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戦姫クサナギ 作者:小湊拓也
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第1話 黄泉路の始まり

 左腕が、ちぎれて飛んだ。
 わざわざダメージチェックなどしなくても、それはわかる。
 この人型戦闘機・恒安(こうあん)26年式は、冬樹(ふゆき)にとっては今や身体の一部のようなものだ。装甲表面の僅かな傷でさえ、肌で感じ取る事が出来る。
「ぐぅっ……痛えぇ……ッ」
 冬樹は呻いた。肋の2、3本はやられているかも知れない。
 真北冬樹(まきたふゆき)。16歳。まだ成長期にある肉体は、痩せていると見えるほどに引き締まっており、国防軍の制服がだぶついていて少々頼りなくはある。
 身体は、徹底的に鍛えてきた。筋肉はあまりつかず、むしろ無駄な肉が削ぎ落とされ続けて、この棺桶のような操縦室にうまく収まる肉体が出来上がったのだ。
 そんな細身を幾本ものシートベルトで拘束された状態のまま、冬樹は操縦桿を持ち上げ、足下の機動鐙を踏み込んだ。
 鋼鉄の埴輪、といった感じに飾り気ない恒安26年式の巨体が、ビルの残骸を押しのけ、ゆっくりと起き上がる。
 両目と口の部分に細いスリットの入った機械の顔面が、物憂げに左右を見回した。
 細い両目の奥で、淡く輝くセンサー・アイ。
 それを通して操縦室のモニターに映し出されたのは、まさに廃墟そのものの光景だ。
 ビルは全て瓦礫の塊と化し、それらと一緒くたになって死体の如く、人型戦闘機の残骸が散乱している。
 冬樹の駆る恒安26年式よりも一世代後の最新型、円明(えんめい)元年式である。
「くそったれが……!」
 血のこびり付いた唇から、冬樹は低い罵り文句を紡いだ。
 鋭く整った少年の顔立ちが、獣の如く凶暴に歪む。
 一般市民の避難は完了している、とは聞いていた。それを信じるしかない。
 人死には出ていない、はずであった。残骸と化して散らばっている円明元年式は、無人制御である。
 最後の有人機と言われる恒安26年式は今や、長きにわたって保ってきた国防軍主力機の地位を、円明元年式にほぼ譲り終えていた。
 今時、有人の人型戦闘機などに乗っているのは、冬樹のように特殊な任務を与えられた者だけである。
 この任務を、無人制御機の人工知能に任せるわけにはいかないのだ。
 廃墟同然の光景。その中央にあるものを、冬樹はモニター越しに睨み据えた。
 身長15メートルの円明元年式が1機、玩具のように持ち上げられている。
 恒安26年式と比べて洗練された感のある、その細い胴体に巻き付いているのは、巨大なミミズかゴカイ……のような物体だった。全体にびっしりと棘を生やした、巨大な触手。糸鋸、のようでもある。ミミズの如く柔軟にうねる、生きた糸鋸。
 それに幾重にも絡め取られ、持ち上げられた状態のまま、円明元年式が手持ちの武器を構えている。人型戦闘機用の、大口径突撃銃。それが、先程からずっと火を吹き続けているのだ。生きた糸鋸の発生源である物体に向かって、である。
 生き物、と言うべきであろうか。
 黄泉国から現れたものに生命があるのかは不明だが、少なくとも機械ではない。生物兵器の類とも違う。
 人間が造ったもの、ではないのだ。
 無数の顔面の塊。一言で表現するとしたら、それしかない。
 皮膚を剥がされた人面。目も鼻も口もある肉質の隆起物。
 そんな醜悪なものが無数、巨大な肉塊のあちこちで盛り上がっている。
 その無数の口が、生きた糸鋸を吐き出し、伸ばしているのだ。
 それらは、舌だった。無数の棘、と言うより牙を生やした、触手状の歯舌。
 顔面の群れが、そんなものを口内から生やしつつ、叫んでいる。
 音声は拾えないが、おぞましい響きは、空気を震わせて操縦室の中にまで伝わって来るようだ。
 言葉、ではないだろう。単なる叫び。呻き。
 込められているのは、怨念。憎悪、悪意。言葉ではとうてい表しきれない、とてつもない負の感情だ。
 そんな悪しき念が凝り固まったかのような眼球が、醜悪な巨体のあちこちでギラギラと見開かれている。
 それが1つ、潰れた。2つ、3つ、砕け散った。涙のような破片が、飛び散り続ける。
 捕えられている円明元年式の銃撃が、正確に眼球だけを狙って降り注いでいるのだ。無数の眼球が、銃弾の豪雨を浴びて際限なく砕け飛び散る。
 潰れた目玉が、眼窩の中で急速に膨らみ盛り上がり、ギラリと眼光を蘇らせる。
 着弾、粉砕……それらを上回る、再生の速度だった。
 持ち上げられたまま、ただひたすら突撃銃をぶっ放し続けている円明元年式。そのスリムな機体に絡み付いた幾本もの歯舌が、絞める力を強めた。
 ぐしゃり、という音が操縦室の中にまで聞こえて来そうな有り様だった。
 円明元年式の腕が、脚が、原型を失った胴体が、ばらばらと歯舌から落ちて行く。
 無数の顔面が一斉に、冬樹の恒安26年式に眼球を向けた。叩き潰す対象は、もはやこの片腕の人型戦闘機1体のみだ。
「くそったれが……」
 無数の人面から成る、巨大な肉塊。その姿を、冬樹はモニター越しに睨んだ。
 黄泉醜女(よもつしこめ)。そう呼ばれてはいる。
 が、本当に雌なのか、そもそも性別というものがあるのか、定かではない。
 左腕を失った恒安26年式が、微かに身を低くしながら唯一、残った武器を右手で揺らめかせる。人型戦闘機の複合装甲をも切り裂く、徹甲ナイフ。
 それを構えた26年式に向かって黄泉醜女は、無数の口から一斉に歯舌を吐き出した。刃のような牙を全体にびっしりと生やした、触手状の生ける凶器。
 それらが群れを成し、高速でうねり伸び、片腕の人型戦闘機に襲いかかる……寸前で、砕け散った。
 無数の歯舌が、汚らしい有機物の破片と化してビチャビチャと飛散する。
 光が、降り注いで来た。冬樹に見えたのは、それだけだ。
 この場を見下ろすように盛り上がった、瓦礫の塊。その上に、全長15、6メートルにも達する人影が1つ、佇んでいる。
 突撃銃を構えた人型戦闘機。円明元年式、ではなく恒安26年式である。
 つまり、人が乗っているという事だ。
「諸々の禍事、穢れ……」
 ヘルメットから冬樹の耳元に、そんな声が流れ込んで来る。
 瓦礫の上の26年式。その操縦者が唱えたものを、通信機能が拾ったのだ。
 冬樹の機体と違って五体満足な26年式が両手で構える、大型突撃銃。その銃口が、黄泉醜女に向かって火を吹いた。と言うより、光を放った。
 様々なおぞましい有機物が、またしても飛沫のように飛び散った。
 肉塊、としか言いようのない巨体の表面で開いた無数の口が、悲鳴と体液を吐く。
 特別な武器を使っているわけではない。銃身も弾丸も、円明元年式が先程ぶっ放していたものと同じである。
 だが黄泉醜女の巨大な肉体は、その5分の1近くが失われていた。
 ごっそりと削り取られて凹んだ巨体が、苦しげに痙攣している。
「祓い給え、清め給え……っと。おい冬樹、生きてるか?」
「死んでるぜぇー」
「そうか。じゃあもう助けても無駄だな。帰るか」
「そりゃねえだろ哲弘(てつひろ)ちゃん……せっかく来たんだ、一緒に死んでけよ」
 ヘルメットから口元に向かって伸びたインカムに、冬樹がそう言ってニヤリと微笑みかける。
 通信機の向こうでも、哲弘が微笑んでいる。それが、冬樹にはわかった。
 嵯峨野哲弘(さがのてつひろ)。冬樹の親友と言うか戦友と言うか、悪友と言うべきか。
「いい感じにヒモ・システムを使いこなしてるじゃねえか哲弘」
「……ヒモロギ・システムだ。嫌な略し方をするなよ」
 そんな操縦者の言葉と共に、瓦礫の上の26年式が何かを放り捨てた。と言うより、その両手から何かがボロリと崩れてこぼれ落ちた。
 黒焦げの残骸に変わった、大型突撃銃である。
「使いこなしても武器がもたん……1回、神様にお願いする度にコレじゃあな」
「武器ならあるぜ、大量によ」
 自機のセンサー・アイを、冬樹はちらりと周囲に向けた。
 残骸と化した、十数体もの円明元年式。彼らの携えていた大型突撃銃が、遺留品の如く散らかっている。その1つを拾おうとして冬樹は先程、失敗した。手近な場所に転がっていた突撃銃に飛びつこうとしたところ歯舌の一撃を食らい、左腕を吹っ飛ばされたのだ。
 巨体の5分の1近くを失った黄泉醜女。その大きく凹んだ部分が、アメーバの如く蠢きながら少しずつグチュグチュと盛り上がって行く。おぞましい、再生の有り様だった。
 その再生中の傷口を守るように歯舌が無数、揺らめきうねっている。冬樹が武器を拾おうとした瞬間、また伸びて来るだろう。
「ちっ……今んとこは、こいつで戦うしかねえか」
 片腕の26年式が、徹甲ナイフをくるりと右手で弄ぶ。
「いいぜ、不味そうな肉の塊……美味そうな刺身にしてやらああっ!」
「おい待て馬鹿、不用意に突っ込むな」
 哲弘の声を無視して、冬樹は自機を駆けさせた。
 黄泉醜女の全身から吐き出された歯舌の群体が、あらゆる方向から襲いかかって来る。
 片腕の26年式が、俊敏に身を翻した。徹甲ナイフが一閃。
 したたかな切断の手応えが、操縦室に伝わって冬樹のシートを微かに揺るがす。
 斬り飛ばされた歯舌が3本、5本。片腕の26年式の周りで宙を舞い、のたうちながら落下する。
 6本目、7本目が、空中を泳ぎつつ奇妙なカーブを描いた。左側から、背後から来る。それを冬樹は肌で感じた。ナイフ1本では対応しきれない。
 舌打ちをしつつ、冬樹は機動鐙を踏み込んだ。
 片腕の26年式が、跳躍した。その背中で翼が開き、幾つもの推進剤噴射口が現れる。
 それらが一斉に、火を噴いた。
 人型戦闘機の機体が高々と舞い上がり、その足下を6本目、7本目の歯舌が高速でかすめて通る。
 8本目以降の歯舌が、まるで無数の対空ミサイルの如く大量に伸びた。空中へと逃げた、片腕の26年式を狙ってだ。
 黄泉醜女に尻を向けた格好のまま、冬樹は思いきり推進剤を噴かした。機体背部の噴射口が、爆炎を迸らせる。
 凄まじい衝撃が、後ろから操縦室を揺るがす。
 高速飛翔する恒安26年式を、無数の歯舌たちが執拗に追う。
 背後から、あるいは足下から、無数の追尾ミサイルのように襲い来るそれらを、冬樹はかわさず、ただ速度で振り切った。辛うじて、振り切れる。推進剤が尽きなければだ。
「くそっ、やっぱダメか!」
 哲弘の言った通り、あまりにも不用意過ぎたか、と冬樹が思ったその時。
 またしても、光が走った。
 ほとんど再生を終えかけていた黄泉醜女の巨体が、肉の飛沫を飛び散らせつつ、再び抉れて凹んだ。
 冬樹の機体を追って高速で伸び続けていた歯舌の群れが、全て根元からちぎれ、弱々しく萎れながら落下して行く。
「駄目に決まってるだろう。少しは頭使え、この鉄砲玉がっ」
 五体満足な恒安26年式の中で、哲弘が罵った。その機体の両手から、黒焦げの金属屑に変わった突撃銃がボロッと崩れ落ちたところである。
 図らずも、黄泉醜女の注意を冬樹が引き付ける形となっていた。その間、円明元年式の遺留品である銃の1つを、哲弘が拾っていたのだ。
 またしても身体の5分の1近くを削り取られた黄泉醜女が、全身の口から絶叫を放つ。
 まだ無数に残っている歯舌たちが、鞭のように蛇のように高速で蠢いた。
 そして、拾った銃器をまた失ってしまった哲弘の26年式に襲いかかる。
「させねえ……!」
 叫びつつ冬樹は、片腕の自機を急降下させた。今こそ、哲弘と同じようにヒモロギ・システムを使いこなす時だ。
 神籬(ひもろぎ)。それは神々が降りて来て宿る、聖なる樹木を意味する。
 即ちヒモロギ・システムとは、八百万の神々の力を人型戦闘機に宿らせる機能なのである。
退魔斬撃(たいまざんげき)……八握剣(やつかのつるぎ)!」
 片腕の26年式が、哲弘の機体の眼前に着地する。同時に徹甲ナイフが一閃……いや、それは今やナイフと呼べるものではなくなっていた。
 光の、剣。
 哲弘がぶっ放して銃を駄目にした光、と同質の輝きが、徹甲ナイフを包んでいるのだ。
 光の刀身とも言うべき、その白い可視エネルギーが、ナイフの一閃に合わせて伸びた。
 光の斬撃。それが、哲弘を狙い群がって来た歯舌の群れを薙ぎ払う。
 薙ぎ払われたものたちが、全て砕け散った。
 光は消えず、徹甲ナイフの刃から10メートル近く伸びて長剣の形を成したまま、固着している。
 神の力、としか呼称しようのない解析不能のエネルギーで構成された、光の剣。
 得体の知れぬ、とてつもない力を持ったものは、確かにこの世に存在している。
 古来、それを人々は神と呼び、崇め信仰する一方。その強大なる力を利用すべく研究を進め、技術を培ってきた。
 その結果の1つが、ヒモロギ・システムである。八百万の神々の力を、機動兵器戦闘のために発現させる機関。
 実用化の目処が立ったのはここ何年かの間で、今は冬樹と哲弘の恒安26年式に、試作型ヒモロギ・システムが搭載されている。
 自分がモルモットとして扱われている事くらい、冬樹も哲弘も承知の上である。
 この実験を、無人制御の円明元年式に任せる事は出来ないのだ。
 ヒモロギ・システムを実戦で使用する。それが出来るのは、神々と心を通じ合わせる神職の技能と、人型戦闘機の操縦技術とを併せ持った、人間だけだ。
 人工知能には、神々と心を通じ合わせる事など出来ない。心、そのものがないのだから。
「諸々の禍事、穢れ……祓いやがれっ、清めやがれえええええッ!」
 叫びながら、冬樹は機体を踏み込ませた。
 光の剣が、思いきり振り下ろされる。
 ヒモロギ・システムを通じて、神々に訴えかける。助力を乞う、と言うよりは命令して役に立たせる。
 勇気や闘志、といった格好の良いものではないかも知れない。ただ自棄くそになっているだけかも知れないが、少なくとも戦意喪失状態よりはましなものが今、冬樹の中では燃え盛っている。それを、八百万の神々にぶつけるのだ。
 通じれば、こうして力が降りて来る。
 白いエネルギーの刀身が、轟音を発して膨れ上がった。そして群がる歯舌を粉砕しつつ、巨大な鞭の如く伸びて行く。
 白熱する光の斬撃が、黄泉醜女の巨体を直撃した。
 体液の飛沫が、大量に噴き上がった。
 無数の顔面から成る巨大な異形。それが、真っ二つになっていた。いや真っ二つではないかも知れないが、少なくとも半ば以上は裂けて、断面を剥き出しにしている。
 その断面では、臓物と思われるものがドプドプッと脈打ち、蠢いている。
 胸の悪くなる光景だが、致命傷に近いダメージであるのは間違いないようだ。無数の口が苦しげに体液を嘔吐しつつ、悲鳴を迸らせている。
 あと一撃。同等のダメージを叩き込めば、殺せるだろう。
 だが。光の剣は、消え失せていた。風に吹かれた蝋燭のように。
 ボロッ……と黒っぽいものが崩れ落ちた。
 徹甲ナイフを握ったままの、右腕。肘から先が欠落し、地面にぶつかり、砕けて灰と化してしまう。
「ぐっ……やっぱ、もたねえのかよッ」
 両腕をなくしてしまった26年式の中で、冬樹は歯噛みをした。
 ヒモロギ・システムの、現時点での問題点がこれである。神々がくれるエネルギーに、武器の方が耐えられないのだ。強引な使い方をすると、このように武器のみならず機体にまでダメージが及んでしまう。
 八百万の神々に、祈りを捧げて助力を乞う。あるいは気力を振り絞って命令し、人間の役に立たせる。どちらにせよ、人工知能に出来る事ではない。
 神祇(じんぎ)本庁直轄の神職養成機関「大八嶋(おおやしま)学院」にて戦闘用神道を学び、なおかつ国防軍に出向して恒安26年式の操縦技術を身に付けた、真北冬樹と嵯峨野哲弘。この両名にしか出来ない実験なのである。
 これまでの実験で、明らかになった事が1つある。
 八百万の神々がもたらしてくれる力に、まだまだ人間の技術の方が追いついていない、という現実だ。
 真っ二つになりかけた黄泉醜女の巨体。その臓物剥き出しの断面と断面が、少しずつ融合してゆく。再生が、始まっている。
「バケモノがっ……!」
「どけ冬樹!」
 冬樹がナイフ1本で戦っている間、哲弘がまたしても円明元年式の遺品を1つ回収し、構えていた。
 突撃銃、ではない。一言で表すなら、巨大な筒。それを哲弘の26年式が、右肩で担いだところだった。
 対巨大物ロケットランチャー。その砲口が、
退魔砲撃(たいまほうげき)道反玉(ちがえしのたま)ッ!」
 哲弘の叫びと共に、轟音と光を放つ。直後、ロケットランチャーは黒焦げの破片と化して飛び散った。
 再生を行いつつ蠢き震えていた黄泉醜女の巨体が、硬直した。
 塞がりかけていた巨大な裂傷の中に、何かが突き刺さり吸い込まれて行くのを、冬樹は見た。
 白色のエネルギー光とロケット弾が融合し、破壊力の塊と化したもの。
 それが、黄泉醜女の体内で膨張する。
 チャックが閉まるかのように端から少しずつ塞がりつつあった裂け目が、再びちぎれて開いた。もはや体液は飛び散らず、代わりに光が溢れ出した。
 肉片が、臓物が、飛び散りながら蒸発する。無数の眼球が一斉に破裂し、その眼窩からも光が溢れる。
 やがて、光しかなくなった。
 破壊された街を照らす圧倒的な白色の中。黄泉醜女は、あらゆる方向にちぎれ飛びながら消滅した。断末魔の絶叫が一瞬だけ、冬樹は聞こえたような気がした。
 やがて、光が消えた。そこにはもはや何も残っていない。
 廃墟そのものの光景と、残骸と化した円明元年式たち……黄泉醜女による破壊の痕跡が、残っているだけだ。
 一般市民の避難が本当に完了しているなら、人死には出ていない。
 ここも政府によって『廃墟エリア』に指定される事となるだろう。黄泉醜女に破壊され、再建の目処も立たぬ区域。ここ何年かの間、広がる一方だった。
 人間の領域を、黄泉醜女によって侵蝕されているという事である。
「勝ち負けで言ったら……俺らが負けてるって事じゃねえのかなぁ、哲弘よ」
「冬樹らしくもない、景気の悪い事を言うじゃないか」
 哲弘の口調が妙に明るいのが、冬樹は気になった。嫌な予感もした。
「勝ちは勝ちさ。実際こうやって1匹は倒したんだぜ? ……1匹はな」
 微かな、だがとてつもなく嫌な震動を冬樹は感じた。シートから、と言うより機体から、いや地面から伝わって来る。
 幾つかのビルが崩れ固まって瓦礫の山と化したもの。その1つが、2機の近くでさらに崩れ始めていた。建物の破片が舞い上がり、凄まじい量の粉塵が立ち上る。
 その中で、何かが躍りうねった。全身に棘を生やしたミミズ、あるいはゴカイ。
「おい哲弘……」
 自分の声がひきつるのを冬樹は感じた。
 瓦礫の山を押し潰すようにして姿を現した巨体。まぎれもなく、黄泉醜女である。
 それも1匹ではない。2、3匹でもなさそうだ。
 いつの間にか、取り囲まれていた。
 2機の周囲で、生きた糸鋸の群れが揺らめきうねり、無数の眼球が血走り、幾つもの大口が憎悪のわめき声を発している。何匹いるのか数える気にもならず、冬樹はただ叫んだ。
「てぇーつひろおぉぉぉっっ!」
「俺がこいつらを呼んだわけじゃないぞ別に」
 哲弘の機体が、突撃銃を1つ拾って構えた。
「あっちの方でこの団体さんに出っくわしてな。こっちもお前と合流した方がいいと思って来たわけなんだが」
「……悪いな。このザマじゃ合流したって何にも出来ねえよ」
 両腕のない26年式の中で、冬樹がぼやく。そしてモニターを睨んだ。
 無数の歯舌が、人型戦闘機の飛行回避を阻む形に高々と鎌首をもたげている。
 見渡す限りの、黄泉醜女の群れ。
 神話の時代。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、これに追い回されながら必死の思いで黄泉比良坂を這い上ったという。
 さぞかし恐かったろう。ぼんやりと、冬樹はそう思った。
 伊邪那岐命は桃の実を投げつけ、黄泉醜女たちがそれを貪り食っている間にどうにか逃げきる事が出来たらしい。
 今、冬樹と哲弘の周囲に満ちている醜悪な巨体の群れは、しかし桃などで見逃してくれるとは思えなかった。
「何食ってんだろうなぁ、こいつら一体……」
 何を食べても満足しそうにない、無数の大口。じわじわと全方向から迫り来るそれらを見回しつつ、冬樹は半ば呆然とつぶやいた。
「人食ったって話も聞かねえし」
「俺が今からたっぷりタマ食わせてやるから、お前はその間に逃げろ冬樹」
「そうやってカッコつけてえ気持ち、わからんでもねえがな……」
 などと言いつつ冬樹はその時、光を感じた。モニター越しに……いや。機体の装甲を通して体感出来る、激しい輝き。
 続いて感じられたのは、震動だった。
 それが爆風によるものである事を身体で理解しつつ、冬樹は見た。
 モニターの中で、黄泉醜女が1体、砕け散っている。
 爆発、と言ってもいいだろう。おぞましい肉の破片が飛び散りつつ光に灼かれ、空気中に溶け込んだかの如く蒸発してゆく。
 執拗な再生能力を有する巨体が、ほぼ一瞬にして跡形もなくなっていた。突然の、光、としか言いようのないものによってだ。
 哲弘と冬樹がさんざんぶっ放していた、ヒモロギ・システム発動によるエネルギー光。あれと同じものではある。
 だが哲弘が何かしたわけではない事は、
「何だ、一体……」
 彼の、呆然とした言葉からも明らかだ。
 2体目の黄泉醜女が、砕け散った。3、4体目が、近くにあった瓦礫の山もろとも白色の輝きに包まれ、消滅した。
 光が、降り注いで来ている。その事態に冬樹はようやく気付いた。
 白い可視エネルギーが、隕石の如き塊と化したもの。
 それが無数、斜めに宙を裂いて落下しては、黄泉醜女を1匹また1匹と粉砕し、蒸発させ続けている。
 流星雨にも似た光景だった。
 何者かが、どこかでヒモロギ・システムを起動させ、この光の流星を降らせている……否、そんなはずはない。
 ヒモロギ・システムは現在、試作品が2つ存在するだけだ。そしてそれらは今、冬樹と哲弘が使っている。
 ここまで強烈な破壊を行えるほどのものは、まだ完成していない。はずであった。
「完成……してたのか……」
 哲弘が、息を呑みながら呟いている。
 完成。その言葉が意味するところは、今の冬樹・哲弘にとっては1つだけだ。
「つまりアレか……用済み、って事か俺たちゃあ」
 その言葉に、哲弘は何も応えない。通信機越しに冬樹の耳をついたのは、怒声のような悲鳴だった。
 哲弘の機体が、宙に浮いている。
 その胴に、手足に、幾本もの生きた糸鋸が絡み付いていた。黄泉醜女が1体、歯舌を伸ばし放って来たのだ。
「逃げろ冬樹!」
 高々と拘束され持ち上げられた恒安26年式の中で、哲弘が叫ぶ。
 冬樹は、ただ呻いた。
「どこへ、逃げろってんだ……」
 哲弘も、それに自分も今、殺されようとしている。
 黄泉醜女に、ではない。この醜悪な怪物よりも、もっと巨大なものによってだ。
 逃げる場所など、あるはずがなかった。
 捕えられた26年式の、左腕がねじ切れた。右足が、ちぎり取られた。胴体に、生きた糸鋸がメキメキッ……と食い込んでゆく。
 何も考えず、冬樹は機動鐙を踏んだ。両腕がなくとも足がある。頭が、胴体がある。推進剤も少しは残っているし、何よりもヒモロギ・システムが生きている。
 得物は持てずとも、体当たりなら出来る。
「来るな冬樹! 逃げろって言ってんだ!」
 操縦室が潰れつつある機体の中で、哲弘が声を振り絞っている。
「いいか冬樹、これだけは言っとくぞ」
「哲弘……」
「……誰も、恨むなよ」
 通信機の向こうで、哲弘が微笑んだ。
「誰も……憎むんじゃないぞ」
「哲弘てめえ……」
 一瞬、ノイズが入った。そのせいで、
「……を、頼むぜ」
 哲弘の言葉が、よく聞き取れなかった。何の、いや誰の事を頼まれたのか。
 聞き取れなくとも、しかし冬樹にはわかった。
「ふざけんなよ哲」
 再びノイズが走った。同時に、モニターが光で満たされた。
 爆発だった。
 エネルギー光の流星が1つ、黄泉醜女を打ち砕いたのだ。捕えられていた哲弘の26年式もろとも、である。
「ひ……ろ……」
 自分の機体が宙に浮いているのを、冬樹はぼんやりと感じた。飛行、ではない。爆発に、吹っ飛ばされたのだ。
 爆風の中、冬樹の機体が木の葉の如くクルクルと舞っている。
 背中から、機械翼がちぎれた。左足が欠落し飛んで行くのも、冬樹にはわかった。
 残骸同然となった26年式が、地面に叩き付けられて1回跳ねた。
「…………!」
 哲弘、と呻こうとして冬樹は失敗した。喉の奥から、血の味が溢れ出して来る。
 潰れた声の代わりに赤い吐瀉物が迸り、モニターやパネルをビシャアッ! と汚した。
 交通事故死者のような様を晒す26年式を狙って、黄泉醜女の1体が歯舌の群れを蠢かせる。その巨体が次の瞬間、光の流星に打たれて爆散し消滅した。
 おぞましい黄泉の怪物の群れを、廃墟もろとも灼き尽くさんとする、光の流星雨。
 それが冬樹を直撃するのも、時間の問題だろう。
 砂の流れるような静かなノイズが聞こえる。通信機の向こうには、もう誰もいない。
 それでも冬樹は、インカムに向かって叫んでいた。
 怒声か慟哭かも判然としない叫び。自分が怒り狂っているのか泣き叫んでいるのか、冬樹にはわからなかった。泣いている、のだとしても涙は出て来ない。
 今はっきりと感じられるのは、血の味だけだ。


「未熟……か?」
「未熟も未熟、あれでは話にならぬ。だが姉上は」
「ああ、どうやら本気であらせられる……姉上を、止めねばならんか」
「そのためには巫女だ。我らの力を使いこなしてくれる、心の強き巫女がおらねば」
「あやつならば、と思ったのだがな……くそっ、助けてやりたかった」
「うむ……人間め、このような事をしておるから」
「姉上を怒らせてしまうのだな。だが兄者、本当におるのか。我らの力を使いこなして姉上と戦える……そのような巫女が、人間どもの中に」
「おらねば我らが直接、姉上をお止めするしかなくなる」
「かなわんなあ。俺と兄者では、2人がかりでも姉上には勝てんぞ」
「ふ……姉上だけで済めば良いが、な」
「こっ恐い冗談はよせ。母上にまで出て来られては本当に、俺たちだけではどうにもならなくなってしまう」
「冗談で済ませたいものよな。まあ何にせよ、我らが現世にて力を振るうには」
「人間の……巫女の力を借りるしかない、というわけか」


 レベル「丙」の避難勧告は、すでに出ているはずであった。
 丙。勧告と言うよりは命令だ。一般市民は、うろついているだけで身柄を拘束される。
 そんな状況下にある公園を、宮杜静葉(みやもりしずは)は堂々と歩いていた。
 朱の袴が、純白の袖が、微かな夜風を受けてふわりと揺れる。
 清楚な巫女装束。その上からは、すらりとした少女らしい身体の起伏が見て取れる。
 月光を浴びて清かな光沢を持った黒髪は、ポニーテールの形に束ねられてなお背中を撫でるほどの長さだ。
 すっきりとした輪郭の中では、やや吊り気味の両目に繊細な鼻、それに愛らしい唇が整然と配置され、隙のない美貌を形作っている。幾分、気の強さが前面に出過ぎてはいる。
「止まれ」
 国防軍の兵士が2人、横柄に声をかけてきた。左右から小銃を交差させる格好で、静葉(しずは)の歩みを阻んでいる。
「レベル丙が出ているのは知ってるはずだな? 聞いてない、とは言わさんぞ」
 そんな事を言っている片方の兵士の顔面に向かって、静葉は無言で右腕を振り上げた。広い袖が、軽やかに舞う。
 何か怒鳴ろうとした兵士の顔が、青ざめた。
 その顎の辺りに、大振りの徹甲ナイフが突き付けられている。人型戦闘機が装備しているものと、大きさこそ違うが材質は同じだ。切れ味もだ。
「聞いてない、とは言わせないわよ……あたしが来るって事」
 無精髭の濃い兵士の頬をナイフの側面でぴたぴたと叩きながら、静葉は言った。このまま少し剃ってやろうか、とも思った。
「じ……神祇本庁の方でしたか。聞いておりましたが」
 もう1人の兵士が、言いながら息を呑んでいる。
「まさか、こんなにお若い方が、しかもお1人で来られるとは」
「年増の集団が来ると思ってた? 大斎(おおいつき)様たちみたいな」
 ふっ、と静葉は微笑みかけた。
「あと1人、もうちょっとしたら来ると思うから……その前にあたし1人で片付けられたら格好いいんだけどね。案内、してくれます?」
「……こちらへ」
 ナイフから解放された兵士が、寒そうに頬を撫でながら歩き出す。2人の兵士に警護される形で、静葉は続いた。
 木陰や外灯の傍、ベンチの横……公園の至る所で、同じような風体の兵士たちが彫像の如く配置についている。
 グレネード・ランチャー付きの重そうな小銃を抱え、ゴテゴテとした黒っぽい防弾装備に身を包んだ彼らの姿を、ちらりと見回しながら静葉は思う。
 まったく男というのは、かわいそうな生き物だった。
 このような重苦しい武装をし、なおかつ部隊規模で群れなければ、「彼女たち」と戦う事が出来ないのだ。
 否、これでも戦いになどなりはしない。
 一般市民の避難、標的の誘導。そういった事に力を尽くしてくれる国防軍の存在を、静葉はもちろん軽く見ているつもりはない。
 だが。「彼女たち」を直接、討ち滅ぼすのは、やはり巫女の役目なのだ。
 指揮官らしき人物が、兵士たちの中から進み出て来て敬礼した。
「国防軍関東師団所属、森田安広上級曹長であります」
大八嶋(おおやしま)女学院中等部3年、宮杜静葉です。お疲れ様」
 静葉は敬礼を返さなかった。自分は、軍人ではないのだ。
「人的損害は?」
「8名ほど」
 静葉の問いに答えつつ、森田は俯いた。自分の部下が8人死んだ、という事だろう。
(あたしたちなんかに頼りたくなかったのよねぇ、きっと)
 前髪をかき上げるふりをして、静葉は苦笑を袖で隠した。
 そうしながら、兵士たちが囲んでいる領域に目を向ける。
 広大な、人工の池だった。橋のような通路が何本か設けられており、それらは全て中央の島に繋がっている。
 東屋が建てられた、ちょっとした庭園のような島である。
 夜闇をねじ切るかのような耳障りな絶叫が、その島の方から聞こえて来る。
 綺麗に手入れした眉を、静葉はしかめた。
「相変わらず……ウザいくらいに元気いいわね」
 右手の中で、徹甲ナイフが軽やかに回る。
 趣のある公園の風景を台無しにする生き物が、そこにいた。東屋の屋根に、へばりついている。
 牛か馬ほどもある、巨大な節足動物。金属的な外骨格が、月光を受けてヌラリと汚らしく輝いている。シルエットは蜘蛛に近いが、脚が何本あるのか正確にはわからない。
 そんな身体から蛇のように首が伸び、丸みのある頭部を夜空に向け、おぞましい絶叫を吐いているのだ。
 絶叫する口、だけでなく目も鼻もある顔面だった。皮膚を剥がされた人面、というのが一番近いだろう。
 例えようもなく醜いが、人間と共通する何かを、間違いなく残している。
「黄泉醜女……」
 森田が呻いた。
「無念です。我々ではもはや……あの化け物どもを相手に、打つ手がありません」
 戦いを女の子に任せなければならないのは、男としては確かに無念だろうと静葉は思う。
 戦いという仕事を女に取られてしまったら、男という生き物にはもう何も残らない。
 東屋の中のベンチで誰かが寝ているのに、静葉は気付いた。
 倒れている、と言うべきか。黒い防弾軍装に包まれた、兵士の身体。五体は揃っているが、手足の曲がり方から、すでに死体である事が見て取れる。
 静葉の端整な眉根が、さらに寄った。
 島に、橋に、水面に、様々なものが散らばっている。
 もの、としか言いようのない有り様の、兵士たち。全部集めれば森田の言った通り、8人分くらいにはなるだろう。
 男とは、本当にかわいそうな生き物だった。
 黄泉より来たるものと戦う力を、手段を、持たない。出会えば、こうして惨たらしく蹂躙されるだけである。
「だから、あたしが守ってあげる……」
 呟き、静葉は島に向かって歩を進めた。右手でだらりとナイフを下げたまま、橋に踏み入る。
 黄泉醜女の顔が、こちらを向いた。視線が合った。
 牛か馬ほどもある、巨体の怪物。だが、これらは小型種と呼ばれている。黄泉醜女・小型種。
 とは言っても生身の少女と比べてあまりに巨大なその異形を、鋭いほど澄んだ瞳で睨み据えながら、静葉は口元で微笑みかけた。可憐な唇が、ニヤリと歪む。
「正義も、平和も、人の命も何もかも、あたしが守ってみせる……男なんかに、任せておけないっ!」
 左の袖が舞った。もう1本の徹甲ナイフが現れ、繊細な五指の中で鮮やかに回転する。
 左右2本のナイフを逆手に構え、静葉は地面を蹴って駆け出した。
 長いポニーテールが水平になびき、翼のように広がった両袖と朱色の袴が、高速ではためく。
 そんな静葉を東屋の上から見下ろしつつ、黄泉醜女が口を開いた。歯が1本もない、老婆のような口。
 その中から、何かが溢れ出す。寄生虫でも吐き出したかのような、おぞましさだった。
 臓物にも見える、無数の細長い舌。その1本1本が、ピラニアの牙のような鋭利な突起を全体にびっしりと生やしている。これで、兵士らを切り刻んだのだろう。
 吐き出されたそれらが、毒蛇の群れの如く空中を泳ぎ、一斉に静葉を襲う。
 駆けながら、静葉は叫んだ。愛らしい唇が、鋭く叫びを放った。
「退魔斬撃……蛇比礼(へびのひれ)!」
 左右の徹甲ナイフが、ぼぉっ……と赤い輝きを発する。
 静葉は身を翻した。豊かなポニーテールが、翼のような袖が、ふわりと宙を撫でる。ゆったりとした袴に一瞬、スリムな脚線と引き締まった尻の丸みが浮かび上がる。
 それと同時に、赤熱する2本のナイフが一閃。赤い光の弧が2つ、螺旋状に浮かんで消えた。
 ぴたり、と静葉の動きが止まる。その周りで、何かが降った。
 切断された無数の歯舌。細切れになったそれらが、ぼたぼた落下しながら炎に包まれる。地面や水面に当たる前に、ことごとく灰と化した。
 より耳障りな絶叫が響き渡った。
 東屋の上で黄泉醜女が、半分ほどの長さになってしまった歯舌の群れを口から引きずりつつ、長い首を苦しげにのけ反らせている。
 その様を見据えながら静葉は、逆手に持った2本のナイフを眼前で構えた。
 徹甲ナイフが、燃えていた。2つの刀身が松明のように、炎をまとっている。
 はるか昔に人間への干渉を絶ってしまった八百万の神々。その力の、ほんの一部を発現させたのである。
 神の力をこうして地上にもたらす事が出来るのは、巫女だけだ。身も心も穢れなく、なおかつ強い戦いの意志を持った乙女。巫女だけが、八百万の神々と意思を通じ合い、助力を乞い、その力を武器として用い、黄泉の怪物たちと戦う事が出来る。
 ちらり、と静葉は兵士たちの方を見た。皆、ただ息を呑んでいるだけだ。
 男。神々と意思を通じ合う事の出来ない、哀れな生き物。
 神の力を引き出す事が出来ない、非力な生き物。黄泉醜女と戦う事の出来ない、弱々しい生き物。今や戦闘という役割さえ女に奪われ、存在価値を失いつつある生き物。
 それが、男だ。
「守ってあげるわよ。あたしたちが……ね」
 微笑し、東屋の方に視線を戻す静葉。
 黄泉醜女の絶叫が、悲鳴から怒りの咆哮へと変わっていた。
 咆哮する口の中から、歯舌の群れがニョロニョロと再生し、伸びてうねる。
 静葉は右手を振り上げ、ナイフを投擲した。炎をまとう刃が、まるで曳光弾の如く夜気を切り裂いて飛ぶ。
 そして黄泉醜女の顔面に、深々と突き刺さった。
 突き刺さったナイフから怪物の身体へと、炎が一気に燃え広がる。
 夜の公園が、明るくなった。
 東屋の上で、黄泉醜女が炎に包まれている。燃え上がり苦しげに揺れるその異形に、静葉は冷ややかに微笑みかけた。素手になった右腕を、優雅に掲げながら。
 微笑む唇が、祓詞を紡ぎ出す。
「諸々の禍事、穢れ……祓い給い、清め給う」
 広い袖から現れた繊細な右手がパチッ! と軽快なスナップを鳴らした。
 一際大きく、轟音が響き渡る。
 黄泉醜女は、爆発していた。炎をまとった肉片が、まるで花火の如く周囲に飛んだ。池の至る所で、じゅっ、と音が起こる。
 それを合図としたかのように突然、水面が弾けた。
 くるくると飛んで来たナイフを掴み止めながら、静葉は跳躍した。
 ピラニアの牙のような突起を生やした歯舌が何本か、少女の足元をかすめる。
 膝を抱え込むように宙返りをしつつ、静葉は呟いた。
生魂(いくたま)足魂(たるたま)玉留魂(たまとまるたま)……」
 ポニーテールで車輪状に宙を撫で、回転していた少女の細身が、しとやかに降り立った。水の上に、である。左右の爪先から、波紋が広がってゆく。
 静葉は、水面に立っていた。
 池の中から現れたものが、ゆっくりと巨体を振り向かせて来る。
 2匹目の黄泉醜女。本数のよくわからない脚が、バシャバシャと落ち着きなく水中で蠢いている。
 その口から寄生虫の如く現れた、歯舌の群れ。人体を防弾着もろとも切り刻むそれらが、一斉に襲いかかって来る……よりも早く、静葉は勢い良くその場に屈み込んだ。
 そして左のナイフを水面に突き立て、叫ぶ。
「ふるべ、ゆらゆらと……布瑠部(ふるべ)ッ!」
 バチッ! と刀身から光が溢れ出す。目に見えるほどの、強烈な放電の輝きだった。
 それが蛇のように水上を駆け、黄泉醜女を襲う。
 醜悪な巨体が、電光に包まれた。一瞬だけ、絶叫が起こった。
 電光はすぐに消え、巨大な黒焦げの屍だけが池の中に残される。
 突然、暗くなった。何かが、月の光を遮っている。はっ、と静葉は上を向いた。
 視界を占めたのは、3匹目の黄泉醜女の姿だった。蜘蛛に似た巨体から、皮膜の翼が左右に広がっている。
「くっ……!」
 とっさに静葉は身を反らせた。蛇のようなものが、目の前を高速で通過して行く。
 黄泉醜女の尻尾、と言うべきだろうか。大きく膨らんだ下腹部から伸びた、節くれ立った長大な器官。先端が、鉄板を穿てそうなほどに硬く鋭く尖っている。サソリの尻尾のようでもあり、一部の昆虫が持つ卵管にも似ていた。
 それが、静葉の細い首筋を狙っているのだ。
「伏せなさい、静葉」
 声がした。冷ややかな命令口調である。
 それに静葉は従い、頭を抱えるようにして身を屈めた。
 轟音が、上から叩き付けられて来た。一瞬、静葉は耳が聞こえなくなった。
 黒っぽいものがヒラヒラと、視界の隅をかすめる。
 黄泉醜女の、燃えカスだった。
 座り込んだまま、静葉は顔を上げた。途端、嬉しそうな声が出てしまう。
「……美鶴(みつる)先輩!」
 少女が1人。足元に波紋を作りながら、ゆっくりと水面を歩いて来たところだった。
 清楚な巫女装束の上から、大人びたボディラインがうっすらと見て取れる。胸も尻も、静葉より一回りは豊かだ。
 その麗美な長身を飾るように伸びた黒髪は、月光よりも眩しい艶を帯びている。
 眼鏡の似合う理知的な顔立ちは、昼よりも夜の方が綺麗に見える、と静葉は思った。
 そんな静葉を、レンズの奥の鋭い瞳が、ちらりと射すくめる。
「……油断したわね?」
 美鶴先輩、と呼ばれた少女は言いながら、手にしたショットガンのポンプを手際良くスライドさせた。
「黄泉醜女が、1匹や2匹で行動するわけがないでしょう」
「す、すみません……」
 立ち上がり謝りつつ静葉は、排出されたプラスチック・シェルを視線で追った。
 無論、ただの散弾で黄泉の怪物が木っ端微塵になる事などあり得ない。
「弱い生き物は群れるもの……覚えておく事ね」
 眼鏡越しに兵士たちを一瞥しながら、美鶴が言い放つ。嘲りの口調だった。
 四条美鶴(しじょうみつる)。大八嶋女学院、高等部の2年生である。静葉よりも2つ年上だが、巫女としてのキャリアはもっと上だ。実力の差はさらに計り知れないだろう、と静葉が思ったその時。
 またしても、月の光が遮られた。その方向に美鶴が、鋭い視線と銃口を向ける。
 引き金を引きながら、彼女は声を発した。冷たい風のように、よく通る声だ。
「六根清浄……」
 轟音が、夜の空気を揺るがした。炎の明るさが、爆風と一緒になって押し寄せて来る。
 黄泉醜女の破片がメラメラと炎をまといつつ、流星のように飛び散って池のあちこちに落ちて行く。その時になって、静葉はようやく気付いた。
 5匹目、6、7匹目……ちょっと見回しただけでは数えられないほどの黄泉醜女が、飛び回っている。巨大な蜘蛛のような身体から、皮膜の翼を生やした姿。
 それらが禿鷹の如く空中を旋回し、2人の巫女を取り囲みつつあるのだ。
 騒然とした気配が伝わって来た。遠巻きに池を囲みながら、兵士たちがおろおろと慌てふためいている。静葉は舌打ちをした。思わず、叫んでいた。
「何やってんの! 早く逃げなさい!」
 ここにいても何の役にも立たない。それは、彼らも自覚しているはずなのだ。
 どう意地を張ろうとも、黄泉醜女と戦う力が男たちにはない。それは事実なのである。逃げる事は、決して恥ではない。それもわからないほど、男とは愚かな生き物なのか。
 糸鋸のような歯舌と、サソリの尻尾に似た鋭利な器官。それらが無数、空中でおぞましくのたうち続けている。静葉と美鶴を狙って、今にも一斉に伸びて来そうな様子だ。
 少し、面倒な戦いになりそうだ。
 2本のナイフを逆手に構えたまま静葉は、水面上で、跳ぶ寸前の猫のように姿勢を低くした。
 この徹甲ナイフも、美鶴が携えているショットガンも、祈祷処理が施された特別な品物である。そうでないと、神の力に耐えられない。
 この祈祷処理の技術が完成したのは、つい最近の事。それまでは静葉も美鶴も1度、斬る度に、撃つ度に、ナイフや銃を駄目にしてきたものだ。
「諸々の禍事、穢れ……」
 祈祷処理済みのショットガンを、美鶴が上空に向けた。冷たいほど理知的な瞳が、眼鏡越しにチラリと狙いを定める。
 薄い、綺麗な唇が、祓詞を紡いだ。
「祓い給え……滅し給え」
 銃など似合わない繊細な指が、引き金を引く。
 黄泉醜女の1匹が、動こうとしたところだった。他の10数匹がそれに従い、一斉に2人の巫女を襲う……寸前。
 その最初の1匹が、銃声と共に激しく揺らいだ。バリバリッ! と電光をまといながら、空中で痙攣する。
 銃弾と電撃を、同時に撃ち込まれたのだ。
 感電・痙攣する黄泉醜女の巨体から次の瞬間、放電の輝きが周囲に溢れ出した。雷鳴を、響かせながらだ。
 荒れ狂う稲妻が、空中の怪物たちを片っ端から呑み込んでゆく。夜の公園が、真昼のようになった。その荒々しい光の中で、黄泉醜女が次々と砕けて散った。
 黒焦げの破片が、ひらひらと舞い落ちて来る。
 醜悪な生き物の群れで満たされていた視界が、あっという間に綺麗になった。
 面倒な戦いになる、という意気込みが、静葉の中で見事に空回りしている。
 邪魔なものがなくなった清かな夜空を、思わず静葉は見回してしまった。
 本当に、この場の黄泉醜女は全滅したのか。2匹か3匹、仕留め損なったのがいて、隙をついて美鶴を襲ったりはしないか。危ういところで静葉が助ける。そうすれば自分も、少しはいい格好が出来るのだが……
「私のやり残しでも、探しているのかしら?」
 美鶴の声は、微かな笑いを含んでいた。
 冷たく険しく黄泉醜女を見据えていた眼差しが、今は優しく和らいでいる。そして軽くからかうように、静葉を見つめている。
「そ、そういうわけじゃ……ないんですけどぉ……」
 静葉は俯いた。かあっ、と頬に赤色が昇る。顔が、熱くなった。
 この先輩は何もかもを、眼鏡越しに見通している。話す度に、それがわかる。
 とくとくっ、と自分の体内から音が聞こえて来るのを静葉は感じた。あまり大きくない胸の奥で、心臓が落ち着きなく暴れている。美鶴に微笑みかけられた時は、いつもこうだ。
(何……何なのよ、もう……わけわかんないっ)
 自分の、このわけのわからない心の状態を先輩に見通されるのが恐くて、静葉は顔を上げられなかった。
「……帰るわよ」
 俯いたままの静葉の横を、美鶴が通り過ぎる。涼やかな芳香が、ふわりと鼻先を撫でた。
「あっ……は、はい」
 静葉が慌てて顔を上げた時には、美鶴は水面から芝生へと上がっていた。
 そこへ森田上級曹長が、おずおずと声をかける。
「お、お見事でした……」
「邪魔よ」
 立ち止まらず、見もせずに、美鶴が言い放つ。
 口籠り下を向いてしまった森田を美鶴はそれ以上、相手にしようともしない。兵士たちなど1人もいないかのような歩調で、優美な後ろ姿が遠ざかって行く。
 追いながら、静葉は軽い溜め息をついた。
 まったく男というのは本当に弱々しく、哀れな生き物だった。
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