十年ぶりに熱を出した。
しかもインフルエンザである。三日前、三十九度という高熱でぶっ倒れた後、平次は自室のベッドの上で大人しく寝ていた。
最近の多忙が祟ったのだ。冬休みに入る直前あたりから事件が増え、剣道の大会が近いおかげで部活も忙しくなり、ついでにそのせいで成績が下がることは自分のプライドが許さないのでいつもどおりに勉強もして。
特に、事件よりも案外剣道のほうが大変だった。
学校単位の団体で出場する大会が冬休み明けにあるので、総大将且つ副部長の平次は大会メンバーの選出に悩んでいた。
もちろん部長と相談はしていたが、腕を見る目は明らかに平次のほうが上で。
二人の間には暗黙の了解みたいな感じで、メンバー選出においては平次に決定権があった。
(ほんまやったら、一年の相沢を入れたいところやけど、二年の加藤のほうが努力はしてるしなあ……。でもほんのちょっとの差で実力は相沢のほうが上なんやな。加藤がもうちょい腕上げてくれたら選ぶのも簡単やけど)
側に置いてた部員一覧の用紙を手にとって眺める。
そこまで重要な大会ではないため、完全実力主義で選ぶのもどうかと彼は思っていた。
他にも、最近稽古に熱中しすぎて悪い方向に競争意識が高まりつつある、一年部員達の関係をどう修復させようかなど悩ましいところはたくさんある。
(……あかん。こんなこと考えてたらまた熱上がってしまうわ)
インフルエンザにプラスして知恵熱まで出てしまっては、もう死ぬ。絶対死ぬ。そんな予感がして、用紙をベッドの下に落とした。
せっかく今はもう三十七〜八度の間で熱が上がり下がりしているのだ。頭を悩ますことは極力考えないほうが良い。考えるなら、好きなことを考えたい。
今度は用紙を落とした床に手を伸ばして、宅配で届いたダンボールの裾を引っ張って寄せた。
中には、「ホームズ全集」と書かれた分厚い装丁の本がどっさり。おそらく二十冊はあるんじゃないだろうか。
一昨日、事件のトリックについて見解を聞くべく電話をかけてきた工藤に、風邪で寝込んでいると途切れ途切れに伝えたところ、次の日にはこれが届いたわけである。
寝込んでいるだけだと暇だろうから、時間つぶしに読めということらしい。
電話で話している時は「鬼の霍乱だな」とからかわれたが、彼なりに心配してくれたようだ。
母からダンボールを受け取った平次はお礼のメールを送り、「おめーはエラリィばっかで、ホームズのすごさをまだあまりわかってねえみたいだからな。良い機会だから、貸してやる」という返事が来ている。
(見舞いの言葉も偉そうやなあいつは)
メールの内容を思い出して、苦笑しつつ全集の第一巻を箱から取り出した。
大人しく寝るようにと、母にパソコンとテレビの電源を抜かれたが、ベッドの上での読書なら許してくれるだろう。
三日前、帰宅したとたん熱を出したときの母の対応はすばやかった。
強制的にベッドに寝かせて、インフルエンザではないかと気づいたら、かかりつけの医者を呼んで注射を受けさせて。大滝警部には「熱が下がるまで絶対に事件関連の連絡をせんといてください」と念を押して。
ついでに父親には「外の菌を持って来たらあかんから、平蔵さんはあまり平次に近づいたらあきません」と忠告していた。
いつもは厳しい父だが、実はかなり可愛がりたい息子の、久方ぶりの風邪である。
様子見と言う一見真っ当な理由で何度も会いに行きたかったらしく、妻にそう言われて心なしか肩を落としていたそうだ。
新一の母親もびっくりな、親ばかぶりを発揮して静華は息子の世話を焼いていた。
「あんたが風邪で寝込むなんて十年ぶりやし、お母さんめっちゃ心配やねん」
と、お粥を持ってきながらにこにこと言う母に「いや、単に大人しくなった息子を子ども扱い出来て楽しいだけやろオバハン」と平次は内心ツッコんだ覚えがある。
(この冷えピタも、もしかして子供用とちゃうやろな……なんかサイズ小さい気がすんで)
嫌な予感がしたが考えても今の自分にはどうしようもないので、あきらめて読書に集中することにした。
が、枕元に置いてあったケータイがその時鳴った。
誰だと思い、画面を見ると幼馴染の名前。
実は今日彼女と二人で駅のイルミネーションを見に行く予定だったのだが、風邪のせいで中止にせざるを終えなかった。
いつもの事件ではなく、インフルエンザだったので彼女は逆に彼を気遣って「謝らなくていいから、お大事にな」と言ってくれていた。
そして寝込んで以降、彼女はウィルスが移ったら駄目なので、携帯で一日一回見舞いのメールを送っている。
しかし今回はメールではなく電話のようだ。
横になったまま、通話ボタンを押した。
「どうしたんや、和葉」
「あ、平次大丈夫? さっきおばちゃんから平次の熱もだいぶ下がってきたって聞いたし、今からお見舞いに行こうと思うねん。あたしは予防接種もしてあるから、会っても大丈夫やと思うし。それでな、何かほしいもんあったら買ってこようかなって。何かある?」
電話越しに聞こえる電車の通過する音と、時間帯から見て、合気道部の練習の帰りらしい。
ほしいもの、と聞かれて平次は「そやなあ」と考える。
何気なく部屋を見回して、三時をさす時計に目が留まった。
「……ぷりん」
「え、プリンか?」
声がかすれたせいで聞き取りにくかった和葉が聞き返す。
そばの机に置いてあった水を飲んでもう一度彼は言った。
「そうや。プリンが食いたい」
「わかったわ。じゃあ今から買うてそっち行かせてもらうし。待っててなー!」
そこで通話は切れた。
久しぶりに家族以外の人と会うので、心なしか楽しみにしている気持ちがあったが、それには敢えて知らない振りをしておいた。
代わりに携帯をぽいと置いて、和葉が来る時間を予測する。学校から家までは電車だけなので、一時間以内にこちらには着くはずだ。
(あ、しもた。あいつ学校帰りやし、きっと駅の近くの洋菓子屋で買ってくるな……)
電車から駅を想像して、そこから更に近所の洋菓子屋を思い出して、平次は残念がった。
あそこのプリンは濃厚で、クリームとプリンが二層になって、かなり美味しい。しかし、それはいつものことで今日ではない。
この風邪の状態で、あんな濃いものを食べる気になれるだろうか。
(でも、和葉が買うてきてくれるやつやし。プリンはプリンやし。まあ美味しいやろう)
そこまでイベントに関心は無いが、それでもクリスマスに風邪を引くなんてついてないなと、平次はだんだんかすんでいく意識の中で思った。
「あ、起こしてもうた? ごめんな」
いつの間にか本を片手に寝ていた平次は、人のいる気配を感じて目を覚ました。
開けた視界に入ったのは、ゴミ箱に捨てるのも億劫で床に落としていたティッシュや紙を片付けている、セーラー服の和葉だった。
「なんや、来てたんか」
「うん、ついさっき。平次寝てたしプリンを置いて帰ろうと思ったけど、目に付く大きなゴミだけでも片付けておこうかなって。……熱は?」
「あー、まだあるけど微熱や。明日明後日辺りには落ち着くんちゃうやろか。で、見舞いのプリンってそれか」
上半身を起こしながら答えた。
体の節々が痛かったはずだが、今はあまり感じない。
「ああ、そうやったね。ちゃんと買うてきたよー」
学生かばんの側にちょんと置かれた白いナイロン袋を見つけて平次が聞く。あそこの洋菓子屋は青い紙袋やなかったかなと一瞬思ったが、熱で記憶がごっちゃになっているのだろうと思い直した。
「はい! 特大ぷっちんプリン!」
「へ?」
袋から出てきたのは、手のひらサイズのぷっちんプリンだった。
自分の記憶は間違っていなかったらしい。いや、袋に書かれた「サンデーマート」というコンビニ名に気づかない時点で、ある意味熱でまだ頭は回ってないかもしれないが。
彼は予想外の見舞いに目を丸くした。
「私、前風邪引いた時これ食べたらめっちゃ美味しかってん。だから、案外安くてあっさりしたプリンのほうが風邪引いてる人には美味しいのかもなあって……」
照れるように、購入に至った経緯を説明する。しかし黙ったままじっとプリンを見つめる平次に、やはり安物よりいつもの洋菓子屋のほうが良かったのだろうかと心配する。
「あ、でもやっぱりいつものプリンのほうが良いなら、一応、おばちゃんとおじちゃんの分も含めてそっちのプリンも三個買うてきたよ! 今からすぐに一階行って取ってくるし」
「いや、ええ」
「え?」
「こっちのほうが俺もええわ。今はあっさりしたんが食べたいねん、おおきに」
和葉の心配をよそに、彼女の手からそれを取って興奮気味に平次は礼を言った。
事件のときに見るような、あのきらきらした目でプリンを眺めるものだから、和葉も少しどきどきする。
「お前、自分の分は買うてきてないんか」
「ううん、通常サイズのプリンを買ってるけど」
「じゃあ一緒に食べようや。一人で食べるのも味気ないし」
「うん!」
(こういうのシンクロっていうかテレパシーって言うんやろか。俺の欲しいもんを的確に買うてくるんやもんなー。何か感動やわ)
(おばちゃんも言ってたけど、熱で素直になってる平次ってめっちゃかわええー!)
二人そろってどこかずれた感動とプリンを味わいつつ、彼は思ったより楽しくなったクリスマスを過ごすことが出来るようだった。
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