169.二人の未練と決意
コミカライズ最終話、公開されました!
次回の番外編をもちまして、残念ながらコミカライズは終了となります。
関係者並びに、お読み頂きました読者の方々、誠にありがとうございました!
目を覚ました私の前には、お兄さんが覗き込むように立っていた。それだけで私には察することができる。旅行は終わってしまったのだと。
「女の子の寝顔を許可なく鑑賞するのは失礼ですよ、お兄さん」
「こうやって会うのですら稀なんだから、これくらいはいいだろ。眼福だった」
自分の姿を見ているのと変わらないのに、何が眼福なのか分からない。それよりもどうしてお兄さんがこちら側にいるのか分からない。私が招かない限り、来ることはできない設定にしているはずなんだけど。
「どうやってこっちに来たんですか?」
「琴音が呼んだんじゃないのか? いや、寝ていたから無理か。だったら私が分かるわけないな」
私が分からないのであれば、お兄さんが知っているはずもない。内側の設定は私しか知らないから。そして干渉できるのは私だけ。だからこそ、ここでお兄さんを守ることができる。
「お兄さんを一時的にこちらへ避難させた影響でしょうか」
「丁度良かったけどな。琴音に聞きたいことがあったから」
「何でしょうか?」
「身体が動かない現象があったんだけど、何かしらの不都合でもあったのか?」
その言葉を聞いた瞬間、私は現状を把握するために色々なものを立ち上げた。ここは私の世界。便利にカスタマイズすることが可能なので、投影型ディスプレイなんてものも作成できる。
「未来的な景色だな」
「何を暢気なことを言っているんですか。お兄さんにとって一大事かもしれないのですよ」
「うーん。実感ないんだよな。今は不自由しない程度には回復したから」
本当にお兄さんは暢気すぎる。それでもしも何か致命的なことだったらどうするつもりなのか。今でこそ危うい一線を何とか越えない程度に保っているというのに。
「身体が動かなくなった原因はお兄さんと身体の繋がりが初期化されたものだと思われます」
「私に行動権利が移ってしまったのでその影響でしょう。幸い、現在は正常な値まで回復しているようですが。えっ?」
「何か問題でもあったか?」
「私とお兄さんの同化係数が上がっている」
「いいことだと思うぞ」
いやいや、ちょっと待ってほしい。私があれこれと準備して、細々と係数を上げていって、それが殆ど無駄にされたはずなんだよ。それがどうして回復していって、更にその上の段階まで進んでいるのか分からない。
「異常事態だと思うけど」
「いい方向に進んでいるんだったらいいじゃないか」
「お兄さん。何か知っていますか?」
能天気に受け答えするお兄さんが怪しい。もっと疑問に思っても不思議じゃないのに。冷静なのがお兄さんの特徴ではあるけど、ここまで反応を返さないのは怪しすぎる。
「別に私は何もしていないぞ。この件に関しては」
「待って。ちょっと待って」
頭の中を整理する時間が欲しい。つまり、現状とは関係ない方面でお兄さんは何かをしたと自白した。それが何なのか見当がつかない。お兄さんにとって悪いことではないとしても、私にとっては致命的な何かかもしれない。
「よし。心の整理ができました。何をしたのか言ってください」
「琴音の自滅を封じた」
「真面目に何をしてくれちゃったんですか!?」
私の最終手段をあっさりと封じたとか滅茶苦茶重要なことじゃないですか。あれですか、私が寝ている間にやっちゃったんですか。普通、何も知らない状態で私の中にやってきて、やるようなことじゃないですよ。
「ここって便利だよな。思えば何でもできるんだから」
「私のプロテクトをどうやって突破したんですか?」
万が一を考えて、お兄さんでも操作できないように精神的なガードは固めていたはず。それなのに、それを突破した方法が分からない。幾らお兄さんが万能でもできないことだってあるはず。
「いや、そんなものなかったぞ」
「嘘です。現にこんなのが」
試しに他のものも確認してみたのだけど、それを見て私は愕然とした。プロテクトが機能していない。もう訳が分からない。異常事態がここまで続いたら、私でも頭の中がパンクしてしまう。
「あれじゃないか。私と琴音の同化が進み過ぎて、システム的に本人の照合ができなくなっているとか」
「その可能性は、確かにありそうです。でも、どうしていきなりこんな同化係数が上がったのか、さっぱり分かりません」
「仮説を言ってもいいか?」
「どうぞ」
「同化係数が上がらなかったのは琴音側に問題があったんだと思う」
「私にですか?」
私に落ち度があったとは思えない。だって、私の目的はお兄さんに人生を譲り渡すこと。その為に今まで内側から色々と作業を進めていた。表側に出ていない以上、私が原因だとは考えられない。
「琴音は自分を押し殺して、私に全部を渡そうとした。だけど、それは私としては納得のできるものじゃない」
「お兄さんは人生の続きを歩めるんですよ?」
「だからといって琴音を犠牲にしようとは思わない。最初の頃から考えていたんだ。もしも琴音が生きているのであれば、私が歩むべきじゃないと」
「認識の違いですか」
お互いに譲り合っているから、同化自体は進んでいたけどその速度は思うように上がらなかった。私が強引に進めていたからこそ、少しずつその値は上がっていったけど。そのまま進めていたら、予期せぬ不具合があったのかもしれない。
「それでここから本題だけど。琴音、未練が生まれただろ?」
「え?」
その言葉を聞いて、そんな訳がないと一蹴することができなかった。香織さんと遊んで、この思い出で頑張れると思った。だけど、もし私がこのまま残り続けたらもっと楽しめるのではないかと思ってしまった。それは確かに未練だろう。
「私じゃなくて、自分として遊んでいたかった。もっと誰かと触れ合いたかった」
「止めてください。そんなの認めたくないです!」
「止めない。だって、それが素直な気持ちだから。人生を諦めて譲るんじゃなくて、自分として歩いてほしい」
「だって、それじゃお兄さんが」
「うーん、言い方が悪かったかな。私が言いたいのは一緒に手を繋いで歩こうなんだよ」
何を言いたいのかサッパリ分からなくて、ポカーンとした表情しか出てこない。未練を持った私に怒るでもなく、失望するでもなく、ただ微笑みを浮かべて安心したような表情をしているお兄さん。何がそんなに嬉しいのだろうか。
「琴音のやり方だと私が主人格として残り、琴音の全部を引き継ぐことになるだろうけど。やっぱりそれだと駄目なんだよ」
「最初はその方針に納得していたじゃないですか」
「うん。でも、やっぱり納得できないものを飲み込むのは止めた。後悔するよりも、失敗してもいいから納得できる方針に変えたよ」
ヤバい。お兄さんの良く分からないスイッチが入ってしまった。微笑みから、いたずらを思いついたような無邪気な表情に変わったので私でも分かってしまう。こうなってしまったお兄さんは絶対に止まらない。
「主人格がどっちになっても恨みっこなし。自爆覚悟の大博打」
「あのー、その場合のリスクを承知していますか?」
「記憶や感情がごちゃ混ぜになって、下手したら廃人だろうな」
駄目だ、この人。リスク承知でそんな危ない橋を全力疾走で走り抜けようとしている。下手すれば、本当に突っ切ってしまうかもしれないから性質が悪い。勢いで何とかなる話じゃないのに。
「お兄さん。一旦落ち着きましょう。冷静に考えたら、何が最善なのか分かるはずです」
「そんなもの知るか。絶対に考えは変えないからな」
「そんな駄々っ子みたいなことを言わないでください」
「だって、何で私が琴音の自滅を封じたか喋ったら、琴音は躊躇なく自滅を選ぶから」
「それはつまり、致命的な何かがあったということですか?」
「琴音が私の経験を吸い取った。琴音が今の身体で卓球とかできた理由はそれ。中学時代から成長しているのに、違和感がなかっただろ?」
特大の爆弾発言に、私は確かに迷いなく自滅を選択した。エラーが出て、防がれてしまったけど。してやったりの顔をしているお兄さんを本気で睨みましたよ。
「ほらな。どうやってそれを防ごうか考えていたけど、偶然こっちに来れて何とかできて良かった」
「偶然で済ませない話ですよ」
「だって、私にもこっちに来れた理由が分からないからな。だけどこの情報は、どちらにせよ琴音に知られるだろうから偶然に感謝だな」
経験を吸い取るだけで済んで良かったと思うべきかな。下手したらお兄さんごと、飲み込んでしまう可能性だってあった。緊急回避が、致命的な一撃になりかねなかったなんて予測できなかった。
「琴音が自滅を選ぶのであれば、私だって我儘を言っても構わないよな」
「どうせ、そっちにも干渉しているのですよね?」
「拗ねるなよ。そっちは別に構っていない。これは私の意思だけど、琴音の意思としても選んでほしい」
「勝算はあるんですか?」
「ここまで琴音として生きてきた経験かな。あとは人生を諦めていない意思がある」
「それは理由になっていません。でも、意思統一していないと同化も上手くいきませんよね?」
「家族を悲しませない為に」
「友人に別れを体験させない為に」
「「私達が生きる道を歩む為に」」
もうこうなったらお兄さんの意思に乗っかるしかない。どうせ私が何を言ったところで聞きもしないし、勝手に突っ走ってしまうよりも、私がフォローした方が成功率も上がるだろう。その結果がどんなものになっても、後悔しないように。
「同化の最終段階はおよそ二か月後。それまでに覚悟を決めておいてくださいね」
「覚悟なんてとっくにできているさ。私になるか、琴音になるか。それともどっちでもない私になるか分からないけどな」
「もうちょっと自信を持ってください。私はリスクを減らす方法を構築してみます」
「よろしく」
満面の笑みを浮かべながら、お兄さんは消えていった。多分、現実の方で目を覚ます頃なのだろう。残った私は溜息を吐きながら、困難になってしまった作業に戻る。
「そっか。私はまた、間違えるところだったんだ」
私は常にお兄さんの為だと言い張り、そこしか見ていなかった。それは二番目の私と何の違いもない。父をお兄さんに置き換えただけ。二番目の私と同じなら、失敗してしまう未来があった。だから作業が遅かったのかもしれない。
「それを気づかせてくれたのが香織さん。うん、お兄さんと一緒で大切な友人ですね」
彼女と遊び、会話したことで周りの大切さを知れたのかな。大切なのはお兄さんだけじゃない。香織さんも、勇実さんも、お兄さんが縁を繋いでくれた全員のことをちゃんと考えないとお兄さんと同化なんてできない。
「さっきの宣誓だって、自然と出てきたものなんだから」
私だけじゃない。お兄さんと一緒にこれからを考えないと駄目。お兄さんが私の影響を受けているのだったら、私もお兄さんの影響を受けないといけない。それは過去だけじゃなくて、今の状況も受け入れないと。お兄さんだけの想いじゃない。私としての想いも一緒に。
「ヤバい。問題が山積みになってきました」
私としての勇実さん達との付き合い方。十二本家同士の交流。お兄さんはテンションを上げて、馬鹿になることで乗り越えてきたけど。それを私も真似をしないといけないのかな。かなりハードル高いよ。
「うん。困った」
でも、なぜかそんな未来を考えるだけで自然と笑みが浮かんでくる。それはそれで、楽しい未来なのかもしれないと。
コミカライズ終了、書籍の続刊なし、そして年内失業が決まった筆者です。
何このヘビィコンボ。人生山あり谷ありとはいいますけど。
たった一年間で、スタート地点よりも下がるなんて予想はしていませんでした。
注:この筆者は特殊な訓練を受けているので元気です。
流石に続刊なしを聞いたときはメンタルに罅くらいは入りましたけど。
今年も残り一か月。平穏無事に過ごさせてください、神様。