2.黒より、非日常への誘い
『学校平和自治委員』といっても、パトロール以外に仕事なんてない。
真下先輩が勝手に作ったんだし、委員も俺と狩野と先輩の3人だけだし、正直言って規模は小さい。よく言えば精鋭部隊か。
ちなみに時刻は午後5時。帰りのH.R.も終了し、部活に勤しむ生徒の影がそこら中にある。
そんな中、売店でコーヒー(この学校の名物で、一杯150円)を買った俺は、紙コップ片手に音楽室で優雅なティータイムを楽しんでいた。BGMは「ホタルノヒカリ」で、部長には許可を取ってくつろいでいるのだ。部長さんは男子なのにフルートパートというちょっと変わった方だが、演奏の腕は一流らしい。
「よーし、それじゃあ合奏はこの辺にして各パートごとに練習するか」
部長の声により、部員たちが学校中に散ってゆく。部長はというと、なんかニヤニヤしながら俺に近づいてきた。
「おつかれさまです、先輩」
「おう岡崎、おつかれ」
部長はそのニヤニヤをさらに増幅させ、俺の髪をくしゃっとした。俺がわけも分からず、硬直していると。
「3年でも有名だぞ、お前と真下と有宮の三角関係は」
紙コップを取り落としかけた。
「な、な、な……!」
舌がうまく回らず、言葉が出ない。その反応にますます気をよくしたのか、部長は俺の耳に口を近づけ、若干トーンを落とした声で囁いた。
「いや、クラスメイトとして真下はオススメだな。面倒見も良いし、美人だし、性格も文句のつけようがない。まあ、生徒会長には及ばないが」
そう言って部長は俺から離れた。俺達から少し離れたところでは、1年生の女子達が聞き耳を立てているではないか。なるほど、こうして噂って広まっていくんだなぁ……
「じゃねえよ! ちょ、そこの1年待ちやがれ――」
俺が叫び終わる前に、彼女達は蜘蛛の子を散らすように走り去って行った。いや、いくらなんでも速すぎだろ……
頭を抱えながら、俺はコーヒーを飲み干す。ブラックだったが、今はこのくらいの苦味がちょうど良かった。
さて、パトロールと称して学校内をぶらついていたのだが、意外と時間が経つのは早い。気づけばもう完全下校時間だ。
俺は荷物をまとめ、『平和自治委員控え室』へと急ぐ。普段は完全下校時間になったら3人ともここに集合するのだ。
しかし、俺がドアを開けた時、目の前にいたのは真下先輩だけ。
「あら、ちょっと遅れたわね」
「すいません……で、狩野は?」
真下先輩は嘆息し、唇を開く。
「先に帰ったらしいわ。なんでも用事があるとかで」
用事……か。
「ねえ、聞いてる?」
どうやら俺は意識を成層圏のかなたに飛ばしていたらしい。
「は、はい?」
「だから、早く帰りましょう」
「あ、了解です」
この時、俺は選択肢を間違えなかった。もしここで、彼女と一緒に帰ってなかったら――恐ろしいので考えたくない。
俺は何となく、ごく自然に、学生カバンを触っていた。まるで、中に、頼れる相棒がいるかのように。
時刻は8時23分。俺達が利用する駅から二つほど前の駅で、人身事故があったらしい。そのため運行が遅れ、このような時間に俺は真下先輩と夜道を歩いているのだ。
「ごめんなさいね、わざわざ」
「いえ、夜道を一人で歩かせるわけには行きませんよ」
何かあったら困るしな。
「けど、あなた帰らなくてよろしいのですか?」
不安げに、俺の顔を覗き込んでくる先輩。ぐあ、すげえ可愛い!
「い、いえ! 先輩を一人にした瞬間、先輩が不審者に襲われたらいけませんから!」
「まず、果たして襲われるかどうか……」
「真下先輩は可愛いんだから、男は襲っちゃいますよ! 俺だったら、迷うことなく襲います!!」
言い放ってから気づく、自爆の大きさ。
「え……。ひょっとして、そのために……」
自分の肩を抱いて、俺から距離をとる先輩。電灯に照らされ、赤くなった顔がくっきり見えた。ああ、赤面してる姿も可愛いなぁ……じゃなくって!
「い、いえ! 送り狼になるつもりなんて微塵もありませんよ!」
「本当なのかしら? その用語を知ってる時点で怪しいのに……」
「本当です!」
「本当?」
「本当!」
「じゃあ由美って呼んで! ついでに敬語も省いて!」
「本当だって、由美! ……ってアレ?」
なんか本題から著しく逸れてる。気がする。
先輩に視線を送ると、顔をさらに赤くしてこちらを見つめていた。
なるほどねえ。
「ったく、お前には敵わないよ……由美」
彼女の表情が、綻んだ。ような気がした。
日常は続かない。黒い非日常は、すぐそこまでやって来ていた。
刹那、沈黙を引き裂く銃声。
俺は何も考えず、由美を押し倒していた。彼女のカバンが宙を舞い、地面に落ちる。
飛来した銃弾が、俺の頬を切り裂いた。鮮血が溢れ出てくるが、そんなものに対処している暇は無い。
呆気にとられる由美。彼女の前で俺は、学生カバンのロックを外した。
中から取り出すのは――黒光りする、拳銃。名前は「H&K USP TACTICAL」。6歳のころから愛用している、相棒。
銃弾が発射された方向を向き、蠢く人影を視認。あちらも狙いをつけているが、発砲はない。
俺は躊躇なく、引き金に手をかけた。
ひょっとしたら、相手の標的は俺だったのかもしれない。だとしたら、由美を巻き込んだことに動揺して撃てなかったのだろう。
甘い。
致命的に、甘い。
そうやって、殺しの最中に躊躇いを持つことは命取りだ。現に、俺の拳銃から発砲された9mmパラベラム弾は相手の左胸を貫いた。
電柱の影に倒れこんだ人影は、しばらくすると一切の動作を止めていた。もうこれきり、動くことは無い。
俺は拳銃をしまい、由美の手をとる。
「行こう。サプレッサーを装着し忘れた」
「さ、さぷれっさー?」
「皆が、サイレンサーって呼んでる機械のこと」
ああそう、と頷く彼女。俺は少し顔色の悪い彼女の腕を引き、走り出した。
彼女の家は、思ったより近かった。幸いなことに、まだパトカーのサイレンは聞こえない。
「ねえ、悟君」
家の前まで来て彼女は、俺の手を振り払った。
そして、その白い右手で俺の頬に触れる。ああ、そういや切れてたっけ。
「分かってるんでしょう? あれは、俺を狙ってたって」
俺の言葉に、彼女は頷く。
正直、本当のことは話したくない。話せば、彼女も巻き込んでしまうから。
「話したくないなら、話さなくてもよろしいのですよ」
その言葉に、俺は思わず彼女の瞳を見つめた。
彼女が手を引っ込める。その指には、俺の血がついていた。
「じゃあ、あやすみなさい、由美」
「ええ、また明日」
人の死を見たにもかかわらず、俺達の別れは実にあっさりとしたものだった。
――本当は、分かってる。彼女は無理をしてるって。
けど、彼女がソレを望むなら、俺は彼女を見守る。
家までの道の途中、携帯電話で狩野に電話をかけた。
「遅い! どこほっつき歩いてんのよ! 『仕事』に間に合わないでしょ!」
「ああ、悪い。先に行っててくれ。現地集合で」
「晩御飯は?」
「コンビニで買うぞ」
「えー」
不満げな声を聞いた後、俺は通話を切った。そのまま携帯電話そのものの電源も切る。いざというときに鳴り出したら困るからな。
カバンの中には、さっき使った拳銃と替えのマガジン、そしていくらかのダガーナイフ。最後に、もしもの時の――サブマシンガン。名前は、「H&K UMP」。本来はもっと軽装備なのだが、行くところが行くところなので重装備だ。
彼女が触れた頬は、まだなんとなく温かかった。
この温かさも、俺にとっては『白』。
交わることのできない色。
誰か、俺の黒と交わってくれないか?
その願いはきっと、叶わない――
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