邪神召喚をもくろむ魔王と、異世界に来たばっかで自分のレベルにいっさい自信がもてない勇者
……――異世界より来たりし勇者よ。勇者ヨシカズよ――……
脳裡に響く女の声が、意識に波紋を落とした。
……――私は女神フォルド。目覚めるのです。そしてこの世界に光を――……
俺は声に導かれるようにして目を開けた。あたりに充満する埃とカビと、肉の腐ったような匂いに眉をひそめながら、薄闇の中で生き物のように蠢く壁と、俺の身を包む白銀の鎧とを交互に見た。
……――もはや猶予はありません。魔王エクイティが邪神を召喚してしまえば、世界は永遠の闇に閉ざされてしまう。勇者よ、あなただけなのです、この世界を救えるのは! 目覚めるのです! 勇者ヨシカズ! 目覚めて! 頼む! 頼む~~! ――……
「……おい」
『あっ、はい』
「うるせーよ」
『はあ』
「ハーじゃねーよ。何なんだよさっきから何度もよ。目覚めてんだろとっくに、見りゃわかるだろうが」
『えっ。でも全然動こうとしないから、こういう感じのやついるのかな? って思ったんですけど』
「考え事してたんだよ、この状況について。テメーに騙されてぶち込まれた、この状況についてよ」
『やだな人聞きの悪い。あなたが言ったんじゃないですか、剣と魔法の世界で勇者として生まれ変わりたいって。だから私、あなたをここに呼んだんですけど』
「ああ、言ったよ。けどそれは、あのクソみてーな現実世界なんか捨てて、異世界でイチから、最初っからやり直したいって、そーいう意味なんだよ。なのになんなんだよこれは! ここがどこか言ってみろよ!」
『魔王部深層最奥部ですけど』
「ド終盤じゃねーか! お前ここ色々あってやっと辿り着く場所じゃねーか! 転生したばっかの奴がスタートしていい場所じゃねーだろうが! いきなりこんなトコに連れてきて、俺にどうしろってんだお前は!」
……――この世に光を取り戻すのです――……
「やかましいわ! なんならそれも最序盤に言うべきセリフだからな。魔王城についている奴に今さら言うことじゃねーからな!」
『しかたないじゃないですかあ、その身体しか空いてなかったんだからあ』
「空いてなかった、って……この身体の前の持ち主はどこ行ったんだよ」
『転生しました』
「はあ!? どこに!?」
『なんか剣も魔法もない平和な世界に行きたいって言いだして、私も困ったんですけど、ちょうどそういう世界に、ギャンブルで破産して電車に身投げしたボンクラがいて』
「さらっと人の死因イジるのやめろ」
『で、ためしに話聞いてみたらその人、こっち系の世界への転生を希望してたから「お、いけんじゃん」って』
「お前他部署の穴埋めるノリで人の魂移動させてんじゃねーぞ。せめてそいつに魔王倒してもらってから移動させれば良かっただろ!」
『あとは魔王倒すだけって考えたら萎えたらしくて』
「ラスボス直前でセーブして飽きる中学生か。だからって俺じゃどうしようもねーだろ。剣や魔法の使い方はおろか、ここまでどうやって来たかも知らねーのに」
『大丈夫じゃないかなあ。結構鍛えてたし、神にも等しい能力にも覚醒してますしね』
「オイなんだよ、その、神にも等しい能力って。指先一つで魔物を倒せたりとか?」
『いやそういうのじゃないんですけど……えっと、じゃあ、試しにそこの広間をちょっと覗き込んでみてください』
俺は言われるがまま通路から少し顔を出した。
薄暗い広間の中、燭台がぽつりぽつりと淡い光を落とすのが見えた。その光を巨大な影が遮った。ねじくれ曲がった角と、毛むくじゃらの巨躯の化け物だ。
さらにその後ろで、ボロ布をまとった白骨死体が、宙を自由自在に移動している。
呆気に取られている俺の目の前に、突然巨大な柱が落ちてきて、俺は悲鳴と共に身を引っ込めた。身の丈十メートルはあろうかというゴーレムが、不気味に身体を軋ませながら視界を横切っていった……。
『わかりました?』
「わかった」
『どうでした?』
「俺、帰る」
『えっ』
「あんな化けモンとどうやって戦えってんだよ! ボコられて身ぐるみ全部剥がされたあげく、内臓抜かれてもち米突っ込まれて出汁と醤油と酒で味が染みるまで煮られるに決まってんだろ!」
『落ち着いてください。なんでイカめしみたいな殺され方するって思い込んでるのか知らないけど落ち着いてください。私が見てほしかったのはモンスターじゃなくて、彼らの頭の上です』
「頭の、上ぇ? そんなところに何があるって――」
半信半疑でもう一度広間を覗き込み、闇の中を跋扈するモンスターの頭上に目を凝らした。
【アース・ゴーレム Lv27】【デーモン・ソルジャー Lv34】
【スケルトン・ウィザード Lv39】 【アラクネ Lv27】
「なんだ、あの文字と……数字……?」
『そう! それこそあなた(の前の人)が覚醒した能力! 敵の強さを瞬時に見抜く心眼、この世を俯瞰する神の眼差しなのです!』
「敵の強さ……なるほど、要するにあれはレベルか。おい、じゃああのレベルが俺より低いやつには、負けないって考えていいんだな!?」
『もちろんです。敵の強さに合わせて力を温存できないようでは、ここまで辿り着けていませんからね』
「いいぞ、それを聞いて少し希望が見えてきたぜ。つまりレベルが俺より高いやつとは戦わないようにすればいいんだな。おいフォルド! そんで俺のレベルはいくつなんだ?」
『知りません』
「……はあ!?」
素っ頓狂な声をあげた瞬間、広間の奥にいたヤギ角の悪魔と目が合い、俺は咄嗟に物陰に身体を引っ込めた。
「おい、おい。知りませんってなんだよ。ふざけてる場合じゃねんだよ」
『私はレベルとかいうの見えないんだもん。あなたが勝手に覚醒した能力だし』
「それじゃ意味ねえだろうが。あそこにうろついてる奴らが俺よりレベル高かったらどうすんだよ!」
『そんなこと言われても困ります。だいたい自分のレベルぐらい自分で把握しといてくださいよ。あなたの身体でしょう!?』
「おかげさまで俺の身体じゃねーんだよ!」
「……なんだ。誰かそこにいるのか?」
広間から訝るような声が聞こえ、そして何かがゆっくりと近づいてくる気配を感じた。
――やばい。気づかれた! 俺は心の中でフォルドに呼びかけた。
フォルド。おい。フォルド。やべえよ、なんか近づいてくるんだけど!
『そりゃ来ますよ、魔王城だし』
なんっで冷静なんだよオメーわ! なんかねえのか、悪魔祓いの呪文とか攻撃魔法とか、あんだろ? 知ってんだろ? 女神なんだから!
『いや、ありますけど……ここ来るちょっと前、あなたに教えたと思うんですけど……』
だから知るわけねーんだよ! いいから教えろよ。……あっ、もしかしてお前、忘れたな? 一回教えたからもういいだろ、つって忘れたんだろ?
『失礼な、ちゃんと覚えてます。そもそも魔法というのは、女神の加護が具現化したものなんですからね?』
じゃあ教えろよ。早くっ早くっ、ほら、はーやーく!
『急かさないでください。今メモった手帳探してますから』
やっぱ忘れてんじゃねーかお前!
『忘れてないですぅ! ちょっと確認したいだけですぅ! そもそもこういう大事なことはあなたがメモっておくべき――あぁっ!』
どうした? 見つかったのか?
『住民税の督促状……払うの忘れてた……先月末までじゃん……あぁ……』
どーでもいいもん見つけてテンション落としてんじゃねーよ!
『どうでもよくないですよ! 引っ越す前より二千ゴールドも高くなってるんですよ!?』
うるせー自治体に言え! 今は呪文だよ呪文!
『わかってますよ……はあ……確かあのひきだしの中に手帳が……よっ、ほっ、ほいっ――あ! あ、あ、ああ!』
おい今度はなんだ。
『あ、脚っ、脚つった脚つった! 痛い痛い痛たたたたたた!』
手で取れー! 横着するからそういうことになんだよ馬鹿野郎が!
「――ニンゲンの臭いがすると思ったら、なんだキサマは」
しわがれた禍禍しい声がすぐ後ろから響き、俺は恐る恐る振り返った。
【アーク・デーモン Lv88】
「ひィ―――――――!?」
――おい、フォルド。やべーよとんでもねーのが来ちゃったよ。呪文早くしてくれ、おい! フォルド、フォルドってば!
『痛い痛い痛いアッハ痛たたたアハッ痛たたたたたたアッハッハッハッハ!』
痛すぎて逆に笑えてきたとか今どうでもいいんだよ! おい!
「どうした。何を黙っている。まさか、魔王様にたてつくニンゲンがいるというのはキサマのことか?」
「そんな違うんです私は――その――使者です! 我らが国王は魔王サマのお力と叡智にはとても叶わないと悟りまして、降伏の使者として私をよこしたのです!」
「なるほど、服従の意を示すか。良い心がけだが……貢ぎ物はどうした。まさか手ぶらで魔王様に謁見賜ろうなどということではあるまいな。それにその重装備、どう見ても降伏するものの姿には思えんが」
「貢ぎ物は、その、えっと……私自身でございます!」
「キサマが?」
「はい! 私の身につけておりますのは、由緒正しき破魔の武具! これを献上することで抵抗の意志がないことを示し、さらに我が身をも邪神様のイケニエとして差し出すつもりでございます!」
ヨシカズの顔を覗き込んでいたヤギ頭の悪魔は、やがて口を歪ませ、愉快そうに笑い出した。
「ククク、なるほど、キサマの王は我が身かわいさにキサマを送り出してきたというわけか。これは傑作! 気に入った。魔王様の玉座はその広間を抜けた奥だ。……まさか無いとは思うが、万が一怖じ気づいて逃げ出すようなことがあれば、ワシがキサマを殺すからな」
「は、はひっ! もちろんでございますぅ!」
通路の奥に消える悪魔を見送った俺は、そのままその場にへたり込んだ。
『あれ、戦わないんですか?』
鬼かお前は。自分のレベルもわかんねー状態で、こんなリスキーな博打うてるかよ!
『えー。せっかくとっておきのワイン開けたのに』
人の死闘で一杯やろうとしてんじゃねーぞテメー。それより呪文だよ、見つかったのかよ。
『うーん、ひょれが、昨日買ったあたりめしか見ひゅからなひゅて……』
食ってんじゃねーよ。ぶっ飛ばすぞクソ女神。
「ニ……ニンゲン? ニンゲン、ダ!」
甲高い声が今度は通路から聞こえた。
俺は咄嗟に姿勢を低くし、顔中に愛想笑いを広げた。
「いえいえいえいえ! 私は邪神様の生贄として送られた雑魚山ゲリ便太郎という者でございまして! 決してあなた様の敵では――」
【スライム Lv2】
「――は? に? レベル、2ィ?」
俺の足下でがふるふると震えるそいつを見て、口元に嗜虐的な笑みが浮かんだ。
「オーイおいおいおい、おいテメー、ダニ以下のクソ雑魚ちくわ主食野郎のくせになーに俺様のこと驚かしてくれてんだボケが、逃げんなコラァ!」
「ハ、ハナセ、タスケ、タスケテ!」
「助けてじゃねえんだよ、ほれほれ、早く逃げねーと、酢醤油につけてこのままペロリと丸呑みしちまうぞ~? ほーれほれほれほれほれえ~」
「……キサマ。吾輩ノ使イ魔ニ何ヲシテイル」
「あン? うっせーぞ誰だよ、邪魔すんじゃ――」
【スカル・オーバーロード Lv91】
「パイセンチーッス! おはざッス! お疲れさんセッシッス! 使い魔さん大丈夫ッスか転んでましたけどあ大丈夫ッスね! そんじゃ自分失礼シャス! ッサス! あざシャラス!」
眼窩に赤い光を宿す白骨の魔道士にぺこぺこと頭を下げつつ、足早に広間を横切ると、さらにまた見覚えのあるヤギ角が視界に飛び込んできた。
【アーク・デーモン――】
「チィーーーーーッス! アーク・デーモンさんじゃないですかどうしたんですか忘れ物ですか。私も一緒にお探ししましょうか! それとも足お舐めしましょうか!」
【――によくいじめられてるヤギ男 Lv1】
「おうカス。何ことわりもなく俺の視界にフレームインしてきてんだカスクズ。俺を驚かしたバツとしてお前自販機ごっこの刑な。鼻に百円ねじ込むからケツからメロンパン出せよカス。は? できねーのかよカス。じゃあどっか行けよ二度と顔見せんなバーカ!」
『図鑑に載せたいぐらいのクズですね』
うるせえ。世の中こういうもんなんだよ。
俺は大広間を足早に駆け抜け、玉座の間へ身体を滑り込ませた。
玉座の間はいっそう闇が濃く、また不吉なほど寒かった。
『――で、ここまで来たのはいいですけど、どうやって魔王を倒すつもりですか』
「どうやってもクソも、貢ぎ物を渡すフリして一か八か不意打ちかますしかねえだろ。手札もわからねえクソ博打だが、降りることもできねえなら全額突っ込んでやんよ」
『へえ……』
「なんだよ」
『いえ。一応世界を救う気でいることに驚いただけです。少し見直しました』
「オメーはムカつくが、この世界の人に罪はないしな。ただ死んだら絶対お前をぶん殴りに行くからな、覚えとけよ」
『ふふ、お待ちしてますよ。勇者サマ』
「うるせえ」
恐る恐る玉座に向かって進んでいくと、ふいにぽう、と前方の燭台に灯がともった。
「――何者じゃ。どうやってここまで来た」
闇の澱む玉座から声がした。意外にも女の声だった。俺は反射的にかしづいた。
「魔王様! お会いできて光栄でございます、私めはヨシカズと申します! 本日はお渡ししたいものがございまして――」
言いながら、闇の中、魔王の頭上に視線を流す。
【魔王エクイティ Lv99――】
けっ、予想通りカンストしてやがる。まあいい、計画に変更はな……。
【魔王エクイティ Lv9998】
なひィ――――――――――!?
「魔王様ぁん! 子分にしてくだっさーーーーーーーーーーい!」
俺は土下座の格好で額を地面に擦りつけた。
『はっ、え、ちょっと何言ってるんですか』
聞いたとおりに決まってんだろ。なんなんだよアイツのレベル、9998だぞ9998! なんでアイツだけ四ケタの世界に足つっこんでんだ! 付き合ってられっか! 俺はあいつの仲間になる!
『それじゃあ、残された世界の人々はどうなるんですか!』
うっせ滅びろうっせ! そもそも俺はこの世界と何の関係もないからな! 俺が助かれば後はなんだっていいんだよバーカ!
「こ、子分、じゃと? オマエは、わらわの敵ではないの、か?」
「敵だなんてとんでもない! 私はあなた様に刃向かうつもりなど微塵もない、ただのデコピン一発即死虫でございますぅ! こうしてお目通り叶っただけでも光栄至極でございまして――え?」
顔を上げた瞬間、玉座から魔王の姿が消えていることに気づいた。
目を凝らすと、玉座の背もたれを盾にするようにしてこちらを伺う魔王の姿があった。
「あれーあのー、魔王様?」
「ひっ! く、来るな、来るでない!」
俺が少し身を起こした瞬間、魔王が悲鳴に近い声をあげた。
暗い肌に、ねじくれた棘角、そして暗緑の瞳。確かに風貌は魔界の王にふさわしいものだったが、玉座にしがみつくその姿は、怯えた子どもそのものだった。
「お、オマエが本当にわらわの敵でないとして、ここまでどうやって来たのだ? 外にはわらわの手下どもがおったはず、そやつらからの報告がないのはナゼじゃ!?」
「手下、というと、えっと……」
「そうじゃ! 外には高レベルの悪魔どもがおったろう!」
「……レベル? えっ? いま、レベルって」
「あ、い、いや、なんでもない」
魔王は顔を伏せた。……今こいつは、なんて言った? レベル?
そういえばさっきから俺の顔ではなく、俺の頭の上らへんをチラチラ見ている。
まさか、コイツ。……いや、まだわからない。俺の聞き間違いかもしれない。しかし、もし俺の予想が当たっているなら、この博打、勝てるかもしれない。
……ひとつ、揺さぶりをかけてみるか。
「ふぅ……やれやれ。バレちまったか。あんたに降参するフリして一撃でしとめてやろうと思ったんだが、さすがは魔王様ってところか」
「ひっ、き、キサマやはり猫をかぶっておったな! く、来るな、近寄るな!」
俺が一歩進むと、魔王がぶんぶんと首を振った。目には涙らしき潤みも見えた。
間違いない、コイツは俺と同じだ。
相手のレベルはわかるが、自分のレベルはわからないのだ。そしてコイツのリアクションから察するに、俺のレベルはこの魔王城にいるモンスター共より遙かに高い!
だったら勝てる。わざわざ一か八かの不意打ちかます必要もねえ。
ハッタリかましてビビらせて、コイツをこの勝負から降ろしてやる!
「さて、俺はアンタを殺すこともできるが……命乞いをするってんなら考えてやるぜ? それともあの何の役にも立たない手下共を呼んで助けてもらうか? もっとも、レベル90程度が束になったところで俺に指一本触れられんだろうがな」
「う、ぐっ、ううう……う、うん? レベル90……程度?」
魔王が何かに気づいたように首を傾げた。
「なぜオマエがレベルのことを知っている。これは魔族の中でもわらわだけが身につけた能力のはずだ。……まさか、オマエも見えているのか?」
あ、やべ。やっちった。
「図星か。そうかそうか。ククク。であれば、はじめの態度も演技ではないな? わらわのレベルを見て恐れをなしたのだな?」
「うっ」
「そしてオマエも自分のレベルがわからぬと見た。わかっているのであれば、わらわの命乞いなど待たずに斬りかかっていたはずだ。なるほどなるほど、まんまと騙されるところだったぞ、ニンゲンめ!」
魔王は口元に剣呑な笑みを浮かべ、ずいと一歩前に出た。
「やっ、やめろ待て待て待て! じ、自分のレベルがわからないのはお前も同じだろう! じゃなきゃ玉座の後ろに隠れて怯える必要もない、違うか魔王エクイティ!?」
「ち、違うもん、わらわはメチャクチャ用心深いだけじゃもん! 父上から結構大事に育てられたから外の世界に疎いとか、そういうことでは断じてない!」
「く、来るな! 来たらお前、あれだぞ、あの……これ、これだぞ!」
俺は腰に提げた剣の柄に手を掛けた。
「な、なにをする気じゃ!」
「それ以上近づいたら撃つぞ、撃っちゃうぞ! あの技、師匠に決して使ってはいけないと言われた、禁断のあの! ……えーと……せ、聖覇粉砕牙を!」
「聖覇粉砕牙!? な、なんじゃそのいかにも強そうな技は!」
「あ~撃っちゃおっかな~! 命と引き替えに全てを打ち砕くやべー技だしな~! 魔王がどうしても俺に刃向かうっていうのなら、仕方ねえな~! 世界中の希望背負ってるところあるしな~!」
「く、くぬ……ふ、フン! またハッタリだろうどうせ! ま、まあ? ハッタリじゃ? なかったとしても? そんなの、わらわの……てん……天昇胎動陣の前には無力じゃろうけどもな!」
「……おい、なんだその膨大な魔力で全ての攻撃を無力化し、倍返ししそうな技は!」
「膨大な魔力で全ての攻撃を無効化し、倍返しする技じゃ!」
「まんまかよ。い、いやどうせウソだな。適当に名前つけた技言ってるだけだな、絶対そう! そういうのわかるし俺!」
「適当に言ってこんなセンスある名前を思いつけるわけなかろう。ウソだと思うなら試しに攻撃してみるがよい! あくまで試しにな! 全力じゃなくてな!」
……くそ、それっぽい技で脅せばビビって降りると思ったのに、予想外に粘ってきやがる。だがここで引き下がるわけにいかねえ!
「いいだろう。お前の天昇胎動陣、この俺の竜虎断末撃で砕いてみせる!」
「待ってまてまてまてなんじゃその技、さっきとちょっと違うではないか!」
「師匠に決して使うなと言われた二つ目の技だ! 生命力をエネルギーに換えて、あらゆる魔力陣を無効化にする必殺の一撃、受けてみろ!」
「よ、よよ、よいのか? 本当によいのか? キサマが竜虎断末撃を放ったが最後、わらわの竜虎回天法がこの星もろともキサマを滅ぼす感じになるぞ!」
「はー!? お前がそう来るなら、俺も命を燃やして放つ最大の一撃、昇竜時空斬だしますけどー!?」
「さっきから命を粗末にしすぎじゃろキサマの流派! しかしその技も、わらわの暗黒業雷壁を貫くことはできんじゃろうがな!」
「そんな小賢しい壁など俺の! 俺の、えっと……あの……アー」
「アー?」
「……アタック8500で! 8500回アタックして壊してみせる!」
「ぐっ、だが暗黒業雷壁を壊しても、さらにわらわのみっ……」
「み?」
「……味噌煮込みシールドが、全ての攻撃を甘辛く跳ね返すだろうて!」
「ぐっ、くっ、じゃ、じゃあ、じゃあもうこれだ!」
俺は履いてた靴をおもむろに脱いだ。
「投げるぞ! この靴投げるぞ、いいのか!?」
「バッ、正気かキサマ!? そのレベルでそんなものを投げて、魔界ごと消し飛ばすつもりか!」
「だったら負けを認めろ! 俺の魔力を込めたこの靴が、くさっ、この魔王城ごとお前の野望を打ち砕、くっさ、打ち砕いてみせるぞ臭っさこれ!」
「この人でなしが、だったらわらわもこれを……こうじゃ!」魔王も履いていたブーツを脱いだ。「これをキサマにぶつけるぞ! キサマのと違って、ヒールのところとか目に入ったらマジで危ないのだぞ!」
「おま、馬鹿っ、やっていいことと悪いことがあるだろうが! 履けよ、あぶねーから履け!」
「き、キサマが先に履け! そしたらわらわもこれを履く!」
「ど、同時だ。せーの、で同時に履く、それでいいだろ!」
「絶対じゃ、絶対じゃぞ? じゃいくぞ、せー……のっ!」
……。
「履―けーよ靴ぅ!」
「こっちのセリフじゃアホー! だからニンゲンって嫌いじゃ、ウソばーっかじゃ!」
『あのう、盛り上がってるとこ悪いんですが』
なんだようっせーぞ今大事なとこなんだよ!
『終わっちゃいましたよ、邪神召喚の儀式』
……へ?
突如強烈な地響きが俺と魔王を襲った。
玉座の奥に敷かれた魔方陣から強烈な赤い光が漏れる。
「こ、これはっ……? そうか! ククク、ニンゲンめ一歩遅かったようじゃな! 召喚の儀式はここに為れり! 世界は邪神ホールデム様によって支配されるのじゃ。アッハハハ!」
「く、くそ、マジかよ、完全に忘れてた!」
高笑いする魔王の背後から巨大な人影が現れた。
赤黒い皮膚は龍を思わせる鱗に覆われ、頭部からは無数の触手が虚空を這いずっていた。その姿は紛うことなき魔神、人々を恐怖に陥れる邪神そのもの、さらにその力は言わずもがな――。
【邪神ホールデム Lv173】
――微っ妙。
あれ。え、いや、弱くね? 確かに魔王城にいる魔物と比べると桁違いに強いけど、魔王が四ケタ超えてんだよ? なのに三ケタ? 今さら?
「……余は邪神ホールデム。全てを無に帰せし破壊者なり」
いや何か言ってっけど、お前のレベル三ケタだからな?
「どうじゃニンゲン、邪神さまが恐ろしくて声も出まい! アッハハハハ!」
魔王が高笑いをあげた。
邪神が後ろにいるせいか、レベルにまだ気づいていないらしい。
ふと、俺の脳裏に閃きが走った。
これはチャンスだ。
魔王は邪神が最強だと思い込んでいる。ならば魔王が気づく前に邪神を倒せれば、このブラフの掛け合いにかなり優位に……いやほぼ勝利したと言っても過言じゃない! 魔王は無理でも、あの邪神ならば勝てる可能性は高い。いける、いけるぞ!
「さあ邪神様、あのこしゃくなニンゲンを血祭りに――ひっ!?」
魔王が振り向くより早く邪神に向かって駆け出した。突然の剣幕に驚いたのか、魔王がまた玉座の後ろに隠れた。いいぞ、そのままそこに縮こまっていろ!
「ぬう、余にたてつくか虫けら!」
邪神が拳を繰り出したが――見える。拳をかいくぐり、一気に間合いを詰め、邪神の首めがけ剣を突き出した。一撃、一撃で仕留める!
「ぐおおおおあああああ!?」
血飛沫が宙を舞った――だが俺の剣はまだ首に届いていない。
邪神の右胸に深々と手刀が食い込んでいた。
俺は唖然とした。不意打ちの主は魔王だった。
「き、貴様、魔族の小娘が、何のつもりだ!」
激高する邪神に、魔王は全く見向きもしない。
その視線はただ一点、邪神の頭上に据えられていた。
――くそ、こいつ、気づきやがった!
「おい、何やってんだ魔王! そこの三ケタはお前の味方だろうが!」
「だ――黙れ! これはその、アレじゃ、ハンデじゃ! 貴様とこの三ケタ様の間には余りに実力の隔たりがあったからかわいそうだと思ってな! 感謝するがよい!」
「ウソつけお前絶対その三ケタ殺そうとしてただろ! そいつが三ケタってことに気づいて、なかったことにしようとしただろ!」
「……いや、あの、虫けらども? 何の話? 三ケタ?」
「そんなわけがあるか三ケタ様はこの世で最強じゃ! 断じて貴様が三ケタ様をあっけなく殺した場合、この心理戦で圧倒的優位に立たれるのを恐れたわけではない!」
「あ、今言った、今言いましたよね? 俺がそこの三ケタより圧倒的に強いこと認めましたよね!?」
「み、認めてないもん! だいたい貴様の攻撃は無様に空振りしとるし、むしろわらわの攻撃が三ケタにダメージを与えておるから、あれ? わらわ最強? あ、わらわ最強じゃないこれ?」
「おい虫けらども、いい加減にしろ、さっきから一体何の話を――」
「「さっきからうっせーぞ三ケタ!」」
「おぶぇ!?」
俺と魔王の拳がそれぞれ胴体と顔面にめり込んだ。
「だいたい貴様が悪いのじゃ、やたら召喚に手間取った挙げ句三ケタとはどういう了見じゃ!」
「痛い痛い痛だだだだだ、やめろ、腕をねじり上げるな痛だだだ!」
「ハッ、喋る余裕を与えるとはやはりヌルいな魔王! 見てろ、関節ってのはこう極めるんだ!」
「マ゛ーーーーーーーーーーーーーーー!?」
「あっ! それわらわが後で極めようととっておいた関節! こしゃくな、ならばわらわはここをこうじゃ!」
「ほーう? なら俺はここの骨を、こっちにこう!」
「じゃあわらわは、右腕と左腕をちょうちょ結びにして――」
「じゃあ俺はコイツの奥歯を抜いたあとに馬の糞を詰めて――」
「ぐおおおああああ……まさか、余が……こんな奴らに……うごごごがぁ!」
凄まじい閃光と共に邪神の身体は石と化し、呆気なく崩壊した。
邪神から漏れた光は際限なく広がり、ついには世界を覆っていた暗雲を全て取り除いた。
『あ、世界に光もどった。世界に光戻りましたよ、ヨシカズさん!』
「見たか、完全に俺の一撃がトドメになったな! 完っ全にな!」
「何を、わらわの関節技がきゃつにトドメを刺したのを見ておらんかったのか!?」
『あの、ヨシカズさん。世界に光が、あのう』
「まだ負け認めねーのかよ魔王テメー! 上等だよ、じゃあ次はこの散らばった破片をどっちが先に片付けられるかで勝負な!?」
「望むところじゃ! こう見えてわらわは暇なとき掃除ばっかしとるからな! わらわの勝ちは見えたようなもんじゃ!」
『えっと、あの、私帰っていいですか? 邪神の脅威も去ったんで』
「おう、勝手にしろよ。俺はコイツより強いこと証明したらすぐ帰るからよ!」
「抜かせニンゲンが! 貴様がここを出るのは敗北者としてじゃ!」
「うっせーぞヘタレ魔王! 弱虫魔王!」
「ねえ、なんでそゆこと言うのー!?」
「わかったから早くちりとりとホウキ持って来いや! ……」
*
薄闇の中、俺は目を開けた。不気味に蠢く壁面と、自らの身体を覆う白銀の鎧を交互に見た。俺は短く嘆息して、それが来るのを待った。
……――ヨシカズさん。ヨシカズさん――……
「フォルド」声と同時に俺は座っていた椅子から立ち上がった。「どうだった?」
『南方諸国は全面降伏だそうです。統治権も全て魔王勇者連合軍に委譲すると』
「よっし! おい聞いたかエクイティ! おーい! 南方諸国が俺らの傘下に下ったってよ! あの! 内紛の絶えない地方が! 俺ちゃんのおかげで!」
「……でかい声を出さんでも聞こえとるわ」
「あーごめーん! 何にも言わないから聞こえてないと思ってごめーん! いや、しかしこれで二勝一敗? だよね? エクイティちゃん平定したの北方地方だけだもんね? あの特に争いもない誰でも治められそうな地方だけだよね?」
「うるっさいのう……」
「ごめんごめん怒るなって! 俺が西方二候と南方諸国を手中に収めたからって怒るなってば! ごめんって! 俺の方が軍事手腕が勝っててごめんってば!」
『ああそうそう、その西方二候なんですが、市民のデモが相次いでます』
「……へ?」
『度重なる増税と徴兵に不満が募ってるみたいですね、どうするんですか?』
「いや、それは、だって、南方に兵力を……」
「ぷっ、くく、くくくっ」
「……何笑ってんだエクイティ」
「いやあ? 別にぃ? ぷくくっ、市民の? デモが? 相次いでますぅ? いやあヨシカズどのは辣腕じゃのう! 今のところ不満どころか、日々感謝の声で溢れとる我が領地にも見習わせたいのう、アッハハハ! あー笑った、ごはんつくろーっと」
エクイティは踊るような足取りで台所へ向かった。
「くっそ……おいフォルド、なんで今わざわざデモのこと言ったんだよ。言わなきゃ俺の勝ちだったのに!」
『それより、あなたこそ、いつまで魔王城にいるつもりですか』
「俺がアイツより強いってことを証明するまでに決まってんだろ。これまでずっと引き分けだったからな、この国盗り合戦で今度こそギャフンと言わすんだよ!」
『……まあ、なぜか人間界から争いが消えつつあるからいいんですけどね。あ、そうそう、それよりちょっと面白いことを聞きました』
「なんだよ」
『あなたのレベルがわかりました』
「――えっ」
『知り合いに見える人がいたんで聞いたんです、知りたいですか?』
「いや、それは、その」
「――のう、ヨシカズよ」
俺が口を開きかけたとき、台所からエクイティが顔を出した。
「今日は肉と魚どちらがいい? 健康に気を遣わぬキサマのことだから、どうせ肉じゃろうがな!」
「……残念だったな、今日俺は魚を食いたい気分なんだよ! やはりお前もまだまだ未熟なようだな!」
ふんっ、と鼻を鳴らしてエクイティが台所に戻った。
それを見送ってから、俺はフォルドにだけ聞こえるように、ぽつりと呟いた。
「……レベルは、いい。知らなくていい」
『へえ』
「俺がアイツより強いのはわかりきってるし、あとはそれを証明するだけの話だ。レベルなんて知らなくたって関係ねーんだよ。もしどうしても知りたくなったら――」
『知りたくなったら?』
俺が死ぬときにでも、エクイティに教えてもらうさ。
そう思ったが、口には出さなかった。
『私思いっきり心読めますけど』
……そういやそうだった。