第十二話 『影の盟い』
あの後、セルドールとジーナスは決闘の規則を破り、決闘後に私怨で相手に暴力を働こうとした事とこちらの要求を破った事で、罰則が下される事になった。
決闘の規則違反は『罰金と一定期間の冒険者である資格の剥奪』。
それに重なって暴行未遂を行った事で『追加の罰金と剥奪期間の延長とギルドランクの降格』という処分を下された。
そして最後には『俺達は「黒鬼傭兵団」の仲間だぞ』と言って受付嬢を脅したことにより、『冒険者追放』処分を受けることになった様だ。馬鹿にも程がある。
詳しくは知らないが、『黒鬼傭兵団』とは王都の方で活動している傭兵団の様で、現在指名手配されているらしい。
『黒鬼傭兵団』を語った二人は事情聴取を受けることになったらしいが、その直前に迷宮都市から逃げ出したようだ。
彼らの噂は迷宮都市中に広まってしまったため、今後彼らがここへ戻ってくる事は無いだろうと、受付嬢が呆れきった表情で教えてくれた。
広まった噂はそれだけではなく、ヤシロが人狼種だという事もそれなりに広まってしまった。あの場に居た冒険者達はなるべく広まらないようにしてくれた様だが、やはり人の口に戸は立てられなかったな。
噂を聞きつけた一部の人間が噂の真偽を確かめようと絡んできたり、人間至上主義の人がヤシロを罵ろうとしたり、そういった事態はやはり起こってしまった。
しかし、中にはヤシロに対して好意的に接してくれる人もいる。あの場にいた冒険者達だけではなく、噂を聞いた人の中にも差別をしない人間は居たのだ。
差別を無くす事は簡単じゃないし、絶対に見下そうとしてくる人間はいる。だけど、中には差別を嫌う人間もいるし、別け隔てなく接してくれる人間もいる。
その事が分かっただけで、ヤシロは「救われた気分です」と笑っていた。
―
決闘騒ぎの翌日、俺とヤシロは繁華街区にある個室の喫茶店にやってきていた。
仕切りが設置されており、他の人からは話を聞かれたり姿を見られたりする事はない。
俺が注文したのはブラックコーヒーで、ヤシロが頼んだのはコーヒーに牛乳と砂糖を入れたもの、つまりカフェオレだ。
ヤシロは俺がブラックコーヒーを頼んでいるのを見て、「それ苦くないですか」と舌を出していた。どうやら苦いのは嫌いらしい。
中学二年の時からブラックを飲み始めたお陰で、牛乳や砂糖なしでも飲めるようになってしまった。甘いのが嫌いな訳ではないが、ブラックの方が大人っぽいからな。それにコーヒーのカフェインには脂肪を分解したり、エネルギー消費を高めるなどのダイエット効果もある。砂糖を入れてしまうと、そのカフェインの働きが妨害されてしまうのだ。
注文した二つが届き、俺達はまずそれに口を付けた。この世界のコーヒーは酸味が強い。やっぱカフェオレにしとけば良かったと少し後悔する。
ヤシロを見ると、甘いものが好きなのか幸せそうな顔をしていた。店員が去ってからはフードを外しているため、その表情をよく見ることが出来る。
薄っすらと赤く染まった白い肌に、ぷっくりとした小さな唇。顔には幼さが残っているが、紫紺の瞳は今までの苦労が伺えるような深い色をしていた。
「ウルグさん。改めて、貴方にお願いしたい事があります」
酸っぱさにうんざりしながら、カップの半分ほどまでコーヒーを減らした時だった。カフェオレを飲み干したヤシロが真面目な表情をして、俺を正面から見据えてきた。
俺はカップをテーブルに置き、彼女の視線を正面から受け止める。
今日、俺達が喫茶店に来ているのはヤシロから「頼みたい事がある」と言われたからだ。他の人に聞かれたくない話の様なので、この喫茶店を選んだ。
ヤシロの瞳からは決意の色が見えるが、同時に不安に揺れているようにも見えた。
お願いしたいこと。
セルドール達の前で、俺と一緒に行動する、と言ったが恐らくはその事だろう。
「私とパーティを組んで欲しい」。それがヤシロのお願いだと、俺は予め予想してきていた。
「何だ?」
予想出来ているが、俺はヤシロに尋ねた。
ヤシロがそれに返事をする間に、俺は頭の中で答えをどうするかを考える。
迷宮や訓練場の動きを見る限り、ヤシロは強い。一緒に行動すれば依頼や迷宮攻略を効率良く行え、王立ウルキアス魔術学園への入学が近付くだろう。また、彼女に模擬戦の相手をして貰えれば、良い修行が出来るようになると思う。
しかし、その半面でパーティを組むという事は彼女と長い間一緒に居なければならないということだ。俺は会話を続ける能力はないし、女慣れもしていない。一緒に入ればそう言ったコミュ障的な意味で辛い事があるかもしれない。
メリットとデメリットを即座に上げ、頭を悩ます俺に向かって、ヤシロは『お願いごと』の内容を口にした。
「貴方に、『影の盟い』をさせて頂きたいのです」
「……ん?」
想像と違うお願いごとに、俺は頭を働かせるのを止めた。
パーティを組んで欲しいじゃなくて、『影の盟い』をさせて欲しい?
『影の盟い』とは何なんだろう。
疑問が顔に出ていたのか、ヤシロは「急に言っても分からないですよね。ごめんなさい」と謝り、その『影の盟い』についての話をし始めた。
「ウルグさんの知っている通り、私は人狼種です。私達は魔神戦争後の人間の迫害によって、大陸の北にある大きな山で生活をする様になりました」
大陸の北には人狼種を始めとした、様々な亜人が生息している巨大な山があると聞いたことがある。そこの事だろう。
「山で過ごしている人狼種には、幾つかの部族があるのです。私はその中の『影の一族』という部族に生まれました。『影の一族』には、先祖代々、『影』に関する魔術、貴方達でいう亜人魔術は伝えられてきました。その中の一つに、生涯にただ一人、自分が仕えるべき主を見つけ、自身の一生を主に捧げる事を盟う『影の盟い』という物があります」
自分の生涯を一人に尽くす、『影の盟い』。
ヤシロの言いたい事が理解できたが、俺は口を開かず彼女の言葉を聞いた。
「親からこの話を聞いた時、私は『自分の一生を誰かに使うなんて馬鹿らしい』と思いました。私の両親は盟う相手は存在せず、ずっと山に引き篭もっていましたし、山の外へ出た人は誰も帰ってこなかったから。それに他の部族からは他人に媚びへつらう恥さらしと馬鹿にされています。だから盟いなんてくだらないと、そう思っていたんです」
そこからヤシロは自分がここに来た経緯を滔々と話し始めた。
耳と鼻が生まれつき悪く、色々な人に馬鹿にされていたこと。両親にも期待されず、弟ばかりが構われていたこと。それが悔しくて«影»の魔術と、自分でも扱える小刀での戦い方を必死に磨いたこと。同年代の中で一番強くなり、親に褒められたこと。最初は嬉しかったけど擦り寄ってくる親や他の子が気持ち悪くなったこと。山に自分の居場所が無いと悟り、外の世界へ出てきたこと。
「それで私は小さな村に行き、少しの間そこでお世話になりました。皆良い人……で、最初はとても親切にしてくれました。ですが、私が人狼種だと分かると手の平を返したように態度を変えて……。だから私は村から逃げました。山に帰ろうかと悩みましたが、それは嫌で……。それでお金を稼ぐ為に、この都市にやってきて、しばらくは冒険者としてやっていました。その間、人狼種だってバレるんじゃないか怖くて仕方なくて……。でも結局、あの二人にバレてしまって。脅されて、二人と一緒に行動して、それで、私は貴方に出会いました」
「…………」
ヤシロの話を聞いて、俺は自分の前世の事を思い出してしまった。
両親に期待されなくて、自分の出来る事を必死に磨いたという所が、前世を想起させた。
「貴方を意識し始めたのは、あの女の子を助けた時でした。貴方は冷静に男の人を追い払い、女の子にも優しく接していました。それから、あの二人が人に絡んでいる所を助けたりしている所を見て、優しい人だな、って思ったんです」
それは、誤解だ。
俺は決して優しい人間なんかじゃない。
ただ、セシルとテレスの言葉を守っているだけだ。ただ、それだけなんだよ。
「そして、迷宮で私を抱きかかえ、助けてくれた時。私は初めて『影の盟い』をしたいと、そう思ったんです。今まで馬鹿にしていたのに、あの時、貴方になら人生を捧げてもいいかもしれない、なんて思いました」
「…………」
ヤシロは顔を赤くし、恥ずかしそうに語った。
「その後も貴方は自分の命を省みず、他の人を助けました。普通の人だったら、見捨てていた状況でも、貴方は諦めずに助けようとしました。優しくて、強い人なんだって思いました。私が油断して攻撃を受けそうになった時も、貴方は自分の傷を無視して助けてくれました。あんな風に身を挺して助けてくれた人なんて、今までいなくて、本当に嬉しかったです」
「…………」
「それ……で。その、決闘の時に……わ、私を庇ってくれて、さ、差別するのは許さないって、言ってくれて。凄い格好良くて、嬉しくて、泣きそうになって……。貴方しか居ないって、思ったんです。貴方と『影の盟い』をしたいと……。だから、私に貴方の『影』にならせてください。私の命を貴方に捧げさせて欲しいんです」
「……う……」
う。
黙って聞いていたが、何というか、想像以上に重い話だった。
俺はセシル達に言われた事を守っていただけだ。ヤシロを助けたのは反射的だったし、差別に関しては自分と重なる部分があって、俺が気に入らなかったから、叫んだだけなんだ。こんなに好意的に取られると、何というか、どうしたらいいのか分からなくなる。
「……俺は、ヤシロが思うような人間じゃないよ。人を助けていたのは、昔家族にそうしなさいって教えられてて、それを守っただけだし、決闘でああ言ったのも、単純に俺が気に入らなかったから、ああ言っただけなんだ。差別に関してもあの場にいた人達には良い人が多かったし、仮に俺が何も言わなくても、どうにかなってたかもしれない。ヤシロを助けたのに関しては、俺もお前に助けられてるしさ」
「…………」
「自分で言うのもあれだけどさ、俺は性格悪いよ。誰彼助ける訳じゃない。絶対に善人なんかじゃない。偽善者……みたいな物だよ。それに俺には剣しかない。俺は毎日毎日剣を振ってばっかだよ。だから、俺に人生を捧げるとか、やめた方がいい。後悔する事になるよ」
ヤシロは小さく首を振って、こう言った。
「立派な家族の方なんですね。教えを守っただけと言いましたが、それを出来る事は十分に尊い事だと思います。それに剣だけに打ち込む姿は以前に何度か見掛けています。何か一つに夢中になれるってとても格好良い事だと思うんです」
何でこんなによく言うんだよ。
顔が、熱い。
「それに、私の為じゃなくても、自分の為でも、善人じゃなくても、偽善者でも」
ヤシロは笑って言った。
「――私が救われたのは、貴方のお陰です」
そんな真っ直ぐな目で、そんな風に言われても、俺はどうしたらいいのか、分からない。
こんなの、初めてで。
「貴方じゃなきゃ、駄目なんです。
貴方以外じゃ、意味が無いんです。
――貴方がいい」
呼吸が止まる。
体が宙に浮かんでいるみたいな。
危ない薬でも使ったかのように。
何だ、これ。
これは、何なんだろう。
「う、ウルグさん!?」
ヤシロが焦ったように俺の名前を呼ぶ。
何故だろう。
気付くと、頬を温かい液体が伝っていた。
「あぁ……」
ずっと誰かに、こう言って貰いたかったのか。
「……ありがとう」
「う、ええ? どうしたんですか?」
「……何でもないよ」
ゴシゴシと服で涙を拭って、俺はヤシロを見据えた。
「どうしても、『影の盟い』をしたいのか? 一緒にパーティを組むとか、そういうのじゃ」
ヤシロは首を振って、
「やっぱり、私も影の一族の一員って事なんでしょうね……。パーティを組むだけじゃ、満足できないと思います。だから、お願いします」
ヤシロの思いは強く、パーティを組むという案では妥協してくれなかった。
自分の意思を変えるつもりは無いという、強固な決意が見える瞳で俺の目をジッと見詰めてくる。
俺は、
「……本当に俺で、俺なんかで後悔しないか?」
「はい。貴方がいいんです」
「……分かった。よろしくお願いします」
こうして、俺はヤシロと『影の盟い』を交す事になった。
―
ヤシロに影の盟いについての簡単な説明を受けた。
俺にデメリットはなく、俺が解除したいと思えばすぐに盟いは解除出来る。ヤシロ側からは解除する事は出来ない。ヤシロは盟いを行うことで、強くなれるらしい。
それから、お互いに椅子から立ち上がる。
俺はただ立っているだけでいいらしい。
ヤシロは俺の影がある場所に跪き、ゆっくりと手を触れた。
俺の影が薄っすらと深紫の光を放ち始める。
始めます。ヤシロはそう言って、その態勢のままで『影の盟い』を始めた。
「――主の為に傷付け、主の為に傷付き、主の為に生き、主の為に死に、主の身を守り、主の誇りを守り、主の命を守り、主の剣となり、主の盾となり、主の奴隷となり、主の下僕となり、主の前に平伏し、服従し、ひれ伏し、傅き、跪く」
――そんな、貴方だけの影となる事を盟います。
一際、俺の影が輝き、そしてそれはすぐに収まった。
残された俺とヤシロには何の変化もない。
「終わったのか?」
「はい」
そう言って、ヤシロは跪いたまま俺を見て、こう言った。
「これから、私は貴方の影です。どんな命令にも従う、忠実な下僕です。どうか、よろしくお願いします、ウルグ様」
こうして、その日、俺に仲間が出来た。