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九章『ああ、カエーナ』(2)
 カエーナ剣士団を三方から包囲し、王宮近衛兵にたたきつけることによって塵滅(じんめつ)してしまおうというのは、リョーンがカエーナとの一騎討ちを果たすためだけに行った計略を、自兵の損失を恐れたカルカラが修正したものである。
 進む先が死地であることを知ったロマヌゥは、疲弊しきった百人隊を糾合し、北へ脱出した跡に西へと竜をめぐらせ、王都西門を突破するはずであった。
 相手がカルカラであることは知っているから伏兵の予想はしていた。だが、ロマヌゥの目に飛び込んできたのは最悪の光景であった。
 もとより伏兵は敵の逃走路の中で狭隘(きょうあい)な地に置くものだが、ロマヌゥは王都西門と東門をつなぐ中央通りにて伏兵の攻撃を受けた。
 最初、ロマヌゥは北に隔離されていた別働隊が王宮近衛兵による防壁を突破してきたのだと思った。だが、少し様子が違う。
 前方の敵は百に満たない寡兵である。戦術眼の幼いロマヌゥはもとより、百人隊の連中から見ても、これはカルカラの布いた陣の(ほころ)び以外のなにものでもなかった。
「カエーナが導いてくれた…」
 敵の追撃はやんでいないが、四方を囲まれる死地を脱したという感覚に、ロマヌゥは小さく息をついた。とはいえ、足を止められるような状況ではない。自らを守るカエーナの霊を感じつつ、ロマヌゥは兵を励まして前方の敵に突貫した。
 と、その時――
「お、小僧が出て来よった…」
 どこかで聞いたような声とともに、数名の護衛に挟まれて集団の先頭を駆るロマヌゥに向かって矢が射掛けられた。
 竜が矢を受けて転倒した。
 ロマヌゥはしたたかに地面に転落したが、もんどりうちながら両の足を地に付け、すぐさま立ち上がった。カエーナが傍にいた頃のロマヌゥなら、こうは行かなかっただろう。あらゆる思考を押しのけて、立ち上がることを優先したロマヌゥは、今やクーンの誇る戦士の一人と言って差し支えない。
 そんなロマヌゥを、西門を背にした男が鞍上(あんじょう)から見下ろしている。
 笑声――
 それは、周囲を沈黙させるほどの(つよ)さを(にじ)ませていた。
(生きていたのか…)
 砕けんばかりにロマヌゥは歯噛みした。腹の底から怒気を搾り出すことによって、ロマヌゥは恐怖を払いのけようとしたのだ。
「ロセ――!」
 鞍上の老いた竜騎士と目が合った。
 威圧とは違う。貫くような視線。しかしロマヌゥがそれに耐えられたのは、ロセの投げかける視線にどこか温かみを通わせるものがあったからだ。
――よくやった、小僧。
 と、親が子の頭に手をあてて褒めるような光が、ロセの目にわずかにあった。

 ロセの死は虚報であった。報をもたらしたのが娘のリョーンであることから、正面からそれを疑う者はいなかった。
 だが、剣翁は生きていた。
 カエーナの突入により、大混乱となった剣士団本部の戦闘において、ロセは負傷したテーベとともに留まっての抗戦を続けた。
「剣翁先生。ここはもうすぐ落ちます。退路を断たれる前に北に(はし)りましょう」
 担架の上で半身を起こして指揮を行っていたテーベが言った。
「お前はどうする?このまま留まってカエーナに首を()ねられるか?」
 負傷者を連れ立って脱出できるほどの余裕はない。
「私が逃げればカエーナは猛追してきます。ただし、先生が寡兵とともに北に奔ったともなれば、あえて追撃することはないでしょう。先生を殺せば、王都を敵に回しますから。カエーナは団長に服属する者をすべて殺した後に、何食わぬ顔で先生を迎えることを考えるはずです」
 テーベの読みは半分当たっている。事実、この後のカエーナ剣士団は、ロセを殺したという噂のせいで、王都の民の信用を得ることができなくなった。半分、というのはテーベの観測が甘かったわけで、ロセに逃げられたと知ったカエーナは、王宮との和睦のために彼が必須であると考えていたので、自ら兵を率いて追うことになる。
――剣翁は勝った方に付くような性質ではない。
 ロセをよく知るカエーナは、彼を従わせるには力しかないと断じた。弟子である身分にもかかわらず、不遜(ふそん)も甚だしい。
「かかっ…小僧に背を向けて逃げるのは望南戦争以来か」
 ロセは陽気に笑った。普段は沈毅な男だが、戦闘の中に身を置くと水を得た魚のようになる。
「私の指揮がつたないばかりに、先生の驍名(ぎょうめい)に傷がつきました」
 敵に向かっていった味方の兵が逆流してきた。背走が始まった。こうなればもう、神知を持つ指揮官でも敗北は免れない。
(はし)るぞ!」
 門下生の()いてきた竜に乗ったロセが勢いよく北門に躍り出ると、数十の兵がそれに続いた。テーベはロセを逃がすためにカエーナの前に決死の陣を布いた。
(時間さえかければよい…)
 そう思ったテーベは、しばらく戦った後、カエーナの降伏勧告を受けた。最期まで抗戦しなかったのは、それだけの兵力がテーベの手元に残されていなかったからだ。既にほとんどの戦士が降伏するか、三方に逃れた。
 カエーナはテーベを殺さなかった。そして、ここからは戦いにも政治の色合いが見えてくる。つまり、降将の首を刎ねないことを明らかにすれば、南北に分断された別働隊に動揺が起き、内部から崩しやすくなる。誇り高きクーンの戦士は敵に下ることを好まないが、ロセを抱き込んでしまえばそれもなくなるとカエーナは考えていた。
 クーン人は今でこそ半農半牧を行っているものの、本来は騎竜民族である。いわゆる蛮族とも呼ばれるそれは、力こそすべての世界であり、投降や逃走を恥とするような文化は持っていなかった。今のクーン剣士団が持つ、敗北に対する騎士にも似た高潔な精神は文明そのものであり、現在のクーン人は定住民族であるが故に負けた後の身の振り方に美意識を求めるようになった。
 ロセさえ抱き込めば――とカエーナが考えたのは、両者の妥協点ともいえる。
「剣翁は逃げたか?」
 テーべを捕縛させたカエーナが、最初に口に出した言葉がこれであった。
 次いで彼は団長のエリリスについて左右の者に尋ねると、思い出したようにつぶやいた。
「シェラドレイウスは?」
「あの男を殺しても、寸銭の得にもならんだろう?」
 地に這いつくばった姿でテーベが毒づくと、カエーナは虚空を見つめたまま答えた。
「心臓に風穴を空けてやった相手が、実は生きていた。その男が亡霊かどうか確かめてみたいと思わぬか?」
 カエーナの言葉に、テーベは瞠目した。だが、戯言であると判断したのか、彼の左目は静かに笑った。
 エリリスは東に、ロセは北に逃げたとの報告を受けたカエーナは本部をロマヌゥに任せて北のロセを猛追した。後のことを考えれば、カエーナは東へ行き、エリリスの息の根を止めるべきであった。この頃、王都東部にはエトやリョーンもいたのであるから。

 カエーナから追撃をうけていることを知ったロセは、王宮近衛兵を説得して北に隔離された別働隊を引き入れようなどとは考えなかった。
(勝った方につけば良い)
 はっきり言って、エリリスとカエーナの反目などには興味がない。もちろん、ロマヌゥの思想に対しても彼は冷淡な感想を口にしただけである。
「英主をいただけば喜び、愚昧な王がたてば怨嗟(えんさ)の声を上げるだけの民に、政治をせよとは愚かしいことだ」
 ロセにとって大事なことは自らの剣の道であり、その他の全ては些事に過ぎず、雑音であるとすらいえる。
「隠れよ。カエーナと戦ってはならぬ」
 エリリスかカエーナのどちらかが死ねば、クーン剣士団の内紛は収まるだろう。西侯の陰謀を余興程度に楽しんできたロセだったが、それを知らぬ者たちがここで無駄に命を散らす必要はない。
 北に逃げたロセの手勢は、カエーナの追撃を受けるや否や、霧散した。ロセ自身は地下水路に身を隠した。
 民家に逃げ込んだ兵たちは、カエーナを恐れた住民によって追い出され、捕獲されたが、ついにロセを捕獲することはできなかった。ロセに従って難を逃れた者は数十人に及んだ。
 カエーナがロセの捕獲を諦め、王都南方で敗兵狩りを行っている間、ロセは沈黙していた。
 「剣翁死す」の報に接したロセは大いに笑ったが、エトやリョーンの決起を知ったときには眉をひそめた。自分が鍛えた弟子たちのふがいなさに流石の剣翁もため息を漏らした。
「ロマヌゥとかいう小僧は、随分つかえるようになったな…」
 ロセはロマヌゥの成長を楽しんでいる様でもあった。
 リョーンが兵をすり減らしながらカエーナと激突したことを知ったとき、ロセはにわかに伝令を送ってカルカラに急報を入れた。ピオやリョーンを無視したところにロセの目の確かさがある。
「生きておられたか!」
 そういったカルカラは喜色を顔に見せることはせず、寡兵を割ってロセにつけた。ロセが死んでいた方が、喪服軍にとっては都合が良い。ちなみにカエーナはまだ、この時点では生きている。
 ここでロセの生存が明らかになると、剣翁の仇討ちという喪服軍の存在意義が消え、リョーンという一人に向かって収束していた兵の意識が散漫になる。カエーナがその乱れを利用しないはずがない。
「少し、遊んでくる…」
 戦場が王都南西へと移動した時点で、ロセは数十騎を従えて剣士団本部を襲撃し、瞬く間にこれを落とした。敵兵は死んだときかされていたロセの顔を見ただけで霧散した。
 幾人かは彼が剣翁と知らずに打ちかかってきたが、ロセに触れることもできずに瞬く間に首を()ねられた。
 ロセの指揮下にあるクーン剣士団兵は鬼神のごとき強さを発揮し、三百はいたはずの留守の兵は全て壊走した。
 ロセは立たないだろうと予想したのはアドァであるが、彼は確かに剣士団の内紛自体には興味を持っていなかった。
「エトは預かった娘だ。どこぞの馬の骨に奪われたままでは、申し訳が立たぬわ…」
 そういって、ロセはエトを救出した。自分ひとりを助けるために剣翁が兵を率いてきたことを知ったエトは感動した。
 ロセは捕虜となっていた門下生たちに武器をわたし、本部の守備をテーベに託した後、再び西へと向かった。ただし、まっすぐには向かわずに中央通り北を封鎖している王宮近衛兵と接触した。
 この時、リョーンを助けようとする剣士団別働隊の一部と、王宮近衛兵との間で小競り合いが起こっていた。
 ロセはその中心に竜を進め、周囲を黙らせた。
「剣翁先生、生きておられたのですか…」
 門下生たちの声には耳を傾けずに、ロセは近衛兵長と思しき男に声をかけた。
「王宮に異変があったと聞いた」
 驚きで満たされていた近衛兵長の目つきがさぐるようなそれに変わった。
――こいつ、どこまで知っている?
 というような声が聞こえてきそうだが、当然ながら地下に身を潜めていたロセには王宮の事情などわからない。だが、南区を封鎖していた王宮近衛兵が退却を始めたことを知ったとき、ロセは違和感を覚えた。
(撤退命令はこの男にも出ていたはずだ)
 兵士長は答えないが、剣士団の別働隊が不穏な動きを見せたせいで、彼は自分の兵を王宮に戻すことができなかったのだろうと想定した。かたや南方の兵はリョーンの策謀に利用され、身動きがとれない。
「お前たちだけではどうにもできぬだろう。こやつらを連れてゆけ」
 そういって、ロセは剣士団別働隊を指差した。近衛兵長は目を丸くしたが、ロセが実際に指揮官を呼び出し、命令を与えるのを見て、ようやく彼の言葉を受けた。
「一兵でも欲しいのだろう?」
「かたじけない」
 王宮近衛兵とともに、剣士団の別働隊が王宮へと消えた。
「もう、遊びは終わりよ」
 ロセはそう言い放つと、カエーナが死んだ後のロマヌゥと百人隊を完全に包囲したカルカラに向かって伝令を送った。
――北へ逃がせ。
 カルカラは小さく舌打った。北へ逃がせということはロセが伏兵となってロマヌゥを討つことを意味する。
 このままロマヌゥが滅びれば、殊勲は兵を指揮していたカルカラのものである。もはや権威の失墜したエリリスが団長であり続けるとは思っていないカルカラは、次代の団長に最も近いところに自らがいることに感動を覚えていた。
 その中でロセの冷言である。とはいえ、無下にすることもできない。
「ロマヌゥは既に死地にあります。わざわざおびき寄せてたたく必要はないかと思いますが…」
 権力欲とは無縁の男だが、ロセはそれに鈍感な性質ではない。彼はカルカラの返答に含まれたいやらしさを見抜くと、使者を一喝した。
「たわけ!」
 伝令によってたった一語を与えられたカルカラは、もはや何もいわずにロセに従った。ロセは北の陣が薄くなるのを見届けると、西門付近に伏兵を配したあとに言った。
「カルカラは貪欲な男だ。戦功を独占することは死ぬに等しいことを理解していない。早晩、滅びるだろう」
 左右の者は、平然と激烈な予言を吐いたロセを見て身震いした。
 そしてついに北の包囲を突破したロマヌゥが来た。

(凛々しくなったな…)
 起き上がって自分を()めつけるロマヌゥをみて、ロセは妙な高揚感を覚えた。
 戦というものは一日で人を変える。それほど密度の濃い現象である。そしてロマヌゥはその戦に揉まれ、叩かれ、ようやく戦士として立つことができた。直接の弟子ではないが、人の成長とは見ているだけで楽しいものである。
 だが、ロセはロマヌゥを救おうとは思わない。彼は無慈悲に攻撃命令を下した。
(降伏はせぬだろう…)
 それを知っているからこそ、ロセは手加減をしなかった。ロセは剣士団に直属の部下を持たないが、剣士団本部攻略戦で足並みをそろえた彼らは、ロセの指揮下では異常な強さを見せた。
 功を焦ったカルカラは大急ぎで兵を繰り出し、ロセに叩かれて衰弱した百人隊を壊滅させた。これで、カエーナ旗下の最強の戦士は一人も残らず殺された。
 ロマヌゥは奇跡的に脱出した。
「お頭は逃げてくだせぇ。あなたはこれからのクーンに必要な人だ」
 そういってロマヌゥの代わりに矛を受けたのは、奴隷出身の歯の抜けた男である。ロマヌゥの思想に感化された彼は、奴隷という絶望的な境遇に終止符を打つことを夢見て、ロマヌゥに従ってきたのである。確かにロマヌゥは若く、少々頼りないところがあるが、彼が見るところ、ロマヌゥは革命家ではなく思想家として立つべき人である。
「西区の三番街に一軒だけ藁葺(わらぶき)の家があります。娘がおりますので、私の名を告げてください。必ず(かくま)ってくれます」
 そういうと、彼はロマヌゥを襲ってきた敵に突っ込み、矛で貫かれた。
 彼だけではなく、ロマヌゥの思想に殉死(じゅんし)した者は多い。ロマヌゥはそんな中を奔った。逃げることに全てを向けなければ死ぬとわかっていても、涙が怒涛(どとう)のようにあふれてきた。
 ロマヌゥが逃走すると、指揮官を失ったカエーナ剣士団は戦意を喪失し、大多数が投降した。
 唯一、ロマヌゥの首はとっていないものの、クーン剣士団の内紛は事実上、終結した。
 激戦の末、カエーナを(たお)したリョーンは、鞍上で治療を受けながら戦線を眺めていたが、ロセの生存を聞かされたとき、わずかに眉をひそめ、
「そうか――」
 と、言っただけであった。

九章『ああ、カエーナ』了
十章『逆鱗』へ続く


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