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背中を、朱く染めず

作者: ohrumm

 地元の修行僧なんかがよく使うっていう噂の、滝壺、とやらに小生は今入っている。なんでか、そんなこと小生に聞きなさんな。じゃあ誰に聞けってか。知るか。

 と最初から突き放してしまうのには、下記を期待する者に対する若干の申し訳なさ、を感じた小生であるため、何から話せばよいか、そのようなことを小生は心得ておる。結構結構。任せよ。


 ハァ~、家族も無え。仕事も無え。お金もからきし残っちゃねえ。住むとこは。あるけれど。風呂もトイレもありゃしねえ。ガッ。

 てな調子で変え歌をうたう夕暮れ時、仕事なるものをいい加減に探さないと小生の小生たるは廃れゆくのみなるべしなどと、少し、秋も、兆しとして訪れようかなどうしようかな僕ちんタイミングをば伺っとるがね、など考えていらっしゃる、ように感じて取れるオンボロ部屋の匂いの中、小生は思っていた。家に妻などいたならば「いい加減働きやがれこの脛齧りフータロー」などとオシリを叩いて小生の職欲しょくよくを奮ってもくれそうなのだが、幸か不幸か、替え歌は真実、齧る脛や養うもののない気楽さと、働く意欲は反比例の一途をたどるのである。仕方が無いので仮想妻にオシリを叩いてもらったつもりで自分でオシリを叩くのだが、どうにも臨場感と言うかその手の感覚は満ち足りぬ。どうしたものか、小生。ウーヌヌ。

以前の職場を我が不手際でクビになり職場の奴らに中指を立てて以降まともな職場を見ておらず、その頃の貯蓄、たまに申し込む日雇いのアルバイトで得たごく少量の日当を以って、暇つぶしにぶらぶらするだけの極貧の生活を強いられている。「住むとこ」に関しては、働いていた頃よりこのオンボロなのでどうしようもない。

 はっきり申し上げて、上記が如くに、小生は人として如何ともし難い屑である。この卑しき暮らしを屑でないと宣う輩がおるならば、小生は実際にそいつと会って話をしたい。お前は間違っちょる、と叱りたいほどである。しかしこんなにもなって生きむとするのは、卑しき者ほど生に貪欲なるを以ってなのである。屑ほど生きたがる。コレいずくんぞ真実ならざらん。真実ならザ・ラン。走れ。

 走る走らないは此の文章を読む者に委ねるとして、とにかく小生、生きねば、と思ったのである。コレいずくんぞ卑しからざるかな。

 生きるべく小生は何をすべきか。まず、飯を食わねばならぬ。水を飲まねばならぬ。そして文化に触れぬわけにはどうも虫の居所が悪いから、文庫本でもマンガでも、安い中古の紙媒体を買ってきて読み(この文化的活動たるや、小生の人間らしさを保つ一因となっているのだ)、酒を飲み、そして、眠る。ときどき起きて糞便を垂れ流し、再び眠る。起床したら水を飲み、飯を食い、歯を磨き、本を読み、ではなくして、それをすべく何をすべきか、である。ううむ、何でしょうね。といつまでもとぼけるわけにもいかず、小生の心のなかの瞿曇悉達多、いわば、ブッダ、は比較的安易に、働いて金を稼げ、と囁くので、小生も黙ってそれを結論と為す。トホホ。

 生きねば、即ち、働かねば。とはいえ小生朝からなにも食っておらぬ。増すのは食欲(しょくよく)ばかりなのである。というか、朝もなにも、小生は今しがた起床したばかりなのだから、小生的にはいまが朝じゃ。主観的の朝じゃ。

 しかし困ったことに、このオンボロの冷蔵庫の内部には今や、卵一個、切れかけのからし、沢庵七切れ、つまみチーズ、切り干し大根の滓、ビール、輪ゴム、竹蜻蛉、五円玉、おおよそ食するに能わない物質しか残されておらず、どういうわけか、大方につけて黄色である性質を持っている。黄色にご縁がありますよ、ってか。やかましわい。これらの食材を用いてどうにか腹を膨らませたい小生であったが、小生も昔食っておった給食、で言うところの主菜、にあたるに相応しい卵が一個なのではどうしようもない。卵や沢庵もいつ購入したものかわからないから、なおさらである。もしここで小生があろうことか購入後数ヶ月の経過した卵や沢庵を食し、それらによって食当たり等起こし、これから飛躍する可能性を否定出来ぬ小生の人生が途絶えてしまうようなことがあれば、食当たりを起こし、野たれ死ぬ、などという二重に恥ずかしい仕打ちをした愚を極めた人物としてこの世に名を残し、末代までの恥、と言うかこの文脈でゆくと末代は小生なのだが、となり、左様な事は決してあってはならぬ。故に冷蔵庫、この中に食材は無いに等しいのである。日雇いバイトの捗っていた二週間ほど前までは小生、無職にあるまじきコンビニ弁当などという豪勢な食事をとっており、そこから昨日までスーパーマーケットで連日の国対抗玉転がしの試合、観戦に備えたおつまみに終日の栄養を託しておったものだから、「冷蔵庫などという下界の様子など忘れてしまったわ。男は黙ってコンビニ。リッチにコレ、ね。ははは」など言えたものだが、今は小生自身下界の、下臈の身であるから、言えてせいぜい「冷蔵庫さん、あんたも捨てたもんじゃないわ。ですけれど小生、家庭の味にちとうんざりしておますの。ほほほ」などの弱気なセリフである。そもそも小生に家庭はない。バカちん。

 てな調子で、小生は冷蔵庫の中身に不満を垂れつつ、食材を冷蔵庫に補充せしめむ、少しばかしは黄色以外を食さむ、と、スーパーに向けて久方ぶりの靴箱、久方ぶりの玄関、久方ぶりの集合住宅の玄関前の通路、を体感したのである。夕日は堕落にまみれた小生の顔を朱く染めた。

 小生、我が目指したるスーパーマーケット、それは小生・邸よりも更に田舎、いわば下界に存在する。下界は下界なりの物価、すなわちありとあらゆる品、これが異常に安価なのである。この事実を知る人間は、昔その下界に住んでおった小生程度のものなのではなかろうか。イヨッ。小生。博識皇子。がははは。

 ところがどっこい、あまりに小生の故郷は田舎すぎた。スーパー最寄りの駅、へ向かう電車、が停まる駅、へ向かうため、のバス、がこの夕暮れ時には存在しないのである。イヨッ。詰め甘皇子。けっ。

 小生は再び先刻ぶりの集合住宅の玄関前の通路、先刻ぶりの玄関、先刻ぶりの靴箱、を体感せざるを得なかった。太陽に背を向ける小生の姿はなにか後ろめたい事案でもあるかの如き背格好であったように思う。この日小生は先ほど歌っていた替え歌、「俺ら金持ぢさなンだ」のさらなる完成度向上を目論みつつ、先ほどあれほど危惧しておった食当たり野たれ死に事案を「ま、ええか。どうせ死にゃせんわ」などと軽視し、適当に作った沢庵入りスクランブルエッグ(あまり美味しくはない)を食って寝た。バスは一日数度、朝くる。ガッ。完成度、及ばず。

 寝た、とは言え、小生、夕暮れ時に起きたのだからそうさっさと寝られますかいなマフユちゃん。マフユちゃんて誰やねん。と独りごち、文化的人間である小生は枕元に積んである文庫本のうち未読であるものを取り出し、読まむとす。

 時代設定が未来で、何やら、超医療的、だとか、超次元的の空間、だとか、拡張現実、だとか、民主主義国家と化した中国、だとか、おおよそ小生の堕落した生活とは無縁の、それこそ、超次元的の単語ばかりが並ぶこの本である。ジャンルはと言えば、きっとこれが、さいえんす・ふいくしよん、なるものなのだろうか。Science・Fiction。近未来的の空想世界であるそれに比べ小生の生活世界は、すこぶる・ふがいない、Sukoburu・Fugainai。といったところか。

 小生、語呂合わせは苦手なり。


 てな、さいえんすふいくしよんを読みふけって小生自らのすこぶるふがいない生活を恥じ、いつの間にかだらしなく寝てしまったのだろうか、気がついた時にはもう朝である。この朝とは、世間一般の、日が昇った客観的朝である。

 バスは一日数度、朝くる。ガッ。

 乗らねば、と考えるうち、小生は何の目的をもってバスを矢鱈と目指して日々を奮闘しているのか、危うく忘れそうになっておった。「小生、男藤野成彰、は、えー、なんのためにバスに乗らむとしておるかと申しますと、ええっと、そうだ。冷蔵庫につかの間の快楽、シャブ注入、ではなくて、ええ、食材注入の目的であります。これをしなくば小生、飢え野垂れ死んでしまうのでありんす、ええ、ええ、冷蔵庫さまぁ」など、小生は大声で口に出して反復した。両隣の部屋の人物がやや激しく壁をノックしておるな。騒音・不快なり。そう言うことねん。

 七時十六分であった。小生・邸からそのバスの停まる停留所は、歩いて六分ほどであって、つまりこの瞬間小生・邸をでた場合、七時二十二分には停留所へ着いておる。その時刻から最も近いバスは、ええっと、三十一分であるから、逆算して、二十五分に小生・邸を出れば、最も合理的・有意義なバス乗りを遂行できるのである。そして更には、そのバスは七時四十七分に下界行き電車の停まる駅へ到着、四十八分に電車は下界へレッツゴーするわけで、つまりは、七時三十一分発のバスと七時四十八分発の電車は供に小生のこの合理的・有意義・至上主義に極めて適ったものなのである。絶対に逃してはならぬ。

 一分ほどそのようなことを思考し、それから約八分、小生は例のさいえんすふいくしよんと時計とを交互に睨む行動を続けた。


 七時二十五分である。ここで小生、あろうことか腹痛を催す。幸いトイレは集合住宅の玄関前の通路を行った先、すなわちバスへの道の中途にあった上、さほど腹痛の重篤ではなかったことから、懸念しておったほどのタイムロスはせず、速歩きで挽回できるほどのものであった。

 速歩きは疲れる。

 しかし斯様な速歩きの努力の甲斐あり、小生はバス停に三十分に到着することを得た。不甲斐なき男にも甲斐あり、である。

 しかしどうしたことか、三十一分になってもバスは来ぬのだ。バスの時間、間違えたかしらん。やだわ。

 やだわどころの騒ぎではない。小生の冷蔵庫の充実は、公共の機関含め、全てが合理的・有意義に為されねばならぬのであって、小生に如何ともし難い、その公共の機関の方で非合理的となってしまわれては、先刻の小生の腹痛、並びに速歩き等の、血の滲むが如き努力、どないしてくれはんねん、である。これはバスの運転手に、早うせえ、この非合理的運ちゃんめが。さっさと小生を駅まで届け給え。など文句を付けてやろうか、と、バス来た。来た来た。


 七時三十三分。上記が如く運ちゃんには大きく出よう、出てやろう、など考えもしていたのだが、バスを目の前にして、否、バスの決して多くはないが少なくもない乗客を目の前にして、そのような狂人となる勇気は脆くも崩れ去ってしまったのである。

 急な曲がり道だと言うのに、バスの乗り心地はすこぶる快適である。と言うのは運転手、異様なまでにチンタラ運転しているのだ。間に合うのかしらん。遅れてはんで。しかし例が如くに狂人となる勇気はいまの小生にはなかった。バス快適だしいいか、などという思念に支配されそうにすらなった。

しかしよマフユちゃん。実際に遅れてしまわれては話は違う、というものである。つまりは四十九分、バスの運ちゃんは無事、蛻の殻となった駅へ、小生含むニンゲンの輸送を完遂したのである。無事故、不快な乗り心地なし、文句のつけどころなし。

 ちゃうわボケ。遅れてんねんコラ。小生の合理的生活、これにて閉幕。してまうやないか。

 狂人となろうかしらん。運ちゃん、涼しい顔してはるし。

 小生は怒つてゐた。怒りのあまり、関西弁となつてしまつた。チンタラ走行も今になつて腹立たしくなつてきた。と言っておきながら、小生は一度も関西に小生・邸を設けたことは無いのだから、この関西弁は似非である。

 頭を冷やそう、と思った。

 駅付近の山の少し奥、滝壺とやらがあるそうな。入ってこましたろ。頭冷やしてこましたろ。思うた。


 冒頭である。上記が如き経緯のありて、地元の修行僧なんかがよく使うっていう噂の、滝壺、とやらに小生は今入っている。滝に打たれてゐる。

ただ頭を冷やしたかっただけなのだから、全身打たれる必要はなかったのかもしれない。頭が冷え、冷静、平静の小生はそう思考している。ただ、今滝に打たれている小生は我ながら修行者さながらの背格好であるから、今急に頭だけ冷やす姿勢に変えてしまっては浮浪者へ逆戻りである。だから小生、この修行者スタイルを崩すわけにはいかぬ。

 もう冷え切ったのだから出ていいじゃん。そう気付いたのは平静の小生出現後しばらく経ってからである。小生は頭の冷えが足りぬのであった。小生はおもむろに滝壺を後にした。

 凍えるほど水に濡れた小生、恋しく思うは小生・邸であった。人一人住まうのでやっとであるその狭さ、堕落した小生よろしく散乱たる床、小生の人生を体現したが如き空虚な冷蔵庫、小生とは無縁のさいえんすふいくしよん。SF。今の小生、さむくて・ふるえてる。Samukute・Furueteru。はは。上出来。そういえば小生の名前、藤野成彰、も、イニシャルがS・Fではないか。Shigeaki・Fujino。はは、我が人生、上出来。


 待とうか電車、と小生は思った。衣服を絞って歩いて下山、小銭を握って切符を買い、改札抜けた駅のホームで待とうか電車。ははは。非合理だっていいじゃない、意義なくたっていいじゃない。今朝の小生、急に合理的・有意義・至上主義だとかなんとか言っちゃって、気が違ったかしらん。てな調子で、頭が冷えて冷静になったら人間、根っこの部分が出てくる出てくる。同時に人間、根っこに全てを委ね生きるのが一番楽なのだ、とも思う。

 しかしよ、いつまでも冷蔵庫の中身がスカスカなのでは小生、根っこに委ねる前に枯れてしまう。なおさら、待とうか電車。冷蔵庫と我が人生と、同時に満たしてこましょうか。そんで小生・邸で、さいえんすふいくしよん、読んで、バイトして、糞便垂れて、ダラダラ暮らそうか。朝日よ、これでも小生、お前に背中を向けるような真似はせず生きて行くかんの。修行者にも狂人にもなれなかった屑でも明るく図々しく生きて行くかんの。

 日に焼けた朱い背中は見せんかんの。


 お、てなことを思考しておる間に、次の電車が来よった。ほほ。あっちゅう間。

これの後に投稿致しました「『21:39』『叫び』」( http://ncode.syosetu.com/n5176cg/ )もよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] すこぶるふがいない、が面白かったですね。 全体としては純文学的なSFへの風刺でしょうか。それなりに楽しめる小品かもしれません。
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