マジで?そりゃ大変なことで
騎士はかしずき主に頭を垂れた。その姿、誰の心へも物悲しさを植え付けてやまず、どこか凍てつきながらも清らかだった。それもそのはず、正しく主従の哀切の別れである。
祭壇の上に立つ少年を見上げ、騎士は膝をついて静かに誓いを捧げた。
「再び貴方が目覚めた時、私は貴方の袂におりますまい」
「仕方ないことだ。人の寿命は長くて100年。しかも君が限界突破してもまだ僕の目覚めは先にある」
騎士の言葉はその先へと続いた。
「それでも私をお呼びください。再び貴方が目覚めた時、幾度目の生まれ変わりになろうとも私は貴方の元へ参りましょう。例え記憶を失おうともこの魂に賭けて」
少年は微笑んだ。
「ありがとう。慰めになった。その言葉を糧に僕はきっと歩み続けられるだろう」
「手向けではありません」
「ああ知っているよ、それが心からの言葉だと。君はとても誠実な騎士だから」
バランスを崩して床に手をついた騎士の表情は歪んでいた。
「この身に変わって差し上げられたならば、こんな……」
搾り出された声に、だが言われた本人が緩やかに首を振って否定した。
「誰にも代わることなど出来やしない。だから、新たな時代で僕が」
↑って事が前世にあったらしい。
目の前の少年が重々しく頷いて片手を上げ、爽やかに微笑んで言った。
「よもや本気で生まれ変わって僕の前に馳せ参じてくれるとは、前から生真面目な男だとは思っていたけれど、ここまで徹底されると流石に慄かされたよ」
なんだか大層な甲冑と厳ついおじ、お兄さん?達を後ろに侍らせた少年はパンを買う雰囲気ではなさそうだ。ここはパン屋だというのにだ!客が野次馬心理でチラ見をしつつお金を払いに近づいてくると、少年は列を譲って場所をあける。そして客が離れるとレジの前に戻ってきてニコやかに会話を再開させるのだ。いっそ、そのまま帰ってくれればいいのに。
「目が覚めていの一番に君を探したよ。現国王陛下がとても腕の良い術師を呼び寄せてくださってね。こんなにすぐ見つけたという報告を受けるなんて、君に会うまでは今の術師はイカサマかとても優秀なのだなぁって半信半疑だったんだ。でもそんなに分かりやすい目印を顔に残しておくなんて、短慮と言うか、まあ分かりやすくて助かったかな。昔斬られた顔の傷跡がそのままだ」
「いやこれ、なんかよく繰り返しちゃう皮膚病ですし」
鼻の真ん中辺りから右の顎骨まで幾筋か、赤い傷みたいなミミズ腫れが浮いている。これでも治りかけだが、彼女の顔には大抵同じものがすぐ再発する。どれだけ手入れしようと浮き出るものに半ばカジャは諦めていた。
ここは小さな焼きたてパン屋だ。焼き置きもあるが基本的に決まった時間に客が来るお約束で成り立つ町に根ざした一パン屋だ。近隣に城があるというだけの小さな町の、有名ではない無い店だ。ここまで言えばいかに普通のパン屋か分かっていただけたと思われるが、そのパン屋の一店員が、何故か優雅そうな少年とその護衛らしい厳つい彼らを前にしている。譲歩して彼らがパンを買いに来たのだとしたら、ちょっと珍しい日常で終わるのだが、店員を訪ねてきて意味不明の言動を続けられると、かなり迷惑なトラブルへと名称変更される。
忌々しい顔のトラブルを彼女は指でなぞる。
「貴方はお客、ではなく個人的に私へ御用向きがあるのでしょうか」
「もちろん。僕は約束通り君に会いに来たんだよ」
あまりにも堂々と言ってのける彼に、カジャは店員の対応からプライベートのそれへシフトチェンジした。
「馬鹿野郎、営業妨害だ。出て行って常識考えろ」
客が他にいなくなるタイミングも計った彼女は、やっと不思議な来訪者を店内から追い出す話へこぎつけた。まあ結局は最後まで用向きを聞いた形になったのだが。
営業時間を終了して外に出ると鎧を着た男が腕をさすりながら縮こまって立っていた。パン屋の店員その一を見て、寒空で大変長く立っていたのだろう男は苛立ちも露わに店員を睨みつけてきた。お門違いな怒れるマッチョにカジャは礼儀として声をかけておく。
「お待たせ。でいいのかな?それとも待ってなかったか」
「こんな辺鄙な町の辺鄙なパン屋の前に立ってる意味が他にあればよかったのに」
怒鳴りつけてくるような粗暴な様子は見られない。彼女はホッと一息つく。
「一般人に殴りかかるようではなくて何より」
殴りかかってくるかもしれないと思われていた男はギョッとするが、彼女は平然と通り過ぎて行く。男もそれに付いてきて、そう思われるのが不本意だとばかりに声を強める。
「パンドラの騎士が女性を殴るわけがない」
「そう?前世がどうのって迫ってくるような集団だから。パンドラの騎士?」
早足に回り込んで行く先を手で制され、彼女は立ち止まった。堅物そうな彼はあの中では一番若そうな青年だった。もちろん青年の前にいた少年を除けばだが。
騎士とやらは当然の流れとばかりにエスコートでもするつもりか手を差し出してきた。
「パンドラのヴィラ・ルグワイツ様より会って話したいとの要請がある。案内役を」
「知らない男の集団に尻軽について行くのって軽率だと思わない?今の時刻だったら町広場が賑わってるからそこでなら応じてもいいわよ。店で何か買って食べながらしばらく待ってるよ。駐在も近くにあるしね。ただし強面は連れて来ないでね」
即答されて声に詰まった騎士は硬直して目を丸める。
「こっ……」
何か言い返しかけた男の腕をくぐる。
「警戒しない生き物から死んでいく。そしてそれは聖者でもなんでもなくただの自業自得の愚か者。ね?そもそもこっちには危険を冒す義理がないわけじゃない?」
手を振って去っていく彼女を騎士が止める事はなかった。
少年は3人ばかし引き連れてやって来た。
「記憶はまるで無いんだね。生まれ変わってまで記憶を持つ人間なんて聞いた事はないけれど」
パン屋から出ればどこからどう見ても町娘その一である彼女は頷いた。もう娘と呼べる年齢でもないのだが。
「カジャよ。ちなみに前世と幽霊と運命を信じてないわ。術師もずっと何かの手品で火を出してると思ってる」
肉をパンで挟んでかぶりつきながら目の前に立つ少年達を見上げた。後ろに立つ護衛達は一様に顔を引きつらせたが、少年は顔に手を当てて頭を振った。
「それはまた今時珍しい非魔術主義だね。久しぶり、ヴィラ・ルグワイツだよ。覚えてはいないようだけれど」
「しつこい子ねぇ、会ったことないって」
「君の現世ではね」
同じベンチにヴィラが座る。最後の一口を放り込んで指に付いたソースを舐めながら、カジャは目の前に控える護衛達を手で散らす。
「威圧的で怖い。散れ」
「それが威圧的な相手に対する言動かっ」
いの一番に反応するのはお迎えにも来ていた若手の騎士だ。やり取りをヴィラが笑う。
「ワイエルンも確かに真面目さのかもし出す重圧感はあるかもしれない。けれど背丈も圧迫感も以前の君の方が上回っているよ。あんなに神経質で生真面目で律儀な護衛は歴代君くらいだった」
カジャは諦めて話を聞く体制になる。ただし串焼きを装備してだ。
「パンドラって国が指定してる特別階級よね。病花を昇華させる役回りの人でしょう」
病花というのは死の災厄をエネルギーに育つ花で、それが実りをつけるのは100年に一度。それが弾けると周囲に生きる物は体を弱らせ次々に死に至るのだという。ただ、病花自体は災厄を収束し、花である限りは周囲を清浄にし続けるとかで尊く保護されている国花だ。
この100年分の災厄に昔は犠牲者を何百と選びどうやってか処理していたらしいのだが、確実ではなく無傷ではすまなかったらしい。だがある時代からは方法が確立したらしく、以来、病花の災厄から完璧に開放され平和の恩恵を享受するに至った。その病花を処理、昇華させるというのがパンドラという聖人だと一般市民は認識している。
「そうだね。僕がそのパンドラと呼ばれ始めて数100年、もう1000年になったんだっけ。どうしてか病花の災厄が僕にだけは効かなくてね、綺麗さっぱり昇華してしまえるので生き神扱い。こうして冷凍保存され、危険な頃合いを見て解凍されるというのを繰り返しているわけさ」
「マジで?そりゃ大変なことで」
「病花がある場所を渡り歩いて昇華するだけの作業だよ」
串焼きを豪快に噛み切る。
もう1本串を出したところで強く睨んでくる男と目が合った。剣に手こそかけていないが護衛の人はマジ勘弁ならねえと思ってるに他ならない感じか。
だが仕事後の空腹を満たすためにカジャは食べた。
「で、なんか凄く長生きしてるパンドラが前世で私と再会する約束をしたと。で、私がそれだって占い師のお婆さんが言ったのね?」
「術師は男だったけれど会って僕自身も確信したよ?ケイアルティス・ザグアイナ、君が君だって事をね」
「女の人の傷顔見て運命の再会だとか言われても光栄でもなんでもないんだけど」
「そうみたいだ。残念だよ」
哀愁を漂わせて微笑み、ヴィラは空を見上げた。
「流石のザグアイナも生まれ変わってまで約束を果たせないか。でも会えて嬉しいよ。再会の約束っていうのが単に嬉しかったんだ。冷凍されるようになってからは、こうやって顔見知りに会う事なんて一度も無かったから。当然だけれど。それじゃあ、時間をくれてありがとう。別れが惜しいけれど、あまり時間に余裕は貰えないから立ち去らせてもらうよ」
串焼き2本目を食べ終えた頃に残った串を舐めながらカジャは立ち上がって、立ち去ろうとした集団に手を向けた。
「ちょっと聞き捨てならないんだけど」
「はい?」
護衛の1人が振り返って声を上げる。
「なんか私が約束破ったみたいに聞こえるわね、それじゃあ。前世なんて信じてないし私のせいじゃないのに、なんだか私が不誠実みたいじゃない」
ヴィラは首を振る。
「もちろん、そうじゃないよ。流石に前世での約束なんて守られるはずがなかったっていうだけで」
「ほら、また言った!私は約束を破るっていう単語に凄く敏感なわけね。でもあんたの中では私を約束守らない奴だ認定しやがるわけよ」
「いや、別に、そういうことでもないんだけど。えーっと、ザグアイナ?」
戸惑い首を傾げるパンドラの少年に、サッと立ち上がったカジャは食べ終わった2本の串を地面に向けて振りかざした。
「いいじゃないの。約束なんてしてないけど、そう言うなら行ってやろうじゃない。要はお花見に付き合ってあげればいいんでしょ。身支度するから待ってなさいよ」
護衛も動揺して一歩足を進める。
「え、ちょ、軽っ。そんなすぐ行って帰ってくる旅じゃ」
護衛の1人が手を伸ばすも、荷物を握ったカジャの行動は早かった。
「そこで誰か1人待ってなさいね」
カジャが走り出したのを誰もが目を丸くしていた。
あまりにもクルクルと話をかき回されて護衛達は混乱しているらしく、それぞれが辺りを見回したり、頭に手を当てて考えを整理していたりする。
ヴィラからは段々と笑いが混じりだす。
「本当に付いてくるなんて夢にも思ってなかったよ、ザグアイナ。顔だけ見て声を交わしてみようというつもりだったんだ。目を覚ました頃合いに生まれ変わっているだけでも、なんて律儀なと驚いていたのに、記憶は無いけれど今度の君ときたら」
青年と呼ぶには後一歩のところにいる少年は、大の男達に囲まれて笑い続ける。一見して貴族風体の一団はそりゃあもう町中で目立ちまくって視線の集中砲火であった。
護衛が物凄く苦い顔をしていた。
カジャは町の駐屯騎士にパンドラについて身元の確認を図り、更にパン屋の仕事を休業するため代わりの給金をヴィラ達に請求、自宅で最低限の物をまとめた軽装で彼らの宿にやってきた。出発を急ぐ一行には仮の休憩所でしかなかったが。
宿までの案内は再びワイエルンと呼ばれた年若い騎士だ。
いい加減に風邪を引きそうなワイエルンは案内ついでに駐屯所やパン屋に連れまわされ、そうされながらもカジャを説得していた。
「これは栄誉ある任務であると同時に貴方みたいな女性が付いて回るような旅ではなく、把握されている病花をそれこそ国中回って昇華するという過酷な長旅になるんだ。危険だってあるし、利権が絡んで襲われたりも過去の歴史には」
「そういうのから守るのが護衛である騎士、貴方達というわけね。断言しておくけど私は運動神経0よ」
「我々はルグワイツ様の護衛一団であり、貴女を守る者ではない。いちいち説明しなくても分かっただろうが男ばかりの中を年頃の女性に何かあっては」
「騎士がそんな事はしないんでしょ?女性に乱暴やうんぬんとかかんとか」
「そこは騎士も男であるからして俺が保証出来ない点も」
宿につけば苦虫を噛み潰したワイエルンを後ろにカジャは優雅に出発を待っていた一団が出迎えられた。一団の核であるパンドラのヴィラは笑顔で手を広げカジャを歓迎する。
「じゃあ出発しようか。これで今回の旅のメンバーが揃ったというわけだね」
訂正しよう。優雅だったのはヴィラのみで、周りの護衛はワイエルンと同じく説得し疲れたという顔をしていた。
馬車は豪華であった。実物は知らないが王族の乗り回すような上等なものではないだろうか。儀式で使われるような風体ではなく、早く走れるよう飾りは潔く取っ払われているが。
ガタンと馬車が揺れる。
「護衛は出来ないわよ」
「そうだろうね。ザグアイナは凄く優秀な剣豪だったけれど、女性であるカジャにそういう仕事を任せなければならないほど人材に困っているわけではないし」
車内にはカジャとヴィラの他に後2人渋い壮年の男が乗っている。護衛の1人が提案をあげる。
「侍女でよいのでは?目立たないよう小規模で動くために置いてはおりませぬが、必要な人件があれば旅先で自由に雇いいれても良いとの許可を国王陛下より直々に賜っております」
「雇いいれたからには主人であるルグワイツ様への態度を改めてもらおう!そもそも平民であり我々騎士よりも身分は下であるからして」
騎士の態度は硬いが、あくまでカジャの態度は軽い。後、当の主人であるらしきヴィラの態度も緩い。
「同僚にそういう言い方する?まあ年上なわけだから敬語くらい使いますけどー、明らかに年下のヴィラに敬語とか凄く不自然ではないでしょーか」
「使って当然のご身分だっ。この御方はパンドラ、騎士よりも公爵よりも上の身分にあらせられる。国王陛下に匹敵し、更に時としてそれ以上ともとらえられる、我が国の守護神であるぞ!」
そう言われて隣に座るヴィラを見下ろし、カジャは窓側を向いて舌を出す。
「うへぇ、息つまる」
窓の外で斜め後ろを馬で走るワイエルンが怒って口を挟む。
「女がそんな顔をするな」
外にも敵がいたようだ。
ちなみにカジャの目の前の壮年騎士2人はハンチェスタ、マルテアンとそれぞれ名乗った。長々しいと思えば、お貴族様なので家名という家に付く名前であるらしい。さっきからマルテアンの方は何かとカジャに突っかかってくる。ヴィラへの態度にイライラを募らせているのは間違いない。
「別に仕事なんて、馬車の前にある野糞を掃き除ける役でも、靴の裏についたガム取り係りでも構わないけど、私はパン屋の店員以上の礼儀作法なんて出来ないから、侍女みたいな訓練されたもんを期待しないで下さいね」
「そんな役目があるか!」
窓の外の斜め後ろからワイエルンだ。ついに怒鳴った。
「ワイエルン、外敵に注意を払いなさい」
「申し訳ありません」
静かにハンチェスタから指摘され、ワイエルンの馬が微かに馬車から離れる。カジャは外を指差した。
「彼はツッコミ担当か何かなんですか」
ヴィラがクスクス笑って答える。
「若く真面目でこまめなんだよ」
逆におおざっぱで不真面目で胡散臭そうなヴィラが腕を組み頬を指で叩く。
「僕が私的に雇用したわけだし、僕に付随する立場として側付きということにしよう。特に急いで決めなければならない懸案ではないし、あまり立場を定めてしまうと自由が利かないから望むところではないな」
ヴィラは大人になりきらない子供の笑顔でカジャに顔を向ける。
「護衛なんて出来なくとも、これはこれで気が利いているよ。ザグアイナもなかなか目の付け所が違うよね。旅の間ときたらいつもマッチョに囲まれてむさ苦しくってさ」
「そりゃぁ、絶望的に気が利かない今までね」
カジャはそんな旅を想像して馬車を見回した。密室でマッチョなおっさん達と運ばれながら回る国家清浄化の旅とは、想像以上に嫌だろう。
あまり近づいたものではなかったが、病花というものをカジャは実際に初めて見ていた。
辛うじて病花が見える所まではやってきたが、ヴィラ以外の者は数十m離れた位置で引き止められた。ヴィラだけが低い丘を登り花のたもとまで近づいて跪いた。
丘をぐるりと囲んだ砦と壁を背に兵士が立ち並ぶ中心部、離れていても緑の中に異色を放った青紫の風船状の実が目に付く。硝煙の香りを辺りに立ち昇らせ、薄く張った皮の中は透けて張り詰め今にも弾けそうだ。子供の拳程の実の内では渦巻く何かが動いている。
果実には病花が100年もの間溜め込んだ災厄が詰まっている。体を蝕み時には死を振りまく100年の記憶を持つ恐ろしい猛毒。それを包み込むように手を添えたヴィラが開いた口の奥の奥まで果実をくわえ込んでいくのを誰しもが見守った。
プツンと茎を噛み切り、ヴィラは口に両手を添えてゆっくりと果実を飲みくだした。
歴史で、誰もが知る神話で、病花の処理をどうやっているかについて触れられてはいなかった。カジャとて興味を向けたこともなく、今思えば不自然な程にパンドラの所業だけが歴史から抜け落ちている。ただパンドラは尊く、災厄を退ける神なる者であると盲目に語られるだけだった。
「ヴィラ!?」
様子がおかしい。背を丸めて草原に額をつけた。カジャが顔色を変えて駆け寄ろうとした腕をハンチェスタがつかんだ。ヴィラに勢いよく目を戻せば静かにそこから倒れる様子はなく手で口を押さえ込み、静かに何かから耐えている。チラリとカジャを見たヴィラは、グッと力を込めて立ち上がりフラフラと今にも倒れそうな千鳥足で戻ってくる。つかまれた腕を振り払ってヴィラに近づき体に手を添えれば、血の気が引いたままヴィラは笑いかけていた。ジワジワと怒りがわき起こる。
「何なのよ、これ」
国を浄化して回るというパンドラ。神とすら崇められる死を沈める者。こんなものが、本気で何100年も続けられていたとでもいうのだろうか。その実がどれ程の毒なのかぐらい知っている。時には国を丸ごと毒が覆い、滅びたという話はいくつもあるのだ。
ヴィラは病花の災厄は効かないと言った。そんなはずはない。今にも倒れそうな顔で血の気も失せ玉の汗を浮かべて吐きそうな口元を押さえながら、無事だ、と言われて信じろと言うのか。
「君の生きる時代が100年の栄華を刻みますように」
こいつは、何をほざいているのか。
高級なホテルの最高級な部屋を当然のように用意されていたもののリアクションをとる気分にもならず、宿につくなり案内されるよりも早くカジャはヴィラの腕をつかんでズカズカ部屋に入り込んだ。またヴィラは一切抵抗しないものだから周りの騎士達が態度を決めかねてハンチェスタへ視線を向けるが、何か口を挟むよりカジャの行動がいつも早い。
カジャはソファの前に立ち止まってヴィラを睨みつける。
「ちょっと座りなさい」
「それがパン屋レベルの言葉遣いだというのか」
マルテアンの顔を引きつらせた指摘でカジャは言い直した。
「そこにお座りくださりやがれ」
更にマルテアンが怒気を多分に含ませて言い募りかけたが、首を傾げながら微笑んでいるヴィラは特に抗いもせずに座って肩をほぐす。
「どうしたんだい、ザグアイナ」
それはカジャの名ではなかったが、歯牙にもかけずにヴィラの顔をペタペタと触り回す。マルテアンが無礼行為だと宣告したが、真剣な顔で頭や手足を見ているのでヴィラはやりようを静かに眺めた。
「焼く前のパンみたいに血の気が引いて、体も冷えてる。パンドラには病花で害が無いなんて嘘ね?子供に何をやらせてるの、この国は!ヘラヘラ笑って褒めてみたいな面するんじゃないのよ」
「子供だなんて、僕は17にもなるし適齢期には達してるんだけど?まあそう心配せずともすぐに戻るさ。普通は死んでしまうんだよ?病魔を体内で処理できずに漏れ出した状態で、死体から広がる汚染物はなかなか散らない。昔は奴隷がああやって処理していたんだけれど、それでも昇華することまではできなくてね。何十年にも渡って周辺を汚染していたんだ。その点、僕は生きたまま体内で浄化をしてしまえるというお得な体質。これがパンドラの能力というわけだ」
「気持ち悪そうにうずくまっといて今だって気分爽快ああソウカイってわけじゃないでしょ?ちょっと、大人がよってたかって本気で1人のもやしっ子に危険物処理をやらせて回る気じゃないでしょうね!?」
周りの屈強な男達を見回すが、当然というように誰も困り顔も冗談だと言う様子も無い。
「ねえ、カジャ」
呼ばれて不満顔のままヴィラに視線を戻すと、それこそ子供に言い聞かせるように微笑んでヴィラは繰り返した。
「命懸けで無謀な賭けに出るより、安全で確実な人間を繰り返し使う方が誰にとってもいいじゃないか。しばしのちょっとした苦痛に耐えればいいだけ。だからこの国はずっと僕を必要としているんだ」
冷凍、解凍で1000年。
「必要な旅なんだよ、カジャ」
病花を昇華する一行がパンドラなのではない。
唯一、彼こそがパンドラ。
カジャだけホテルの階下ホールで食事を取った。一緒に食事を取る気分ではないとカジャが拒絶し、護衛の騎士やヴィラが食卓を囲むのをただ1人だけ給仕に回ったのだ。ほとんどはホテルの従業員によってなされたが。
「失礼な態度を改めないか。一般人と言えどパンドラという者がいかに尊いか義務教育で習ってるだろう。今を生きられるのも全てあの御仁があってこそ。感謝の気持ちを忘れ神を冒涜するのは非国民だぞ」
主人に付かない付き人カジャの護衛にワイエルンが現れた。食事をするような場所ではないが、比較的一般人も出入りするホールの方がカジャにとってはまだ落ち着いて食事ができる。
「じゃあ非国民なんてほっといてパンドラ守ってなさいよ」
「そのルグワイツ様についた唐突な付き人は、厳重な審査を受けているわけでもないのだから厳しく管理する義務がこちらにはあるんだ。タダ人であろうと他国の者や良からぬ輩と内通されては不覚を取るリスクが出る。万が一とてあってはならないんだ」
「そら余計な仕事増やして悪かったわね」
「いや、ルグワイツ様が必要だとおっしゃるのであれば、それがいかような者であろうと揃える俺の仕事の範疇だ。そこを気にする必要はない」
「パンドラの騎士ねえ」
頬杖をついてカジャは、こんな所で食事をいている女という注目を浴びつつ想いをはせる。