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戦姫クサナギ 作者:小湊拓也
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第3話 鋼の神楽舞・乙

 広い交差点の中央である。
 1人、宮杜静葉は立っていた。そして待っていた。
 車道の真ん中だが、車は来ない。人通りも全くない。国防軍の徹底的な避難誘導で、この区域への一般市民の流入は防がれているのだ。
 何故なら。今から、少し大きなものが、この場に降り立つからである。
 夜空が、ぼんやりと明るかった。
 無論、夜が明ける時間ではない。どこかで火災が起こっているのだ。
 空が赤くなっている方向へ、円明元年式の編隊が続々と、飛行の爆音を引きずりながら向かって行く。皆、無人制御である。
 静葉が幼年部の頃は、有人操縦の恒安26年式がまだ現役だった。
 それが3年前の円明元年に無人機が実用化された、と思ったら瞬く間に国防軍の主力となり、恒安26年式のパイロットをしていた軍人たちは次々と仕事を失っていった。
 静葉の父親も、その1人だった。
 高額の退職手当が支給されたとは言え、父は、何の落ち度もないのに軍を辞めさせられてしまったのである。
 気力を失い、何もせずただ家にいるだけの存在になってしまった父に対し、母の態度は目に見えて冷たくなった。
 静葉は出来る限り、父には優しく接したつもりである。
 傍にいられると多少、鬱陶しい存在であろうとも。静葉が生まれてから十何年分もの生活費を稼いでくれた恩人である事に、違いはないのだ。
 その借りを、今なら返す事が出来る。
 大八嶋女学院に在学中の身でありながら本職の巫女として神祇本庁に認められ、俸給も出るようになった。今なら自分が、父の生活費を稼いでやれる。楽をさせてやれる。
 なのに。その父が、今はもういない。
「お父さんの馬鹿……」
 呟く静葉を、風が襲った。
 巫女装束の袖が、袴が、激しくはためき、長いポニーテールが舞い上がる。
 円明元年式が、4機。推進剤の出力をゆっくりと調節しながら、近くに降下して来たところである。
 まず3機が、路上に着地した。
 それらに護衛されるようにして、残る1機が降り立とうとしている。何か、大型の荷物を抱えながらだ。
 円明元年式より幾らか小柄な、人型の機体。
 それを、お姫様の如く大切そうに抱えながら、4機目の元年式は路面に立った。
 抱えられているのは人型戦闘機。だが円明元年式でも、恒安26年式でもない。
 まるで、人形だった。
 全体が、年頃の娘の如く柔らかく起伏した人型機体。間違いなく、開発者の趣味であろう。
 この人形に命を吹き込むのが、静葉の役目だ。
 元年式の1機が、静葉に向かって跪くように身を屈めた。そして右手を差し出して来る。
 掌の上に静葉が飛び乗ると、その円明元年式はそっと身を起こした。まるで人間が小動物を拾い上げるかのように、滑らかで自然な動きだ。
 父が1度乗せてくれた事があるのだが、恒安26年式の動きはもう少し、ぎこちなかった。
 人型戦闘機関係の技術は間違いなく年々、進歩してはいる。
 静葉の身体を運んでいた手が、やがて止まった。お姫様のように抱かれた、機械の人形の近くでだ。
「ありがとう」
 円明元年式の人工知能に軽く礼を言い、静葉は跳んだ。
 少女の巫女姿が、人形の腹の辺りにフワリと着地する。
「さぁて……頼むわよ、お姫ちゃん」
 静葉が語りかけると、人形が反応した。
 ふっくらと、あまり大きくない乳房のように膨らんだ胸部装甲。それが2つに割れ、静かに開いてゆく。
 ヒモロギ・システムが、正式な搭乗者を認識したのだ。
 露わになった「お姫ちゃん」の操縦室内に、静葉は滑り込み、寝転ぶようにシートに身を沈めた。
 胸部装甲が、音もなく閉じた。
 操縦室内が真っ暗になる、と同時に、光が灯る。
 モニターも、操縦桿も、コンソールパネルもない操縦室である。
 巫女装束をまとう少女の細身がスッポリと収まっているシート。その他にあるのは、2つの球体だけだ。シートの左右で台座のような装置に固定され、淡い光を発している。
 ヒモロギ・システムの制御宝珠である。
 操縦桿を握るように静葉は、2つのそれに左右の手を当てた。愛らしい五指と掌を開き、まるで波打つような光を孕む2つの宝珠に密着させる。
 そうしながら、静葉は目を閉じた。目を閉じても、物が見える。
 自分の周りにいる、4機の円明元年式。うち1機が静葉の身体を抱き支え、残る3機が護衛の如く立っている……いや、抱き支えられているのは静葉ではなく「お姫ちゃん」だ。
 機体のセンサーと搭乗者の感覚が、一体化を始めたのである。
 お姫ちゃん、が動いた。
 身を屈めている円明元年式の両腕の中から、人形のような機体がよろりと歩み出す。
 人間よりも遥かに巨大、でありながら細く頼りないその足が地面に触れた途端、「お姫ちゃん」はよろめいた。アスファルト上に片膝を落とし、両手をついて、辛うじて転倒をまぬがれる。
 機体と操縦者の一体化が、まだ完全ではない。
 今まで音1つなかった操縦室内に突然、電子音が鳴り響いた。続いて、男の声。
『こちらコントロール……搭乗を確認。シャーマンβは直ちに作戦行動に入って下さい』
 国防軍管制責任者・大久保中佐からの通信である。
 この声を聞く度に、静葉は実感せざるを得ない。自分は、常に監視されていると。
 だからこそ国防軍はこうして、静葉のいる場所に、この機体を運ぶ事が出来るのである。
 目を閉じたまま、静葉は言葉を返した。
「シャーマンβよりコントロールへ、作戦行動に入る前に1つだけ確認……一般市民の避難状況は?」
『心配御無用……とだけ申し上げておきましょう』
 大久保中佐の声には、何の感情もない。
 心配御無用。それは避難が完了しているから、という意味ではないだろう。
 逃げ遅れた一般市民の50人や100人は間違って踏み潰しても、心配ない。問題ない。大久保中佐は、そう言っているのだ。
 あの大斎たちが何もかも、事故あるいは黄泉醜女による災害死として処理してくれる。
 そんな事になる前に自分が、何の被害も出さず速やかに黄泉醜女を片付ければ良い。そう思い直しつつ、静葉は呟いた。
天清浄(てんしょうじょう)地清浄(ちしょうじょう)……」
 呟きながら、ゆっくりと右腕を延ばす。水平、よりはやや上向きに。
 ……いや、違う。右腕を動かしたのは、静葉ではなく「お姫ちゃん」だ。まさに人形そのものの繊細な右腕で、周囲の円明元年式たちに何かを促すかの如く。
 静葉の両手は、左右の制御宝珠に密着したままである。
「……内外清浄(ないげしょうじょう)六根清浄(ろっこんしょうじょう)
 思っただけで、機体が動き始めている。ヒモロギ・システムの起動は絶好調だ。
 試作段階のヒモロギ・システムは、実際の操縦を要するものだったらしい。
 念じただけで機体が動く完成品を、自分は使う事が出来る。これも国防軍技術陣の、想像を絶する努力と研鑽の賜物であろう。それは素直に感謝すべきだ、と静葉は思う。
 自分たちが巫女として大きな顔をしていられる。その陰には、男たちの目立たぬ苦闘が間違いなくあるのだ。
(だから、守ってあげる……)
 その念と共に、静葉は祓詞を続けた。
心性清浄(しんせいしょうじょう)にして、諸々の汚穢不浄(けがれふじょう)なし……」
 視界の隅で、ビルの一部が砕け散った。
 その小さな破片の1つ1つが、容易に人間を殺す。だが今の静葉には、玩具の建物が壊れたようにしか見えない。
 人間ではないものの視点を、持ってしまったのだ。
 ビルの破片を飛び散らせながら、何かが躍り跳ねた。
 細長い、ミミズのようなゴカイのようなもの。全体にびっしりと棘を生やしており、軟体化した糸鋸のようでもある。
 黄泉醜女の歯舌が、ここまで伸びて来ているのだ。
 護衛の如く立っていた円明元年式の1機が、仰々しく恭しく、何かを掲げた。
 15メートルの身長とほぼ同程度の、長大な棒。と言うより長柄。
 その先端は、優美に湾曲した刃である。もはや兵器と呼んでいいほど、巨大な刀身。
 薙刀、である。刃の材質そのものは徹甲ナイフと同じだが、祈祷処理が施されている。
 人型戦闘機を一刀両断出来そうなほど、巨大で鋭利な穂先。その根元からは、何かヒラヒラとした物が生えて長く伸びていた。
 2本の、紙垂(しで)
 長柄と刀身の境目といった辺りに、結び付けられている。無論、材質は紙ではなく耐熱性の特殊繊維である。
 紙垂を伸ばした、大薙刀。
 それを、円明元年式が「お姫ちゃん」に恭しく手渡してくる。
 やや斜め上向きに伸ばされた繊細な右手が、その長大な武器を握った。
 たおやかな五指が長柄に巻き付き、ギュッと握力を込める。
 静葉は目を開いた。可憐な唇が、凛とした祓詞を紡ぎ出す。
「我身は六根清浄なるが故に、天地(あめつち)の神と同体なり!」
 埴輪を思わせる、端整な機体顔面。その細い両目のスリットが、ヴン……と光を漏らす。
 センサー・アイに、灯が入ったのだ。
 ヒモロギ・システムが今、完全に起動した。
 うずくまっていた「お姫ちゃん」の姿勢が、一気に伸びた。
 人形のような機械の肢体が、その瞬間には空中にあった。跳躍。スラリと伸びた両脚が振り上がり、鋭利な爪先が天空を向いて頭部が下を向く。
 優美な機体がそのままギュルッ! と錐揉み状に旋回。両手で握られた大薙刀が、特殊繊維の紙垂を高速で引きずりながら一閃する。
 鞭あるいは毒蛇の如く伸びて来たものが2本、いや3本。「お姫ちゃん」を絡め取る寸前で切断され、びちびちと暴れながら宙を舞った。
 生きた糸鋸、とでも言うべき巨大な歯舌。
 それらが、落下しつつ萎びてゆく。
 機体の細い爪先が足場に触れる、のを静葉は感じた。
 この一帯で最も高いビルの屋上。そこに「お姫ちゃん」は着地していた。
 頭頂高をいくらか超える長さの大薙刀を、たおやかな両手で軽々と構え、優美な両脚を綺麗に揃えて、屋上のコンクリートに亀裂一筋走らせる事なく立つ機械の人形。
 満月を背景にして佇む、その流麗な姿を取り巻くように、2本の紙垂がゆらりと舞う。
 人型戦闘機タイプ・カンナギ乙式(おつしき)草薙姫(くさなぎひめ)』。
 その操縦席の中から静葉は、
「さて……お料理の時間ね」
 視界の中央にあるものに、ニヤリと微笑みかけた。
 操縦室の中で目を開いていても、見えるのは機体の外の光景だ。センサー・アイの捉えたものが静葉の脳裏で、視神経を通さずに映像化されているのである。
 目の前に、それはいた。
 実際には100メートルほど距離を隔てており、しかもこちらは高層ビルの上である。
 それでも眼前と感じられるほど巨大な、そして醜悪な姿。無数の、おぞましい人面の塊。
 黄泉醜女・巨大種。
 瓦礫と化した建物をさらに押し潰すように鎮座し、全身のあちこちで口を開き、歯舌の群れをニョロニョロと吐き出している。
 黄泉国からの招かれざる客人に、静葉はなおも語りかけた。
「不味そうな、お肉の塊……美味しく調理してあげるわ」
 黄泉醜女は当然、何か応えたりはせず、無数の口で表記不能・意味不明な絶叫を吐き続けるだけだ。
 その醜悪な巨体の周囲に、円明元年式の残骸が多数、まるで壊れた玩具の如く散乱している。
 今のところ無傷な十数機もの元年式が、空中から、地上から、ビルの陰から、幾分遠巻きに、黄泉醜女・巨大種を包囲している。取り囲む、以上の事は出来ずにいる。
 この場に巨大種をとどめておく、という役には充分に立ってくれたのだ。そのおかげで市街地の破壊も今のところ、この一帯だけで済んでいる。
 無人機とは言え、これ以上酷使する事はあるまい。静葉はそう思い、言った。
「シャーマンβよりコントロールへ。元年式は全機、後退させて下さい」
『それには及びませんな』
 大久保中佐の陰鬱な声が応える。
『人が乗っているわけでもない機械の事は、お気になさらずに。全ての円明元年式は、タイプ・カンナギを守るために存在しております』
「……本当に、お姫様扱いってわけね」
 静葉は、ただ苦笑した。
 人型戦闘機タイプ・カンナギ乙式「草薙姫」。
 様々な意味において特殊な機体であるとは言え、人型戦闘機、つまり兵器である事に違いはない。
 それが軍属ではない宮杜静葉に任されている理由は、ただ1つ。
 タイプ・カンナギには、ヒモロギ・システムが搭載されているのだ。
 八百万の神々の力を、動力・破壊力に変換し、戦闘を行うシステム。
 人工知能や男の兵士では、使う事が出来ない。
 これを扱う事が出来るのは、神々という存在に強く訴えかける力を持つ女性、すなわち巫女だけだ。
 だから静葉は現在、大八嶋女学院から、と言うより神祇本庁から国防軍への出向という形で、この草薙姫を預かっているのである。
 出向であろうが何だろうが、これに搭乗し戦うのが仕事である事に変わりはない。
「はあっ!」
 気合いと共に、静葉は草薙姫を跳躍させた。
 細身の機体が、大薙刀……切断兵器(せつだんへいき)乙式斬魔刀(おつしきざんまとう)を構えたまま、月を背負いつつ軽やかに宙を舞う。
 黄泉醜女の全身から、まるで発射されるかのように歯舌が伸びた。びっしりと牙を生やした、細長い有機質の凶器。
 それが無数、一斉射された対空ミサイルの如く、草薙姫に群がって来る。
 ほっそりと優美な機械の肢体が、空中で竜巻のように翻った。
 その周囲に一筋、二筋、乙式斬魔刀が斬撃の弧を描き出す。
 叩き斬られた歯舌たちがビチビチと跳ねながら、飛び散ってゆく。
 黄泉醜女が、全身の口で悲鳴を発した。醜悪な巨体が苦しげに震えるが、切断された歯舌の群れはすでにニョロニョロと再生を始めている。
 それらがまた一斉に襲いかかって来る、よりも早く。草薙姫の細身が空中で柔らかく仰け反り、乙式斬魔刀が高々と振り上がった。
 美しいほど華奢な両手が、くるりと一度、長柄を回転させる。そして。
「退魔斬撃……八握剣!」
 弓なりに反り返っていた草薙姫の機体が、一気に前屈・前傾した。
 全身で振り下ろされた斬魔刀が、紙垂を高速で引きずりつつ、斬撃の軌跡を大きく宙に描いた。それが、光の弧となって空中に残る。まるで巨大な三日月だ。
 その三日月が、飛んだ。空中から地上に向けて、発射された。
 そして、黄泉醜女の巨体へと吸い込まれて行く。
 再生を終えた歯舌の群れを伸ばし放とうとしていた、その巨大な異形が、痙攣し硬直した。
 中央に一筋、光の線が縦に走っている。
 それは、すぐに裂け目に変わった。
 黄泉醜女は、真っ二つになっていた。人型戦闘機が玩具に見えてしまうほどの巨体が中央から分かたれ、ぷるぷる震えながら左右に離れて行く。
 露わになりつつある断面は、焼け焦げていた。
 先程の三日月が、黄泉醜女を真っ二つに切り裂きながら、その体内を灼いたのだ。
 焦げ砕けた臓物が、断面からボロボロと溢れ出しながら灰に変わってゆく。
 そんな光景を見下ろしつつ草薙姫が、悠然とビルの屋上に着地した。
「祓い給え清め給え……っと」
 操縦席で静葉が呟く。
 両断された黄泉醜女の巨体が、臓物をことごとく灰に変えられて内容物を失い、急速に縮みつつあった。
 縮みながら萎び干涸び、ひび割れ、ついには崩れ始める。
「バケモノのくせに現世に出て来るから……そうなるのよ」
 もう一言、静葉が呟いている間に、黄泉醜女は完全に崩れ去っていた。灰のような粉末状の屍が、すでに瓦礫と混ざり合ってわからなくなっている。
「シャーマンβよりコントロールへ、作戦終了……」
 報告途中で、静葉は息を呑んだ。
 気配。操縦室の中でも感じられるほど、禍々しい気配だ。
 次に感じたのは、微かな震動だった。
 同時に、ビルが1つ、近くでゆっくりと崩れ始める。
 その上に、異様なものがのしかかっていた。苦悶、憎悪の表情を全身に浮かべた、おぞましく巨大な肉塊。
「……してません。ごめんなさい、もう1匹いました」
 2匹目の黄泉醜女・巨大種。そちらへ機体を振り向かせようとした、その時。妙なものが静葉の視界をかすめた。
 2匹目とは全くの別方向で、歯舌が跳ねたのだ。
 3本、4本。それらが、次々と建物を粉砕する。瓦礫が飛び散り、風景が開けた。
「ちょっと……!」
 静葉はもう1度、息を呑んだ。全方向で、同じような事が起こっている。
 建造物を押し倒し、あるいは砕き飛ばしながら今、おぞましいものたちが、草薙姫を取り囲みつつある。
 黄泉醜女・巨大種が3体、5体、8体……そこで静葉は数えるのをやめた。あまり明るくない気分に、なるだけだからだ。
「……上等ッ!」
 左右の掌の下で、制御宝珠が輝きを増す。
 己の気合いが両手から機体へと注ぎ込まれて行くのを、静葉は感じた。
 巨大種の群れが、周囲で一斉に動いた。
 人形を解体するが如く人型戦闘機を引きちぎる歯舌が、無数。あらゆる方向から伸びて群がって来る。ビルの屋上に佇む嫋やかな機体を、包むように襲う。
 曇りない瞳の中で眼光を燃やしながら静葉は、叫びに気合いを込めた。
退魔障壁(たいましょうへき)辺津鏡(へつかがみ)!」
 光が生じた。先程、巨大種を1匹両断した三日月と、同質の光。
 それが薄い膜を成し、草薙姫の周囲で球形に固まった。
 まるでシャボン玉だった。巨大な光のシャボン玉が、草薙姫を包み込んでいるのだ。
 蛇のように鞭のように伸びて来た軟体の糸鋸たちが、シャボン玉状の光の防護膜を、全方向から打ち据える。
 そして一斉に弾き返され、痛そうに跳ねて揺らいだ。何本か、ちぎれて飛んだ。
 草薙姫を守る光のシャボン玉は、全くの無傷だ。表面に、波紋が浮かんだだけである。
 神の力、としか言いようのないもので組成された、光の防護膜。
 その上から、歯舌の群れがなおも打ち込まれて来る。
 触手状の生体凶器たちが、ちぎれ再生しながら、巨大なシャボン玉を執拗に殴打し続ける。
 草薙姫の周りで、際限なく波紋が広がっては消えた。まるで雨の日の水面のようにだ。
 それと共に、黄泉醜女の体液が、歯舌の破片が、汚らしく飛び散り続ける。
「無駄無駄……お姫ちゃんのガードはね、堅いんだからッ!」
 静葉の叫びに合わせてシャボン玉が、パアッ……と輝きを増す。
 そして破裂し、飛び散った。光の防護膜が、純粋な破壊力と化して飛散したのだ。
 草薙姫の周囲で拡散した光の中、歯舌の群体が、砕け、干涸び、崩れて灰と化す。
 それらを蹴散らすように、草薙姫はまたしても跳んだ。
 群れる黄泉醜女・巨大種。その真っただ中に、着地する。
 着地直後の屈んだ姿勢のまま、草薙姫が身を捻る。斬魔刀を、水平に構えながらだ。
 その巨大な穂先が、ぼぉ……っと光を発しはじめる。そして。
「退魔斬撃……蛇比礼!」
 草薙姫の細身が、竜巻の如く回転。光を帯びた刀身が、幾重にも弧を描く。
 最も位置の近い黄泉醜女が3体、静止画像のように動きを硬直させた。
 硬直した3つの巨体が、横に食い違ってゆく。幾重にも、達磨落としのように。
 3体の巨大種は、輪切りと化していた。光を塗り広げられた幾つもの断面で、臓物が灼かれ、焦げ砕ける。
 やがて、黄泉醜女3匹分の輪切りが全て、干涸び砕け散った。
 埃のような粉末状の屍が大量に舞う中を、草薙姫が踏み込んで行く。
 踏み込みと共に、全身を捻る。右手で斬魔刀を休ませ、左手を握り拳にする。
 その拳が、白い光を帯びた。
 高天原より召喚した力を、純粋な破壊のエネルギーに変換したもの。
 それをまとった左拳が、黄泉醜女の1体に叩き込まれた。
 ほとんど突き刺さったように見えるほど深々と、異形の巨体に草薙姫の左パンチが埋め込まれる。
 埋め込まれた左手で、白い破壊エネルギーが一気に膨張する。
 巨大種の肉体が、さらに大きく膨れ上がっていた。
 無数の顔面で眼球が破裂し、空いた眼窩から光が溢れ出す。
 草薙姫の拳から黄泉醜女の体内へと流し込まれた、破壊力の光。それが、
「退魔砲撃! 生玉(いくたま)ッ!」
 静葉の叫びに合わせ、爆発した。
 歯舌の群れが、無数の顔面が、肉が、臓物が、飛び散りながら光に灼かれ、消滅する。
 一瞬、球形に巨大化した光が急速に縮み、消え失せた時。そこにはもはや何も残ってはいなかった。左手を伸ばした草薙姫の姿が、佇んでいるだけだ。
 その周囲に群れる黄泉醜女・巨大種の数は、しかし減ったようには見えない。
「こいつら……っ」
 漏れる声に、荒い息遣いが混ざる。消耗を、静葉は自覚せざるを得なかった。
 神々の力は無限だ。いくらでも、召喚出来る。
 召喚に必要な操縦者の気力・体力は、しかし無限ではない。
 大技を、連発し過ぎた。
 草薙姫での出撃は無論これが初めてというわけではないが、今までは、1度の戦闘で相手にしてきた巨大種は、せいぜい2体か3体、多くても5体を超える事はなかったのだ。
 戦う事はおろか見るのも初めての、黄泉醜女・巨大種の大群。草薙姫を遠巻きに包囲したまま、何故だか動きを止めている。
 休息、は無理にしても乱れた呼吸を整える時間くらいはありそうだ、と静葉が思った、その時。
 地響きが、操縦席に伝わって来た。
 センサー・アイと一体化した視覚で周囲を見回しつつ、静葉は息を呑んだ。
 全方向で、瓦礫と土煙が凄まじい勢いで立ちのぼっている。
 黄泉醜女が3体、草薙姫に向かって来ていた。突進。
 3つだけで東西南北全てが埋まってしまうほどの巨体が、信じ難い速度で、草薙姫に突っ込んで来る。
 動きを止めている、と見えたのは、歯舌を動かさなくなったからだ。
 黄泉醜女たちが、退魔障壁で弾き返される歯舌攻撃から、巨体による圧殺へと戦法を変えた。それだけの事だったのだ。
 静葉の視界はすでに、おぞましい肉塊で満たされている。
 黄泉醜女・巨大種が3体。風景を埋め尽くしながら、草薙姫に迫る。
「退魔障壁、辺津鏡!」
 何も考える事なく、静葉は叫んでいた。もしかしたら、恐怖に駆られたのかも知れない。
 光のシャボン玉が、草薙姫を包み込む。
 直後、衝撃が来た。
 黄泉醜女たちの体当たりが3方向から、光の防護膜を直撃したのだ。草薙姫の周囲の空間が、波紋で揺らぐ。
 その波紋は、すぐに亀裂に変わった。
 3体の巨大種が、その絶大な体重を辺津鏡に押し付けて来る。
 光のシャボン玉にビキビキッと広がってゆく亀裂を見回しつつ、静葉は舌打ちをした。
 退魔障壁など張らず、上空へと跳躍して逃げれば良かったのだ。
 経験不足を露呈している、と静葉は思った。
 管制施設でこの戦いのデータを採っている大久保中佐ら国防軍の男たちは、もしかしたら嘲笑っているかも知れない。
 いや、上空への回避は今からでも間に合うのではないか。
 否、今になってそんな事をするくらいなら。
 辺津鏡が、ガラス細工のように砕け散った。シャボン玉の形を成していた白い光が、キラキラと美しく舞い散って消滅する。
 3体の黄泉醜女が、草薙姫を一気に押し潰しにかかる。
「退魔斬撃・蛇比礼!」
 押し潰される寸前の草薙姫が、静葉の気合いを受けてギュルッ! と機体を翻した。
 その周囲で乙式斬魔刀が、幾重にも光の螺旋を描き出す。
 3体の巨大種が、一瞬にして輪切りになった。
 崩れかけの達磨落としのようになった巨体が3つ、萎びて砕け、散る。
 粉末状の屍が大量にザァッ……と崩れ舞う中、草薙姫がくるりと斬魔刀を構え直す。
 いや、構え直そうとしたところへ攻撃が来た。黄泉醜女の歯舌。斬り払う、のは一瞬だけ間に合わなかった。
「くっ……!」
 斬魔刀が動かなくなった。長柄に3本、歯舌がびっしりと幾重にも巻き付いている。
 それを静葉は無理矢理、振りほどこうとした。
 単純な力比べで、人形のようなタイプ・カンナギが巨大種にかなうわけがない。それに気付いた時には、すでに遅かった。
 前後、左右、上空、斜め上方。草薙姫の周囲あらゆる空間が、黄泉醜女の歯舌で占められている。全方向から伸びて来たところだった。
 逃げ場はない。斬り払う事も出来ない。
 茨、のようにも見える有機的な凶器が、あらゆる角度から草薙姫を切り刻むべく、または刺し貫くために、あるいは絡み付き絞め潰さんと、高速で群がって来る。
 覚悟を決めている暇もない、と思われたその時。生きた糸鋸の群れで満たされた視界に、何かが割り込んで来た。
 1つではない。3つ、5つ。いや10以上。
 破壊の衝撃が機体の周囲で起こるのを、静葉は感じた。
 前後左右、上空。草薙姫の周囲で、10機以上もの円明元年式が、黄泉醜女の歯舌に刺し貫かれ、あるいは絡め取られ絞め潰され、メキメキと残骸に変わりつつある。
「…………!」
 その光景が、静葉の脳裏で、何かと重なった。
 逃げろ、静葉。そんな声を絞り出しながら、無数の歯舌に捕われ、切り裂かれ、ズタズタの屍に変わってゆく父の姿。
「ふっ……ふざっ……!」
 ふざけるんじゃないわよ、という怒声を、静葉は詰まらせてしまった。舌が、うまく回らない。
 1つ息をついてから、別の言葉を発した。
「……どういう事ですか、これ」
『全ての円明元年式はタイプ・カンナギを守るために存在している、と申し上げました』
 大久保中佐の無機質な声が、答える。
 切り裂かれ、捻り潰された円明元年式の残骸が、草薙姫の周りにバラバラと降った。
「ふざけるんじゃないわよ……」
 今度は、ちゃんと声を出す事が出来た。
 草薙姫が危険に陥ると、飛び込んで来て楯になる。そんなプログラムでも組み込まれているのだろう。
 有人か無人かは関係ない。頼んでもいないのに、自分の楯となって壊れていった。別に壊れなくても良いものがだ。
 あの時と同じ光景を、目の前で作り出された。
「ふざけるんじゃないッ……!」
 怒りが、そして消耗しかけていた気力が、燃え上がる。
 草薙姫の両手から、斬魔刀がもぎ取られた。否、静葉の方から手放した。大薙刀が、歯舌に絡まれたまま宙を舞う。
 その歯舌の発生源である巨大種に向かって、草薙姫が踏み込む。
「退魔砲撃……」
 黄泉醜女のおぞましい巨体が、激しく凹んだ。
 草薙姫の細身が、突き出した右拳を先端にして、刺さったようにめり込んでいる。
 操縦室を揺るがす衝撃を静葉は、
「……生玉(いくたま)ァッ!」
 気合いで、押し返した。
 草薙姫の右拳が、光を放つ。
 黄泉醜女の巨体が、凹んだ状態のまま膨張・爆散した。
 乙式斬魔刀が、ちぎれた歯舌をまとわりつかせたまま吹っ飛んで行く。
 静葉は草薙姫を跳躍させ、機体の右腕を伸ばした。そして斬魔刀の長柄を掴み捕える。
 と同時に、細身の機体が空中で翻る。紙垂が高速で舞い、切断兵器の巨大な刀身が1つ2つ、弧を描く。
 凶暴に群がって来ていた歯舌たちが全て、叩き斬られ舞い散った。
 バラバラと地面に降り注ぐそれらと共に、草薙姫が軽やかに着地する。
 着地したその足で、静葉は再び跳躍を行った。
 長大な生ける糸鋸たちが、草薙姫の足元をかすめて次々と地表に突き刺さり、アスファルトや瓦礫の破片を飛び散らせる。
 再び着地する草薙姫。
 それと同時に、何かが機体の背中にぶつかって来るのを、静葉は感じた。
「うっ……」
 ちらり、とだけ振り返る。背後の風景が、波紋の形に揺らいでいた。
 退魔障壁・辺津鏡と同質の、エネルギー防壁。そこに、草薙姫がぶつかったのだ。
 波紋状に歪んでいた風景はすぐに元に戻り、そびえ立つ白亜の高層建造物の威容が、防壁越しに明らかになる。
 神祇本庁庁舎。及び、大八嶋女学院をはじめとする周辺施設。
 黄泉醜女の群れに蹂躙・破壊される街の中にあって、その区域一帯だけが、広範囲の退魔障壁に囲まれ護られているのだ。
 草薙姫の辺津鏡と違って、はっきりとは目に見えない。ほとんど不可視と言っても良いくらい透明性は高く、じっと目を凝らせば辛うじて、光の膜のようなものが見えなくもない。
 そんなエネルギー障壁にもたれかかった体勢の草薙姫に向かって、巨大種が1体。突っ込んで来る。体当たりだ。
 無数の顔面を憎悪に歪め、瓦礫や粉塵を舞い上げつつ迫り来る、醜悪な肉塊。
 視界の中、急激に巨大化してゆくその姿をセンサー・アイ越しにじっと見据えながら、静葉は草薙姫を右方に跳躍させた。
 突進をかわされた黄泉醜女が、その瞬間。肉の飛沫をビチャアァッ! と大量に飛び散らせた。
 おぞましい巨体が潰れたように歪み、そこを中心として、風景が波紋の形に揺らぐ。
 体重をかけられただけで割れてしまう静葉の辺津鏡、とは比べ物にならない強度の退魔障壁に激突した黄泉醜女が、そのまま空気の足りぬボールのように重々しく無様に転がった。
 無数の顔面の半分以上が、潰れて肉汁を噴き上げつつも、グジュグジュと再生を開始する。
 そちらに向かって静葉は、
「退魔斬撃……八握剣!」
 切断兵器・乙式斬魔刀を一閃させた。巨大な刀身が、光の弧を宙に描き出す。
 その弧が、三日月の形のエネルギー刃と化し、発射される。
 再生途中の黄泉醜女の巨体が、一瞬の硬直を経て真っ二つになった。光を塗り広げられた断面で、臓物が灼け砕けてゆく。
 うっすらとした光の膜として辛うじて視認出来なくもない、エネルギーの壁。
 神祇本庁庁舎及びその関連施設のみをドーム状に包むそれ、の発生源たる人物が、通信機能越しに声をかけてきた。
『苦戦を……しているようね、静葉』
「美鶴先輩……!」
 今までの、あまり美しいとは言えない戦いぶりを、先輩に見られていた。
 そう知るだけで静葉は、頭の中が恥ずかしさで熱くなるのを止められなかった。
『ヒモロギ・システムの調整に……もう少しだけ、時間がかかるわ。本当に少しだけよ、静葉……持ちこたえて、くれるわね?』
「はい……大丈夫です、全然ッ!」
 頭の中で熱くなっていた恥ずかしさを静葉は無理矢理、戦う意志に変換した。
 前座である。露払い、である。
 それでも美鶴が、自分に戦いを任せてくれたのだ。消耗を感じてなど、いられない。
 自分は美鶴先輩の前座でいい、と静葉は思う。
 後に、四条美鶴が控えている。つまり、体力や気力の消耗など気にせずに戦うべきだという事だ。
 たとえ静葉が、草薙姫が、力尽きて倒れたとしても。残る黄泉醜女は全て、美鶴が片付けてくれる。
 円明元年式が1機、歯舌の幾本かに捕まっていた。
 その手足がねじ切られる、よりも早く静葉は草薙姫を駆けさせた。
 高速で踏み込んだ細身の機体を取り巻くように、耐熱繊維の紙垂が舞う。乙式斬魔刀の一閃。
 円明元年式を絞め潰す寸前だった歯舌が、全て切断され、無人の機体からほどけ落ちた。
「あと少し、頑張って!」
 己が助けられた事など認識出来るはずもない人工知能に声をかけつつ静葉は、消耗しかけていた気力を一気に振り絞った。
「美鶴先輩が、助けに来てくれるから…………ッッ!」
 左右の掌の下で、制御宝珠が輝きを増してゆく。己の気力が、機体内へと吸い取られてゆくのを静葉は感じた。
 一瞬、意識がフッ……と飛びそうになった。
 それに耐え、食いしばった歯の間から気合いを絞り出す。
退魔(たいま)覚醒(かくせい)……死反玉(まかるがえしのたま)……! うっぐッ!」
 操縦室が震動した。静葉が必死に繋ぎ止めている意識を、容赦なく断ち切ってしまいそうな震動だ。
 何かが降りて来た。静葉は、そう感じた。
 まるで落雷の如く降って来た何かが、草薙姫に入り込んだのだ。そして細い機体の隅々にまで、行き渡ってゆく。
 神の力、と古来呼ばれてきたもの。高天原より召喚された強大なエネルギー。
 それが今、草薙姫のみならず、気力の尽きかけた静葉をも支配しようとしている。
「助けてくれて、感謝します……八百万の神様たち……」
 一度、静葉は目を閉じた。きつく、目蓋で眼球を圧迫する。
 そして目を開き、叫んだ。
「……だけど……あたしを……乗っ取らせはしませんっ!」
 草薙姫が、地面を蹴った。
 低く斬魔刀を構え、高速で駆け出した細身の機体。
 そこに全方向から襲いかかった歯舌の群れが、次々とちぎれ飛ぶ。
 ヴゥゥンッ……と超高速で振動するものが今、草薙姫の背中から左右に広がっていた。
 おぞましく宙を泳ぐ軟体糸鋸の群れが、それに触れただけで砕け、飛び散り、萎び干涸びる。
 干涸びた肉片が舞う中を、草薙姫は一気に駆けた。疾駆が、超低空の飛翔に変わった。
 光が、草薙姫の背中から広がっている。
 辺津鏡や八握剣と同質のエネルギーで組成された、光の翅。
 それが4枚、人型戦闘機2、3体分の広さにわたって伸び、超高速で振動し、襲い来る歯舌の群れを打ち砕いているのだ。
 地面すれすれの高さを飛翔しながら草薙姫が、右手で斬魔刀を休ませ、左拳を脇腹の辺りまで引く。
 その左拳に、光が溜まってゆく。
「退魔、砲撃……」
 可視エネルギーを左手にまとったまま、草薙姫は光の翅を震わせ、
「……生玉(いくたま)……ぁあああああッ!」
 静葉の叫びに合わせ、黄泉醜女の1体に突っ込んで行った。
 光をまとう左拳が、まっすぐに突き出される。
 凄まじい震動が、操縦席を、そこに収まった少女の細身を、容赦なく襲った。
 口から飛び出してしまいそうな臓物を、静葉は必死に呑み込んだ。
 左ストレートパンチと一緒に叩き込まれた光が、黄泉醜女の巨体を粉砕しつつ膨れ上がり、そのまま巨大な白色の奔流となり、爆散した巨大種の肉片を灼き尽くしながら激しく駆ける。
 黄泉醜女がさらに3体、いや4、5体。暴走する白い輝きの中で砕け散り、消滅した。
 草薙姫の細い機体が、反動に打ち飛ばされて木の葉の如くクルクルと宙を舞う。
 そして地面に激突……いや、その寸前でフワリと体勢を立て直し着地。華奢な機体が、うずくまるように屈みながらガリガリと足元の地面を削る。瓦礫の破片が、舞い上がる。
 退魔覚醒(たいまかくせい)死反玉(まかるがえしのたま)
 それはヒモロギ・システムの出力制限を解除するための、音声キーワードだ。
 解除前よりも強大なエネルギーを、高天原より召喚する事が出来る。操縦者の精神を押し潰しかねないほど、強大なエネルギーをだ。
「……乗っ取らせは……しない……ッ!」
 口の中を噛み切りながら、静葉は呻いた。
 乗っ取らせてしまう、のが信仰としては正しいあり方なのかも知れない。神をその身に宿らせ、神の意思と力を地上にもたらす。それが巫女の、本来の役目なのだから。
 だが、静葉は思う。戦いとは人間が行うもの。神の力を武器として用いはしても、だ。
 黄泉醜女と戦い、人々を守る。男たちを、守ってやる。それは、静葉の意志だ。
 八百万の神々、ではなく自分が。あの弱々しく哀れな男という生き物たちを、守ってやらなければならないのだ。
「……お父さんの……バカっ……」
 呻く少女の唇が、血で汚れる。
 地表を深く抉って着地した草薙姫が、その屈んだ姿勢のまま、乙式斬魔刀を両腕で振りかぶる。右肩に、担ぐように。
「退魔……斬撃……!」
 可憐な唇を血で湿らせつつ静葉は、おぞましく群れる巨大種たちをセンサー・アイ越しにジッと見据えた。
 この黄泉の怪物たちは何故、現世に害をなすのか。何も思考せず本能的に破壊を行っているのか、あるいは何かしら目的があるのか。
 そんな事は、どうでも良かった。
 目的や理由が何であれ黄泉醜女たちは、これまで大勢の人間を殺してきた。
 静葉の父親を、殺した。
「……八握剣(やつかのつるぎ)
 屈んでいた細身の機体が、一気に伸びた。跳躍。
 宙に浮かび上がった草薙姫が、嫋やかな全身を竜巻の如く捻転させつつ斬魔刀を振るう。右から左へ、一閃。
 光の弧、は生じなかった。だが。
 無数の歯舌を暴れさせながら突進、しつつあった黄泉醜女の群れが、ぴたりと動きを止めている。まるで時が止まったかのようにだ。
 長大な紙垂をゆったりと渦状に舞わせながら、草薙姫が軽やかに着地する。
 静止した巨大種の群体にピッ、と横一直線の筋が走る。
 無数の黄泉醜女が写った写真を、真っ二つに切断したかの如く。
 少なくとも十数体。一目では数えられぬほどの黄泉醜女・巨大種が、上下に両断されていた。断面から光に灼かれ、焦げたように砕け崩れてゆく。
 それら粉末状の屍を蹴散らし、残った黄泉醜女たちが突進の動きを再開していた。まだまだ、数が減ったようには見えない。
 がくり、と草薙姫の片膝が地面を打つのを、静葉は止められなかった。
「……まだっ!」
 制御宝珠から滑り落ちそうになった手に、ぐっと力を込める。そして歯を食いしばる。
 操縦者に、ここまでの消耗を強いる。それが退魔覚醒・死反玉をそう軽々しく使う事の出来ない理由である、とされている。
 だが静葉は1度、大久保中佐に話を聞いた事がある。ヒモロギ・システムに出力制限が施されているのには、もう1つ理由があるという。
 この制限をみだりに解除すると、神々のエネルギーを大量に召喚出来る。のみならず、神そのものが本当に降りて来てしまいかねない。
 大久保中佐は、そう語っていた。
「神様、呼んじゃっても……帰ってもらうのに苦労しそう、だもんね……」
 飛びそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、静葉は苦笑した。
 みだりに解除してはならない出力制限を、大した理由もなく解除してしまった。
 だが今のところ、エネルギー以外のものが降りて来ている様子はない。静葉がこうして自我を保っている限り、神そのものを呼んでしまう心配はないだろう。
 その自我が、またしてもフッ……と飛びそうになった。
「まだよ、まだッ……やれるわよね、お姫ちゃん……」
『いいえ、そこまでよ静葉』
 声がした。と同時に巨大種が1匹、爆炎を発し、砕け散った。
 その直前、光が一筋。流星のように降って来たのが、静葉には辛うじて見えた。
「美鶴……先輩……」
 片膝を折った体勢から立ち上がれぬまま、草薙姫が見上げる。
 退魔障壁の内側。巨城のような神祇本庁庁舎の最上階近くに、その機体は浮揚していた。
 草薙姫と同じく華奢な、人形のようなシルエット。重力を全く感じさせず、空中に佇んでいる。
 その周囲に浮かぶ、奇妙な物体が5つ。
 金属の筒、と言うより砲身だ。線で繋げば五芒星となる形に5本、浮かんでいる。
 その五芒星の中心部で、草薙姫に似た細身の機体が、空中に立っているのだ。
『……待たせたわね。後は私に任せてもらうわ』
 言いながら、美鶴は微笑んだようだった。
『よく頑張ってくれたわね、静葉』
「先輩……」
 タイプ・カンナギは、おぞましいもの。美鶴は、そんな事を言っていた。
「そんな事、ないですよ……」
 5本の浮揚砲身を従えた、細身の機影。
 まるで草薙姫の姉妹のようなその優美な姿を見上げ、静葉は呟いた。
「先輩のお姫ちゃんだって……とっても、綺麗です。可愛いです……」
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