挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

春を呼ぶテープ

作者:ひなひよ
 雛子は、高校から帰宅すると、必ず郵便受けの中をチェックします。手紙を待っているのです。

 雛子が住んでいるのは築十年ぐらいのマンションで、全140戸の郵便受けは一階ロビー横にずらりと並んでいました。その一番端っこ、ちょうど目線の高さに手を伸ばします。

 黒いプラスチックカバーと小さな金属扉の隙間に挟まれると、少し手は痛みます。しかし、それも毎日のこととなると慣れっこ。

 ごそごそすると……ありました。紙の質感とその分厚さは、もう間違いありません。

 雛子はクルクルとダイヤルを右へ左と回して数字を三回合わせると、勢いよく小さな扉を開けました。暗くて狭い郵便受けには、水色の封筒が一つ、ポトリと座っておりました。

 雛子が鍵を開けて家に入ると、今日も中は静かです。雛子の母親は眠っているのでした。これは良いチャンスです。早速届いた手紙を開封しましょう。

 冬休み中は通学もないので、さりげなく郵便受けをチェックできないことが雛子の悩みでした。なぜなら、この手紙は秘密のやり取りだからです。誰にも知られてはなりません。特に、親にバレるだなんて、もってのほかです。

 幼稚園の頃から使っている持ち手が赤いハサミで、ジョギジョギと封筒の端を切り落とします。端にまで中身が入っていないかどうかは、既に窓からの光にかざして確認済み。せっかくもらったものを誤って切ってしまうなんて、自分の身を切るように悲しいことです。

 中からは、いつものカセットテープと数枚の紙が出てきました。

 雛子はラジカセというものを持っています。ラジオとカセットテープを聞くための小型の家電です。高校に入学した際、父親がラジオの英会話番組を雛子に聞かせるため、購入したものでした。けれども、雛子は三ヶ月で挫折してしまい、すっかり遊び専用になってしまっています。

 雛子は英会話は苦手ですが、普通のラジオは好きです。中でも、早朝の音楽番組は、朝の気だるい雰囲気を一気に吹き飛ばし、雛子に活力を与えてくれるものです。

 雛子がお気に入りの歌手の曲が流れ始めると、慌てて新しいカセットテープをセットし、赤い丸のボタンと白い三角のボタンを同時に押します。同時にというところが重要なのです。

 もし、新しいカセットテープではなく、使いかけのテープを使う場合は、頭出しという作業も加わります。なんと面倒臭いのでしょう。しかし、これさえ行えば、無料で音楽を録音することができるのです。

 もちろんラジオですから、途中で電波の入りが悪くなり、音のほとんどが『ザーザー』になることだってあります。それでも雛子はめげません。

 音楽が二曲とそれのカラオケバージョン。たったのそれっぽっちが八センチCDに入って千円近くもかかるのです。毎月のお小遣いが1500円しかない雛子には、手の届かない贅沢でした。すると、必然的に自分で音楽を録音して集めるしかありません。

 そもそも、音楽というものは、ラジオやCD以外でというと、テレビの歌番組やドラマのエンディングで流れているものを聞くか、お店屋さんで聞くぐらいしか方法はありません。それだけに、音楽の一曲一曲は、とても貴重で大きな存在感のあるものでした。

 雛子は、そんな時代に生きています。

 さて、話が逸れてしまいましたが、こうしてすっかり使い慣れてしまったラジカセは、最近別の用途で使われています。音楽鑑賞には変わりないのですが、聞くのはプロの歌手の歌声ではありません。雛子が住む街から海を越えて、遠く離れた南の島から届く、男の子の歌声です。

 雛子と男の子は、通信教育のオマケとしてついていた娯楽雑誌の『文通しましょう』コーナーで知り合いました。もう二年も前のことです。ですから、まだ会ったことはありません。

 初めは、普通のお手紙のやり取りだけでした。雛子は少ないお小遣いの殆どを切手と便箋代につぎ込みました。時々、友達と撮ったプリクラを手紙に貼り付けることもありました。しかし、やがてお互いのことがもっと知りたくなります。そしてある時、男の子は雛子にカセットテープを送ってきたのでした。

 雛子は夜、親に「おやすみなさい」を言った後、布団の中で寝たふりをしました。そして、しばらくすると、そっと布団から抜け出して、ラジカセにカセットテープをセットします。イヤホンを耳につけると、白い三角のボタンを押しました。

「えっと、はじめまして。って、はじめましてでもないのに、こんなこと言うのって、すっごく照れるね」

 雛子の心臓はスキップするかのように飛び跳ねました。

「ひなちゃんが好きな歌、歌うね。録音すると緊張するから、ギターをたくさん間違えるかもしれないけれど、気にしないでね」

 ギターの心得など何もない雛子には、ちょっとの間違いなど気になるわけがありません。こうして、声を聞かせてもらえた奇跡。それだけで十分幸せなのです。雛子の心には嬉しさが広がり続けます。気づいたら、なかなか温もらない布団の中で、足をかけっこのようにたくさん動かしているのでした。

 男の子が歌ったのは全部で5曲でした。中には、遠距離恋愛の歌もありました。男の子にはギター仲間がいて、そのもう1人の男の子との声のハーモニーや、優しいギターの音色が雛子の心の中で響き渡ります。

 プロではないので、録音する環境や機材もあまり良いものではないのでしょう。時々、風の音や鳥の声、子どもの声も入っています。全体的に少し篭った感じの音で、それがまた味があり、雛子のニヤニヤは止まりません。

 雛子は、『どうもありがとう。すっごく良かったです。また聞かせてください!』などといった内容の返事を書いて、翌々日の朝には近所の郵便ポストへ投函したのでした。それ以来、男の子からの手紙には必ずカセットテープが同封されるようになりました。

 さて、今回は、どんな音楽がカセットテープに入っているのでしょうか。

 カセットテープは、黒くてツルツルした細長いテープが二つの小さな穴に巻きついて繋がっています。見た目はどれも同じで、どうやってこの黒いツルツルに音楽が刻まれているのか、雛子には全く分かりません。確かなのは、とても便利だということと、雛子と男の子を繋いでいるものだということです。

 今日は母親が眠っているので、イヤホンは使いません。イヤホンで聞いた方が、男の子の細かな息遣いが聞こえるのでドキドキできるのですが、やはり何もつけずに聞いた方が開放的です。

 カセットテープを再生し始めると、初めはジーーーという音が続き、ゴソゴソという大きな物音が入りました。そしていよいよ、本格的に始まります。

「ひなちゃん、こんにちは。こちらでは今、桜祭りをやってるよ。まだチラホラしか咲いていないんだけど、綺麗だよ。ひなちゃんにも見せたいから、手紙に花びら入れたけど、萎びちゃったかな?」

 雛子は慌てて水色の封筒を逆さにしましたが、何も出てきません。首を傾げながら、数枚の紙を開くと、見慣れた文字の上にポツポツと小さな桜の花びらが散らばっていました。

 少し水分が失われて、端がよれてはいるものの、まだそれが花びらだということは分かります。雛子が住む街は昨日も雪が降り、まだまだ寒い日々が続いています。うっすらとした桃色は、雛子の掌の中ではまばゆい限りに輝きました。

「わぁ……桜の便りだ」

 雛子は以前ニュースの天気予報で、『桜の便り』という言葉を聞いたことがありました。今受け取っているのは、正真正銘の『桜の便り』です。雛子に、春がやってきました。

 雛子は、花びらを5枚1組にして花の形に並べ直し、押し花にすることを決めました。この喜びをできるだけ長く噛み締められるように、工夫しようと思ったのです。雛子は、桜の花びらが舞い落ちる並木道を男の子と手を繋いで歩く自分の姿を想像しました。

 こうして、ついつい舞い上がってしまっていたのです。だから、自分の背後に母親が立っていることには、すぐに気づきませんでした。

「誰からの手紙?」

 冷たい声。母親は持病が酷く、常に神経を尖らせています。ちなみに、届いた郵便物は、娘宛であろうと、誰宛であろうと、勝手に開封してしまいます。本人曰く、開封することが好きなだけで悪気はないとのことなのですが、雛子は信じていません。雛子は強い監視体制の下、生活しているのです。

 雛子は一瞬ギョッとした顔をしましたが、すぐにラジカセの白い四角のボタンを押して取り繕いました。

「お母さん、ただいま。転校した友達からの手紙なの」

 雛子は、母親限定ですが、嘘をつき慣れています。母親は、雛子の全てを知りたがっていますし、知っておくことは親の義務であり、責任だと思っていますが、雛子には窮屈なだけ。嘘というものは、つけばつくほど身体を縛る重りとなり、いずれその重さに耐えかねて動けなくなってしまいます。雛子はそれを知ってからはなるたけ嘘を避けて生活していますが、男の子からの手紙だけは守りたいと思いました。

 その後雛子は、とても悩みました。これまでは、なんとかバレずに続いていた秘密の文通。でも今後は、雛子が郵便受けをチェックする前に母親がチェックしてしまうことだってあるかもしれません。そうなると、差出人について質問責めに合うのは目に見えています。きっと勉強の妨げとなるなどと言って、雛子の生活はより一層窮屈なものにされてしまうことでしょう。

 男の子は雛子にとって、とてもとてもとても大切な存在です。雛子は、男の子の声を聞いている間だけは、心が自由でいられました。いつも小さくなっている雛子を温かく抱きしめてくれるような優しい歌声。曲と曲の間に入っている男の子とその友達の話し声も、雛子の中で男の子の存在を大きくするものの一つでした。

 だからこそ、もう潮時だと考えるようになったのです。

 雛子は手紙の返事を書きました。もう一度だけでいいから、声を聞かせて欲しいとお願いをしました。母親に見つからないように、手紙を送ってもらう日も勝手に指定しました。一番お気に入りの便箋に書いた文字が、溢れた涙で滲んでしまい、何度も書き直しをしました。

 そして、指定していた日に手紙が届きました。雛子は、それはそれは大切に封筒を手に取ると、長い間胸の中でぎゅっと抱きしめました。

 勝手に文通を止めるだなんて言ってしまったので、男の子は怒ってしまったかもしれない。だから、もう返事が来ないかもしれない。来ても、カセットテープは入っていないかもしれない。ずっと不安な気持ちで過ごしていた雛子。

 けれど、その封筒はいつも通りの厚みがありました。

 カセットテープは、いつもは両面合わせて90分のものなのに、今回は120分の長さのものでした。いつもより、巻かれた黒いテープに厚みがあるのです。

 雛子はまずA面から聞くことにしました。A面は、全部男の子の声が詰まっていました。

 本当は雛子とずっと文通していたいということ。本当は、雛子の街に今すぐ行って、会いたいこと。貯めたバイト代で会いに行こうと思えば行けないこともないが、雛子の今の状況が理解できるだけに、迷惑をかけないためにも我慢するということ。

 そして、翌年には雛子が住む関西の大学へ入学するため、まもなく受験する予定だということ。もしお互い大学へ無事に進学して一人暮らしを始められたら、一度会わないかという提案。その時に連絡を取るためにも、男の子は親にねだって携帯電話を持ち始めたということ。電話番号とメールアドレスは同封の手紙に書いたので、ずっとずっと後でもいいから連絡が欲しいということ。

 最後に、雛子が好きだということ。



 雛子も、つい最近親に携帯電話を買ってもらったばかりでした。慣れない手つきで最新の二つ折りになる携帯電話を操作していきます。ようやく普及してきたカラーの画面には、短いけれど、大切なことを打ち込んだのでした。

『雛子だよ。私も、好きだよ。春に会おうね』

 パケット代が気になることもあり、本当に手短かなお手紙です。

 雛子も、大学の二次試験を目の前に控えていました。無事に合格すると、この家を出ることも決まっています。

 雛子は、二人の春に向かって駆け出しました。
 もちろんBGMは、男の子の歌声です。


評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ