例えば、そうさ。
ほら、水中に居ると息が出来なくて辛いだろ? 苦しくなるだろ?
それはそんな単純なことで、所謂当たり前ってやつだ。だからこそ僕たちはそれを拒めないし拒まない。捉えようによっちゃそれはとんでもないことなんだよな。
「それで?」
目の前に居るは、あからさまに不機嫌な顔をしている女。その手にはラークマイルド。女性が吸うには少し変わった嗜好の煙草を煙している。一息吸って吐き出して、再度彼女は問いかけた本人を見つめた。見つめたというよりは、にらみつけたと言った方がいいだろう。
「結局あんたは何がしたいわけ?」
ひしひしと敵意に似た感情をぶつけられる、もちろん瞳も剣呑と輝いている。
「だからぁ、オネーサンと一発ヤリたいんですよ〜」
「……盛りのついた雄猫に興味なんてないわ。相手が欲しいならそこにいくらでも要るじゃない。腐りきった奴らがね」
彼女が指差した方向には、彼女が言うように熟しすぎた果実のような人間がごろごろいた。女も男もどこか死んだ雰囲気で、それがこの場を異様なものにしているのだが。
「オネーサンも腐った果実でしょぉ?」
「……あんたみたいに性根から腐ってるわけじゃないよ」
そう言ってまた煙草を口に運ぶ。彼女のその仕草はとてもセクシーで、死んだ空気を一瞬だけ満ち足りたものにする。
だからこそ彼は彼女が欲しかった。
別にそこに愛があるわけじゃない。ただ手に入れたいだけ。気に入ったおもちゃを自分のものにしたいだけだ。それを彼女はわかっているから、彼など相手にしない。彼女もまた彼に似た人間だから。
「でもオネーサンは甘いよ」
「……は?」
「知ってる? 腐った果実は甘いけど、甘い果実は腐ってないんだよ」
「何其れ」
履き捨てるように言葉を捨てた彼女は、気だるそうに髪を掻きあげ結い上げた。煙草はもうさほど残って居ない。
「オネーサンが腐った果実じゃなくて甘い果実だから、僕はオネーサンと一発ヤリたいんだって」
「あたしとヤリたいなら」
その言葉の続きを聞きたくて、彼は身を乗り出す。
「あんたも甘い果実とやらになってみな。腐った果実となんてヤリたかないね」
最後の煙を吐き出し、煙草を灰皿に押付ける。燻る煙は、一瞬で消えた。彼は若干がっかりしたような表情を浮かべ、拗ねるように言った。
「ちぇ……結局オネーサンも腐った人間ジャン」
「そりゃよかった。腐ってればあんたとヤルことなんてないわね」
そう言って。勝ち誇ったように彼女は笑った。否、笑うというよりも、嘲ったと言うほうが正しいだろう。それでも彼にとっては最高の言葉だった。
だって彼女には中々近づけないんだよ。
彼女に近付くとさ、こう、息が出来なくなるんだ。きっと彼女の煙草のせいだけど、それもまぁ気持ち言いから許してあげる。
だってオネーサンが煙草を吸うのを見るの、僕は好きだからさ。そりゃあオネーサンと一発ヤレたら僕だって満足するけど、いつもいつもいつもいーっつもおあづけ。やんなっちゃうよ。けど仕方ないジャン。だってオネーサンが絶対なんだもの。
「腐った人間でも、僕はオネーサンが好きだよ」
「どんな人間でも、あたしはあんたが嫌いよ」
何時もの台詞、何時もの声。
ようやく睡魔が来たから、オネーサンの右手にキスして、僕は部屋に入った。
「……馬鹿な子」
彼女の呟きも、彼の思いも、結局は独りよがりな自暴論。空気の中で息の出来ない魚みたいに、熟して美味しそうだった果実が、一番明けて腐りきってしまったように、必然で情けの無い馬鹿みたいに汚い感情。
今一度煙草を取り出し、最後の一本に火を点け、彼女はまた息を吐く。
「甘い果実なんてこの世にはないのよ」
結ばれることなんてないのに、それを夢見る馬鹿な子。自分への思いを恋だと錯覚するような幼い馬鹿な子。
だから彼には冷たく、あしらう。
だって自分は腐りきった果実だから。甘くもなく単に毒に成り下がった、甘い果実、だったもの。馬鹿な子が惚れたのは、世界で一番馬鹿な女。
「……馬鹿な子」
それでも愛しいとどこかで思うのは、果実である最後の希望なのかもしれない。
|