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ふんわり黙示録

作者:雲鳴遊乃実
 痛いのを避けるのは当たり前だと思うのだ。
 人間には生存本能があるわけで、死んだら終わりなのだから、死なないように、怪我をしないように生きたいと思う。だから家を作るし、壁を作るし、親しい人と一緒に暮して、なるべく周りの人たちが自分と親しい状態でありますようにと願う。
 このような理屈を、園児だった頃の私は回らない舌を駆使して切に訴えていた。当然大人には伝わらなかった。同じ部屋の友達にも、親にも伝わらなかった。努力を嫌がる園児のグループの私は筆頭で、そのレッテルがなかなか剥がれなくて、消耗した。
 私は、次第に口に出すのをやめて、黙々と努力のフリを重ねるようになった。でも、自分を疑ったことは一度もない。痛みを是とする習慣は、人間社会に蔓延る病巣だ、という確信は今を以てしても変わりはしない。
 荒れ果てた野を見下ろしながら、私の追憶は終わる。乾いた風が砂埃を巻き上げて、視界に常に浅い土の色を塗していた。
 そこにはかつて街があった。瓦礫がそれを物語っている。壁は壊れ、人々は散り散りになった。この場所から私がいなくなったのは、今より五年くらい前の話だ。その五年の間に、この荒野は形作られた。
 たった五年で何もかも変わってしまう。街から遠ざけていた痛みが襲いかかってきて、収集がつかなくなったのだ。
 五年前の私には、そんなことまで想像はできなかった。誰だってそうだろう。痛みにまつわる現実は、概して想像を超越する。

 思えば昔から兆候はあった。
 尖った物に触れたとき、痛みを感じないことがよくあった。頻発というほどでもなかったから、たまたま無傷でいられたのだろうとほっとすることが多かった。
 それが、五年前に急に増えた。画鋲とか、ピンとか、千枚通しに当たっても痛みを感じなかった。よくよく見てみたら、針の先が指に触れるとぐにゃりと折れ曲がっていた。力は当然加えていない。私はほとんど無意識のうちに、それらを曲げる力を得ていた。
 どうして力が手に入ったのか、当時はわからなかった。今も一部の人、科学者だとかが追い求めている。本当はわかっているのかもしれないが、誰も公表はしてくれなかった。
 痛みを遠ざける能力にはきっといろいろな効用がある。今の私ならなんとなくわかるけれど、当時の私はそこまで深刻には受け止めなかった。「なんとなく、便利だなあ」と思いながら、なるべく人にみつからないようにして、棘をぐにゃぐにゃ歪ませて遊んでいた。
 無邪気ではあったのだけど、好奇心もあった。棘をやわらかくするだけの能力じゃないことはうすうすきづいていた。タンスの角に脚をぶつけても絶対に痛まなかった。タンスが腰でも折ったみたいに歪んで、またすぐ元に戻った。階段を意図的に踏み外したら、クッションに脚を突っ込んだみたいに沈んでいった。すぐに元に戻ったが、私が上げた悲鳴は周りの人々を振り向かせた。苦笑いをしたら視線が外れた。脚を踏み外してびっくりしただけ、と思われたらしい。
 物理的な外傷はものにぶつかったときに発生するが、私に触れると物は確実に歪み、柔らかくなった。試しに自分の指を抓ってみたら、指先が思った以上に折れ曲がり、力が全く入らなかった。これと同じ事が、タンスや階段にも起こっていたのだろう。あらゆる物質が、私を痛めないように変質するらしかった。
 優越感はすぐに消えた。代わりに恐怖が訪れた。あまりにも周りと違う体質が、今後私をどうしてしまうのか、考えるのも恐ろしくなって、無心で道路に飛び出した。夜の国道のど真ん中に腕を広げて突っ立って、乗用車にめり込んだ。結果、私は生きていた。乗用車は柔らかくなりながら二つに裂けて転がり、後続車両が玉突き事故を落として炎上した。私の視界に火の手が広がった。爆ぜ飛んでくる車の破片が私にぶつかり、ふんわりとアスファルトに積まれていった。
 やはりどこも痛くない。
 いくつもの視線を感じた。奇異の目だ。遠くからサイレンの音が聞こえる。警察か、消防か。いずれにせよ私は捕まるだろう。逃げだそうとしたその瞬間に、腕を掴まれた。口から小さな悲鳴が漏れた。
「こっちへこい」
 後から知ったことだが、その人は私の家を見張っていたらしい。私の能力は、誰にも言わなかったけれど、水面下でいろんな人たちに出回っていたという。彼はその一人の科学者で、行動派で、私を速やかに車に乗せて自分の研究所へと連れて行った。抵抗する時間は無かったし、その気力も無かった。
 彼は私を真っ白な板の上に寝かせた。機材が運ばれ、私の手首足首と側頭部に巻かれた。ものものしいチューブが私を取り巻いた。どくどくと脈打つそれらの管を感じながら、私の心は次第に現状になれていった。麻痺とも言う。どうなるのかわけがわからなすぎてどうとでもなれという気になった。
 遠くの硝子の向こう側に彼がいた。目が爛々と輝いていた。口が三日月のように笑っていていっそ清々しかった。嬉しくて仕方がない、といった手合いだ。
 私は彼に観察された。棘をあてられ、ボールをぶつけられ、鉄の塊を落とされた。びっくりはしたけれど怖くはなかった。やっぱり痛くはなかったからだ。
「これは本当にすごいぞ」
 機材が吐き出した実験データのプリントを手でたぐりながら、彼は興奮した口調で言った。
「そんなにですか」
 日数も結構経っていて、私は彼と話すことにためらいがなくなっていた。
「ああ、何せ物質の重さや材質に関係なく、変形するからね。全てが粘性のクッション材に変わってしまう。それでいて君から離れるとすぐ元に戻る。何が起きているのかさっぱりわからない。だからすごく面白い」
 彼はその後いろんな専門用語を交えて私のすごさを力説した。私にはなかなか理解できなかったけれど、頑張ってすごさを説明する彼の姿は熱心で、見ていたらだんだん面白くなってきた。気分が乗ってきたと言っても良い。余裕が出てくするとそんな気も持つようになる。
 私に巻かれた管は彼によってはずされた。実験のあとはいつでもそうしてくれた。彼は私をダイニングに手招きして、安上がりなレトルト食品を食べさせた。あまりにも貧相だったのでしばらくしたら私がキッチンに立った。彼は嫌がらずむしろ歓迎してくれて、私の振る舞った料理を景気よく食べた。何事にも熱心な人だった。
 家は出てしまったし、もう元には戻れないだろうという予感はあった。なにせ新聞からもテレビやネットのニュースからも長いこと私の名前が載り続けていた。能力についてももうほとんどばれていて、あとは私本人がいつ登場するかを待っているだけ、といった様子だった。ここで出て行ったら、それこそ見世物直行だろう。
 彼は私を見世物にしたいとは思っていないようだった。
「そんなことになれば君のことはとても調べられないからね。どうせ大手の態度のでかい科学者に盗られてしまうから。そうならないためにも君のことはここで隠しておきたい。君と出会えたのはまったく幸運だったよ」
 テレビのニュースに私の両親が登場して、私を誘拐した科学者を許さないと声明を発表した。涙を流して訴えていた。私の友達と名乗る人がモザイク越しに泣いていた。学校側も嘆いていた。私はそれほど親しいと思っていなかった人たちがこぞって泣き始めた。私はそんなに大切に思われていたんだろうか。どうもそぐわない気がした。テレビに映る彼らがみんな芝居でも打っているというのならもう少し納得がいくかもしれない。
 少なくとも私はこの研究所で嫌な目にはあっていなかった。必死に私の研究をする彼を観察するのも楽しい。離れる理由は特になかった。
 私がボールだけではあきたらず、刃物はもちろん、ハンマーや斧なんかも柔らかくしてしまうようになってから、だんだん彼の顔つきが翳った。
 見たことのある顔だ、とまず思った。どこで見たのか、白い床に横たわりながら刃物を折り曲げながら考えて、遠い記憶に思い当たった。鏡を見たときの私だ。誰かに怒られたり、傷つけられたりして、水で怪我を洗っていて、ふと顔をあげるとあの顔があった。名前を恐怖と言う。
 私は白い実験室から離されて、地下に入れられた。鉄の格子の向こう側で、彼が悲しげな顔をしていた。多くは語らなかったけれど、首を横に振る彼を見て、なんとなく考えていることはわかった。私は公の場に出るにはあまりに驚異的な存在になってしまっていたらしい。
 光に乏しい牢屋の中はそれなりに寂しかった。そんな私に気を遣ってか、彼は頻繁に鉄格子の向こう側に現れた。椅子に腰掛けて、身振り手振りを交えながら世間話をした。世の中のニュース、笑える話、怖い話。みんな私をさみしがらせないためのものだったのだろう。それがわかっていたから、怖いとも、不満とも思わなかった。私はとっくに世間に興味を抱かなくなっていた。その一方で、彼の顔から必死さが失われつつあることが残念だった。
 故郷のことは記憶の向こう側にきえていた。覚えているのは地名くらいのものだ。世間だって、もう五年近い歳月が経っていた。変わっていることも結構あっただろう。彼の話に依ればいくつもの戦争が起きたらしい。私の暮していた街が無事でいると考えるのは楽観的に過ぎるだろう。
 そんなある日に大きな音がした。時計のない牢屋では時間などわからなかったが、あとになって深夜の急襲だったとわかった。研究所は、私が起きたときにはすでに半分がふきとんでいて、彼の頭には銃口が突きつけられていた。
 悲鳴が飛んできて私の耳を劈いた。彼の魂が空に登っていくのを見た気がして、私の心は一気にその枷を外した。
 彼の実験のおかげで、私も自分の能力の扱いに大分熟れてきていた。鉄格子に手を触れればすぐに柔らかくとろけていき、安っぽいコンクリートは飴細工のように垂れた。崩落した階段の瓦礫を溶かして進めば犯行グループの真っ黒い衣服が見えた。月光で黒光りする銃口が一斉に私に突きつけられていた。
 彼は地面にぐったりと横たわっていた。力も入れていない。何もそこには入っていないとわかったから、私はためらいなく走り抜けた。
 銃弾が飛んできて、私の皮膚に触れた。途端に柔らかい素材となって不定形となる。もてあましたエネルギーは私とは逆方向へと弾けていく。結果跳ね返った弾丸は黒服の連中の脳天を根刮ぎぶち抜いて空へと散った。
 横たわる彼の身体を抱えた。真っ白くなってしまった肌が血で濡れていた。汚れてしまった。身なりに気を遣わない人だったけれど、汚れは気にする人だった。きっと今も無念だろう。
 私は彼をなるべく綺麗な瓦礫の上に横たえた。青白いつきあかりの下で、顔の血だけをハンカチで拭った。べっとりと汚れたハンカチを畳んで彼の脇に添えた。
 声を掛けようとして、はたと気づいた。私は彼に名を尋ねたことすらなかった。その瞬間に胸が締め付けられた。ここ何年も感じたことのない強烈な、私にしか感じられない強い痛みだった。たとえいかなる弾丸を弾こうとも、いかなる本能で遠ざけようとも、この痛みだけは避けられないらしい。
 私はどうやら人間らしい。それがわかっただけでも、とてつもなく苦しくて、とても立っていられなかった。彼の脇に蹲って、その日は一晩彼とともに、吸い込まれるようにして眠りについた。

 廃墟になった故郷を見下ろすのにも飽きて、大きく伸びをした。広々とした荒野の上に太陽が燦々と輝いている。木々がほとんどないものだからわかりづらいけれど、そろそろ暑い季節が始まろうとしている。
 羽織っていたコートの留め金を外して地面に横たえた。かつてまっしろだった彼のコートだ。すっかり変色してしまっていたけれど、まだどこにも血の汚れはついていない。我ながら大切に扱っていた。だけど残念ながら、これからの季節には不釣り合いで、だからこそこの地で埋めることに決めていた。
「さよなら」
 コートを埋めてた土塊に木の枝を指して彼の代わりとし、両の手を合わせて静かに祈った。肌にあたる砂埃が、勢いを削がれ、柔らかく堆積していった。

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