魅月町・騎行の風(2/10)PDFで表示縦書き表示RDF



初穂 辰真 (はつほ たつま)
32歳・雑誌記者
何事にも一生懸命なのが災いし、すぐにテンパってしまう。酒・タバコは全くダメ。
魅月町・騎行の風
作:徳山 ノガタ



第1章・低気


「あなた……あなた、遅刻するわよ」

「……ん、ん〜む……」

「今日は朝から会議じゃなかったの?」

 妻がそういった途端、男はベッドから跳ね起きた。

「そうだった! マズイ!」

「ほら、早く顔洗って、ご飯食べて」

 男の名は初穂 辰真はつほ たつま32歳。

「まったく……カナはもう学校行ったわよ」

 慌ててパジャマを着替える辰真の背中に、妻・恵が声をかける。

「もう? 早いな」

「今日から飼育係の当番なんですって。昨日の夜言ってたじゃない」

「……」

 正直に言って、辰真は全く覚えていなかった。昨日は手当ての出ない残業に追われ、クタクタになって帰ってきたのだ。もっとも、昨日に限った話ではないが。

「最近、忙しいからなぁ……」

 残念なことに、忙しい=仕事ができる、とは限らない。むしろ辰真は要領が悪く、昨日の残業も自分のミスを修正するためのものだった。

「そうそう、あなた」

「なに……?」

 朝食のトーストをコーヒーで流し込みながら返事をする。

「来週のことなんだけど、どうする?」

(……来週……? な、なにかあったっけ?)

「ま、今年もあなたに任せるわよ? あなた、こういうの考えるの好きだから」

(……え、ええと……なんだっけ? なんだったっけ?)

「……あなた? 聞いてる?」

 こういう時に、決してやってはいけないことがある。それは……
 
「あ、ああ。そうだな。任せておけ」

 ……適当に応えてしまうこと、それも安請け合いしてしまうこと、である。

「それじゃあ、お願いね。あら、電話」

 妻が電話に出ている間にどうにか朝食を平らげ、仕事カバンを抱えて玄関に向かう。

「いってきまーす」
 
 玄関のドアを閉めるとき、妻が小さく手を振っているのが見えた。

 ……で、結局思い出せたのだろうか?

「なんだっけ……わからない……」

 結婚して13年目。娘の香奈は小学6年生だ。辰真と娘は特別に仲が悪いわけではないが、もう甘えてばかりもいないお年頃である。多忙もあいまって、二人はここ最近あまり言葉を交わしていない。



 辰真が勤めている会社は、週刊のローカル雑誌を扱っている。辰真の仕事は、記事になりそうな事柄を探して文章化すること。いわゆる雑誌記者である。

「おはようございます。初穂先輩」

「やあ、おはよう。犬飼くん」

 あいさつをしたのは、去年入ってきたばかりの女子社員・犬飼である。

 犬飼は26歳。明るく、ハキハキとした性格で、若手ながらもどこかアネゴ肌なところがある。6歳年上の辰真よりも遥かにしっかりとした頼れる人物である。

「髪、ちょっと崩れてますよ? 寝坊しましたか?」

「ああ、なんとか間に合ってよかったよ」

 よく気がつき、厭味なところがない。この会社では貴重な人材である。辰真と同じ記者だが、こちらは隣の区域の担当だ。

「おはようございます」

 二人が担当の部署に入った途端……

「はーつーほーっ!」

 いきなり怒鳴ったのは、上司の木場こばである。

「なんだこれは! こんなのを記事にしてどうするんだ!」

 バサッと雑誌を床に叩きつける。犬飼がそれを拾って、開かれていたページの見出しを口にする。
 
「……『5匹の犬が一列に並んで海岸沿いの道路を走る』」

「こんな『ふ〜ん、そうなの。で?』という反応しか返ってこないようなものを記事にするな! もっといいネタを探せ!」

「は、はい……申し訳ありません……」

 そもそも、辰真が担当しているこの魅月町は至って平和な町で、雑誌に書くような出来事など滅多に起こらない。そのことは上司の木場もわかってはいる。

「それでも、もう少しマトモなネタがあるだろう。次はキッチリやれよ!」

「ハイ……」

 蚊の鳴くような声でそう言うのが、今の辰真には精一杯だった。












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