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目覚まし時計
作:ごみ



chapter 10


 正午を廻ってから自然と目が覚めたチャーリーは(どんなにすばらしい起き方だろう)体の回復を自覚したにもかかわらず、自堕落的にももう少し眠っていようかと考えていた。しかしその考えは玄関のチャイムによってもろくも打ち砕かれ、名残惜しくもベッドの温もりから離れた。玄関を開けるとそこにはスーツ姿のモーリスが立っていた。
「ようチャーリー。具合はどうだ」
「今昼どきだぞ。会社はどうしたんだ?」
「客先から会社に戻る途中で寄ったんだ。本当は向こうで昼飯を食う予定だったけど、用事ができたとかなんとかごまかして抜け出してきた。あがってもいいか」
 チャーリーの返事を待たずにさっさと部屋にあがっていったモーリスは台所に行き、勝手にコーヒーを作り始めた。
「どうしたんだ今日は。遅刻しそうになったんで会社を休んだのか」
 台所の方からやけに陽気な声がした。
「少し体の具合が悪かったんだ。でもだいぶ良くなってきた」
「そうか。病院には行ったのか?」
 モーリスはコーヒーをリビングに持って行き、深々とソファーに腰を下ろした。
「いや行ってない。それほどひどくはなかったし、まぁ簡単に言えば寝てたいだけだったんだ」
 モーリスは安心したようにうなずくと、病人のために昼食を作りに台所へと歩いて行った。
 それから一時間ほどとりとめのない雑談をかわし、楽しいときを過ごした。しかしチャーリーはどことなく元気がない様子で時々顔つきが真剣になり、何かを考えているようだった。
「やっぱり具合が悪そうだな。これから病院に行くか?なんなら付き添ってやってもいいぞ」
 モーリスは彼の心情を察したようにさりげなく聞いた。
「いやそうじゃないんだ」
 チャーリーはそう答えると、隣のベッドルームにある目覚まし時計をぼんやりと見つめた。
「ベッドがどうかしたのか」
 チャーリーはさらに険しい表情になった。口が優柔不断に開いたり閉じたりし、次の言葉が出るまでにかなりの時間がかかった。
「あそこにある目覚まし時計のおかげで遅刻しないようになったんだ」
「ほぉ、えらく根性の入った目覚ましだな。何しろ遅刻魔チャーリーを起こすくらいだもんな」
 モーリスはつとめて明るい口調でそう言った。友人を元気づけるためだ。しかし当の友人の表情は険しいままだった。
「もしかして私はあの目覚ましの音が怖いのかもしれない」
 よどみなく続いていた会話がその告白によって突然中断され、二人の間に沈黙が舞い降りた。モーリスの顔からは笑みが消え、そのままチャーリーの目線を追った。
「あの目覚ましの?」
「ああ」
「音が?」
「……」
「怖いのか」
「わからない。ただ、私の神経に障ることは間違いない」
 モーリスはベッドルームに顔を向けたまますっくと立ち上がり、歩き出した。そしてベッドに近づくと、時計を手に取り丁寧に観察した。
「そんなにすごい音なのか」
「いや、音自体は普通なんだと思う」
 しばらく躊躇していた言葉がモーリスの口から発せられた。
「ちょっと鳴らしてみてもいいかな」
 その部屋に緊張感が走った。一瞬、表情がこわばっただろうか。それとも…。
「別に構わないがおまえが聞いてみたところで何も感じないんじゃないかな。あの音は私にだけ何らかの効き目があるみたいだから」
 モーリスは考え深げにうなずき、一分後にアラームが鳴るようにセットした。当然のごとく時計は一分たったことを知らせるために鳴り出した。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ…」
 あまりにありふれた音だったのでモーリスは拍子抜けしてしまった。しかし視界の隅でチャーリーがビクっと体を痙攣させたのをとらえ、音を止めた。
「確かに耳障りな音だな」
 チャーリーは返事もせず、うつむいていた。
「でも当たり前だよな。このくらいの音じゃないと目覚ましとしての役目は果たせないだろうから」
 モーリスは少し大きめの声でそう言った。
「ああ。どうってことない、ただのアラーム音だ」
 リビングに座っていた男は肩をすくめ、平気だという素振りを見せた。
「目覚ましの音ってのはたいていこんなもんだ」
 モーリスはもう一度目覚ましを鳴らし、その音から何かを探り出そうと耳を近づけ、慎重に聞き入った。目覚し時計の甲高い電子音だけが鳴り響き、部屋中を取り囲んだ。他の物音はまるで聞こえない。
「止めろ」
 ふいにリビングから声がした。その声は静かだが、頑とした強い意志が込められていた。
「チャーリー?」
「いいから早く止めろ」
 モーリスは彼の反応をどう受け取っていいかわからなかった。二人の男は身じろぎもせず、目覚し時計の鳴り響く中をじっとしていた。と、突然チャーリーは瀕死の動物のようなものすごい形相でベッドルームへと近づいて行き、凄まじい勢いで目覚まし時計のスイッチを止めた。そしてそこでうずくまり、押し殺された小さな悲鳴を上げた。モーリスは恐る恐る彼の方へと手を伸ばしたが、小刻みに震えているその背中は触るとそれが引き金となって感情が爆発してしまいそうで触ることができなかった。今にもその辺にあるものを手当たりしだいに叩き壊していきそうな雰囲気だった。徐々に震えが止まり、チャーリーはあっけにとられたモーリスの顔を見ると、逃げるかのようにリビングに舞い戻り、また静かにソファーの上で硬直した。
 それから長い時間,二人は一言もしゃべらずリビングでじっとしていた。モーリスは神経質そうに煙草に火をつけ、真正面に座っている男を横目でちらっと見た。気味が悪いほど静かだ。本当に目覚しの音が怖いのか。はたして音があそこまで人間に恐怖を感じさせるものなのだろうか。チャーリーは一見すると落ち着きを取り戻しているかのように見えた。しかし頭の中で激しい葛藤と戦っているようにも見えた。
「あの目覚しの音だが、」
とモーリスは切り出した。
「はっきり言って私には何も感じなかった」
 チャーリーはキッと相手の顔を睨んだ。なぜだかわからない。加速度的に鼓動は早くなり、平常心が保てなくなっていた。モーリスは続けてこう言った。
「私にはどうってことない音だったよ」
 チャーリーの顔がゆがみ始めた。その表情には人格が失われ、破壊されていく様子がありありと浮かんでいた。
「どうってことないだと?」
 ちょっと間をおいてチャーリーは言った。顔はさらにゆがんでいく。
「まさか…、とてつもなく異様な音じゃないか」
 裏返った声。狂ったようなしぐさ。視点は宙をさまよい、目には涙が浮かんでいる。もはやモーリスには彼を理解することができなかった。
「落ち着けよ、チャーリー。さっきとまるで反対のことを言ってるぞ」
「本当に恐ろしい音だ。そうだろ?あの音は普通じゃない」
 おまえの顔こそ尋常じゃないぞ。モーリスはそう思った。目の前にいる男は明らかに取り乱し錯乱していた。
 それから数分後、どうにか彼をベッドに寝かせ、安静にさせることに成功した。ベッドに横たわっている友人の顔を見ながら、先ほどの異常ぶりを思い出し、なんとか彼を救わなくては、とモーリスは思うのだった。彼を起こさぬよう一人静かに部屋を片付け、玄関に向かった。













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