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六章『消えた貴人』(3)
「待て。勝手にうろうろするな!」
 ザイに王都を案内すると豪語したアシュナだったが、彼女自身は王宮の外に詳しいつもりでも、商業区の喧騒というものはいつでも新しい発見があり、それに夢中にならないほどには彼女の精神は成熟していない。
 中央通りの商業区であちこちの店に顔を出してはゴモラやナバラからの交易品――主に前者は香水や絨毯(じゅうたん)などの贅沢品で後者は定規(じょうぎ)やランプなどの実用品――を見回しているアシュナは、仕草といい言葉使いといい、周囲から完全に浮いていた。使い古した雑巾のようなコートを羽織る人々の中では、麻布の粗衣ではあっても新品の服を着た二人は、貴族が庶民に身をやつす好例のように見える。クーン語をわずかしか解さないザイが見てもわかるほどにアシュナは無用心で、いざという時には妻を守らなければならないザイは、全く未知の世界の中で周囲に警戒を怠るわけにはいかなかった。
「ソプル殿、あれ。あれ!」
 上機嫌のせいか、顔色がやや赤く見えるアシュナの指差した先には警備用の(やぐら)があった。
(まさか、登るつもりじゃないよな)
 これ以上周囲から奇異の目で見られてはかなわないと、ザイはアシュナの袖を引いた。
「なあ、赤の剣士(ジュナ・カルス)を捜すんだろう?」
「何を言っておる。だからあれに登って捜すのじゃ」
 アシュナが自信満々にそういうので、ザイは言葉足らずながら彼女に対して、自分達が今、どれだけ目立っているのか懇々と説こうとした。
 そして案の定、前も見ないで歩いていたアシュナが、ひとりの男にぶつかった。肩が広く、四角張った顔をしていて、威嚇するように目が大きい。そして何より腰に剣を帯びていることがザイを戦慄させた。
「あや? すまぬのう…」
 アシュナにしてみれば、何処の馬の骨とも知れぬ下賤の輩に詫びの言葉を吐くだけ、最大級の譲歩をしたつもりである。ザイにはまだクーン語の機微がわかるわけではないが、それでも男から険悪な空気が洩れてきたのは十分に理解できた。
「おい、待てよ」
 そういって男はアシュナの肩を掴んだ。
 アシュナは驚いたようだった。宮廷で暮らす間は男に肩を掴まれるようなことなど一度たりともなかったのだろう。彼女は男が大声で怒鳴りつけても状況を把握できないようだった。
「てめえ、女のくせに!」
 男がアシュナの胸ぐらを掴んだところで、ようやく自分の置かれた状況を理解したのか、アシュナは勢い良く男の頬を(はた)いた。
「ほぉ…」
 この時点で男の逆鱗に触れたことを知ったザイは、すぐにアシュナを助けるべきだったが、彼にしては冷静に、まず周囲に男の仲間がいないかを確認した。そうしながら、懐をまさぐる。
(よし、どうやら一人だ。これでどうにかなればいいが…)
 ならなければ派手に騒げば良い。ザイが痛めつけられている間に警察じみた連中でも来れば、最悪、アシュナは保護される。
 男が右手に拳をつくった。それだけで周囲から悲鳴が上がったが、ザイはこの機を逃さなかった。
 一目散に男に向かって突進したザイは、男がわずかに怯んだ間に、彼の眼前で火をつけた。
(火力最大でこの程度だが、さすがに効くかな…)
 だが、ザイの目眩ましは違う意味で効果があった。確かに男を(ひる)ませるには小さな炎であったが、何も無いところから瞬時に火を生み出した彼をみて、周囲の野次馬連中が騒ぎ出したのだ。
「魔法だ!」
 誰かがそう叫んだ頃には、ザイはアシュナを連れて一目散に逃げていた。
「畜生! 待ちやがれ」
 男は意外にも敏捷で、物凄い勢いでザイを追って来たが、突然、派手に転んだ。
 ザイは男に足をかけた人物を目の端で捉えた。
 顔に鼻筋を断つような大きな切り傷の痕がある男だ。何やら画板のようなものを立てていて片手には筆を持っている。ザイの目には通りで安っぽい人物画を描く絵師であるように映った。身体つきは若いが、やや草臥(くたび)れたような表情をしていて、四十くらいに見える。
 絵師はザイに対して、にこやかな顔で手を振りながら言った。
「南区に行くと、タバコ(・・・)が売っているよ」
 ザイは思わず振り返った。クーン語に混ざった「タバコ」という音に驚いたのだ。
「今、確かに…」
 大きな画板ごと何処に消えたのか、絵師は既にいなかった。引き返して捜したいのはやまやまであったが、そうも言ってられず、どういうわけか楽しそうな顔をしているアシュナの手を引きながら、ザイは(はし)った。

「タバコとは何だ?」
 落ち着きを取り戻したアシュナに、ザイはいつものように問いを発した。アシュナは目を細め、何かをつまむような仕草で口元に手をやり、大きく息を吸い込んで吐き出した。王宮で煙草をたしなんでいる人を見たことは無いから、アシュナはその存在を宮殿の外で知ったのかもしれない。だとするとタバコというのはアシュナたちクーン人が嫌う南人とやらの習慣かもしれないと、ザイは想像した。
(やはり煙草、いや煙管(きせる)かな?)
 故郷と全く同じ言葉に驚きを覚えると共に、微かな望みをかけたザイだったが、クーン語でもタバコと発音することは偶然のようにも思える。
「いや、違う。あいつはこれが煙草に火をつける道具であることを知ってたんだ…」
 だとすればあの絵師は一体何者なのだろう。ザイは容易に浮かんだ想像を口にしようとしたが、あまりにも自分に都合の良い想像であったので、馬鹿らしくなって止めた。やはり、ザイの持つ小さな魔法の箱――ライターのようなものがこの世界にもあるのだろう。クーン人が驚くのだから、クーンにはないと思うしかない。
(どうやら、南人とやらの国はクーンより進んでいるらしい)
 ライターにも似た携帯用の点火装置――厳密にはそうでないが――があるとすれば、ザイにとって南人の国は大いに興味の対象足りえた。
 今度はザイがアシュナの手を引っ張る。とはいえ、一般のクーン人とは違って彼は太陽の傾きを見ただけでは真南がどちらかわからないから――そもそも、この惑星の公転が地球と同様であるといった保証はないのだが――アシュナに道案内をさせるしかなかった。
 辺りを見回すと剣を帯びた人間が意外にも多く、物騒なものだとザイを不安にさせたせいで、まともに道を聞くことすら出来なかった。
「王都っていっても、結構物騒なんだな」
 自分の故郷も決して安全とはいえない世の中であったが、それでも道行く人々が刃物を携帯しているというのは社会自体が未成熟であるとしか思えない。
 都内に点在する貧民街に並ぶうだつ小屋を数えながら、幾分か歩いたところで賑やかな場所に出た。
「おお、何やら楽しげな…」
 アシュナが目を(きらめ)かせる。ザイの故郷では雑踏を嫌うのが普通であったのに、アシュナは人の群れに飛び込むのが何よりも好きな性質らしい。そして、それに反比例するように警戒心の欠落した彼女を保護するのはある意味難事ではある。
(きっと、大事に育てられたんだ)
 王宮の娘ともなれば権謀術数に長けるという保証があるわけではないが、それでも無垢な少女のようなアシュナの精神は、ドルレル王の彼女に対する愛情の賜物であろう。
「タバコはどこに売っている?」
 アシュナにそう聞くものの、満足な答えは返ってこないと思ったザイは、たまたま目の前を歩いていた女に声をかけた。
(わし)はタバコを探している」
 アシュナに言葉を習ったせいで、滑稽な一人称を使っていることに気付かないザイは、どうみても普通人には見えない口調で言った。
「何? この人」
 何やら忙しげな様子の女だったが、無下に断る気にもなれなかったらしく、辺りを一瞥(いちべつ)して言った。
「あそこに売ってるわ。あの青い天幕よ。じゃあね」
 早口で喋るせいもあり、半ばも聞き取れなかったザイが首を傾げると、後ろで見ていたアシュナが顔を真っ赤にして言った。
「ソプル殿、儂というものがありながら、下賤な女に声をかけるなんて!」
 アシュナはそういって、ザイの腕を引っ張る。
「どうかされましたか、テッラ殿?」
 彼女のやや後ろを歩いていた剣士風の男が声をかけてきた。ザイはそれだけで質問をする相手を間違えたと早とちりしたが、アシュナはそれさえも許さない風で彼の腕を拘束している。
「失礼した。それでは…」
 やや顔をひきつらせながら、アシュナはザイを引きずるようにしてその場から去ろうとした。
「あ…」
 最初に気付いたのはザイだった。先ほどのゴロツキが、通りの向こう側でうろうろしているのを目の端でとらえた。ザイが視線を投げかけたせいか、振り向いた瞬間に目が合った。
(追って来やがった!)
 ザイは戦慄した。何といっても相手は剣を腰に帯びている。いざとなれば先ほど密かに位置を憶えておいた警備隊の宿舎らしきところへ逃げ込もうと決めていたから、彼の行動は速かった。
「おい、奔れ!」
 身分を隠しているから、気軽にアシュナの名を呼べないザイは、あばたの多い顔に冷や汗が噴出すのを感じながら、妻の腕を組んだまま走り出した。
「何、何事?」
 煙を巻く様にして走り去った二人の後を、どうにも素養の悪そうな男が追いかけている。すれ違い様に肩を当てられたテッラは倒れそうになったが、護衛の剣士の一人が受け止めた。
「テッラ殿!」
「大丈夫よ。何だったのかしら、あれは…」
 目が回りそうなのをやや堪えながら、テッラは言った。
「あの男、見覚えがあります。確か、剣士団の門下だった男です」
「だった?」
 現在、クーン剣士団の直面している危機に直接の関係がないテッラには、護衛の剣士が何をいいたいのかわからない。
「カエーナの子分なんですよ。奴は…」

「奔れ!奔れ!」
 直線の路地をまっすぐに走っていてはすぐに捕まってしまう。考えなくとも、隘路(あいろ)の多い下町風の商業区ならばジグザグに逃げるだけで相手を煙に巻くのは容易い。だが、意外にも足の速いアシュナと違ってザイの息が早々に上がってしまったのと、人ごみのせいで、どこかに身を隠す以外の選択肢を奪われてしまった。
(やばい、このままだと…)
 ザイが大きく振り返って後方を確かめると、男との距離は五十歩も無かった。これでは身を隠した瞬間に見つかってしまう。
(こういう時、ままよ(・・・)とか言うんだよな?)
 どこで知ったのか、時代がかった台詞を唱えたくなったザイだったが、この冗談にも似た思考は、アシュナを逃がすためにゴロツキの男に突進する覚悟が出来るまでの、一種の(つな)ぎであった。そしてこの遊びにも似た台詞は、本来ザイという人間に備わっている分量を遥かに超えた勇気を呼び()ますための呪文でもあった。
「ええい、ままよ!」
 そういって、ザイが身を翻そうとした刹那、目の前の路地脇の影から手を差し伸べる人の姿があった。
「こっちです。急いで!」
 迷うという行為は、自身に残された選択肢が幾つかあってこそ初めて成立するものである。どんなに未熟な人間であっても、真っ直ぐに示された道を見て迷うことはないだろう。
 ザイも、アシュナも、小さな路地から聞こえた声の主が信用に足るかどうか疑うことすらしなかった。今の二人にはその程度の選択肢さえ残されていなかったのだ。
 雑踏の中に紛れながら、二人は声の聞こえる闇の中へと飛び込んだ。

「上手く巻けたようです」
 通りの様子を覗いつつ、路地裏の影から二人を導いた女は言った。車椅子に乗っていて、髪はやや赤く、線の細い顔をしている。紫に染められた衣は、甘い匂いが染み込んだような暗さを持っていて、ザイの好みである。
(どこかアヤに似ているな…)
 思考ばかりは余裕があるものの、過呼吸のように息が切れているせいで、ザイの醜く潰れた顔はさらに草臥れている。横のアシュナはというと、ザイほどには疲労困憊(こんぱい)ではなかったが、やや汗をかいたせいか、懐の匂いを気にしている。
「あの、もしや…」
 ザイは自分達に向かって恐る恐る声をかける車椅子の女の方を見た。よく見ると膝から下の足が無い。本来、(つや)やかな足のあるべき場所に長い衣が虚しく垂れている。
(可愛そうに…)
 彼女のような境遇の者に対する保障など、クーン王国の誰にも思いつかないだろう。両足を失った女の前半生を想像するだけで、ザイの心は彼女に対する憐憫(れんびん)の情で一杯になった。きっと、このような境遇にあるからこそ、見ず知らずの二人を助けるような侠気、あるいは仁を持つことが出来るのだと思った。
 ザイの視線に気付いた女は少々困ったような顔をした。想像だけで他人というものを決定してしまうザイにわかるものではないが、両足の無い身で力一杯生きている彼女にしてみれば、哀みを受ける迷惑というものもあるのだ。
「もしや…ソプル様と王女殿下ではございませぬか?」
 車椅子の女の声に、やや自分の世界に入った感のあったザイが目を見開いた。後ろで自分達の正体を見抜いた女に感心するアシュナとは違って、公衆の面前でばれることすら時間の問題と思っていたザイは、この女がアシュナを王女だと知っていて助けたことに注目したのだ。
「お前は…誰だ?」
 例によって、アシュナに似た偉ぶった言葉使いになっているザイが言うと、女は(かしこ)まって答えた。
「申し遅れました。わたくしはタータハクヤ家第八代当主のナラッカにございます」
 そういった彼女の声は、心なしか歓喜の色が混ざっているようにも聞こえた。


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