「葉春ー。朝だよー! 萌えだよー!」
聞いた第一声がこれですか。朝から呆れの息を吐きつつ、僕はのっそり上半身を立てる。
「そんな起こし方があるか、クオ。意図がわからない」
「意図はちゃんとあるよ。葉春を目覚めさせるの。──オタク道に」
「目覚めのニュアンスが違うっ!」
僕こと一堂・葉春の朝は、毎日こうやって始まりを告げる。といっても最近、二年生の入学式以来の話だけれど。今はもう五月だ。
「……どうせ揺乃が吹き込んだんだろうけど。クオ、あんまり変な知識を集積するなよな」
忠告する僕の目の前で、聞いているのかないのか、彼女──クオは椅子に腰掛けた。
ダイニングテーブルに合わせた四つの椅子の内、僕から見て右の奥にだ。そこはクオの指定席。ちなみに右の手前は揺乃の指定席、その対面は僕の指定席、余った左奥は来客用だ。
僕は伸びをして、床にそっと足を着けた。寝ぼけ眼でしばらく部屋を見渡して、クオとは別のもう一人の同居人を探す。
……いない。そんなことがあるのだろうか。目を擦る。けど、ぼやけた視界を整えても、やっぱり姿は見当たらない。
はて。
「クオ、揺乃は?」
「朝ご飯を貰いにいったよ。日和とホルウのとこ」
「昨日も一昨日も貰いにいってたよな。ほんと日和とホルウに申し訳ない……」
「ホルウちゃん料理上手だからね」
だからと言って、頼って良い理由にはならないだろ。ホルウだって、本来は日和のために朝ご飯を支度してるんだし。
一人食卓に座るクオは、ドリンク剤のようなものを吸っている。あれは彼女にとっての朝食だ。
これだけだと、彼女が不健康少女みたいな誤解を与えるかもしれないので追伸する。
彼女はロボットだ。
厳密には色々と違う。彼女の管理担当をしている先生の言葉を借りてもっと正確に述べるなら、本体である幽霊体を機械の体に合一させた、いわゆるゴーストパペット。いわゆるも何も、僕は先生から初めて聞いたけど。
ああやって朝・昼・夜、クオは液体燃料を補給している。あれがないと、媒体となる機械の体が上手く動かないそうだ。自動車とガソリンみたいなものだと僕は認識している。
そして補給は、幽霊体としての彼女にも必要不可欠だ。その栄養となる源は、憑いた人間の夢。人間側の睡眠時に隣にいることで、夢を幽霊体の顕現用エネルギーに変換することが可能になる。これが、僕とクオが同居している理由でもある。
ていうかなんでお前がとり憑かれてんだよ、っていうのは入学式直後の交流会が関係していて、あの日から一ヶ月経過した現在でも、当人の僕がいまいち理解していない。
これまた先生の受け売りだけど、原因の有力説は、僕が通う第一左右坂と揺乃が通う第二左右坂、両左右坂高校がある事情を抱えているから、らしい。創立されてからの五十二年間、四年ごとにゴーストパペットは生まれているそうだ。
さっき話していたホルウと日和も、ゴーストパペットと憑かれ人の関係性で結ばれている。日和らの場合、少し特殊な事例らしいけど。
そして僕らの場合もそれとは別でまた特殊だ。なぜならゴーストパペットたる彼女、憑かれ人たる僕に加え、同居人がもう一人いる。『憑かれ人に憑かれた人間』、揺乃が。
つまり僕は、訂正──僕らは、三人で生活を共にしているわけだ。しかしまあ、この男と女とロボ暮らしはアニメかゲームのようにはいかず、これが結構な具合で大変で──
「ほらほら。私の手作り料理を持ってきたわよー!」
噂をすればなんとやら。目下における僕の心身疲労の、最大要因が戻ってきた。
「ただいまクオ」
「おかえり揺乃」
勢いよく扉を開き、何かを抱えて帰ってきたのは揺乃だ。
椎木・揺乃。憑かれ人に憑かれた人間。
同居人でもある彼女は、既に制服に着替えていた。玄関口で靴を脱ぐ揺乃の表情はやけに満足そうである。ろくな予感がしないな。
その不安に対する対策を練りあげつつ、僕は僕にとって災厄とも思える揺乃に声を掛けた。
「揺乃。食事当番が面倒くさいからって日和やホルウに迷惑かけるなよ」
「いやいや。そんなことより、私の手作り料理よ?」
堂々と話題を逸らしやがった。というかこいつ、
「お前の台詞は都合よく途中省略されてるぞ。正確には、私『が半ば無理やり奪ってきた、隣人ホルウ』の手料理、だろ」
「だからなに」
「こいつ開き直った!?」
食卓に、揺乃は抱えていたもの──たぶん貰ってきた朝食──を置いた。腰まで伸ばした艶やかな黒髪が特徴的な彼女は、長髪を揺らして僕を見つめる。
「…………」
「…………」
な、なんだこいつ。
揺乃はいきなり瞳を潤わせ、うっと小さく嗚咽を漏らし、
「葉春のバカ……。せっかく、せっかくの私の誠心誠意を込め(て貰ってき)た料理を」
傷ついたわみたいなこの演技、嘘くせえ非常に嘘くせえー。なんかまた省略してるし。
「ううっ。葉春は、葉春は、私のこときらい?」
「い、いきなりどうした!? お前のキャラじゃないだろうよ」
「あら、卑小な人間に私の個性を枠付けして欲しくないわ」
「同じ人類ー! みんなみんな生きているんだ友達なんだぞ!」
あっさり素に戻しやがった。だよな、揺乃の性格上、長くは続けられないよな。あんな下手にでる態度。
揺乃は彼女の指定席、クオの隣に着席し、貰ってきた朝食を自分の前に並べだした。
おにぎり。みそ汁。玉子焼き。焼き魚。漬け物。ひじき。牛乳。理想的な和の朝食。さすが達人、ホルウの料理だ。どれも見た目が最高値、かつ彼女の場合は中身も伴っているのが素晴らしい。
に、対して。揺乃め、ホルウが無口なのを良いことに、沈黙を都合よく解釈したな。たぶん二人の間には、
『ホルウ! 朝ご飯わけて!』
『……』
『さんきゅ。じゃあこれ貰うね。助かるわ』
『……』
──みたいな会話があったのだろう。会話と呼べるかは微妙だが。
ホルウと揺乃を比較して考える。家庭的はホルウにピッタリだ。じゃあ正逆の揺乃に付ける言葉、家庭的の反対語はなんだろう。社会的だったかな。暴力的だったかな。
まあ前者は揺乃には相応しくない表現語句か、と結論をして、僕は揺乃の対面に腰を落とした。
僕も朝食を食べよう、と追加動作でテーブルに視線を落とす。落とし、一度まばたきして再び食卓の上を確認して……あれ、ちょっと待って。おかしい、おかしいな。
「揺乃、僕の分の朝ご飯は……?」
「え、食べられるの? だって食べ物よ?」
「揺乃。お前とは、僕に対する認識について話し合う必要がありそうだな」
「ふん。朝ご飯がないなら酸素を食べればいいじゃない」
「マリー・アントワネットより酷いな」
「葉春はおそらく勘違いしてるわね。『パンが無ければお菓子を食べればいい』って台詞、あれは彼女が言ったわけではないわよ」
「え……? そうなのか」
「無学ね。無知ね。ググれよ馬鹿」
そこまで言わんでも。しかしあの有名な台詞が、実はマリー・アントワネットの発言じゃないとは。揺乃は雑学には知識が豊富だから本当だろう。うん、これはすぐにでも調べる必要があ……
「いやいやいやいや自然な流れで話題を変えるな! 朝飯。僕の朝飯はどこだよ」
僕が気付くように、揺乃はチッとあからさまに舌を打ち鳴らす。
「己で作れ。甘えは自分の為にならないわよ」
「隣から頂戴してきたお前がいっても説得力ねえよ」
「これは日和とホルウが私に納めたのよ。納税の代わり」
「お前、役人だったのか」
しかもよく意味を咀嚼してみると、食事を提供してくれたホルウを小作人呼ばわりしてるよな。
恩義とか感じないんだろうなこいつ。時代が時代なら、主君を討ち倒して武将に成り上がるタイプ。
「話題路線を戻すけど、食事は当番制に決めたじゃないか。なんであっさり無視するよ」
「義務だから?」
「なぜ疑問詞」
当番の義務を無視するのが義務って、なんか矛盾してるぞ。
「とりあえず、あんたが自分で作れば丸く収まるんだから。葉春、我が儘はダメよ」
お袋みたいな台詞だな。ついでにそのままそっくり揺乃に返したい。
「そうだよ葉春。頑張って、お姉ちゃん見ててあげるから。あえて義理じゃないお姉ちゃんが」
燃料補給を終えたクオは僕を励ましてくる。義理だろうが本物だろうが、そんな設定を取り決めた覚えもねえよ。
ううむ。
揺乃も、彼女に比べれば幾分まともなクオも、どっちにしろ僕の意見を認めるつもりはないらしい。
嘆息。どうせ会話してても埒があかない。朝食も食べられない上に、学校にも間に合わなくなる。欠食は、僕のエクストリームな一日にとっては致命的だ。
「……ま、いつものことか」
いい加減慣れないといけないな。思いつつ、僕はしぶしぶキッチンへ向かった。
何を作ろうか冷蔵庫を物色していると、背後から揺乃の注文が入った。
「葉春。私の分もよろしくっ」
「……」
拝啓、マハトマ・ガンディーさん。さすがに非暴力不服従を信条にするあなたでも、彼女に一撃加えることを許してくれるのではないでしょうか。
──◆◆◆──
一時間後。ところ変わって、第一左右坂高校、二年の教室、窓際後方のベストポジション。
僕は座った姿勢のままで、机にうつ伏せていた。なんか朝から疲れた。
第一左右坂高校。僕が通う通称・左右坂の右側には、揺乃もクオもどちらもいない。揺乃は通称・左右坂の左側、普通科の第二左右坂に通い、クオはゴーストパペット専用寮で留守番。あの二人がいないと平和だあ。
ゴーストパペットと憑かれ人の存在は、公にはなっていない。ならないように操作されている。
僕とクオと揺乃が暮らす、専用寮がいい例だ。あそこは、歴代のゴーストパペット十四体とその憑かれ人、全員の住居となっている。卒業した人も皆だ。
目的は至極単純。ゴーストパペットの情報を、閉じ込めることで世間から隔離すること。もっとも、束縛されるのはゴーストパペットに限られるけど。門限はあるけど、憑かれ人は出入り自由だから。
しかし、僕は全員見たことはないけど、初代の憑かれ人はもう七十歳近いんだよな。そして最年少が僕で十七。五十二年の隔たりってのはなかなかに凄い。逆にいえば、その歳月を費やしてもゴーストパペットについて解明できていないのが現状。
僕には関係あるけど関係ないことだ。今は一日を生き延びるで精いっぱい。心身ともに精いっぱい。
「やっぱ学校は平和だよなあ。いいよなあ学校。土日祝日なんて滅んじゃえばいいのになあ」
小・中学生の頃とは真逆な願望を抱きながら、僕はだらけ寝に突入する。だらけた格好で、目を閉じる。昨日も、クオと揺乃のおかげで就寝時間遅かったもんな。
「おい葉春。朝から学校で寝に入るな。何しに来てんだお前」
心地に身を委ねていると、そんな言葉と共に一人の男子生徒が歩み寄ってきた。
彼の名前は、
「おはよう日和」
「ああ。しかしなんで、朝っぱらからぐったりしてんだお前」
冠城・日和。僕のクラスメートにして親友にして、特殊なケースの憑かれ人。
普通、ゴーストパペットは四年ごとに現れ人に取り憑く。けど対象になる人間は無作為というわけではないらしく、条件が一つだけあった。
いずれかの左右坂高校の生徒であること。
初代から十二代、とんで十四代の僕も含め、みんなこの条件に当てはまった。けどこの日和は、三年前、まだ中学二年の時点で、十三代目の憑かれ人となっていた。
ゴーストパペット誕生周期を乱して生まれたという意味では、限りなく異端だ。
それでも僕の特殊よりは実害がない分いいだろう。というかこいつ、日和のゴーストパペットであるホルウとの二人暮らしなんだよな。羨ましい限りだ。
「…………」
「な、なんだよその視線はよ」
お前のシチュに対する憧憬の眼差しだ、親友よ。
「けど日和。今日は時間ぎりぎりだったな」
「ん。まあ事情があってな」
言った日和は、教室の時計で時間を確かめ息をつく。
「お前んとこの椎木が、俺らの朝食を持っていっただろ?」
「そういやそうだったね……」
それが原因で遅刻しかけたのなら、非常に申し訳がない。
「それは悪かったな。常識ないのが迷惑かけて」
「いやな。それが根本の原因ではあるんだが、その後がまあ色々あってな」
「色々、というと?」
質問に微笑が返る。日和は自分の腹に軽く手を当てて、
「椎木が帰った後、ホルウが朝食を作り直してくれたんだ。それがさ、どうせならさっきより豪華にするから、って言い出して譲らなくて……。和洋中華のフルコース平らげるのに随分と時間が掛かってな。旨いから残すのがもったいなくて」
「幸せじゃないかそれっ! 僕は結局、自炊だったんだぞ」
なんて違いすぎる境遇だ。クオは可愛いけど料理の技能は全く無いし、揺乃は作れるくせに作らない。なのに日和とホルウはまさに新婚夫婦そのものじゃないか。
「はははドンマイだな葉春。──いやまて。たしか椎木が朝飯を持っていったはずだぞ、お前の分」
「いや、あいつの分だけだった」
すると日和は首を傾げ、黙考の後、今度は確信をもって僕に告げてきた。
「違うぞ。だってあいつ、椎木は、俺らの部屋で朝飯食べてから、それとは別に食事を持ち帰ったんだぞ?」
「あれは僕の分だったのか! あいつこっちでそれ食べてたぞ」
「まさかそんな大食漢なわけが……いや、椎木ならあり得るか」
「ちくしょう! 僕の分をこっそり略奪するに止まらず、何も知らない僕に更に作らせてたのか。悔しすぎるっ!」
「すげえな。あいつ本当に女子校生なのか?」
「僕が尋ねたい!」
しかも揺乃のやつ、僕が自分の分に加えて作ったのも食べてるわけだから、つまりは三人分も腹におさめたのか。まさか毒舌に追加して大食いキャラの一面もあったとは。ことごとく、僕にとって有害な個性ばかり。
「葉春お前……大変なんだな」
「哀れむな哀れむな。ものすごく凹む」
もう、なんか目頭が熱くなってきた。高校生にして友達に同情される不遇にある僕ってどうよ。
「……お前への慰めってわけじゃないが、今晩、俺らの部屋で飯食わないか?」
見え見えの慰めだな。いや、うん、ありがたいけど心に痛い。
「でも、二人きりじゃなくなるとホルウがふてくされるんじゃないか?」
「大丈夫だよ。休みは一緒に遊ぶ約束してるから、今日はかなり機嫌がいい」
「…………」
いいなあ。仲良さそうで。クオはだんだんと揺乃に毒されてるからなあ。妙な技能ばっか会得してるし。媚び方とか足音の消し方とか。
日和は僕の肩に手を乗せる。そして極めつけの二言。
「安心しろ。椎木が来てもカバーできる量を用意しとくから」
「…………行く。絶対に行く」
少しくらい甘えてもいいよな。うん。いいと思う。
──◆◆◆──
放課後。部活に入っていない僕は、さっさと寮へ戻ることにした。六時を超えると揺乃が鍵を閉めてしまうのも理由の一つだけど。
専用寮の自分の部屋。ノブを回すと、開いた。当たり前のことなのに安堵してしまう辺り、僕は心が病んでいるらしい。
「ただいまー」
部屋の内。揺乃は既に帰宅していて、クオと何かを喋っていた。
「──いい? クオ。大事なのはチュッて唇の音よ」
「わかりました。では」
またろくでもない技術を仕込んでいたんだろう。常のことなので、さして僕は気にしない。
そのまま僕は自分用の洋服棚に直行し、その前でブレザーを脱ぎはじめる。
くたびれた。自分で肩を揉んでみる。しばらく疲労をほぐしていると、つんつんとつつく感触が背中にあった。
「?」
振り向くと、クオの笑顔が目に映る。
「おかえり葉春」
と言った彼女は、笑顔を維持したまま、その口元を右手で覆い隠し、
「──ちっ」
「帰ってきそうそう舌打ち!? クオに嫌われたら僕の居場所がないじゃないかうわあ!」
「え? いやあの葉春? ねえ揺乃、葉春が崩れ落ちて膝抱えて泣き出したよ?」
「教えたのは投げキッスだったんだけど……ふむ、図らずも面白い間違いになったわね」
「どうしよう揺乃……」
「しばらく観察しときましょう」
「帰りたい。家族のもとへ帰りたい……」
──◆──
本当に傷付いた。ただでさえ揺乃に虐げられる毎日の生活なのに、クオにまで嫌われたら居場所がなくなるんだよ。
あとで誤解だとはわかったけど……教訓、舌打ちって、弱ってる人間への追い討ちにはめちゃくちゃ効果的である。全然ためにならなそうな収穫だ。
「ごめんね葉春」
「謝られるともうなんか……」
うん。辛い。かえって辛い。
クオが必死にごめんを繰り返している横、根本の原因が口を開いた。
揺乃。腕組みした彼女は、
「クオ、別に謝らなくていいのよ。謝罪の価値が下がるから。もったいないもったいない」
「…………」
僕が近ごろ傷つきやすいだけで、さっきのも過剰反応であって、確かにその通りなんだが、あらゆる負の源である揺乃に言われるのはなんか許せないな。
「思うんだが揺乃」
「なによ」
「お前、学校でもそのキャラクターで通してるのか」
同居している僕は、いくら暴言を吐かれようとも揺乃から逃げることはできない。少なくとも、夜以降は一緒にいなければならない。
けどそれは憑かれ人としての不離であって、そういった束縛がない場、例えば学校のような集団組織の中では、彼女に付き合っていける人間がいるのか。付き合っていこうと思う人間がいるのだろうか。
甚だ疑問。
「毒舌キャラで集団生活がやっていけるとは僕には思えないんだが」
「別に私は毒舌キャラじゃないけど。時には行動も起こすわよ?」
尚悪い。
「でもまあ、そうね」
今日一日を振り返るかのごとく、彼女あごに指を当てしばらく視線を上に向ける。
「特に問題ないわね。普段通り私は優秀だったわ。そう、全国ネットで高校生の模範として様子を放送していいほどね」
「年齢規制がかかりそうだな。深夜放送だとしても」
「失礼ね。そんなエロチックな生活してないわよ」
「誤るな。お前はバイオレンスな生活をしてるんだ」
というか、
「僕にはどうしても、お前がまともな一日を送ってるとは想像できないよ」
「なんで? 気に入らない先生の授業でも妨害してないし、話しかけてくるクラスメートには愛想笑いしてあげるし、教室の雰囲気を読み違えてもへこたれないわよ?」
「全部ズレているけど、最後だけは認めてあげてもいい」
一息を入れる。やっぱりというか、集団の中でも、こいつの考え方は変わらないらしい。一応は周りの状況とかを考慮しているようなので、そこそこまともな神経は残っているようだけど。
でもなあ。
頭を掻き、僕は揺乃を正面から見つめる。ふむ。
客観的かつ端的に意見を述べる。揺乃は可愛い。
濡れ羽色でくせが微塵も見当たらない、例えでもなんでもなく本当に絹のようなロングヘア。肌は白く、といって病的な含みはなく、黙って窓際に座らせていればまさしく『深窓の姫君』の称号を授与されそうだ。
顔立ちは左右完全対称とでもいうべきか、均衡が完璧に整っている。瞳は爛々の形容詞が相応で、生命力に溢れ、彼女の存在感そのものを引き立てている。体型は扇情的ではないにしろ、いや、むしろスレンダーな現在のほうが、彼女を一層魅せている。
可愛い。美しい。綺麗。そんな言葉の羅列では、絶対に追いつかない位置にいる。つまるところ、彼女は生涯で五指には入るほどに魅力的な存在だった。
ただ、容姿に限れば。
天は二物を与えないというが、彼女は如実にその言葉を体現している。どう視点を変えても、揺乃は見た目と性格が合致しない。
ある意味で美女と野獣。美女かつ野獣。
しかし、と思考。嗜虐的な面は別にして、僕としては率直な揺乃の性格は好きだ。装ってない地のほうがやりやすい。
けど、とも思考。男は少なからず彼女に幻想を抱くだろうし、彼女に合わせるのは女子には難しい気がする。
実際に彼女の様子を目にしたわけじゃないけど、揺乃は大丈夫なのだろうか。
「揺乃。こんなこと訊くのもあれだけど、学校に友達いるのか?」
「定義は?」
「お前の主観でいい」
僕の質問もあれだけど、友達の定義から始まるとは予想だにしてなかった。
これは訊くまでもなく……
「まあ、いないわね」
だろうね。にしても、すんなり寂しいカミングアウトしたな。
「でも実際の話、友達の境界線てどの辺よ。某猫型機械有袋類のアニメのいじめっ子は『おお心の友よ!』なんて言うけど、心の友って何よ。肉体の友って何よ。友達って何よー!」
「ちょっ、情緒不安定にも程がある!」
叫ぶやいなや揺乃は僕の襟首を握りしめうああああ。なんで僕は毎度こんな目ばかりいいいい。
「あ。でも」
「だっ……」
何かを思い出した揺乃は手を離し、解放された僕は当然のように床へ頭を打ちつけた。それはもうしこたま。
「うほっ……」
変な息が漏れる。後頭部って大事なんだなあと僕は改めて認識した。さすり、腫れていないことを確認してから、僕は揺乃を細目で凝視する。
「…………」
「でもクオやホルウや日和は友達に分類してもいいかもね」
「…………」
「うん。友達って良いものよね。よし、改めてよろしくねクオ」
「うん。私もよろしくね揺乃」
「……だめっ絶えられない! まず一つ、僕の頭が無事かどうかに少しくらい興味をもとう! さらに一つ、自己完結しすぎで話についていけねえよ揺乃。せめて流れを読んでみよう! 最後に一つ、その『私いまものすごく良いこと言ったわ』みたいなしたり顔やめろ!」
「あら」
呟いたのは揺乃だ。彼女はじーっとたっぷり時間を費やして僕を観察し、なぜか首をひねったり顎に指を当てたりと悩む挙動を見せ始めた。なぜか怖い。
彼女に倣い、クオもしげしげと僕を見つめる。少女二人は互いに顔を見合わせると、確かめ合うように首肯を交わし、声を揃えて、
「仕方ない。友達になってあげようか」
「待て待て!? 構ってほしくてつっこんだんじゃないぞ」
「最初はみんなそういうの。ほら、照れないで」
と、説得口調なのはクオだ。ゴーストパペットのクオに、小学校の先生みたいな感じで悟った風なことを言われても……うん、なんだかね。
あ。かといって揺乃みたく、蔑んだ眼をされるのはストレートに傷付く。どちらにしても僕は心に傷を負うんだなあ。惨めになるか、哀れまれるか。
無駄だとは思いつつ、僕は提案なんぞをしてみる。
「あのさ揺乃、せめて僕に対等な扱いをさせてくれないか。こう、人の話をあっさり流したりしないでさ」
「わかったわ。ところでくだらない話は置いといて、ホルウからの話なんだけど」
「即刻だな! 史上最速で約束を破った人間だよお前」
いや、無駄だと知っていて話を持ち掛けた僕が馬鹿だったか。ですよねえ。この寮においては、僕の扱いなんて消しカス同然ですよねえ。
うなだれる僕は、投げやりに揺乃へ話を促した。さすがにクオは対応が酷すぎたと察したのか、僕に笑顔を向けてくれるけど、今さら慰めにもならない。手遅れ。
「それでー、ホルウがなーに」
「なんでも、今夜プチパーティーをするらしいのよ。といっても、私達と日和にホルウの五人だけの、ほんとに小規模なものらしいけど」
「私と揺乃は参加するけど、葉春も行くよね?」
「ん。ああもちろん」
もちろん。だって、二人は知らないだろうけど、その夕食会は日和が僕を哀れんで企画したのがキッカケだからね。
僕が行かなかったら本当に意味がないよ。
「私としてはありがたいわね。当番だったから得した気分だわ」
揺乃はあぐらで座り、腕を組む。満足げに頷いてるけど、どっちにしろ揺乃は料理作らなかったと僕は断言できる。
「クオ、ホルウは何時に来てくれって?」
「七時までには用意できるからって言ってたよ」
「七時か」
壁掛け時計の時刻と見比べて、余った時間を計算する。
……あと小一時間。
さて。何をして時間をつぶそうか。
──◆──
「よっしゃー王手!」
「……なあ」
部屋の中央。僕の前には縦九×横九の将棋盤がある。安っぽい折りたたみ式のその上には、やっぱり将棋の駒があって、僕らは端からは普通に将棋に興じているように見えるかもしれない。
但し、将棋盤が五つ、十字型につなげられている点に目を瞑ったら、の話。
これは、じゃあ将棋でもしようと揺乃の提案で開始したんだけど、どうせなら三人でやろうとのこれまた揺乃の提案からこうなった。
「なあ揺乃。……無理があると思わないか。三人同時対戦の将棋って」
「無理も通せば道理となる、って聞いたことないの葉春」
「いや別にここで無理する必要はないかと」
オリジナルルールとかの段階飛び越えて、将棋の根本を変えてるし。だって総数的にマスの数は九×九×五だし。
斜め十二マス先という尋常じゃない距離から狙う、揺乃の角の王手を僕は回避する。
「あとさあクオ」
「ん?」
「隅っこで地味に歩兵増産するのは止めようよ」
説明しよう。例にもれず、これも揺乃独自ルールである。
揺乃→僕→クオ→揺乃……というサイクルで回転する順番なんだけど、自分の駒を動かす代わりに、それぞれ『自分の陣地で“民”(=歩)の駒を増やす』という選択ができる。
クオは一手目から続けてそれを行い、二歩みたいな反則も撤廃されてるため、今や三列の歩兵隊が完成していた。まさに王の周囲は砦というか、要塞と化している。盤の広さが普通の五倍であっても、やはり圧巻。てか攻略不可能だろあれ。
しかも盤上が十字型であるゆえの特別ルール、『駒の方向転換は各自由』などと将棋として成立しなくなるような独自ルールも相まって、盤上は合戦乱戦ごっちゃ混ぜ。五十手も進めば、もう何が何だかわからない。
どうもあれだ。揺乃の脳内アクシデントがそのまま反映された遊戯のようだ。
で、気が付けば、
「また王手!」
「ぬう……」
揺乃が方向を向けてきた香車の筋から、僕は王を一マス横にずらしてまたかわす。
クオは次の自分の番で、四列めの歩兵隊生産に突入した。
そして揺乃の順番。
「よっし王手」
「くそ、しつこい……」
質の悪いストーカーみたく執拗な揺乃の王手王手。状況的に防ぐわけにもいかず、僕は王を必死に逃がす。
王手。回避。民生産。王手。回避。民生産。僕は王をあちらへこちらへ。なんとか逃走を繰り返す。──って何気に熱中している僕だった。
だけど、クオが歩兵隊五列め半ばに差しかかった頃。限界がきた。
「きたきたきたきた王手王手ー!」
「し、しまった……」
誘い出された僕の王は、十字の真ん中の盤、あらゆる方向から狙われていた。
周囲に駒はなく手持ちの駒も一つもなし。完全に孤立無援の裸の王様だ。こうなったら王自身が逃げるほかに道はない。
けれどそうもいかなかった。
真っ正面には飛車が構えられ、その飛車の左右には香車が従えられている。この時点でデッドエンド。だがこれでもかと、斜め方向からの角、桂馬二つも王手の状態にあった。完全包囲。
……って待てよ。つまり揺乃は、王を取れるのに取らなかったのか。弄ばれてますよ僕の王。普通の勝ちじゃ飽き足らないのかこいつ。
「早くしなさいよ葉春」
「……」
最悪だ。揺乃は勝負が決しているのをわかってて言ってる。
うう……これは認めたくないけど……詰んでいる。言いたくないなあ。ああでも、言いたくないけど仕方ない。本当に言いたくないけど──
「……参りました」
「よっし葉春が人生の負け組を認めたわ!」
「認めてねえよ! 拡大解釈し過ぎだ。こんな一戦で一生の勝敗決められてたまるかい!」
「黙りなさいっ」
バンッと揺乃は将棋盤を突き叩く。乱れ落ちた駒に構うこともなく、
「わかってるわよね? 敗者は勝者に絶対服従よ?」
「…………」
揺乃の満面の笑みがこの上なく怖ろしい。僕は五分後、生存しているんだろうか。健闘を祈る、未来の僕。
──◆◆◆──
「日和。料理、できたよ」
単語を連ねただけのような、どこかたどたどしい言葉。にもかかわらず声音は凛としているのが、彼女の一番の特徴だ。
「ご苦労さま。ホルウ」
「ん」
肩で揃えられた浅葱色の細髪は、その色も相まって涼しく見える。高めの身長にスレンダーな体型。まさしく大人の女性って感じだ。同級生とは段が違う。
ホルウ。三年前の春から暮らしている、俺のゴーストパペット。
彼女は口元で小さく微笑み、俺の隣に腰掛ける。そしてすっと椅子をこちらに寄せる。
「にしても流石だな。連絡入れたのは学校出る直前だったのに、七時までにこんだけ用意できてるんだもんな」
「頑張ったから。日和、喜ぶと、私は、嬉しいから」
可愛いことを言ってくれる。
感嘆の息を吐き、俺はテーブルに所狭しと並べられた料理を見回す。
エビチリ、コロッケ、回鍋肉、ブイヤベース、シーザーサラダ、ボルシチ、手巻き寿司、etc……。各国料理のフルコース。奥から引っ張りだしてきたテーブルも合わせた二脚でさえ、載せるのはいっぱいいっぱいだ。
感心感心とホルウの頭を撫でながら、五人じゃ食べきれないかもなと予測する。といっても、椎木揺乃の胃の限界が不明だから何とも言えないが。
ん、と吐息したホルウは水色に近い瞳を細める。
「それじゃ、呼んでくるから。隣の、クオ達」
席を立つホルウの腕をそっと握り、疑問顔の彼女に首を振る。
「まだいいよ。しばらく時間かかるだろうから」
「それは……なんで?」
「ちょっと来てみ」
腕を握ったまま、ホルウを壁際に連れて行く。隣室、葉春達の部屋とを隔てる白い壁にだ。
俺はそこに耳を当て、ホルウにも倣うよう頷きで促す。
未だ不思議そうな表情の彼女は、おずおずと言った様子で首を伸ばすようにして耳をつけた。
視線はこちらに向けていて、ホルウはしきりに瞬きを繰り返していた。さり気ない仕草がいちいち可愛い同居人である。
そして彼女は、多分、俺と同じ声を聴いているだろう。
『痛い痛い痛い! 何だよこれ聞いてねえよ!』
『いちいち予告するわけないでしょ。大人しく新技の実験台になりなさ──いっ!』
『だああああああ』
『嬉しそうだね葉春』
『そこっ! ふざけないでクオ!』
『そうよ。感想してないでクオも参加しなさい』
『うん、私も張り切るっ』
『お前はそんな子じゃなかったぞクオ! ──だっ、やめっやめろー! 下半身ばっか絞めるんじゃねー!』
『え、ごめん、その、……上半身も?』
『ちょい待てちょい待て! 発言の取り方がおかしいぞ。僕がいつ積極的なM気質を披露した!?』
『じゃあ、消極的なMなのね。恥ずかしがり屋のM』
『思いがけずレベルアップしてないかおい!』
『気持ち悪いわおめでとう』
『気持ち悪いかありがとう!』
『言葉責めに感謝するなんて……気色悪いの最上級ね。キショレスト』
『感謝は皮肉だこんちくしょう!』
……相変わらずな連中である。
「な?」
ホルウも変わらずキョトン顔だった。ああ、彼女にはいつまでも純でいてほしいものだ。
──◆◆◆──
人間の三大欲求の一つ、食欲。二学年に入って以来──つまりはこの寮に住むようになってから──僕はまともな食生活を送ってない。
というのも、料理は当番制なのに揺乃はコンビニ弁当ばっかりだし、僕は僕で手作りするけどそれは所詮本を見ながらやっとこさな作業であって、簡単にいうと並みの料理しか作れない。
こんな長ったらしい前置きをして何が言いたいかというと、食卓テーブルをびっしり彩るこの芳しい香りの垂涎ものの品々は、はたして本当に料理なのだろうかって素直な疑問を僕は脳に浮かべているということで。
「日和、これはなんだ」
「何って……料理だが?」
さも当たり前のような表情をする日和の感覚を僕は疑うな。
だって考えてもみて欲しい。エビチリ、湯豆腐、回鍋肉。小型ハンバーグにシーザーサラダ。ボルシチ、ピロシキ、炊き込みご飯。パスタにポトフ、ナンカレー。コロッケ、鱚の天ぷら、チキンカツ。etc.etc.etc.etc.etc.etc.etc.……。
「揺乃、これどうよ」
「いや、私も正直いって驚いたわ。好物ばっか」
それは単に揺乃が雑食性だからだろう。
というかなんだこの量と質は。やばい。匂いも見た目も十点十点十点十点十点十点十点十点十点十点じゃないか。視覚嗅覚でパーフェクトだし、これは当然、味が悪いわけないじゃないか。
半口を開けて数々の料理を呆け眺めている僕の背に、目を輝かせながらクオが近づく。
「すごいねーホルウちゃん。葉春とは大違い」
「普通さ、同じゴーストパペット同士で比べるだろ。なんで僕とホルウを比較するんだよ」
「じゃあさじゃあさ。葉春はホルウちゃんとクオのどっちがいい?」
僕は即答した。
「ホルウ」
「ひ、ひどいっ!」
普段揺乃が僕にあれだけの仕打ちをしてるのを見て、よくそんな台詞が言えるなあ。当初はともかく、近頃はクオも参戦しつつあるし。
体内熱により発生した水蒸気を凝縮して液体にし、模擬涙腺器官から出しながら(傍目にはまるで泣いてるようにみえるけどあれも自在機能の一つ)、クオは僕から離れていった。
駆け寄った先は、浅葱色の髪をした長身の女性。──いや、正確にいうなら女性型のゴーストパペット。
それは、僕が知る何人かの(何体って表現は好きじゃない)中で、一番性格が控えめで、一番綺麗で、一番万能に近い、日和のゴーストパペット。
ホルウ。浅葱髪のホルウ。
「ホルウちゃーん。葉春に葉春に『料理もできない無能がー』っていわれたー!」
言ってない言ってない。ロボットみたいな存在なのに嘘つかない。
そんなクオの頭を、ぎこちなくけれど優しくなでながら、ホルウは声を掛ける。
「クオ、今度、料理、教えてあげるから。私が」
「料理なんてめんどくさいよー」
「やってみると、楽しいから。……ね?」
「料理は葉春の役目だもー!」
「……」
困り顔のホルウはクオの頭を撫でながらキョロキョロと周りを見渡し、そしてある一人、僕のところで目を止めた。
必然、見つめ合う形になる。
「……」
「……」
懸命になにかを伝えようとするホルウだが、言語表現が苦手な彼女は口をもごつかせるだけだ。日和ならまだしも、僕とホルウはそこまで意思疎通が出来はしない。
でも必死に僕を見つめてくるホルウ。なんか可愛い。
とりあえず会釈してみた。
すぐに会釈が返ってきた。
…………。
な、なんだか微妙な雰囲気になった。
「……日和」
「そこで俺にバトン渡すか葉春」
腹から吐いたようなため息で、日和は僕に提案する。クオを軽く指差して、
「謝るか誉めるかしとけ。たぶんそれで機嫌は直る」
「ホントなのか?」
疑問すると、なぜか日和は顔を赤らめ、ややうつむき目線で、
「……保障する。ホルウが拗ねてるとき、あいつ、甘えさせたらすぐに機嫌戻るから」
「日和。照れながらいうと僕までなんかこそばゆい」
「い、いいから早く言えっ!」
長身で格好いいゆえ、ずっとモテていただろうに、この友人はなぜかそっち関連に耐性がないようだ。まあ、ノロケられても僕が対応に困るけど。
案もないので言うとおり、僕は日和の提案に従った。
「クオ、機嫌直して。さっきのは冗談だから」
「……」
「よし、今度一緒にデートをしよう」
「わーい!」
おお、回復が早い。なかなかに話の流れを読む子らしいな、クオは。思考回路が単純な設計なのかもしれないけど。
胸元に顔をうずめてくるクオの身体の感触は、樹脂ゆえ人間のそれより少し固い。とか思いつつ、彼女の頭を撫でてやる僕。
懐かしいなあ。同居が始まったばかりの頃は、クオはこんな感じで素直だったなあ。今では揺乃に洗脳されつつあって、僕に好意的なのは嬉しいんだけど、萌えとか言い出す始末だもんなあ。
しばらく感慨に浸っていると、頃合いを見計らって日和が言った。
「さて。いちゃつきはその辺で終えといて、ホルウの料理に舌鼓を打とうじゃないか」
「そうだな」
今夜の目的は全部そこにあるわけだし。ホルウを抱きつつ振り返ると、なぜか食卓の様子が変わっていた。
目を疑う。料理の三分の一が、この会話の間に消失していた。
理由は明白。
「ホルウ、あんた凄いわよ。ここまでの料理は初めてだわ。長老クラスよ長老クラス」
「ゆ、揺乃ーっ!」
食卓。そこには、一心不乱に料理をむさぼる揺乃がいた。うわあ。女子高生が口からエビ垂らしてる画ってなんか猟奇的ー。
そんな僕の視線もモーマンタイ。揺乃は次々咥内に食べ物を放り込んでいく。
揺乃はどうやら部屋に入ってから速攻で料理の消化に取りかかっているらしい。なのに勢いは欠片も衰えない。食欲底なしかこいつ。
呆気にとられる僕の横、日和が小声で告げてきた。
「葉春、お前も急いだ方がいいと思うぞ」
「わ、わかってる!」
かくして合戦は始まった。
──◆──
「あ、おまっ、半分食べたろ揺乃っ!」
「だから全部食べるのよ。これぞ完璧主義の極みね」
「さてはお前、通知表に『他人を思いやりましょう』って書かれるタイプだな!」
「葉春以外になら時々妥協回路も使うわよ。『あ〜らごめん遊ばせ〜』的な」
「揺乃って回路があるんだー。ロボットみたいだね」
「揺乃のそれは小姑回路だろっ! あとクオ、そのツッコミはクオが使うべきじゃないな……てお約束してる間に春巻きがーっ!」
やばい。片っ端から料理が消えていく。揺乃のやつ、微塵も分け合おうなんて心遣いがないからな。一人っ子だったはずなのにゆとりがないのかよ。いや、ゆとりないのは僕もだけどさ。
がつがつ競うように料理を消化していく僕らを見て、日和がなぜか妙に感心した口ぶりで感想を漏らす。
「食い意地満点だな葉春。椎木は予想ついてたから驚かないが」
「そりゃね。食べれる機会にまともな食事をしとかないとな」
返答の時間も惜しい。僕は早々にがっつきへ戻る。
「だが少しは落ち着いて食べたらどうだよ。まだ充分にあるだろ?」
「……幸せなおまえには、わからないん、あっくそっ揺乃め」
「……」
もはや何をいっても変わらないんだろうと思ったのか、日和は何もいわずただ様子を眺めるだけだ。もちろん、ホルウは無言無表情。
口元に絶え間なく唐揚げを運びながら、僕は横目でじっとその二人の様子を見つめていて……ふと気付いた。
さっきからずっと、日和は食事を摂っていない。少しも。まったく。
ホルウはゴーストパペットだから、液体燃料『ロボナミン─G』が食事みたいなものだ。
クオも同様だが、あれは補給に一分もかからない。だから、ホルウが何も僕らに合わせて燃料補給をする必要はない。内気な彼女のことだ。夜中にそっと吸引しているんだろう。
として、なんで日和は食べないんだ?
そんな僕の視線を察したのか、目を合わせてきた日和が笑って、
「俺のことなら気にするな。冷蔵庫に自分の分は確保してあるから」
「むう」
日和め、自分だけ対策をとっておるとは。どうりで表情が余裕なわけだなあやつ。ぐう。でも口いっぱいに頬張ってるから抗議できない。
咀嚼、咀嚼。ゆっくり噛み砕いて飲み込んでから僕は、
「揺乃」
「ええ」
二人して冷蔵庫に猛ダッシュした。
背後で慌てた追っ手の音がするが、まあ、どんまいだ日和。
──◆──
その後。当然の成り行きとして僕・揺乃・日和と三者入り乱れての食い争いになったわけで、最も余裕ぶっていた日和がなんだかムキというか必死(たぶん冷蔵庫の手料理は一番手の込んだものだったんだろう)になりだし、食卓はなんだか野生味あふれる戦場と化した。かくいう僕も参加者だけども。
ともあれ四十分あまりが経過し、すべての皿が空となった頃、
「あー満足。私は満足よホルウ。誉めてつかわすわ」
上から目線でホルウに礼を述べる揺乃。相変わらず物言いが高飛車だ。というよりへそ出して張ったお腹を叩くなよ。あいつには恥じらいとかないのかな。
「しっかし旨かったなあ。ありがとうホルウ、本当に感謝する」
「そう、葉春や揺乃が満足なら、よかった」
柔く笑んだホルウは照れくさそうに下を向いた。しばらくして顔を上げ、彼女が見上げるようにきょろりとした視線を送った相手は、僕ではなくて、その隣。
机にもたれるようにして突っ伏している日和だ。
両手で胃のあたりを押さえる日和に、ホルウが控えめに訊ねる。
「その、日和、料理……大丈夫だった?」
不安げな青色の瞳に対し、日和は見るからにいっぱいいっぱいの笑顔で、
「ああ……。旨すぎて旨すぎてギブアップだ」
どっちも本音なんだろうなそれは。もともとが大食漢じゃないくせに、朝もフルコースだったみたいだし、今も僕らに対抗してたから。
甘かったな日和。僕は美味に対して飢えに飢えているし、揺乃に限っては食道がブラックホール直結みたいなもんだからな。それでも根をあげないで着いてきたところは、男というか漢というか単にホルウに関しての意地に違いない。
深層でノロケてる親友か。略してフカノ友。語呂悪いな。フカロケ友、違う。フロ友、なんか惜しいな。……フトモモ、そうか、フトモモだフトモモだよ。
僕は自分に賛同の頷きを送って、日和の肩を二度叩く。
「お前はよく頑張ったよ。フトモモ」
「すまん。至った経緯を話してくれ」
「フカノ友、フカロケ友、フロ友、フトモモ」
「ますます意味がわかんねえ」
と、そこまでいうと、うっと苦しげに声を机側で潰す日和。喋っていたら逆流してきたのか。相当ムチャしてたんだな。
さすがフトモモ、と納得する。
ピクピク痙攣しはじめた友から視線を外し、ふと僕は部屋を見渡してみた。
キッチンに立つ後ろ姿のホルウは大量の食器を洗浄中らしく、ざばざば流れる水やカチャカチャぶつかる皿などの、家庭の音色が響いてくる。
そして我が同居人の揺乃はというと、首をこくりこくりとして眠りに入っていた。ほほう、食欲の後に即睡眠欲ですか。あいつらしいといえばらしいけど。
でまあ、寝てる状態で握り拳を構えてるのは、闘争意識は常時展開している証と。コンビニ営業みたいだな。
揺乃の攻撃的な性格をなんだか再確認する僕。すげえヤだな。
などと思うが、うん、それとは別に、
「黙ってれば可愛いのになあ」
机に頭を乗せて、自重を預け、とうとう熟睡体勢に入る揺乃の表情は、寝てるだけあってさすがに純粋だ。
綺麗に揃い伸びた両のまつげが、呼吸に合わせて震えている。
……もったいない。
八方とまでいかなくても、せめて二方美人くらいしとけば損はないのにな。寝顔って無防備だよなあ。いつもこんなだったら惚れそうだなあ。
しげしげと眺めていると、不意に彼女の唇が動いた。呟いている。
はて。なんと言っているのだろう。
実は狸寝入りで鉄拳が飛んでくるんじゃないかと警戒しつつ、僕はそっと耳を近づける。
すると、
「ちがう……そこ、うん、右フック……」
「……」
前言撤回。絶対に揺乃に惚れることはない。
──◆──
午後九時半。そろそろ星明かりが夜に瞬く頃合い。
「それじゃ。ホントご馳走になったよホルウ」
「ありがとうねホルウちゃん」
「ん、また。クオ、葉春」
完全にダウンした日和は、部屋の奥、布団に横になっている。明日学校に来れるといいが。
起こすのもあれなので揺乃は背負うことにした。背中の彼女を支える僕と、まだ元気に満ちているクオは、ホルウに軽い挨拶を告げて自分の部屋に戻る。
廊下、といっても隣の部屋だから数秒しか通らないコンクリートの足場。夜気とつながるそこの空気は、夏間近なだけあってやや暑い。
横のクオ、部屋が並ぶ壁側と逆にいる彼女は、僕らの部屋の扉の前で声を掛けてきた。
「わたしね、いいなあって思った」
「なんの話?」
「ご飯」
なにがいいたのか解らない。扉を開き、中へ入るようクオを促した。従い、部屋へ上がるクオは続けるように、
「わたしもね、揺乃や葉春と一緒にご飯を食べたいなあって。笑いながら、話をしながら、燃料じゃなくて、同じ料理を。でもロボットだから無理だよね、やっぱり」
「……クオ」
そうか。食事って場は、周りが理解を示してくれる人ばかりの寮でだけ過ごしてるクオたちには、ただ一つ、ロボットであることを嫌でも自覚する状況なんだな。
ゴーストパペット。幽霊人形。幽霊。
……幽霊、か。
僕らにはわからないだけで、クオに限らずホルウや、他のゴーストパペット達もみんな、そんな事を思ってるのかも……しれないな。
「……そうだな。学校で先生に訊いて、味覚回路とか内燃機関を一緒に開発してみるよ。──完成したら、豪華なご飯食べような」
「うん。私も揺乃や葉春と同じようにご飯を食べたいの。──豚のように」
……クオ。
「……って全然シリアスじゃないよ神妙な雰囲気ぶち壊し! なに? そんなに僕らの食いっぷりは家畜的だったの!?」
「おやすみー」
「あ、クオ。質問には答えなさいっ!」
と僕の声が届くより早く、クオは部屋を出る前に用意してあった布団へダイビングした。
いきなり乱雑に変形を遂げるというか変形途中みたいにぐちゃぐちゃな寝具のもとへ、僕が慌てて揺乃を背中に駆け出すと、
「──」
クオは既に意識活動停止回路を使い、思考を一旦停止、つまりは、睡眠状態に突入していた。
「……やれやれだ」
クオの隣にゆっくり揺乃を降ろす。
上から見下ろせば、僕の前には少女二人の寝姿がある。
くの字に体を曲げた揺乃と、どこか機械らしくまっすぐした姿勢のクオ。
見つめ、改めて、今の不思議な境遇を思ったり。
ゴーストパペット。憑かれ人。憑かれ人の憑かれ人。
クオ。僕。揺乃。
改めて思う。四月頃からずっと考えていたこと。それでも答えが出なかったことを。
「ゴーストパペットはいったい……」
「んあん」
ちょっとだけ艶めかしい揺乃の寝言の直後、僕はすっ転んだ。クオと揺乃の二人の間、布団に顔をうつ伏せる具合になる。……鼻が痛い。
首を回し、感触のある脚を確認すると、揺乃の足が絡まっていた。どうやら何かの技をかけられたらしい。無意識に。
むう、睡眠下でさえこの扱いか。しかもタイミングを見計らったように。
「……ほんと、やれやれだ」
呟きはシーツに落ちる。
慣れないことは止めときなさい葉春。カロリーの無駄よ無駄無駄。揺乃に無言でそう言われた気がした。
結局のところ、僕に真面目な話は似合わないらしい。否定はしない。
ああもうなんか考えるのが面倒くさ。いいやもう、早いとこ寝ておこう。
どのみち、明日からもこの生活は変わらない。だったら少しでも体力を蓄えよう。疲労を取り除いておこう。どうせ明日も、くだらないくらいに普通じゃなくて、普通じゃないゆえに楽しい生活が、待っているんだろうし。
半回転して仰向けになり、上半身を起こし、時計を視界に含み、紐式のスイッチで電気を消す。
そして女の子二人に挟まれ目を閉じる。
「……」
布団から少し汗の匂いがするな。うん、明日の朝にでも干しとこう。って奉仕精神がいつの間にか身に付いてるな。
「ま、いっかな」
さてと。
只今午後九時三十五分。僕のこの頃の普段の一日、終了。おつかれ今日の僕。死ぬなよ明日の僕。
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