていく。
2人分を乗せるので、どちらがどちらか分からなくなる為、椿は境目に置いてある型抜きした生地にフォークをブスブスと刺して穴をあけた。

「こっち側、私の陣地ね」
「子供か」
「子供だよ」

と、言う椿と杏奈のやり取りに目もくれず、菫の補助の手を止めた料理人が、椿達のトレイをオーブンに入れた。
後は焼きあがるのを待つだけである。

「菫様の手伝いがありますので、椿様達で焼き具合を見ておいてくださいね」

料理人に言われ、椿は、はーいと軽く返事をした。
時間になれば普通に焼けると思っていたので、焼き上がり直前くらいに見ればいいと椿は考えていた。

そして、椿達がトレイに並べている間に菫も型抜きが終わったらしく、料理人と一緒に別のトレイに型抜きした生地を並べている。
菫がトレイに並べている間に、杏奈はそう言えば、と思い出し椿に声を掛けた。

「そういえば、椿は今年、誰にチョコあげるの?」
「お父様、樹、恭介、伯父様、水嶋と朝比奈のお祖父様、シェフと運転手の不破、千弦さん。杏奈は?」
「私は父親と祖父以外にはあげないわ。それにしても予想外にいっぱいね。毎年のことながら、ホワイトデーが豪華になるんじゃない?」

杏奈の言葉通り、毎年ホワイトデーのお返しが半端ないのだ。
特に大人組は金に物を言わせてくるので、手に負えない。

「去年、水嶋のお祖父様からは本物のガラスの靴を頂いたわ」
「一昨年はティアラだったわね。今年はドレスとか」
「やめてよー。ティアラもガラスの靴も箱に入れてクローゼットの奥深くにしまって見ない様にしてるんだから」

高価すぎて水嶋の祖父に貢がれてる感が半端ないのだ。
ティアラもガラスの靴も表面上は喜んだ姿を椿は祖父に見せていたが、正直、これどこに着けて行けって言うのよ、とツッコミをいれていた。
ミニチュアの飾り物ならまだ部屋の装飾品になるから良かったのにと思わずにはいられなかった。

椿として生まれて12年経つが、未だに金銭感覚の違いに驚いてしまう。
それを考えれば、杏奈は何事も上手くやっていて、椿は若干羨ましく感じていた。

「杏奈は高価な物だとか、そう言うのにこだわりないよね」
「私は貰えるものは貰う派だもの」
「その考え、羨ましいわ」

元を取ろうとして計算をし出す椿とは大違いである。
だから、金額の割に使用する回数が少ないと勿体ないと思ってしまうのだ。

「まぁ、でも椿はそれでいいんじゃない?見てる分には愉快だし」
「傍観者気取っているあんたも愉快の仲間入りしてる事に気付いてる?」
「…え?私、椿と同族だと思われてるの?やだ、心外」
「こ、このロリコン野郎…!」

思わず、椿は椅子から立ち上がり軽く杏奈を睨み付ける。
杏奈はしれっとした顔をして椿から視線を逸らした。

そうして、話している間にオーブンの残り時間は少なくなっていっているのだが、話に夢中な2人は気付かない。
2人がオーブンの事に気付いたのは、オーブンから焼きあがった事を知らせる音が鳴り響いた後であった。

すっかり、様子を見るのを忘れていた椿は、クッキーの焼き具合がどんなもんか気になった。
料理人がオーブンからトレイを出し、台に乗せた後で2人がトレイを覗き込む。
そこには通常よりも茶色くなったクッキーがあった。
綺麗な色のクッキーもあるが、圧倒的に枚数は少ない。
茶色くなってはいるものの、焦げていないだけマシだと考えればいいのか、クッキーすらまともに作れない事を嘆けばいいのか。

「でも、チョコレートで隠せるよね」
「いけるいける」

すぐさま証拠を隠滅する方法を思いつく辺り、この2人は割とずる賢い。

椿達のトレイを出した後、料理人が菫のトレイをオーブンに入れ時間を設定し焼き始める。
中のクッキーが気になるのか、菫が椅子に座ってオーブンの中をのぞき込んでいた。
料理人は、コーティング用のチョコレートの用意を始めていた為、椿は菫があまりオーブンに近づき過ぎないように気を配っていた。

しばらくオーブンの中をのぞき込んでいた菫が勢いよく椿の方に頭を向けた。

「姉さまはレオさまにチョコレートをさしあげるんですか?」
「奴はドイツ在住で日本に居ないので、日本のルールは適用されません」
「えー。姉さまからもらったらレオさま、きっとおよろこびになると思いますよ?」

なぜ、奴を喜ばせなければならないのか。

「大丈夫よ菫。レオンの事だもの。貰ってもいないバレンタインデーのお返しを渡しに日本にやってくるわ。去年来たもの。ね、椿」

フォローにならないフォローをした杏奈に椿はぎこちない笑みを向けた。

そう、去年のバレンタイン、椿はレオンにはチョコをあげていない。
にも関わらず、レオンはわざわざホワイトデーに椿の所へ来て、キャンディとザッハトルテを手渡されたのだ。
食べ物に罪は無いので、椿はそれらをありがたく頂戴した。

「奴のメンタルの強さには驚かされますよ」
「椿に対しては精神的にドMだからね」

杏奈の言葉に椿はうんざりとした顔をする。
そして、2人の会話を聞いていた菫は純粋な疑問を口にした。

「姉さま、どえむって何ですか?」
「ド・エムって言うオーストリアの老舗チョコレート店の事よ」
「椿に対して甘ったるい気持ちを持ってるって意味なのよ」

2人は畳みかけるように菫に嘘の説明をし、強引に納得させた。
互いに相手の脇腹に肘鉄をいれ、失言をした事を責め合っていた。

そうこうしている内に、菫のクッキーが焼きあがった。
椿達のクッキーとは違い、茶色いのが何枚かあるだけの綺麗な焼き色のクッキーが出来上がった。

「上手く出来て良かったわね」

椿が菫の顔を覗き込み口にすると、菫は嬉しそうに「はい!」と言って笑った。

コーティング用のチョコレートの準備も終わり、クッキーにコーティングしていく。
どうやるのかを料理人に教えてもらいながら、椿達はクッキーをチョコレートにくぐらせていく。

全部をチョコレートにしてみたり、半分だけにしてみたりして、網の上に出来上がった物を並べていく。
それらを袋に入れ個別包装し、ラッピング用の箱に入れた。

「茶色いやつは恭介のにしちゃお」
「ロシアンルーレット的にするのやめてあげてよー」

椿は悪戯心満載でいくつか茶色くなっていたクッキーを混ぜた。
どれにする?これなんかいいんじゃない?などと密談しながら、椿はクッキーを袋に入れ、箱詰めしていく。
全ての包装を終えた椿と杏奈は小さい手さげ袋にクッキーの入った箱を入れた。
数を数え、人数分あることを確認する。

一方、菫はクッキーをマジマジと見つめながら何か悩んでいた。
一向に袋に入れようとしない様子に椿が気付き、菫に声を掛ける。

「何を悩んでいるの?」
「あ、姉さま。…あの、どれがじょうずにできてると思いますか?」
「え?」
「わたくしはこれとこれが良いと思うのですが、チョコレートがかかりすぎている気がするんです。でもほかのは茶色くなってしまってますし、わたくしは倖一さまにじょうずにできたものをさしあげてよろこんでいただきたいのです」

菫の純粋無垢な言葉を聞いた瞬間、椿と杏奈はその場に膝から崩れ落ちた。

「心が痛い…!やっぱ天使だった、うちの妹、やっぱ天使だった」
「穢れが浄化される…!」

片方では四つん這いになった状態で、もう片方では膝立ちになり、上を向いて手で顔を覆った状態で上記のセリフを口にしていた。

普段は見せない姉といとこの状態に菫は戸惑ってしまっていた。
オロオロとした様子で膝をついている2人を見てどうされたのですか?と声を掛けている。

椿と杏奈は、菫の純粋無垢な様子に、自分達の穢れきった心の醜さをまざまざと見せつけられ後ろめたい気持ちになっただけである。
自分達は一体、菫のような心をどこに置き忘れてきてしまったのだろうかと思わずにはいられなかった。

いつまでも床に手をついている訳にもいかず、椿と杏奈は立ち上がり、水道で自分の手を丁寧に洗った。
そして、困惑している菫に向き直り声を掛ける。

「いきなりごめんなさいね。菫の心の優しさに胸を打たれていたのよ」
「菫はずっとそのままでいてね」

2人の言葉の裏までは読み取れない菫は、単純に褒められたと感じたのか嬉しそうに微笑んだ。
騒ぎが治まり、菫は再びクッキーの選別作業を再開した。
時折、椿や杏奈に助言を受けながら、ようやく倖一に渡す分が完成した。
その後も、父親や両家の祖父達、恭介と伯父、弟の樹に渡す分も完成させた。
残ったクッキーは全て茶色くなっていたもので、これは自分の分ですと穢れの無い目で菫に言われ、またもや2人は打ちひしがれたのだった。

そして迎えたバレンタインデー当日。
椿は朝、登校前に菫に何度も「一緒に渡しに行くからね!」と言って聞かせていた。
菫も菫で1人で渡しに行くのは難易度が高いのか、椿の言葉に素直に頷いていた。

父親と弟の樹に渡すのは夜にしようと姉妹で決めていた為、朝は恭介と佐伯と千弦の分だけ持って登校した。
朝比奈家では父親に1番最初にチョコレートを渡すのは母親の役目だと決まっているのだ。
朝に椿が見たところ、母親がチョコレートを渡した様子は無かった為、椿は父親に渡さずに家を出た。

3つの手さげ袋が入った紙袋をロッカーに入れて、放課後の時間帯に個室の予約を取った。
昼休みに恭介と佐伯、千弦に個室まで来てくれるように頼み、放課後を待つ。
授業が終わり、椿はロッカーから紙袋を取り出して個室へと急いだ。
恭介はともかく、佐伯と千弦が人の手作り品を食べられる人なのか事前に聞いていなかった為、椿は一応、お店で買ったチョコレートも同梱していた。

食堂で個室の鍵を貰い、椿が扉を開けて椅子に座り他の人の到着を待った。
最初に来たのは千弦、次いで恭介と佐伯がやって来た。

「お呼び出しして申し訳ない。これ、バレンタインのチョコね。後、用事あるから渡すだけになるけどごめんね」

椿は紙袋の中から取り出した手さげ袋を手早く3人に手渡した。

「渡し方が雑すぎるだろ!」
「ありがとう朝比奈さん」
「あら、私にも?ごめんなさいね。何も用意しておりませんわ」

三者三様の反応である。
千弦はそもそもバレンタインの行事を行うつもりが無かったらしく、恭介と佐伯に対しても何も用意をしていないようであった。

「佐伯君も千弦さんも人の手作りって大丈夫?聞かずに渡してごめんね。一応うちの料理人が生地を用意してるから。私は型抜きしたくらいだし、味は保証するわ。素人の手で触ったものが無理なら食べなくて大丈夫だからね!」

椿が早口でまくし立てる。
その勢いに、佐伯も千弦もキョトンとするしかなかった。

「いえ、私は特にそう言う事は気にしませんので大丈夫ですわ」
「僕も大丈夫。良く姉さんの手作り食べさせられてるからね」

と、佐伯が遠い目をして喋っている姿を見て、椿は彼も姉を持つ世間一般の弟と同じく苦労しているのだなと察した。

「それなら良かった。一応、銀座のお店で買ったチョコもつけてあるから食べてね」
「このお店、この間オープンしたばかりでしょう?日本初出店のベルギーのお店でしたかしら。良く買えましたわね」
「お店入ってるビルの持ち主がうちの父親なのよね。だから顔が利くって訳」

佐伯と千弦がなるほどと言った顔で頷いた。

「ところで、僕にはクッキーしか入って無かったが?」

不満そうな顔をした恭介が椿を見ていた。

「恭介には無いよ」
「なぜだ」
「お小遣いが足らなかったから」

簡潔かつ正直に椿は恭介に理由を説明した。

「…だからあれほど計画的にお小遣いを使えと言っただろうが!」
「計画的に使った結果だよ!そんなに欲しけりゃ自分で買いに行けばいいじゃん!」
「気持ちの問題だ!」

そんな椿と恭介の言い合いを千弦はあれ?と首を傾げながら眺めていた。
千弦から見た恭介は、完璧超人で口数が少なく、他者に対する興味が薄い人という認識を持っていた。
今、千弦の目の前で椿と言い合いをしている恭介の姿は、千弦の認識していた恭介の姿とは程遠いものであった。

「次の土曜に買って来い。約束だからな」
「えー。私、家で読書しなきゃいけないんですけどー」
「読書なんていつでも出来る!あと、めちゃくちゃ暇だな!」
「もー分かったよ。そっちでおすすめの紅茶を用意しておいてよね」

恭介のパシリ要請を椿は渋々と受け入れた。

恭介との会話が終わり、ふと椿が千弦を見ると、彼女は何やら考え事をしているようであった。
何か気になる事でもあったのかと思い、椿は千弦に声を掛けた。

「千弦さんどうしたの?」
「あ、いえ。水嶋様の雰囲気がいつもと違っておられたので、少々驚いているだけですわ」
「恭介君は朝比奈さんと喋っている時は大体こう言う感じだよ」
「そうですの?」

千弦は佐伯に聞き返し、佐伯は頷き肯定した。

これはマズイ流れかもしれないと椿は直感した。
実を言えば椿は恭介を千弦に押し付けようと考えていた。
最初は千弦の友人達の中から良い子がいればと考えていたのだが、やはり千弦の性格や気品溢れる振る舞いに勝る人間は居なかった。

しかし、千弦が憧れているのは完璧超人で他社に媚びない冷静沈着な恭介である。
完璧超人である事は間違いないが、普段の恭介は冷静沈着とは言い難いものがあった。
いや、椿以外の人間に対してはそうでもないのだが、幼い頃から気心がしれた椿に対しては、つい素が出てしまうのか冷静沈着の仮面が剥がれるのだ。

そんな恭介の姿を千弦が見たのはこれが初めての事だから驚くのも無理はない。
椿は恭介のこの姿を見て、千弦が恭介に幻滅しないかが気になったのだ。

勿論、椿は千弦に無理やり押し付けるつもりはなかったし、恭介に対して千弦を好きになれと強要するつもりも無かった。
椿がするのは2人の接点を増やすと言う事だけだ。
そこで恋が芽生えれば万々歳。
男女間なんてこちらが手を回さずとも、くっつく時はくっつくものである。

「ところで、椿。お前、用事があるって言ってなかったか?」

恭介の言葉を聞いて、椿は菫との約束を思い出し慌て始めた。

「そうだった!ごめん、先に帰るね。恭介、これ鍵だから、帰る時に返しておいて。じゃ」

喋りながら帰り支度をした椿は鍵を恭介に渡し、颯爽と個室から出て行った。
その姿を見た千弦も用事があると言い、2人に挨拶をして個室から出て行く。
残された2人はすぐに帰るのも何なので、椿から貰ったクッキーを食べる事にした。

袋を破って取り出したクッキーを食べた恭介は、咀嚼した後でため息を吐く。

「…チョコで偽装すんなよ」

あっさりと恭介にバレていた。

さて、急いで家に帰った椿は、玄関ホールで待ち構えていた菫に捕まっていた。

「姉さま、おそいです!」
「ごめんなさいね。お友達にも渡していたら遅くなってしまったのよ」

むくれる菫に謝罪をして、椿は表に待たせている車に菫と2人乗り込んだ。
事前に、倖一の母親に家まで訪ねる事を知らせておいたので、椿達が訪ねて行っても驚きはしないだろうが、あちらも朝比奈側と関わりたくなど無いだろうにと椿は思ってしまう。

車を走らせ数十分、車は倉橋家の前に到着した。
今現在、倖一の家族が住んでいる家は、椿が4歳の時まで過ごしていたあの家ではなかった。
普通の、ごく普通の一軒家である。
中小企業とは言え、会社の社長の家がこじんまりとした一軒家であった事に椿は多少なりとも驚いた。

インターホン越しに運転手の不破が家人と話している。
少しして、倖一の母親が玄関ドアから顔を覗かせた。
不破が車のドアを開け、椿と菫は車から降りる。

「おばさま、ごきげんよう」
「えーっと、ご、ごきげんよう。倖一に用があるのよね。ちょっとお待ちいただけるかしら」

ごきげんようと言う挨拶に慣れていない倖一の母親は戸惑っていた。
すぐに、家に居るであろう息子の倖一を呼び出す。
間もなくして、ラフな格好をした倖一が姿を現した。

「あれ?夏の時の奴だよな。確か、菫って言ったっけ?」
「は、はい!すみれです。あの!これ」

倖一を前に緊張している菫は、テンパりながらもクッキーが入った手さげ袋をズイっと倖一に向かって差し出した。
差し出された倖一は手さげの部分を持ち、菫から受け取った。
倖一は何が入っているのか気になったのか、手さげ袋を開け、中から箱を取り出した。

「クッキーか?」
「はい。姉さまといっしょに作りました」
「へぇ。すげぇ、売り物みてぇ」

そう言って、倖一は箱から1枚取り出すと、封を破ってクッキーを食べ始めた。
大きな口を開けて一口で食べる様は、普通の小学生男児そのものである。

「サクサクしてて甘くて美味いな!」

倖一に褒められ、菫はとても嬉しそうにしている。
そんな2人の様子を椿は歯ぎしりをしながら眺めていた。

「椿様、お顔が大変な事になっております」
「く、悔しい。不破、私悔しい」
「落ち着いて下さい。菫様がご成長された証拠です」

不破の言葉はもっともであるが、姉離れはまだ早すぎる。

「私の目の黒い内は絶対に認めないんだから」

今にも地団駄を踏みそうな勢いの椿を、不破は慰める事しか出来ないのであった。
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