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拝啓。ケーキ様。

 百聞は、一食にしかず。

 拝啓。ケーキ様。


 もしも目の前に美味しそうなカップケーキがあったら?

どちらかというとチーズケーキの方が好き。でも美味しそうなので頂くことにする。

なぜなら食べ物を粗末にしてはいけないと、なんとなく信じているから。

 食べ物には神様が宿っているんだ。


 もぐもぐgもうg。少し酸っぱい。腐っていたのかな?


 道端に落ちている食べ物を食べてはいけない、それは拾い食いだと怒られる。

しかし食べ物を粗末にしてはいけない。

 要するに、僕は腹がへっていたのだ。

空腹で死にそうなわけでもなく、小腹がへっていた。


 珈琲を流し込むだけの昼食や、インスタント麺類をそのまま食べるような雑食は、空腹の神を呼び寄せる。

しかし、満腹になるにはお金が必要で、そしておなかがいっぱいになれば、眠りの妖精が僕を・・・

 駅から少し離れた学校に行く途中で、公園に美味しそうなものが落ちていたら、誰だって食べてしまうに違いない。朝食を抜いて、昼食を節約しようと目論む輩には、まさに天佑。

 僕はもうすでに講義の始まった大教室にもぐりこんで、シズコを探す。

だいたいシズコは何も考えていないので、いつも真ん中の決まったところに座っている。

真ん中の方が、僕には座りずらいのだが、僕はシズコの隣にたどり着かなくてはならない。

「今日も遅刻ね。」

うん。そうだね。

「出席、まだだからね。命拾いするなんて、憎たらしいわ。」

うん。そうだ、、、、


 僕の記憶はここで途切れる。

先生が壇上でつまらなさそうにあくびをするさまを、かろうじておぼ、え て



 目覚めると。くんくんくん。昼食か?

卵焼きの香りがする。甘い。

 上半身を起こすと、ペンケースにメモが挟まっている。

『起きないから先に行くよ。夜行性動物。』

1限を通り過ぎ、気がつくと昼休みか。シズコは薄情だなぁ。

立ちあがると、跳ね上げ椅子がパタンと音を立てる。

教室を出ると、眠気が飛んで行った音がする。飛行機の音。

 そういえば、僕は空を飛んでいたんだっけ。


 空を飛ぶと空気抵抗を感じる。ダイレクトに。

目の前が急に明るくなったかと思うと、それは雲に反射した太陽光線だったり。

飛行機のような、不思議な、樹の根のようなものに身体がくっついている。

木の根に包まれた自分が飛んでいる。眼下には一面の雲海。

青い空は頭上。突き上げるように、吸い込まれるように蒼穹。

全天360度の解放感に、程よい寒さと暖かさ。

 宇宙へ出ていく時は、無限に落下し続ける。

地球と反対の方向へ落下し続ける。

僕は落下し続ける。地面が同じスピードで落下し続けるから、永遠にこの高度にとどまる。

 もちろん、望めば、宇宙へも、届くかもしれないが。


 僕は人間なので何もしなくてもおなかが減る。

朝に何かを食べたけれど、思い出せないから、昼はぼうっとしながらパンでもかじろう。

そういえばシズコは研究室だろうか。僕は文系なのでケンキュウシツというものがよくわからない。

とりあえず、僕は売店で好物の蒸しパンを買って、午後の講義に備えることとした。

 午後の講義はまた大教室で、大勢の学生の発する眠気の雰囲気に満ちているのが定番である。

僕は、あの眠気ウイルスは昼食由来だと思っている。カップルの出す甘い雰囲気、一人ボッチの出す孤独感、

そんなものが昼食の匂いと混ざり合って繁殖し、睡眠を誘発するのだ。

 さっそく椅子にすわり、少し座り心地の悪い、ほんのりと前の使用者の体温が残る椅子。

あくびをすると、眠気が襲ってき、、、て、


 僕は一人で教室に座っている。どこの教室かはわからない。教室ではないかもしれない。

誰もいないのでとても静かだ。音の無い部屋。

僕はカバンから本を取り出す。静かな時は本を読む。

今読んでいる本は、不思議の国のアリス。

”ハンプティダンプティなぜ食べた?”彼は何を食べた?

頭が卵みたいに膨らんで、天井付近に浮かんでいる。

足元にはシャム猫が。

僕はカバンから帽子を取り出すと、帽子をかぶる。

「さて、パーティーをしよう!」

教室の扉がトランプ兵によって開け放たれ、見覚えのあるような、無いような顔がなだれ込んできた。


 顔を上げると、僕は帽子をかぶっていたわけでもなく、座ったままの格好でいた。

いつの間にか夢を見ていたようだ。

夢?僕は夢を見ていたのだろうか?

午前中には空を飛び、午後には不思議の国へ。

夢という現象以外では、幻覚というものしか思い浮かばない。

たまに、夢を見て現実のようにリアルな思いをすることはあるが、すぐに忘れてしまう。

しかし今日は特別で、よく覚えているではないか。今日なら、頑張って小説家になれるかもしれない。

しかし、僕はそれを書きとめるすべも、描き出す術も、生憎持ち合わせていないことに気がつき、少し安堵した。


 午後の講義を睡眠で乗り切ると、僕はシズコの研究室へ向かった。

今日はシズコと映画を観る約束をしている。

研究室にはゴシック体で、”睡眠でお困りの方、どうぞ”と書いてある。

中から物音が聞こえるので、そして在室表のところにシズコの名前を確認すると、廊下の長椅子に腰を下ろす。

 廊下というものは、立っている時と座っている時ではなんとなく奥行きが違って見える。

立っていると奥行きがあるように見えて、座っていると奥行きがないように見えて、いや、違う。

立っていると奥行きがあるように見えなくて、座っていると、、、永遠に続くように見える。

立っていると奥がどんどん近付いてくるように見え、座っていると廊下の奥がチカチカと動き回っているように見える。

だんだんと廊下にいる僕がくるくると回りだす。廊下に見えるこの場所は、螺旋階段。

 ベンチだと思っていたものは実は階段だ。

廊下の奥だと思っていたところは、建物の天井で、中世の教会のようだ。

いつしか僕は階段を駆け上っている。上へ、上へ、上へ。


「おーい、いつまで寝てる気?」

 ハッと我に返るとはまさにこのこと。であろう。

僕は廊下のベンチに座っていた。たしか、シズコを迎えに。

「来たなら連絡くらいしてよね。結構早く終わってたけど、部屋にいたから気がつかなかったじゃない。」

そっか、また寝てしまったのだ。

いつの間にか、ということは今日は深刻な睡眠不足らしい。

「さ、いくわよ。映画でしょ。ミクロス。早く行かないと、席をとらないと。」

そうだね。行こうか。

僕はシズコに並んで歩き出す。

廊下を右に曲がると階段がある。階段は正面玄関に続いているが、螺旋階段ではなかった。


 研究室棟を出ると、あたりはすっかり暗がりで、いかに睡眠の時間が長かったかがわかる。

僕はふらふらとした足取りで、シズコについていく。

そういえば、シズコはどうして僕の前を歩いているのだろうか?

シズコは僕の友達で、そこそこ頭も良くて、教授にも好かれている。僕とは違う。

僕は普通の大学生で、特に何もなく、せいぜい皆と同じ意見を嫌うような、自ら友達を減らすような。

そんな正反対。ひょっとしたら、シズコは同情しているのかもしれない。

「何考えてたのよ?」

いや、大したことではないよ。ミクロスの後編についてさ。

「そうね、前編が中途半端だったから、今度こそしっかりしてほしいわね。」

 そっか、シズコはミクロスが楽しみなのだ。アニメとか見る相手ってなかなかいないって、言ってたっけ。


 入り口でチケットを買うと、指定席を探すことがまず第一の行動だ。

今までの習慣からか、ついつい映画館では席を確保してしまう。

自分の好きなものくらい、自分の好きなところで見たい。楽しい時間くらい、自分で意識して、想像したい。

僕はなけなしの金でポップコーンを買う。シズコが席をはずしているうちに、少しくらいいいところを見せたいと思うんだ。

「あら、気が利くのね」

いや、いつもどおりさ。

「私、やっぱり映画にはポップコーンが必要なんだと思うわ」

なんでだい?

「だって、手持無沙汰になるでしょう?」

そうだね。

「何かに集中するには、ながら運動が重要だと思うのよ。」

まるで熟睡するのに夢を見ないとならない、いつも君が言っていることだね。

「正解っ。そうね。心身のバランス。これ重要。」

そういえば、映画はまだかな?

「映画?今日は映画を観に来たの?」

あれ?ここは映画館だよ。

「いいえ。ここは映画館よ。でも今日は休館。」

それでは映画は観られないじゃないか!?

「今日は、あなたと過ごすために私はここにいるのよ?」

あれ、そうだっけ。そっか。僕はシズコと過ごすためにここにいるんだ。

「そんなことはどうでもいいわ。ワルツを踊りましょう」

え?僕はワルツを知らないよ?シュトラウスかい?

「そうね。なんでもいいわ。踊るの。さあ、「起きて!」


 僕は起き上った。ふくれっ面のシズコが、隣の席で座っていた。


 映画が終わると、僕はシズコに怒られると思った。だからまず謝った。

ごめん。

「なんで謝るの?」

さっき寝てたから。さ。

「そうね、、、最近ちゃんと寝てる?疲れているの?」

シズコが怒る、というよりも心配しているようだ。いつもの感じと違うことが伺える。

僕は、よく寝ているよ。

「いいえ、ちがうのよ。なんかおかしいの。」

おかしいかい?寝顔が?

「そんなんじゃないわよ。なんか、違う世界に行っているみたい。」

いいね。寝るだけで違う世界に行けるなんて、まるでこの世界の法則とかけ離れている!!!

「あのね、ああ、もういいわ。いつでも能天気ね。」

それは褒めているのかな?さあ、行こうか。

 僕はシズコと同じ方向に帰るので、駅へ向かう方向へ、とりあえずエレベーターに乗ることとした。


 シズコはおなかがすかないといった。ポップコーンを食べすぎたのだと思う。

僕も今日は早めに家に帰り、眠りたいので相槌を打つ。


 僕はなんとなく、さっきの夢のシズコと、今となりにいるシズコと、比べてしまう。

夢の中のシズコは、僕のことを呼び、手をとり、僕のなんとなくの、欲求を満たした。

現実への目覚めの声と、夢へいざなう声は同じ”ウェークアップ!”だったけれども、その言葉の意味するところは、全く反対だった気さえもする。

 「ねぇ、聞いているの?」

うん?聞いていなかった。ごめん。

「今日はずっと上の空ね。」

うん。そうなんだ。おなかはすかないの?

「さっきいったわよ。もう。そういうそっちこそ、おなかすいたの?」

どうしてだい?

「非情じゃないんだから、ご飯くらいつきあうわよ。今日は何を食べたのよ?一体。」

そうだなぁ、昼は少しと、後は朝にキノコを食べた。

「キノコ?どこで食べたの?スープバー?」

いいや、学校の近くの公園に落ちていたんだ。蒸しパンのようで、味は覚えていないよ。


 『それはもしかして、プツプつ発酵していたの?』

シズコが腕を強く握ってくる。

 『白くて、キノコには見えないような、美味しそうな格好で、、、』

そう、これくらいの大きさ。

 『そんな大きさの、、、全部食べたの?』

おいおい、いったいなんだってそんなこと、、、

 『食べたの?食べなかったの?』

シズコの表情がまるでテストの前のように険しい。

ああ、全部食べたよ。しょうがないだろう。「おなかがすいていたんだ!」

 『そんな、、、嘘、、、』

猛毒のキノコだったのかな?

 『それはね、私達の研究室の研究テーマ。』

キノコなんか研究してたのか?だって睡眠って、

『それは夢を見るキノコ。夢想誘導物質を生成する、ある意味最悪の毒キノコよ。』

 僕は今ほど、現実が夢であってほしいと思ったことはない。



 僕は今研究室にいる。

深夜の学校はとてもいつもの喧騒からは想像できなくて、読書や音楽・映画鑑賞にふさわしい場所だと認識した。

夜間には基本的には立ち入り禁止だが、あれからシズコがすぐに教授と連絡を取って、教授とシズコと僕は研究室にいる。


「さて、君の絵から考えるに、どうも間違いないらしい。」

教授は先程僕の描いたキノコの絵を見て、うなづく。

キノコの絵を描いたのは久しぶりだ。小学校で描いたかな。

「君は今日、学校以外にどこかへ行ったかね?」

「教授、彼は私と行動を共にしていたので、映画館以外には行っていないと思われます。」

僕はうなづく。ついついこういう先生の前では発言しづらい。

「そうかそうか。君がシズコ君と仲が良くてよかったよ。あやうく大惨事になるところだった。」

「やはり、伝染性があるのですか?教授。」

伝染する?どういうことだ?

「恐らく接触感染、あるいは粘膜感染だろう。何しろ菌だからね。」

菌?

「そうだ。簡単に説明すると、君の体内でキノコの菌が胞子を作り出しているんだよ。」

ふーん。そうなんだと納得できるような内容ではないことはわかった。

「その胞子が、恐らく、私たちの研究している夢想誘導物質であるという仮説だ。」

シズコが一枚の写真を持ってくる。何かの顕微鏡写真のようだ。

「そして、その夢想誘導物質が睡眠を誘発するのよ。睡眠中、人間の体温は少しだけ高くなるの。」

シズコは小さく咳払いをする。

「つまり繁殖に適した温度まで体温を上げるには眠らせるしかない。そして眠らせるために、夢を見させる。」

ってことは、最悪の場合、、、

「そうよ。死ぬまで夢を見続けることになるわ。」

 写真の真ん中に、丸く、白い悪魔がいた。それは天使のような、羽を伸ばしているようにも見えた。



「あれほど拾い食いはだめよって言ったのに!」


 僕はごめんなさい。

何せ、世界に死の菌を振り撒く、文字通りの生物兵器になってしまった。

拾い食いのせいで。

とりあえずのところは、接触、粘膜感染の可能性以外はないらしい。

シズコに注射を打たれた。血圧を下げる薬らしい。



 僕は当面の間、研究室で飼われるそうだ。

眠ることは問題がないので、起きて・寝てを繰り返す。

睡眠を繰り返すたびに、現実感が強くなる。

例えば注射の感覚。夢の中でもシズコに注射を打たれる。

注射は痛い。それはとてもリアルだ。

しかし、一つだけ違うことがある。それはシズコが夢の中だと僕を好きなことだ。

シズコは僕を愛してくれる。愛をささやいてくれる。愛をくれる。

自由を奪われた僕に、今得られるものは唯一、愛だ。

彼女の愛情は、僕を拘束するがゆえに強くなる。拘束は愛だ。

「何を話しているの?」

僕は何も言っていないよ。

「そう。誰かに話しているのだと思ったわ。」

それは嫌いかい?

「いいえ。だってあなたの時間は無限だもの。私はいつでもあなたのそばにいるのだから、嫉妬する理由はないわ。」

そうだね。僕らは永遠の愛を誓ったんだ。僕が身体の自由を引き換えに得た、至高のもの。

「今日はずいぶんと機嫌がいいのね。」

そうなんだ。だって、、、あれ?何の日だっけ?

「そんなこと、どうでもいいわ。それより、私は歌いたいの。」

そうだね。聞かせておくれ、君の歌声を。僕にはもう聞くことのできない、山の鳥のさえずりを。海の波の音を。



 「もしもーし!!!!」


ここは?あれ、シズコじゃないか。

「そうよ。わるい?せっかく差し入れのコーヒーを持ってきたのに。」

そっか。

「最近の調子は?」

僕が研究室に飼われて1週間。研究はだいぶ進んだらしい。

人体実験というものは、臨床実験とでも言うべきか、やはり一番確実なもののようだ。

「教授がね、言ってたの。」

シズコは缶コーヒーを手で転がしながら、

「血中の細菌はひと段落したんだって。」

そっか。

「でもね、菌の集まりがアタマにできちゃうかもしれないんだって。」

そっか。

シズコは机に勢いよく手を突く。研究室の空気が震える。

「なんだかわかってるの?ねえ、事の重大さが!!!」

うん。

「そう。ちゃんと説明してあげるわ。頭の中でね、胞子のうが爆発するのよ。」

そっか。

「死ぬのよ?爆発して!!」

そうだね。


 もうしらない!!!!!

バタン。

ドアを蹴飛ばすように、シズコは出て行った。

 僕は夢を見ている。頭が爆発すると、脅かされる夢。


 「おーい。」

あ、教授。おはようございます。

「うむ、実は、今日は、君の体内にある、、、」

あ、爆発するという話ですね。

「そ、そうなんだよ。しかし、爆発しないかもしれないんだ。それで、、、」

新しい薬を試すわけですね。どうぞ。

「そうか。そういってくれると助かるよ。君の命を救いたいんだ。」

はい。そうですね。

「ところで、一つ聞いていいかな?」

教授がノートを手に、メモをとる準備をする。

「君は最近どんな夢を見るのかな?」

最近ですか。僕はいつもシズコと一緒です。

「おお、そうか。それで、最近何か変わったことはあるかな?」

変わったことですか、、、シズコが最近、冷たいのです。夢の中のシズコが。

「んん?夢の中なのに?」

はい。注射をする時も、コーヒーを持ってくる時も、僕を憐れむ目をするんです。

「夢の中なのに思い通りに行かない?と。」

はい。そうなんです。不思議ですね。これもキノコのせいですか?

「うむ、、、そうかもしれないなぁ。わかった。ありがとう。」

はい。それでは、僕は少し寝ます。

「うん、おやすみ。良い夢を。」

はぁ、夢ですか。


 僕は、意識が解けていくのを感じた

複雑に絡まった、網の目の様な意識が解けていく。

こうして、夢が終わり、現実へ回帰する。いとおしいシズコが待つ、現実に。


 夜の研究室。

シズコは一通りの支度を終えて、帰るところである。

「シズコ君、今日、一つわかったことがある。」

教授、なんですか?

「彼はな、うん。現実と夢を、違えて意識しているようなんだ。」

夢をですか?

「そうだ。彼にとってはこの現実より、夢の世界の方がすべてが心地よい。」

まあ、自分の思い通りにできますからね。

「うむ、しかも人間をそのまま自分の思い通りに構築しているようなのだ。うん。」

それはつまり、私や教授を夢の中で自分の都合に合うように構築していると?

「そして、彼は、夢の中のシズコ君に恋をしているようで、、、」

シズコは手にした水筒を落とす。

夜の研究室棟に、乾いたカランという音が響く。


「あくまでもこれは憶測だよ。憶測。」

教授は少し慌てて、一枚のグラフを手にする。

「これは彼の睡眠時の脳波と心拍数の値だ。」

いくつか波を描き、その数値のそれぞれに単語が書いてある。

「これは一種の心理テストだ。無意識状態で脳が活性化している時、人間は外部のインターフェイスに反応することがある。」

つまりこの単語に反応し、

「そして、その単語が、愛・現実・そして君、シズコ君の名前だ。」


”現実ノシズコヲ愛ス。”

今、彼にとっての現実は夢の世界。彼は夢の世界の私に恋をしている。


教授、私はそれではお先に失礼します。

「ああ、それでは、また明日もよろしく頼むよ。」

わたしは、研究室を出ると、トイレへと向かった。

独りに、なりたかった。


 鏡。鏡に映る私。

夜のトイレは明かりもなく、月明かりは鏡に私を映しだす。

狐のような化け方、タヌキのような騙し方、私にはできないことをやってのける、想像力。

彼にとって、私が大切な存在であれば嬉しい。しかし、私ではない、この鏡の中の私。

 彼女は嫌味もなく、ただ彼を受け入れる。そして、投影し、影絵のように動く。

彼女にとっての幸せが何であれ、いや、そんなものは存在しない。

 彼女はどこに幸せを待っているのだろうか?


 私には彼がもう助からないことが分かる。皮肉にも私が勉強したが為に。

私は彼が助からないことを確信するために、学んできたのか。

自分ではどうしようもないのか?

 もう一度、彼の顔を見てから、今日は家に帰ろう。

私も夢を見よう。我が家のベットで。暖かい寝床で。


 目が覚める。今日は晴れているようだ。

足元に重みを感じる。上半身を起きあがらせる。

そこにはシズコがいた。倒れるように、シズコが僕の足元で寝ている。

 そういえば、今夜はめずらしく夢を見なかった。なぜなら何も覚えていないのだ。

何も?いや、断片的に覚えている。

 月明かりの中、シズコが枕元にやってきて、僕に何かを囁きかける。

僕は「静かな夜だね。」というと、シズコが急に涙を流して、

そのあとが思い出せない。

「あら、眼が覚めたのね?」

うん、眼が覚めたみたい。

「目が覚めた、、、ね。」

どうかした?

「いいえ。私ね、夢を見たの。」

シズコは手で髪をとかす。

「月明かりがきれいだったわ。好きな人が寝ていて、”静かな夜だね”なんていうものだから、思わず泣いてしまった。」

あれ、ひょっとしたら僕も同じような夢を見ていたのかもしれない。シズコが立ち上がって、

ふふふ、、、

シズコのふくみわらい。久しぶりに聞いた。


「そうね。同じ夢を見ていたのかもしれないわ。」

ちなみにね、

シズコが言う。ドア越しに。

「夢想誘導物質は花粉のようなものなの。シナプスを流れる物質は、情報を伝えるわ。」


シズコは、顔を洗ってくると言い残し、部屋には僕一人が残った。

しかし、部屋にはシズコの雰囲気というか、空気というか、存在感が残っているような気がして、なんとなく、大きく息を吸い込んだ。

教養科目程度の知識しかない僕には、シズコの言葉の意味がわからなかった。


 数日が過ぎ、僕は相変わらず飼われている。

しかし、少し変化があった。

まず、教授が僕の体内の粘液からキノコを培養し始めたこと。

体内でと体外ではキノコの形や働きが違うらしい。それによっては体内の菌を無害化できるかもしれないということだ。

そして、もう一つの大きな変化は、シズコと同じ夢を見ることが多くなったこと。

 僕はシズコのことが好きだ。夢の中ではいつも、彼女と世界を見て回る。昨日は彼女と南の島へ。一昨日はヨーロッパの街へ。

彼女も夢のことを覚えている。口には出さないが、きっと彼女も愛している。

 僕は自分がどうなろうと、むしろ夢の途中で死んでしまえば、それは永遠の幸せになるのではないかと思った。

しかし、シズコは、どうなるのであろう。残されてはいけない。しかし彼女を救う手だてなど、僕は考えられるような立場にいない。

一度、この話を夢の中で、夕暮れの江の島海岸でしたことがある。彼女は、心配しないでと言うばかりだったが。


「いやあ、おはよう。ちょうしはどうかね?」

教授、おはようございます。とても調子は良いです。

「最近は脳波も安定しているようだし、記憶もしっかりしているかな?」

記憶は以前の方がしっかりしていたかもしれません。

「はて、そうか。」

はい。最近ではシズコに聞いて思い出したり、シズコとの会話で気づくことが多いですね。

ははは、と軽く笑う。しかし、教授の目は笑っていなかった。

「つまり、シズコ君と同じ夢を見ると?」

そうみたいです。でもきっと、彼女が出まかせにいろいろと物語を作ってくれているのでしょう。

僕はおもわず本音をこぼしてしまった。

心理学も彼女は長けていたはずです。

「そうだが、、、そうか。わかった。」

教授は机から1瓶の薬品を取り出す。

「とても言いずらいが、君の記憶はそろそろ交錯を通り越して、妄想の域に達している。」

妄想。大好き。

「そして、それが破裂するとき、君の人生も終わり、胞子が拡散する。」

じんせい。

「シズコ君の記憶を頼りに、辛うじて記憶が連続性を持っていたが、そろそろ限界のようだ。」

あれ?シズコは?

「彼女はここ1週間、研究室には来ていない。」

だって、トイレで悩んでいたって、、、

「それは君の妄想さ。シズコ君は、ここにはいない。」

 そんな。嘘だ。嘘?嘘と本当。

「そもそも、考えてみなさい。シズコ君が素手でキノコを触って眠らないわけがない。だろう?」

そう言われればそうだ。なぜ気がつかなかったのだろう?

「明日にも、最後の治療をしてみようと思うんだが。君は、、、」

それでは一度、最後にシズコと話をさせてくれませんか?

「ああ。わかったよ。もちろんだ。」

 教授が外へ出ていく。入れ替わりに、シズコが入ってきた。


 「元気そうね。」

うん。まるで君とは昨日会ったようだ。

「そう?そうかもね。昨日かも。明日かも。」

明日?

「そうよ。その証拠に、私は一週間、ここへ顔を出していなかったわ。」

それは聞いたけれども、よく話がわからないよ。

「そうね。じゃあいい?よく聞いて。」

シズコは教授の培養しているキノコを手に取る。

「こんなことをしては、私まで感染してしまうわね。」

だめだよ。君まで死んでしまう。

「あのさ、デジャヴってあるじゃない?」

シズコはキノコをケースに戻す。

「夢想誘導物質の存在は、時間の性質に左右されないのではないかということが私の仮説だった。」

紙に、鉛筆で矢印を描く。

「普通は、時間の不可逆性で、物質の存在は一方通行。」

反対に矢印を描く。

「でも夢想誘導物質は違う。夢に誘うのと反対に、夢から覚める、覚醒作用も持っているの。」

つまりその覚醒作用が、時間に逆行していると?

「そう。だから夢の中で何日経っても、覚醒作用が大きく作用すれば、現実では一晩で済んでいるのよ。多分。」

そして記憶だけが残ると。

「そして覚醒作用がマイナスに作用してしまう時、未来の出口が入口になって、夢想誘導もマイナスに作用する。」

今度は逆矢印を描く。

夢に入る状態から出ていくわけだ!

「100点ね。出口から入口へと進んでいくわけ。時間は4次元的な空間だから矛盾はないわ。そしてそれが、、、」

あの時の夢か。なるほど。

「やっぱり何か心当たりがあるのね。」

シズコは厚い資料の束を投げてよこす。軽く1キロはありそうだ。

何やらグラフ、外国語の論文の引用、写真がたくさんある。恐らく今の話の根拠となる資料だろう。

うん。そういえば、一つ聞いていい?

「何よ?」



研究室に空いている窓はないが、そよ風が吹いてきたような気がした。


僕のために、一週間、こうして考えてくれていたのかい?

「まあ、ほうっておけないし。ね。」



 僕はシズコの白衣の裾を勢いよく掴んだ。


体温はとても温かく、少し鉄っぽい味がする。

こんなに暖かいと、頭からキノコが生えてくるんじゃないかと、思った。

 「僕も、ほうっておけないよ。」

顔を離すと、シズコのメガネが少し歪んでいて、そしてレンズに少し鼻の油が、光っていた。


 僕は除菌されることになった。

除菌すると僕の身体ももういよいよダメになるらしい。

一応救命しようとしてくれるらしいが、もう無理であろう。助ける気はあまりない。

教授は解剖してレポートを作ることばかり考えている。

確かに、これは世界初の症例であり、凄い功績になるのだろう。

まるで夢のような、人生の栄転が、目の前ぶら下がっているのだ。

僕にはマッドサイエンティストにしか見えないが、人類を危機から救うための使命感を持って取り組んでいることだろう。

 そこでシズコが面白い事を教えてくれた。二人で立てた作戦。実行は明日の朝。

 以前の夢の通り、シズコは今夜、僕のベッドの枕元で涙し、そして朝まで足元で寝ていた。

もちろんそれをシズコには言わなかった。トイレで悩む件は、恐らく僕の妄想だったのだろう。

 夢想誘導物質はお互いの存在を認識すると、相互作用を起こすらしい。

以前デジャヴで説明を聞いたとおり、花粉のようなもの。だ。

 ホウセンカという植物がある。

種を作ると、爆発して周囲にまき散らす。

また、タンポポは綿毛に種を託して、風の向くままに世界へ広がっていく。

いずれの植物も、種を飛ばした後枯れてしまう。しかしそれはあくまでの植物の場合である。

 僕は、除菌されることとなった。


風力4、南の風、気温24度、天気・晴れ。

朝になると、僕はふらふらした足取りで、ベッドから起き上がる。

くしゃみが出そうなので、マスクをする。へくしゅん。

上々。

シズコに電話する。

「もしもし、準備はどう?」

ああ、ふらふらして、死にそうだよ。

「ふふふ。まさか私もこんな結末は予想していなかったわ。」

まだ終わっちゃいないんだ。教授は?

「いま学校の敷地に入るところよ。」へくしゅん。

そっか。よし。へくしゅん。

僕は窓の鍵をあける。鍵は昨日の夜にシズコが開けてくれた。そよ風が吹きこむ。

全世界の皆さんには申し訳ないが、ショック療法ということで。

「準備OK?」

いつでも。へ、へ、へ、くしゅん。


 教授の足音が聞こえてくる。

シズコの足音も聞こえてくる。

僕の足音も、聞こえてくるだろう。



 あれから、僕は爆発した。

研究室棟のすべての窓が開け放たれる掃除の時間が、ちょうど朝。

シズコも時を同じくして爆発した。

 教授は一瞬、驚いた顔をしていたが、すぐに安らかに眠った。

爆発と言っても、肉片が飛び散るような派手なものではない。

たとえて言えば、試験管に詰めた水素を爆発させた時のような、クポッっというかわいらしい音だ。

くしゃみのようなものと言えば、わかりやすいと思う。へくしゅん。

 合図とともに、シズコとマスクをとって、ただくしゃみをしただけ。咳エチケットを無視して。



 結論から述べると、確かに夢キノコには人を殺すような危険性があるが、それはキノコとしてのことである。

夢想誘導物質を、他に感染した人体の夢想誘導物質と交配させることで、体内の菌(夢想物質)は人間に寄生することをやめるのだ。

そして第二の姿、夢想誘導物質に変化して、新しい宿主を探して飛んでいく。

つまり、菌でありキノコは夢想誘導物質の休眠期の姿・夢想物質であり、休眠期が終わればさっさとどこかへ飛んでいくのだ。

それは人間の体にある自己免疫機能と戦うより、よっぽど効率的であり、

しかも人は免疫を身体に作るので、再び夢想状態に陥ることはほとんどないだろう。と、シズコは分析する。


 こうして世界中に広がった夢想物質は、人々を夢の世界へいざなうこととなった。



「シズコ、しばらくみんな起きそうにないね。」

僕はシズコとつんつんする鼻を押さえながら、教授をベッドへ運ぶ。

教授はきっと、僕を解剖して学会で大成した夢を見ているのだろう。

しあわせは人それぞれ違う。違うから、それぞれが夢を見る。夢は社会を作らない。

 しかし、夢想物質は一つ面白い事を教えてくれた。

夢想物質が夢を超えて、作用しあうということ。無意識下で情報の選択をし、他人の夢想物質とコミュニケートする。

 夢の中では、人間は真に自由なのかもしれない。


「そうね。でもしばらくはいいんじゃない。なんだか、夢の世界みたい。」

夢の世界か・・・

「そういえば、」

「なんだい?」

シズコは教授の腕をとり、腹の上で手を合わせ、なんだか死人のようだ。

「そうだ、お弁当作ってきたのよ。食べる?」

お、気がきくなあ。

「いただくよ。おなかがすいてしょうがなかったんだ。」

シズコは椅子にすわり、膝の上に包みを広げる。

「おにぎりだけどね。」

海苔が別になったおにぎりだ。気がきく。

「いただきます。」

あ、そうだ。と、シズコが電子レンジの方から何やら持ってきた。

「さっき、チンしておいたの。」


あっ。

シズコが声をあげる。


ころころころ


カップケーキが転がってきた。

僕は足元に転がるカップケーキを拾う。


「拾い食いは、よしておこうかな。」

シズコが、苦笑いした。


今回初めてまともに小説を書きました。

漫画の物語などはよく考えていましたが、

自分で作品を作り、完結させることはとても骨の折れることです。

しかし、面白い。

また、時間と空間を超えたところで、

文章を披露できたならば。


ps:もしよければ感想を頂けたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言]  星野です。  ごく普通の日常って感じではありながら、それでも、不思議な雰囲気のお話でした。  彼とシズコの関係が不思議な感じでした。 描写からは既に付き合ってる感じがしましたけど、でも、お…
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