いらっしゃいませ。
どうぞこちらへ。
本日はいかがなさいますか?
甘い香りのバイオレットフィズ?
それとも、危険な香りのテキーラサンライズ?
はたまた、大人の香りのマティーニ?
わかりました。本日のスペシャルですね。
少々お待ちください。
本日のカクテルの名前は闇ババでございます。
ごゆっくりどうぞ。
私はうんざりだった。
何か私が悪い事でもしたとでも言うのか?
人の面倒を見るのが嫌いな私が、こんなハメになるなんて。
しかし、旦那の親だから仕方ないのかも知れないが、毎日毎日の世話は、言葉では言い表せないくらいの苦労とストレスが、いやでも着いてくる。
昼間は仕事に行き、夜も帰りが遅い旦那にはわからないだろうが、正直逃げたい。
こんな生活なんて望んでいたわけではない。
介護が好きならそんな仕事に着いていただろうに。
自分の親の面倒でさえみたことがないのに、どうしてこんな生活に?
気が付くと、ため息が出ている。
子供達はもう独り立ちして、家には私とお母さんと旦那の三人だけ。
憂鬱な毎日を過ごしていた。
この頃の義理母は目が不自由になって、そのイライラからか、私に対しての口調はきつくなり、見て分かるもの以外の、味や、音、匂い、温度など、第四感をフルに使って私に苦情を出してきた。
やれ、味が濃すぎるだの、体が冷えるから各部屋の扉はマメに閉めろだの、石鹸類や化粧品などの匂いがキツイだの、テレビや電話の声などがうるさいだの。
以前はそんな事を言う人ではなかったが、仕方ない。
ヤツ当たりもいい加減にして欲しかったが、私は嫁に嫁いだ身。そんなことでキレる訳にはいかなかった。
結局ここを出るイコール、私は家なし。
戻る所はもうないのだった。
両親は他界し、実家は借家だったため、もう違う人がそこには住んでいるに違いない。
自分が両親の面倒がみれないのには、そういう訳もあったし、しかも私は嫁いでから専業主婦だ。これから自分で仕事なんて不安で考える事さえ難しい。
結局仕方ないのだ。
そしてこの頃は、自分の人生が終わる前に、義理母の人生が早く終らないかと、人として思ってはいけない事ばかりを考えてしまうのだった。
朝は朝食を作ってから義理母を布団から起こして、手を引いてあげながら寝室から食事を採るダイニングまで案内をする。
以前はコタツを兼ねた膳卓だったが、義理母が腰を下ろすのにおっくうだという事で、今はテーブルに椅子という慣れない食卓だが、私にとっても立ち座りが前より楽で意外と気に入っていた。
しかし、義理母を座らせてあげる事を除いてはだ。
義理母は、自分が椅子とテーブルがいいと言ったくせに、普段と位置関係が変わったせいで、椅子に座る際にテーブルを手探りする。そろそろ慣れたと思われるこの頃でさえ、年のせいか、まだそれがスムーズに出来ずに、テーブルをかき回す。
初めは、そんな予想すらしていなかった私は、全ての皿を並べてから義理母を案内していたせいで、テーブルに並べられた食事という食事は、ガチャガチャにひっくり返され、その音と、飛び散る食事のせいで、義理母は朝からパニックになり、それはそれはヒドイ口調で怒り捲るのだった。
それ以来、義理母を何とか席に着かせて、一声掛けた後に、テーブルに食事を並べるように気を使い、もちろんその食事も、私が義理母の口まで運んであげて、食べさせてあげることが一日の始まりの項目に入っているのだった。
そして、私は口に入れる量を細かく指摘され、味のどうのをとやかく言われ、やっと済んだ義理母の食事の後に、冷めた食事を急いで口に放り込む、楽しむ事など到底出来ない作業をテキパキとこなす。
それから主人を送り出して、義理母の着替えを済ませて家の掃除と洗濯。
ヤレヤレと思う間もなく、今度は昼食の支度を始めて、部屋で日向ぼっこか、ラジオを聞く習慣の義理母を迎えにいき、また憂鬱な食事。
この後は、晴れていれば義理母の手を引いて散歩か、雨であればテレビをつけてみるが、横にいる義理母に、何がどうしただの、誰がどうなっただのと、イチイチ説明を入れながら、やれ落語だ、やれ時代劇だと、好きなものなどは当然見れる訳もなく、楽しい事などでは決してなかった。
しかし、私が唯一、一人になれる時間があった。
それは買い物だった。
夕飯を見越した買い出しは、私の日課としていて、決して買い置きなどはしなかった。
どうせ冷蔵庫の中などは私しか見ることがないのだ。その事だけは二人に何も言われないようにし、そして私は息抜きに、天気などに左右されずに出掛けるようにしていたのだった。
義理母はそんな時間、決まってラジオを聴いて大人しくしている。
なんだかお気に入りの番組があるらしく、一度、恐る恐る買い物に誘ってみたことがあったが、あっさり断られ、ホッとしながらも、一人にすることに抵抗があるふりをしてみたが、しつこいと言われ、それ以来声を掛ける程度で家を出ることにした私は、その瞬間から自由を得ている実感を楽しんだ。
近くにスーパーや、商店街はあったが、晴れている日はわざわざ遠い商店街まで足をのばすのがしばしばで、小言を言われる言い訳は、
セールだった。
義理母には当然広告などは見えない訳だから、悪い嘘ではなかった。
気持ちの良い季節を感じながら自転車をこぎ、鼻歌混じりに外の空気を思いっ切り吸い込む。
そして手早く買い物を済ませた後に、安物ではあるが、カップのコーヒーをファーストフードの店で一杯、時間を掛けてゆっくりいただく。
この時に出てくるため息は、きっと私の中に一日溜められた憂鬱の気だろう。
たまに見れる夕陽などを拝めた時は、また明日も頑張ろうと思うのだが、やはり帰りの道は足の重さを隠せずにいるのだった。
家に着けば夕食の支度に追われ、それが終ると義理母を入浴させて、トイレに促し、着替えを手伝い、そんな合間に主人の翌日の支度から晩酌の世話、洗濯物の片付けなど、気が付くと一日が終わりを告げていた。
布団に入ると、考え事をする暇もなく、眠ってしまう。
それほど疲れが溜まっているのだろうか?
目覚ましがなくても起きれる習慣に時折、自分もこの頃年をとってしまったと実感する。朝まで体は電源を切ったかのように止まるのが確かな証拠だった。
先が見えない永遠の繰り返しから逃げるように。
しかし終わりがきた。
それはあっけなく訪れ、私はホッとするのも忘れる程の唐突さだった。
私はいつものように買い物へ行き、帰り着いてから夕食の支度をして、義理母を食卓に案内しようと部屋を訪れた時のこと、その引き戸にノックをして開けた先には、テーブルの上に置かれたラジオの前に座る義理母の姿。
声を掛けても一向に動かない義理母に、今度は耳まで聞こえなくなったのかと、彼女の肩に手をあてた瞬間、その冷たさに悪寒を感じ、と同時に横へ滑るように倒れた義理母。
そう。亡くなったのだった。
その後はバタバタと葬儀事をこなすのに忙しく、悲しみや、はたまた、いけない嬉しささえ感じる暇もなく、時間は過ぎた。
それから間もなく、義理母が仏壇にあっけなく写真として顔を出して、その静かになった毎日に私はやっと気が付いた。
三人分の家事は、当たり前だが二人分となった。
だが、洗濯物も料理も差ほど量が変わらないことに意外さを感じ、義理母の存在の軽さに、少し寂しさを感じ、その代わりに私の毎日のサイクルの中で、空白の時間がやたらにできた事が、初めは嬉しいのだと思ったが、これといった趣味や、くだらないテレビに興味がない私には、その時間を持て余す限りで、なぜか以前よりもため息が出ているように思えてならなかった。
そんなある日、しばらくそのままにしていた義理母の部屋を、何の気なしに片付けに入った時、テーブルの上のラジオに目が止まった。
私は普段気にも掛けていなかったラジオに、まるで誘われるようにスイッチを入れて、少し耳を傾けた。
ちょうど今時間は私が日課で買い物に出かけ、義理母がラジオをかじり付くようにして何かの番組を聴いていた頃だ。
たまたま流れてきた曲は、意外にも今時のポップなもので、私が想像していた演歌やシャンソンのような音楽ではない事は、かなり私を驚かせた。
その内、その番組のDJの声が曲の後半に咬んできて、深みのある何ともいえない低いその声は、そのかかっていた曲がリクエストであったことを、そのリスナーからのメッセージと共に話し出した。
どうやらこの番組は、リスナーの投稿からリクエストとメッセージを選び、紹介していくのが主旨の番組のようだ。
私はなんとなくそれを耳に掛け、わりとさっぱりしている部屋を片付け始めた。
ムードの良い洋楽の、そのしなやかに耳に入ってくる音楽はきっと何かの古い映画の曲なのだろうか?
どこかで聴いた記憶がある曲だった。
なぜか自然と口から言葉もわからないのに鼻歌が囁き出す。
それに合わせるように、もう誰も使わなくなった机の書物を片付けした跡を、雑巾が伸びやかに走る。
そして、DJの声がさりげなく曲のクライマックスに入ってきて、そのリクエストをしたリスナーのメッセージを読み始めた。
しかし、その読み上げられた住所は、自分の家のあるこの町の名前だったので、私はふと、軽快に滑っていた雑巾のスピードを緩めた。
そしてラジオネームにまた、ピクッと反応した。
闇ババ様。
それが誰なのか、私はえっと思い、雑巾を完全に机に張り付かせて止まった。
はじめまして。スタッフの皆様、毎日素敵な番組ありがとうございます。から始まる丁寧な文章は、こんな風に続いていた。
この度、私は旅に出る事になりました。
きっと、もうこちらには戻ってくることがないと思うのでお手紙いたしました。
私は日頃、ある人にお世話になっているので、出来ればこの曲を彼女に贈らせて頂ければ幸いです。
彼女には日々、自分の世話のせいで辛い毎日を送らせてしまいました。お礼と感謝、そして色々と当ってしまった事を謝る意味でも、この曲を贈らせて下さい。
この曲は、私が大事な人と見に行った、初めてのデートでの映画の曲で、とてもロマンチックで素敵な映画でした。
今でもたまに鼻歌が出てしまうくらい、私には印象に残っています。
彼女がこれを聴いているかはわかりませんが、この言葉と共にこの曲を贈らせて頂けると幸いです。
本当にありがとう。今までわがままをごめんなさい。
私は体が自分で動かせずにいて、ただただ涙だけが流れ出るのを気付かずにいたのを、やっと肌が感じ取ったとき、私の体は、一気に崩れた。
その時初めて、義理母がいなくなったことが私にとっては寂しい事なのだと、心の底から気付いたのだった。
私が例の曲を鼻歌で歌いながら料理をしていると、主人が珍しく私のところに寄ってきて、なんだ機嫌がいいなと冷やかした。
それに加えて、その曲は亡くなった母親が、機嫌がいい時によく口ずさんでいたよと、悲しそうな笑顔で語った。
私はそんな主人に、次の休みに、ウッンっとロマンチックな映画に行こうと誘うと、主人は照れながらも、行くか。と頷いた。
おしまい。
いかがでしたか?
今日のオススメのカクテルの味は。
またのご来店、心よりお待ち申し上げております。では。 |