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戦姫クサナギ 作者:小湊拓也
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第2話 黄泉返り

 現世と黄泉国との境界線が、日増しに曖昧になってゆく。
 人間が黄泉に行くには死ぬしかないが、黄泉の住人たちは思うがままに2つの世界を往来し、狩りでもするように人間を殺戮するのだ。
 人を殺す化け物がいる。今やそれは都市伝説の類ではなく、国防軍まで動くほど現実的な災害なのである。
 宮杜静葉が物心ついた頃にはもう、世の中はそんな有り様だった。
 それ以前は黄泉醜女たちの暴れようも今ほど活発ではなく、人目につかぬよう始末する事が難しくはなかったと聞いている。
 人知れず黄泉醜女と戦い、狩る。それが一昔前の巫女の仕事だった。
 今の巫女は大っぴらに、堂々と、黄泉醜女を殲滅する。もはや一般の人々には隠しておけぬほど、黄泉醜女たちの凶行は大規模なものとなっているのだ。
 そんな状態を何とかするのが巫女の仕事であり、使命である。
 黄泉の怪物どもから人々を守るためにいるのが巫女。そう、守らなければならない。
 女・子供を、そして弱く哀れな男たちを、守らなければならない。守ってやらなければ……それだけを静葉は、頭の中で繰り返し続けていた。
 そんな機械のような思考が時々ふっと消えそうになる。これで何往復目のダッシュなのかも、わからなくなっていた。
 白い体操着が、汗で重くなっている。
 愛らしく膨らんだブルマが走行に合わせて小刻みに震え、すらりと引き締まった両脚が激しく躍動しつつ石段を踏み続ける。
 こうして走っていてもほとんど揺れない胸の奥で、心臓が、肺が、引きちぎれてしまいそうなほど暴れていた。
 境内、いや校内と言うべきか。
 神祇本庁直下の神職養成機関・大八嶋女学院の敷地内。雑木林に囲まれた、石の階段である。
 全速力で駆け上り駆け下りる。それを体力が続く限り、繰り返す。入学した時から、静葉が続けている事である。
 祓詞(はらえことば)は、ただ叫ぶだけでは神々は聞いてくれない。命を、魂を削るほどの気合いが、叫ぶ言葉に込められているかどうかだ。込められていなければ、神々には届かない。
 気合いとは要するに精神力。そして精神を鍛える最も手っ取り早い方法は、肉体を鍛える事である。静葉は、そう思っていた。それに黄泉醜女との戦いには、体力も必要となる。
 守らなければならない。その思いだけが、静葉の頭蓋骨の内部で回り続けていた。女を、子供を、老人を。そして男を。
 1つの光景が、頭の中に、心の内に、蘇って来る。
 男が、1人。静葉に背を向けながら、宙に浮いていた。
 その全身に、無数の何かが突き刺さっている。ピラニアの牙のような棘を生やした、触手状の歯舌の群れ。
 男が、顔だけを静葉に向けた。
 逃げろ、静葉。
 そんな弱々しい声と共に、男の口から血が溢れ出す。
(お父さんの、馬鹿……)
 心の中で、呟きが漏れた。
 不意に、上下の感覚がなくなった。足が、石段ではなく空気を踏んでいた。
 踏み外したのだ、と理解する前に、静葉は受け身の姿勢を取っていた。とにかく、頭だけは打たぬように……
 が、転倒の衝撃はなかった。代わりに、ふんわりとした感触が全身を包み込んでいる。
 誰かに、抱き止められたようだ。
「……んぱい、せんぱいっ、宮杜先輩!」
 必死な声が聞こえる。白くなりかけていた視界が、回復した。
 心配そうな表情が3つ、静葉の顔を覗き込んでいる。
 巫女装束をまとった3人の少女。同じ大八嶋女学院中等部の、女子生徒たちである。
 2人で静葉の身体を抱き支えているのが、2年生の井沢恵と大隅夕子。残る1人が1年生の神谷春菜。3人とも木陰にでも隠れて、静葉に声をかける機会を窺っていたに違いない。
 まずは、夕子が声をかけてくる。
「大丈夫ですか?」
「ありがと……」
 静葉の喉から苦しげな息が漏れる。それでも、どうにか声にはなった。
「びっくりしましたよぉ……まさか、宮杜先輩が倒れちゃうなんて」
 恵のそんな言葉と共に、静葉の顔にタオルが当てられる。倒れた、と言うより足がもつれて転んだだけなのだが、それでも彼女たちにとっては一大事なのだろう。
 この3人は、頼んでもいないのに静葉に付きまとっては、いろいろ世話を焼いてくれるのだ。
「あの、これを……」
 消え入りそうな声を出しながら、春菜がストロー付きの水筒を差し出して来た。
 恵に顔を拭かれるまま、静葉は受け取った。
「……ありがとう」
 微笑みかけると、春菜は赤くなって俯いた。
 美鶴先輩に声をかけられた時の自分も、こんなふうなのかも知れない。ふと、静葉はそう思った。
 4人で、石段に座り込む格好になっていた。
 夕子と恵に挟まれながら、ストローを口に含む静葉。よく冷えたスポーツ飲料が、ちゅるっ、と舌の上に流れ込んで来る。
 雀が鳴いている事に、静葉は気付いた。空も、すっかり明るい。走り始めた頃は、まだ暗かったのだが。
 良い天気である。3人の後輩に囲まれたまま、静葉は空を見上げた。
 清々しい朝の晴天を、地上から断ち切るように、巨大なものが雑木林の向こうでそびえ立っている。
 白亜の巨大建造物……神祇本庁庁舎。その威容は、ビルと言うよりは城塞だ。
 この大八嶋女学院をはじめ神道・国防関係の重要施設が、その敷地内に集中している。
 水筒の中身を啜りながら、静葉はぼんやり見上げた。
 自分がこうして無様に転倒してしまったところを、庁舎に勤める偉い人々に監視されているような気がした。
 自分だけではない。この学院で学ぶ少女たちの何もかもを見下ろすように、白亜の庁舎は屹立している。
 ぽつり、と春菜が言った。
「宮杜先輩……無理、し過ぎてると思います」
 大きな瞳が、じっと静葉に向けられる。純粋な真剣さが、まっすぐに向けられて来る。静葉は少したじろいだ。
「そんな事ない、つもりなんだけど……どうしても、ね。追い付きたい人がいるから」
 言いつつ、静葉はスポーツ飲料を喉に流し込んだ。
「追い付いて、追い越したいの。何年かかるか、わかんないけど」
「……高等部の、四条美鶴先輩。ですか?」
「まぁね」
 夕子の言葉に、静葉はそう答えつつ苦笑した。
 自分があの先輩を強く意識している。それを、この3人は明らかに、快く思っていない。
「あたし……あの人、嫌いです」
 春菜が言った。反射的に、静葉は手を伸ばしていた。
「駄目よ、うかつにそういう事言っちゃ」
 春菜の口を左手で軽く押さえながら、静葉は右の人差し指を唇の前で立てた。
 この3人が、静葉につきまとう。それと同じように四条美鶴にも、少し普通ではない取り巻きが何人もいるのだ。
 美鶴の悪口を言った女子生徒がひどい目に遭わされた、という噂を静葉が耳にしたのも、一度や二度ではない。
「高等部の人たちって恐いんだから……ね?」
「は、はい……」
 真っ赤になって春菜が俯き、それきり何も言わなくなった。代わりのように、恵が言う。
「でっでも、やっぱり四条先輩より宮杜先輩の方が、ずっと素敵だと思います」
「宮杜先輩の方が、かっこいいです絶対っ」
 力強く、夕子が合わせる。
「だから、大声でそういう事言わないの」
 たしなめつつも静葉は、別の事を考えていた。
 四条美鶴に追い付き、追い越す。そのために身体を鍛えているのは事実である。
 だが先程、頭の中に蘇ってきた、あの光景。黄泉醜女に惨殺される、1人の男の姿。
 脳裏にこびりついてしまったものを、どうにか忘れるために、ひたすら己の肉体を虐めている。それも、確かだった。
 逃げろ、静葉。
 あの時の父親の言葉が、今でも耳の奥から消えてくれない。
(お父さんの、馬鹿……)
 静葉は、唇を噛んでいた。
 本当に、男というのは非力な生き物なのだ。神々から力を借りる事が出来ない。黄泉醜女と戦う事も出来ない。そのくせ意地を張って、無駄に命を落としてしまう。
 そんな弱くて哀れで愚かな男たちを、女は守ってやらなければならないのだ。
 夕子が、声をかけてきた。
「どうしたんですか? 先輩」
「……あんまり美鶴先輩の事、嫌わないであげて欲しいなぁって。思ってたのよ」
 言いつつ静葉は、ゆっくりと立ち上がった。疲労はあるが、足が動かないほどではない。
 それよりも。下の方から、足音が近付いて来ていた。
 巫女装束に身を包んだ、女子生徒が5人。石段を上って来る。
 5人とも、高等部の生徒だった。静葉も顔だけは知っている。いつも親衛隊気取りで、四条美鶴の周りにいる少女たちだ。
 恵、夕子、春菜が揃って立ち上がり、身を寄せ合う。3人を庇う格好で、静葉は立った。
 そんな中等部の少女たちを、5人の上級生が取り囲む。
「頑張ってるじゃん? 相変わらず」
 そして、刺々しい声をかけてくる。
「昨日も、いい仕事したって話じゃない」
「そんな事ないですよ。美鶴先輩に、助けてもらっちゃって」
 静葉は微笑んだ。嫌味な口調にならぬよう、気をつけたつもりだ。
 5人とも、黄泉醜女相手の実戦に出る事はまだ許されていない。中等部の生徒でありながら現場で活躍する宮杜静葉を、快く思っていないのは当然だった。
「ふん……ま、そりゃそうよね」
 先輩の1人が、ニヤリと悪意のある笑みを浮かべた。
「アンタなんか美鶴さんのお荷物でしかないって事、わかってりゃいいんだけど……本当にわかってんのかどうか、ちょいと気になっちゃうのよねェ」
「本当はいい気になってんじゃないの? 下級生の女の子、取り巻きにしちゃってさあ」
 1人が回り込むようにして、恵と夕子と春菜を睨め付ける。
 身を寄せ合って怯える後輩3人を守るように静葉は、その上級生に眼差しを返した。
「あたしはいいです。けど他の子にまで変な因縁つけるの……やめて、もらえませんか」
「ほら……やっぱイイ気になってるよコイツはあああっ!」
 悪意の笑みが、はっきりと憎しみの形相に変わった。
 伸びて来た先輩の手が、静葉の胸倉を掴む。体操着を乱暴に引っ張られるまま、静葉は上級生たちの出方を待った。2、3発殴る程度で気が済んでくれるなら……
 という気分だったがその時、春菜が割って入って来た。
「や、やめて下さい……」
「ああ!? 庇ってんじゃねえよウゼエ!」
 静葉の胸倉を掴んだ先輩が、もう片方の手で、春菜の髪を掴んだ。引きちぎらんばかりに、思いきり。春菜が泣きそうな声を漏らす。
 何か考える前に、静葉は手を出していた。無意識のうちに右手が握り拳になっている。
 くちゃっ、と殴打の手応えがあった。
 先輩が、静葉の胸倉と春菜の髪から手を離し、座り込んで変な泣き声を出し始める。ぽたぽたと鼻血を滴らせ、巫女装束を汚しながらだ。
「あっ……と、ごめんなさい……」
 慌てて、静葉は謝っていた。無論、謝っただけでこの先輩らが許してくれるはずがない。
 鼻血を流して泣きじゃくる少女を、他4人が顔色を変えて気遣っている。
 うち1人が、こちらを向いた。
「このガキ……」
 そこそこは綺麗な顔が、正視し難いほど憎しみで歪み、静葉を睨み付けている。
 そんな形相のまま、先輩は両手を掲げた。そして呻くように祓詞を唱える。
「掛けまくも畏き天津神々……」
 掲げられた両掌の間をバチッ! と電光が走り、憎悪の形相を陰惨に照らす。
「……ブッ殺してやるよガキ!」
 先輩の両手の間の空間で、放電の輝きが激しく膨張してゆく。
 ぐれているように見えても、ここ大八嶋女学院で巫女としての教育を受けてきた少女たちだ。この程度の事は出来る。
「諸々の禍事穢れ、祓い給え!」
「清め給え……っと」
 先輩の祓詞を補足するかのように呟きながら静葉は、パチッ、と右手の指を鳴らした。
 中等部の少女4人に向かって迸る寸前だった電撃光が、まるで爆発したかのように弾けて消えた。
 祓詞を悲鳴に変えて、先輩がよろめく。石段から落ちそうになったところを他3人の少女が慌てて支えるが、支えられながらも先輩は頭を抱えて悲鳴を発し続けた。
 火傷などはしていない、はずである。髪の2、3本は焦げたかも知れないが。
 泣きわめく2人、息を呑んで固まっている3人。計5人の上級生に静葉は、
「正直……ちょっと、おかしいですよ? 先輩たち」
 溜め息まじりの声をかけた。
「中等部の子に変な因縁つけたり、今のだって下手すれば怪我じゃ済まないとこですよ? ねえ……そんなんでいいんですか、巫女って」
 言いつつ、ちらりと見上げる。偉そうにそびえ立つ、神祇本庁庁舎をだ。
 あそこに勤めている人々は、神職養成機関たるこの学院のこういう現状を、どう思っているのだろう。
 冷ややかな声と静かな足音が、上の方から聞こえて来た。
「悪いわね静葉。そのくらいで、許してあげて貰えないかしら?」
 静葉は振り向いた。
 優美な巫女装束姿が、石段を下りて来るところだった。
「美鶴先輩……お、おはようございます!」
 幾分、慌てた挨拶になってしまった。
 恵、夕子、春菜が、そんな静葉よりもさらにあたふたとした口調で言う。
「おっ、おは」
「おはよ、ございますっ」
「……おはよう、ございます」
 美鶴は優しく、だがどこか冷たく、おはよう、と一言だけ彼女たちに返した。
 そうしてから、高等部の少女5人を眼鏡越しにじっと見据える。
 その容赦ない眼光に圧されて、1人が覚束無い口調で何か言おうとした。
「み、美鶴さん……あの……」
「言い訳は無様な事……それは、わかるわね?」
 一言で、美鶴は黙らせた。5人の少女が、俯いてしまう。
 少し、静葉は反省した。鼻血が出るほど殴ったのは、いくら何でもやり過ぎだ。
 やがて、美鶴が溜め息をついた。
「もういいわ……松永さんを、保健室に連れて行ってあげなさい」
「は、はい」
 鼻血を出した、どうやら松永というらしい1人を、他4人が運ぶように連れて行く。
 石段を上って遠ざかる5名をちらりと見送った後、美鶴は中等部の少女たちに笑顔を向けた。
「高等部の生徒全てがあんなふう、というわけではないのよ?」
 春菜も恵も夕子も、何も応えられずに固まっている。
 3人とも、この美しい先輩を嫌っている、以上に恐れているのは明らかだった。
 ただ、夕子だけは何か言いたそうな顔をしている。まだ、言えずにいる。
 そんな後輩3人の代わりに、というわけではないが静葉は言った。
「美鶴先輩にも言わせていただきます……高等部の人たち、最近ほんとにおかしいです。最近て言うか去年あたりから、かな? あたしが1年の頃は、そうでもなかったのに」
「そう……去年、ね」
 美鶴の微笑が、ふっと翳りのようなものを帯びる。静葉は、さらに言った。
「去年……何か、あったんですか?」
 本当に何かあったとしか思えないほど高等部の生徒たちは今、鬱屈している。
 今のように下級生相手に憂さを晴らそうとする、などというのは日常茶飯事で、中には万引きや売春といった問題を起こす少女もいるらしい。
 去年、つまり円明3年。何かあったのかと言えば、確かにあった。
 ここ大八嶋学院が、大八嶋女学院になったのである。学院最後の男子生徒2名が、正式に退学処分を受けたのだ。
 男は、いくら学んでも修行しても、神々の力を引き出して物理的現象に変える技能を身に付ける事が出来ない。
 共学の神職養成機関として設立された大八嶋学院ではあるが、年を経るにつれ生徒の男女比は5・5から6・4、8・2と女子側に傾いていった。
 巫女としての技量を上げてゆく女子生徒たちに、ついて行けなくなった男子生徒たちが、次々と落ちこぼれて学院を辞めたり辞めさせられたりしていく中。お情けでどうにか高等部1年目まで残っていた最後の男子2名が、ついに見限られて退学処分を受けたのが去年なのである。
 当時、中等部2年生だった静葉は、その2人とは面識がない。名も知らない。男がこの学院で修行を続けるのはやはり無理があったのだろう、と思うだけだ。
 神の力を扱う仕事は、女に任せておけば良いのである。男には、その適性が根本から欠けているのだから。
 その分、女が、巫女が、気合いを入れて黄泉のものどもと戦い、男たちを守ってやる。それで良いのだ。
 だから巫女とは、強く、気高くあらねばならない。
 なのに先程の上級生たちの有り様はどうか。高等部の巫女たちは何故、今こんなにも鬱屈しているのか。
「確かに、あの子たちにも問題はあるわね……でも静葉。だからと言ってすぐに手を出すのは、良くないと思うわよ?」
「そ、それは……そうですけど」
 静葉は口籠るしかなかった。
 美鶴の暗い笑顔が幾分、明るく優しいものになる。
「まあ貴女の手が出る理由というのは、ほとんどの場合、正当なものだけど……暴力は基本的に、男が振るうもの。ほどほどに、ね?」
「あの……女は平和的、男は暴力的な生き物だって、今まで教わってきましたけど……本当に、そうなんですか?」
 言ったのは、さっきから何か言いたそうな様子を見せていた夕子だった。日頃、心の内に溜めていた事なのだろう。
「さっきの先輩たちなんかよりずっと親切な男の人、いっぱいいます。あたし、この学校の教え方何か間違ってると」
「そこまで」
 短く鋭く言い放ちながら美鶴が、己の唇の前で人差し指を立てた。
「あまり、そういう事を言っては駄目。うっかり大斎(おおいつき)様の御耳にでも入ったら……貴女の御両親まで、嫌な思いをする事になるわよ?」
 大斎とは、巫女の最高位。
 今の日本においては、神祇本庁に勤める女性神官のうち、最古参の8名を指す。
 黄泉醜女による破壊が深刻さを増してゆくにつれて、この生き物たちと戦う力を有する唯一の存在・巫女の重要性そして社会的地位も高まっていった。
 そんな巫女たちを統轄する神祇本庁は現在、全省庁の中でも最高の権力を持っていると言って過言ではない。
 現在の神祇本庁長官は男性だが、それが表向きのものである事は、物心ついた日本国民であれば誰もが知っている。
 同庁を実質的に動かしているのは、大斎と呼ばれる8名の女性神官であり、それはつまり日本という国そのものを彼女たちが動かしているという事だ。
 今、美鶴や静葉たちを傲然と見下ろして屹立している、城郭の如き白亜の庁舎。
 その最上階から日本を支配する、8人の老女。それが大斎である。
 人々が、あるべき姿に戻ったのです。事あるごとに大斎たちは、そんな演説のような事を各メディアで語っている。古の時代、神々との交流は女性の役目でした。巫女とは、神の代行者として人々を導く存在だったのです。と。
 一昔前。昭和や平成の頃は、そうではなかった。
 神主や宮司といった神職の高位は男性で占められ、巫女の地位は使い走りのようなところにまで下落してしまっていた。神祇本庁の高官たちはほぼ全員が男性で、大斎などと呼ばれる存在もなかった。
 力ある巫女たちは、陰にいた。
 男たちが幅を利かせる世の中の陰で、神々の力を用いる技量を密やかに磨き、現在ほど勢いが活発ではなかった黄泉のものどもと、目立たぬよう戦い続けていた。
 平成から幾度か年号が変わった後の恒安、いやその少し前から黄泉醜女による破壊が活発化し、巫女たちも世の中の表に出るようになった。
 そして今。巫女たちが人々を守り導く、あるべき状態に世の中が戻ったのだと、大斎たちは得意げに語っているのである。
 巫女が、いえ女性が、人々を導く時代が戻って来たのです。これは決して、男性の方々を貶めて言う事ではありません。人類そのものの今日までの発展は、男性の力なくしては有り得なかったでしょう。これまでの歴史において男性たちは、ただ1つを除いて、本当に素晴らしいものを築き上げてきてくれました。
 ただ1つの、素晴らしくないもの。それは戦争。
 男性の手で成し得なかった、ただ1つのもの。それは平和。これだけは、私たち女が築き上げ守り抜いてゆかねばなりません。長い間、人類のために戦い続けてこられた男性の方々には今、休息の時が訪れたのです……。
 要するに、男は戦闘的暴力的、女は平和的な生き物であると、大斎たちは言っている。
 それが嘘っぱちであるとまでは言わずとも、少なくとも自分にあてはまる事ではない、と静葉は思う。
 自分は、黄泉醜女を皆殺しにしたくて仕方がないのだ。
 あの生き物たちに対して平和的に振る舞うなど、自分には不可能だ。
 爆音が聞こえた。遠くから、と言うより上空から。
 静葉は見上げた。
 人間、に似た形の飛行物体が3つ。編隊を組んで空中を横切って行くところだった。
 人型戦闘機・円明元年式。
 無人制御システムを改良したタイプが近々、実戦投入される予定だという。その試験中、なのかも知れない。
(いくら改良したって、人工知能じゃね……)
 試行錯誤で苦しんでいる国防軍の技術者たちには申し訳ないにしても、やはり静葉はそう思ってしまう。
 男と同じで神々の助力を引き出す事が出来ない人工知能では、いくら手を加えようと、黄泉醜女・巨大種に対する効果は望めない。
「嫌なものが飛び回る時代になったわね……」
 高速で遠ざかる3機編隊を眼鏡越しに冷たく見送りながら、美鶴が言う。
 静葉は、少しだけ反論したくなった。
「え~、そうですか? あたしはカッコいいと思うけどなぁ人型戦闘機。そりゃ円明元年式は弱っちくてアレですけど、先輩とあたしの」
「タイプ・カンナギは、おぞましいものよ」
 言った美鶴の横顔を見て、静葉は思わず息を呑んだ。
 先程の上級生たちと同じ、陰惨な顔。一瞬、そう見えた。
「いずれ貴女にもわかるわ静葉。あの2機がどれほど……醜く、正視し難いものであるか」
 ふと根拠のない思いが1つ、静葉の心に浮かんだ。
 2名の、最後の男子生徒。退学になっていなければ、彼らは美鶴と同学年である。もしかしたら面識くらいはあるかも知れない。
 それを訊いてみようとして、静葉は口籠った。
 すでに何もない空を睨む四条美鶴の横顔は、一切の問いかけを拒絶していた。


 レベル「戊」の避難勧告が先程、解除された。「戊」だからと高をくくって最初から避難しなかった者も、多かっただろう。
 駅ビルの裏で、黄泉醜女・小型種が10匹ほど群れていただけだった。
 美鶴に助けに来られる前に、どうにか静葉1人で片付ける事が出来た。
「あー、疲れた……ってほどのもんじゃなかったけど」
 深夜の、駅構内商店街。さすがにどの店もシャッターが閉まっているが、自動販売機くらいはありそうなものだ。大した仕事ではなかったとは言え少々、喉が渇いている。
 歩きながら静葉は見回した。自販機、ではないものが視界に入った。
 こちらに歩み寄って来る、5人の男。
 風体の良くない、少年あるいは若者。学校に行かず職にも就かずにブラブラしている輩であろう。
 それが5人。明らかに静葉を目指して、と言うより狙って群がって来る。無視し、速度も落とさず歩く静葉に、執拗な早足で追いすがって来る。ニヤニヤと、品の悪い薄笑いを浮かべながらだ。
「最近の巫女さんってさあ、ほんと夜遊びする子が多くなったよなー」
「あれっ、でも今日はけっこうマジメそうな子じゃん?」
「それに今までで1番カワイイぜー。たまんねえ」
 口々に、そんな事を言っている。
 鬱屈し、夜出歩いては問題を起こしまくっている高等部の巫女たちと、どうやら同じように見られているらしい。
(冗談じゃない……こっちは仕事帰りだってのにっ)
 頭に血が昇っても手は出すまい。それだけを念じて、静葉はスタスタと足を速めた。巫女装束の袖が、袴が、はためくほどの速度になった。
「おっ、おい! ちょっと待てって」
 男たちが慌てて、半ば苛立って、追って来た。
「まいったな、いわゆるツンデレってやつか?」
「どうせ男漁りに来たんだろうがよぉ。わかるわかる、大八嶋って厳しーみてぇだしな」
「俺たちが癒してやるからよぉ」
 絶対に手は出さない。それだけを思いながら静葉は歩き続けた。
「……いい加減、何か言えよ。俺らが優しいうちにさあ」
 1人が、手を伸ばして来た。その手が静葉の腕あるいは肩に触れる寸前。
 男5人による包囲の中。巫女装束をまとう少女の細身が、軽やかに翻った。
 豊かなポニーテールが、男たちに目くらましを食らわせるかの如くフワッと弧を描く。
 同時に、袴が舞い上がる。朱色の布地に一瞬、引き締まった瑞々しい脚線が浮かんだ。
 2人、男がのけぞり、膝と尻餅をつき、倒れて白目を剥き、動かなくなった。脳が、いい感じに揺れたはずである。
 顎を2つ、連続で蹴り抜いた感触。静葉の右足首に、したたかに残っている。
「ごめん……足が、出ちゃった」
 ゆったりと右足を着地させつつ、静葉はとりあえず謝ってみたが、それで収まるはずがなかった。
 唖然としていた残り3名の男たちが、いよいよ凶暴性を剥き出しにしている。
「……そうかい。優しいのは好みじゃねえってんだな」
 パチッ、と電気の弾ける音がした。1人が、スタンガンを手にしたところだった。
「じゃ思いっきり鬼畜路線でよォ……」
「やめとけって」
 声と共に、新たな気配が生じた。
 静葉に向かってスタンガンを突き出そうとした男が、悲鳴を上げた。
 その右腕が、今にも折れてしまいそうな方向にギリッ……と捻り上げられている。
 捻り上げているのは、静葉よりも1つ2つ年上かと思われる、1人の少年だった。
 露出した前腕の、まるで鋼線の束のような筋肉の締まり具合が、まず静葉の目に入った。
 迷彩柄のベストにパンツ、それに黒のTシャツ。そんな服装の上からでも、無駄なく鍛え込まれた体格は見て取れる。脂肪を一片一片、丹念に刃物で削ぎ落としたかのような、細く強靭な身体だ。
 捻られている男の右手から、スタンガンが落ちた。
 それをグシャリと踏み潰しながら、迷彩服の少年が嘲笑う。
「ったく……てめえらバカか? 本物の巫女さんに、スタンガンの電気なんざぁ効くわけねえだろ。年がら年中、本物の電撃ってやつを扱ってらっしゃるんだからよ」
 そんな事を言いつつニヤリと歪む顔立ちには幾分、幼さが残っている。
 が、その目の鋭さは尋常ではない。鋭く、そしてどこか暗い眼光。
 最低限、鬱陶しくない程度に手入れされた黒髪には、やはり迷彩色のバンダナが鉢巻きのように巻かれている。
「何だてめえ……」
 残る2人の男もそれぞれ、得物を握っていた。1人は伸縮式の特殊警棒、もう1人は大型のナイフ。
 その2つの凶器が動きを見せる前に、迷彩服の少年は、捻り上げた男の右腕を解放してやった。そうしながら、突き飛ばした。
 右腕を押さえ泣き声を漏らしながら男が、警棒を構えた仲間の方へとよろめいて行く。そして、ぶつかった。
「わ……バカ何やってんだ!」
「いっ痛え、痛えんだよぉ……」
 男2人がそんな悲鳴を漏らしつつ、もつれ合ってよろけている。
 その間、残る1人に向かって、迷彩服の少年の身体がユラリと踏み込んだ。
「てめ……」
 男が、ナイフを動かそうとする。だが動かなかった。腕、だけでなく全身が、凍り付いたように硬直していた。
 硬直した身体の、喉の辺りに、光る何かが突き付けられている。
 小さな、ナイフ。迷彩服の少年の右手から、手品か何かのように現れていた。
 男が持っているものより小振りだが、頸動脈くらいは容易く切れるだろう。
「道具は無しにしようぜ? 手加減、出来なくなっちまうからよ」
 ナイフを突き付けたまま少年が、白く鋭い歯を剥き出しにして笑う。そして命ずる。
「……捨てな」
「…………!」
 大型のナイフをぽろりと足下に落としつつ、男が細い声を吐く。
 それは悲鳴ですらなかった。恐怖のあまり声帯が麻痺してしまった様子だ。
「それでいい……さて、それじゃ」
 少年の右手で、ナイフがくるりと回転する。
 パチッ、と刃を畳む音がした時には、彼はもう素手になっていた。ナイフはどこかに消えている。
 本当に、手品のような鮮やかさだ。よほど練習をしたのだろうと静葉は思った。
「……男らしく、素手でやり合おうじゃねえか」
 ポキポキッと拳を鳴らしながら迷彩服の少年が、男たちに微笑みかける。
 足下のナイフを拾う暇も与えられず、男が後退りをした。泣きそうな顔をしている。
 特殊警棒を持った男は、固まっていた。黄泉醜女に殺される寸前、のような表情をしながらだ。
 その近くでは、腕を捻られた1人が、右肘の辺りを押さえて泣きじゃくっている。
 静葉の蹴りを食らった2人は、まだ意識を失ったままだ。
「そこまで」
 もはや勝負にも喧嘩にもならない、と思いながら静葉は声を発した。
「……に、しといてあげない? 助けてくれたのは嬉しいけど」
「別に、おめえさんを助けたワケじゃねえさ」
 男の胸倉を左手だけで掴み寄せながら、少年は応えた。
「俺ぁ今、誰かをぶちのめしたくてしょうがねえんだよ」
 物のように掴み寄せられた男が、泣き出した。
「やめなさい」
 少し、静葉は口調を強めた。
 放り捨てるように男を解放し、少年がこちらを見る。
 鋭く暗い眼光を、静葉はまっすぐ見つめ返した。
 興味深げに、少年が笑う。
「……自分はあんなステキな右ハイ決めといて、俺にゃ何にもするなと」
「ぐっ……そ、それは」
 静葉が言葉に詰まるしかなくなった、その時。
 甲高い音が、聞こえて来た。遠くからだ。容赦なく神経に障る、機械音。
 気絶していた男2人が、弾かれたように覚醒し跳ね起きた。
 固まったり泣いたりしている3人が、しゃくり上げながら不安そうに周囲を見回している。
 落ち着いているのは、迷彩服の少年1人だ。
「警報……だよな? これって」
「……レベル『甲』のね。早く逃げなさい」
 言いつつ静葉は、くるりと彼らに背を向けた。『甲』である。このような連中と話をしている場合ではない。
 このような連中でも、守ってやらなければならない。
 迷彩服の少年が、背後から声をかけてきた。
「ヒモ・システムの調子はどうだい」
「…………!」
 走り出そうとした静葉の動きが、止まった。
 相手をしている場合ではない。が、応えずにはいられなかった。
「……嫌な略し方、しないでよね」
 守秘義務は無論ある。それを静葉は守っているつもりであったし美鶴もそうだろう。
 静葉の知る限り、ヒモロギ・システムの関係者にこのような少年はいない。
 自分の知らない関係者、だとしたら何故このような所にいるのか。
 静葉は頭を振り、駆け出した。今は、そんな事を考える時ではない。
「他力本願。だからヒモ・システムさ……ま、頑張れよー」
 迷彩服の少年の、声だけが追いかけて来た。


 男女問わず、ほとんどが偽物だった。
 いや。男は偽物にすらなり得ぬまま、次々と学院から去っていった。
 たった今、警報に反応して駆け去って行ったポニーテールの少女。彼女は、本物だ。
「本物だよ哲弘……本物の巫女さんだぜオイ哲弘よぉ……」
 忍び笑いで声を震わせつつ冬樹は、この場にいない友に語りかけた。
 後ろで泣いたり怯えたりしている5人の男など、もうどうでも良かった。こんな連中を虐めるよりも、もっと面白い事になりそうだ。
 冬樹は歩き出した。
 少女の姿は、とうの昔に見えなくなっている。足の速い少女だった。日頃、よほど身体を鍛えているのだろう。
 冬樹も哲弘も、生半可ではない鍛え方で己の身体を虐め抜いたものだった。大八嶋学院でも、国防軍でも。
 あれから、そろそろ1年が経つ。
 1年で、世の中がそうそう変わるはずもなかった。
 相変わらず女たちが、と言うよりも8人の大斎が、偉そうにしている。
 別に、それでも冬樹は構わなかった。世の中が変わろうが変わるまいが、男が偉かろうが女が偉かろうが、そんな事はどうでも良かった。
 どうでも良くない事は、1つだけだ。
「哲弘……」
 ここにいない友の名を、冬樹はもう1度、呟いた。
「無理だよ、哲弘……」
 誰も憎むなよ。彼は、そう言っていた。
「そんなの、無理に決まってんだろ……」
『無理でしょうね。貴方がた人間が、憎しみの心を捨て去るなど』
「あんたか……こんなとこにまで出て来やがって」
黄泉大神(よもつおおかみ)は、貴方のその心をたいそう愛でておられるのよ。だから、どうか捨てないで……その、憎しみの心を』
「ふん。そいつが心配で、俺を見張ってやがるのかい」
『黄泉大神は、気付いておられない。けれど私にはわかる。貴方の中には、ほんの僅かだけど憎しみではないものが確かにあるわ。それが憎しみの心を覆してしまう、かも知れない……私は、それが恐いの』
「勝手に恐がってろ……ああ俺も1つ、勝手を言わせてもらおうか。あんたはともかく、あいつらに俺を見張らせるのは、出来ればやめてもらいてえな」
『許してあげて。彼女たちはただ、黄泉大神に忠実なだけ……だから、貴方が気に入らないのかもね。黄泉大神のお気に入りである、貴方が』
「勘弁だぜ、まったく……あれの準備は、まだ出来ねえのかい」
『もう少しよ。準備が整うまで……くれぐれも、その憎しみの心を無くさないでね。貴方のその憎悪の念でしか、あれを動かす事は出来ないのだから』
「そんな心配は要らねえさ。憎しみってやつが、そう簡単に無くなるようなら……苦労はねえよ。おっと」
 誰かに、ぶつかりそうになった。危うく、冬樹が身をかわす。
 ぶつかりそうになった中年の男が、よろけつつ謝罪もせずに走り去って行く。悲鳴、のような声を発しながらだ。
 いつの間にか、大通りに出ていた。
 この時間にしては人通りが多い。多過ぎる。
 しかも皆、走っていた。と言うより逃げている。
 レベル『甲』の警報は相変わらずやかましく鳴り響いているが、悲鳴から成る喧噪によって、ほとんど掻き消されていた。
 所々に国防軍の兵士が立って、大声を張り上げている。避難誘導、のつもりなのだろう。
 激しい人の流れに逆らって歩きつつ、冬樹は顔を上げた。
 ビルとビルの間に、何かが見えた。
 まだ随分と遠くにいるようだが、その醜悪なシルエットは、夜闇の中でも見て取れる。
「ふん。俺が気に入らねえから、出し抜こうってわけかい……ま、勝手にやりな」
 呟く冬樹の頭上を、爆音が駆け抜けて行く。
 円明元年式の編隊。低空を飛んでいる。
「やめとけよ……税金の無駄遣いにしか、ならねえぞ?」
 見上げ見送りつつ、冬樹は苦笑した。
 その時。視界の隅で、妙な動きが起こった。自分と同じく、人の流れに逆らって動いている者たちがいる。
 1軒のコンビニエンスストアに、数人の男が入り込んで行くところだった。買い物、ではないだろう。
 人の流れを無理矢理に横断し、冬樹もそのコンビニに向かった。
 店内には、客も店員もいなかった。そのどちらでもない数人の男たちが、手持ちのバッグやナップサックに手当たり次第、商品を詰め込んでいる。
 明らかな、火事場泥棒である。
「おいそこ、何やってんだぁコラ」
 冬樹が大声を出すと、男たちがビクッ! と振り向いた。
 どかどかと歩み寄り、1人の胸倉を掴む冬樹。
 それだけで、他の男たちは、盗もうとしていた物を放り出して店外へと逃げ去った。
 置き去りにされた男が、掴まれたまま泣き始める。駅で会った5人と同じ反応だった。
 自分の顔はそんなに恐いのか、と思いつつ冬樹は男を解放してやった。
「バカやってねぇでとっとと逃げねえとお……黄泉のバケモンに、食われちまうぞ?」
 尻餅をついた男に、冬樹が上からギロリと微笑みかける。
 盗品の詰まったナップサックを床に置いたまま、男は泣きながら逃げ出した。
「ったく……あんな連中まで守ってやろうってのかね、あの巫女ちゃんは」
 先程の少女の顔を、冬樹は思い返してみた。
 哲弘と同じ目を、彼女はしていた。何かを守るために戦う者の目。
 俺たちは男だ、冬樹。哲弘は、よく言っていたものだ。
 だから、戦いは俺たちがやらなきゃいけない。女の子に戦いなんか、させちゃ駄目なんだぜ? わかるか冬樹。お前と俺で、女の子たちを守ってやらなきゃ。
「おめえが本当に守ってやりたかった女は……」
 買い物カゴを1つ持って、冬樹は店内をしばらく歩き回った。
「1人だけ、だよな。哲弘よぉ……」
 缶ビールや果実酒、つまみ類に菓子などでカゴを一杯にして、誰もいないレジに持って行く。そこで冬樹はLサイズのビニール袋に商品を詰め替えた。
「ありがとうございました。またお越し下さいませぇ……っと」
 自分で言いつつ冬樹は、パンパンに膨らんだビニール袋を手に持って店を出た。
 これは火事場泥棒ではない。泥棒を追い払った、正当な報酬である。
 哲弘がいれば、冬樹のこういう行いを止めてくれただろう。が、彼はもういないのだ。
「だからやりたい放題だよ俺ぁもう……おめえが死んじまったせいだぞ?」
 呟きながら冬樹は、大通りを避けて路地裏の方に入って行った。
 歩きつつ思い返してみる。哲弘の、最後の言葉。
 ……を、頼むぜ。
 たった1人、哲弘が本当に守りたかった少女。彼女が今どうしているかは、だいたい見当が付く。
 あの少女も、確かに本物ではあった。本物の、巫女。
 普通の顔をしていられるだろうか、と冬樹は思った。自分は、普通の顔をして彼女に会う事が出来るだろうか。
「よぉ久しぶり……ってワケにゃいかねえよな、そりゃ」
 独り言を続けながら冬樹は、とあるビルの非常階段を上っていた。
 自分や哲弘は、果たして本物だったのか。上りながらふと、冬樹は考えてみた。
 男女平等を謳っていた大八嶋学院ではあるが、あそこでは結局、冬樹も哲弘も、本物とは認められなかった。
 2人とも、男だったからだ。
 別に、偽物だっていいじゃないか。哲弘は、そんな事も語っていた。
 本物だろうが偽物だろうが、俺たちには戦う力がある。だから戦って、女の子たちを守るだけさ。男が戦いしか能がないってのは、確かに本当の事なんだからな。
 そう言っていた哲弘が、死んだ。いや、殺された。
 それに比べれば、自分が本物であるか偽物であるかなど、冬樹にとっては確かにまあ、どうでも良い事ではある。
 非常階段を上りきった。
 屋上だった。視界が一気に開け、夜の市街地を一望出来る。
 今、何が起こっているのかを、見物する事が出来る。
 ちょっとした球技が出来そうなほど広い屋上に歩み入りながら、冬樹は思わず口笛を吹いてしまった。
 先程ちらりと見えた、奇怪なシルエット。その正体が今、市街地の中央に鎮座し、巨大な異形を晒しているのだ。
 無数の、顔面。それらが集まり固まって、醜悪な肉塊を成したもの。
 その巨体のあちこちで、血走った眼球が開き、口が、寄生虫のような歯舌の群れを吐き出し伸ばし、うねらせている。
 それらを回避しつつ、何機もの円明元年式が飛び回る。
 黄泉醜女と、国防軍人型戦闘機部隊。
 まるで巨大な腐肉と、それにたかる蝿の群れだ。
「さて…‥と」
 冬樹は屋上に座り込み、ビニール袋の中のものを弁当のように広げた。
 缶ビールに果実酒。ビーフジャーキーに焼きスルメ、各種惣菜、缶詰、菓子その他諸々。
 とりあえず缶ビールを1本、ぐびぐびっと一気に半分ほど胃に流し込んでから、冬樹は中年男のように一息ついて、市街地の有り様を見物した。
 展開した円明元年式の部隊が、空から、地上から、突撃銃を乱射している。
 黄泉醜女の巨体の表面で、肉片の飛沫が弾ける。が、そうして穿たれた凹みは、すぐに内側から盛り上がり埋まってしまう。
 全方向からの銃撃が追い付かぬ、再生速度だった。
「無理無理、やめとけって……あーあ」
 焼き鳥をぱくつく冬樹の視界の中で、巨大な歯舌が跳ねた。
 空中の元年式が1機、打ち据えられて原型を失い、ひしゃげて吹っ飛んで行く。そして別の1機に激突した。
 冬樹は軽く、缶ビールを掲げた。なかなかに酒の進む光景ではあった。
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