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六章『消えた貴人』(2)
 今年の王都は、暖冬といえば聞こえはいいが、調子に乗ってコートを羽織るのを忘れるにはいささか無理のある寒さである。屋内は締め切り、炉で十分に暖をとらなければ凍えてしまう。リョーンは寒いのが苦手というわけではないが、何処へ行くにも剣士団の護衛が付く今となっては、タータハクヤ邸を訪ねる以外の外出は億劫で仕方がなかった。
「ねぇ、義父さん。お願い!」
 炉の火を囲みながら、リョーンは子供っぽい仕草でロセの袖をつまむ。彼女はそれがどれほど高価なものかも知らぬまま、タータハクヤに車椅子を贈ったため、アドァから目が飛び出るほどの額を請求されたのだ。狩りで生計を立てていた田舎とは違って、現在のリョーンは職なしである。
 銀狼の毛皮を売ろうかとも考えたが、やはりしたたかな彼女はロセに泣きつく――ふりをする――ことで、彼から融資を引き出そうとしていた。
 長年傭兵をやっていただけあって、ロセはばっさりした性格のわりには吝嗇(りんしょく)家であるから、リョーンの泣き落としも単独では効果は無かった。エトも共に頼み込んでようやく彼の首を縦にふらせたのだ。
「まあ、いいだろう」
 リョーンは喜んだが、相手がタータハクヤだからこそロセも許したのだと思うと、少しだけ彼女が羨ましくもあった。
 エトと護衛の剣士達を連れて、南区貧民街にあるアドァの家を訪れると、不在だった。ハルコナについて色々と聞きたいことがあっただけに、残念ではある。

 特に何をするでもなく、十日ほど経った。暦も十二月を迎え、年が切り替わるあたりで春一番が吹きはじめる。子供ならば元旦の迎春祭を楽しみに、指折り日にちを数えるところだ。
 久しぶりにシェラがロセ邸に顔を見せたので、リョーンは密かに嬉しんだ。毎日家でごろごろしていては、憂鬱になるし、時にはエトやタータハクヤ以外にも話し相手が欲しい。
 リョーンがシェラを稽古に誘うと、彼はわずかに目を細めて言った。
「それじゃあ、カル。この間の成果を見せてもらおうか」
(そういえば、玄糸刀(げんしとう)の謎が解けてなかった…)
 シェラと行動を共にするときだけは、護衛の剣士達が外れる。「ロセの孫達(タータ・ロセ)」ではないにしても、シェラが剣士団内部で彼らと同等の権威を持っていることは、この一時で十分に証明されていた。
「こら、危ないぞ!」
 考え事をしていたせいか、リョーンは家々の屋根にぶら下がった氷柱(つらら)の真下を歩いていた。シェラがリョーンの肩をつかんで引き寄せると、機を見計らったように氷柱が折れて落ちた。
「もしかして、今日は日が悪かったかな?」
 シェラは一際大きく垂れた氷柱を意味も無く折ると、それを眺めながら、人によっては違う意味で受けとられそうなことを言った。
 リョーンが顔を伏せたまま黙っているので、彼女の不機嫌を案じたシェラだったが、未だに肩に腕を回したままであることに気付き――これを忘れる辺りがシェラらしいが――慌ててリョーンを開放した。
 いつものように丘の上に立ち、リョーンは懐剣ペイルローンを抜いた。
(今日は随分と調子が良いな…)
 何故だろう。自分でもそう思うほどに身体が軽い。今日のリョーンは自らの奥義を――そう、風の導くままに突きを繰り出す感覚を思い出そうとしていた。動きはゆっくりであっても、正確に放たれる突きは、刃を引き戻す動作とともに風を巻くような余韻を残した。懐剣を鞘に収めた後、リョーンはじっと動かず、何かに浸るようにも見えた。
 幾度か突きを繰り出したところで、シェラが口を開いた。
「カル。玄糸刀を抜いたな?」
 シェラのこの言葉に、リョーンは落胆と圧を感じた。確かに、彼の目の届かぬ間に玄糸刀を抜いてみたことはある。二刀を次々と繰り出す自分を想像し、わずかに素振りを行っただけなのだが。
「ええ、どうしてもわからなかったから、少しだけ…」
 何故抜いてはいけないのか、それを知るには玄糸刀を振ってみて初めてわかるではないかと思い立ったことを説いてみたが、シェラの顔には怒気が浮かんでいた。
「軽々しく師の言いつけを破るとは。お前は本当にロセの娘か?」
 呆れたような言い方だが、見た目以上に彼が怒っていることはすぐにわかった。
 リョーンが言葉に詰まっていると、シェラがさらに追い討ちをかけた。
「今のお前には荷がかち過ぎたか…」
 シェラはそういうとリョーンの持つ懐剣ペイルローンを容赦なく取り上げた。
「何を――」
 カエーナに叩きのめされてから今日ほどに調子の良い日もなかっただけに、それを踏みにじられた思いのリョーンは、徐々に腹が立ってきた。
「何故だ、シェラ。わたしは――!」
 シェラが自分のことをじっと見ていることに気付いたリョーンは、思わず口をつぐんだ。
「わたしは…何だ?」
 リョーンが黙ってしまったのは、彼の鋭い視線を浴びせられて物怖じしたからではない。リョーン自身、それに続く言葉が突然雲のように消えてしまったのだ。
(わたしは…何なのだろう――?)
 だが、負けん気の強い女だから、たとえ師といえども男相手に言い負かされるわけには行かない。
「うるさい。とにかく、それを返せ!」
「返せとは――これは元々俺のものだぞ」
「今はわたしのものだ。大体、わけのわからない頓知(とんち)を出す方が悪い。わたしがその謎を解くのにどれだけ悩んだか、シェラは知らないだろう!」
「やれやれ、お前は癇癪(かんしゃく)持ちだったのか?」
 今度はリョーンも本気で怒った。ならば力ずくで取り返してやろうと、彼女は玄糸刀に手をかけた。こうなればもはやシェラの言いつけなど、意味をもたない。
「ふん、たまには打ち合うのも悪くないか…」
 余裕の表情を見せながら、シェラは懐剣ペイルローンを逆手に持った。真剣での試合など、クーン剣士団の面々からすれば珍しいことではないが、リョーンはロセの一人娘だけに、護衛の剣士達がいれば大慌てで止めそうな光景である。

 リョーンは右手で左腰に差した玄糸刀を抜くと、そのまま襲い掛かることはせずにゆったりと構えた。
(どうにも御転婆が過ぎるが、それでもやはりロセの娘だ。切り結ぶと決意した途端に、眼光が暗く、闇の深くに沈むような色に変わった…)
 ロセがリョーンに剣を教えていないことは知っているが、それでも戦う姿勢というものは親から子へ伝わるものだと、シェラは自らの生い立ちを(かんが)みながら、心中で皮肉った。
「カル、ひとつ言っておくが、我流では俺を倒せんぞ――」
 リョーンが動いた。
 まっすぐに風を通すような突きを最小限の動きで交わしたシェラは、逆手に持った懐剣でリョーンの喉元を狙った。勿論、本気で刺し殺すつもりなど毛頭ない。
 リョーンはまるでそれを読んでいたかのように大きく腰を沈めると、シェラの胸元に玄糸刀を突き出した。まるで自分を助けるように吹き続ける風に身を任せながら、リョーンは自分がこの一撃に全力を込めてしまっていることに気付いた。
(このままだとシェラを殺してしまう!)
 試合とはいえ剣士にあるまじき思いを抱いてしまったリョーンは、しかしながら好機を捉えた一撃をすんでで止められるほど機用ではない。
 突然、首筋に焼けるような感覚を覚えた。
 気付けば自分は打ち倒され、仰向けに倒れていた。目の前には屈んでリョーンの腰紐から玄糸刀の鞘を外すシェラの姿があった。
「これも没収――と」
 リョーンは自分の傍らに先ほどシェラが戯れに折った氷柱があることに気付き、自分が首元に感じた痛みが何であったか知った。
「卑怯じゃないか…」
 彼女が呟くと、シェラは呆れたように言った。
「何を言っている。最初から左手に持っていたのが見えなかったのか?」
「最初から?」
「そうだ。どうせ頭に血が上って懐剣しか見えていなかったのだろう。ほら、手を出せよ」
 シェラの差し出した手を取り、リョーンは身を起こした。途中、何を踏んだわけでもないのに(つまづ)いたので、シェラは慌ててリョーンを抱きとめた。
「この間にわたしが氷柱を拾っていたら、どうする?」
 リョーンはシェラの胸に顔をうずめたまま言った。
 シェラが戸惑ったような顔をしたが、リョーンには見えなかった。それに今は会話の内容などどうでも良い。
(暖かい…)
 雪で埋め尽くされた丘の上でどうしようもなく孤立した赤い髪を、やさしく撫でられる感触を味わいながら、リョーンは自分が思ったほどに不愉快ではないことを不思議がった。

 師に両刀を没収されて帰ってきたリョーンを、エトと、今や外出が何よりの楽しみとなったタータハクヤが迎えた。
「リョーンはシェラが気になっているのね。話を聞く限りでは向こうも悪く思ってはいないみたいよ」
 今日あった出来事を簡単に話すと、タータハクヤが思った以上に食いついてきた。
「気になるって?」
「そう。今日のリョーンが上機嫌なのはきっと彼のお陰ね…」
 こういう話ともなれば自分が関係しなければ大抵面白いものである。それを横にいたエトが逃すはずが無い。
「本当に…お姉はあんな奴のどこがいいの?」
「別に好きなわけじゃない。それに、自分達のことを棚に上げて! そこまで言うからには二人とも恋人の一人くらいはつくった試しがあるのね?」
 リョーンが強気に言うのは、タータハクヤもエトも誰かと恋仲になったという話は聞かないからだ。
「あら、失礼ね。恋人はまだいないけど、想い人ならいるわよ」
「嘘…ナラッカが?」
 田舎にいた時も、深窓の麗人というだけで彼女がどれだけの男から思いを寄せられたかは想像するに難くないが、彼らのことごとくが恋に散っていったことを知るリョーンにとっては、タータハクヤの眼鏡に適う男がこの世にいるとは実に疑わしきことであった。
(ナラッカが思いを寄せるほどに近くにいる人といえば――)
 リョーンは自分が空恐ろしい想像をしていることに気付き、慌てて話題を変えた。
「そういえば、今日はハルコナと市を見に行くんじゃあなかった?」
「どこが『そういえば』よ。でも、確かにそろそろね――」
 調度良く戸を叩く音が鳴ったので、タータハクヤは残念そうな顔をした。エトが小さく舌を出したので、リョーンはこのまま会話が続けば根も葉もない話に発展していたことを確信した。
 リョーンはタータハクヤには知れぬよう、ハルコナと共に訪ねてきたテッラに刀貨の入った袋を渡した。
「結構値が張るということに、驚きになられませんでしたか? 先生もああ見えて頑固ですから値引きはしてくれないんです」
「贈り物だもの。値引いたりしては失礼だわ」
 そうは言ったものの、ロセを説得する手間を考えると、高い買い物には懲りたリョーンだった。

「女が五人も揃えば、見るものは知れているでしょう?」
 そういって先頭を切るのはエトに車椅子を押させるタータハクヤである。ヒドゥが彼女の外出に付き合わないことは珍しいが、たまには女連中だけで外出をしたいという我儘(わがまま)を彼が認めるとは思えない。
 リョーンは十歩ほど離れてついてくる護衛の剣士達を気にしながら、タータハクヤが彼らを抱き込んでヒドゥの説得を試みたのだろうと予測した。クーンの剣士達は名門意識が高いから、彼女のような女にとっては扱いが簡単なのだろう。
 剣士団の中でもそれなりに優秀な者がリョーンやタータハクヤの護衛につけられているのはわかるが、カエーナのような怪物と切り結んだリョーンにとっては不服であった。
 よく見ると、テッラが何やら楽しげに剣士達に話しかけている。もはや、この面子がそろえばハルコナの世話が自動的にリョーンに回ってくるようになった。諸々の仕草が猫のようにもみえるハルコナのことを、リョーン自身も愛でているのは確かだから、彼女もまんざらではなかった。
 南方で手に入った象牙の(くし)をさしてみたり、西のゴモラ産である光沢の美しい絹布を手にとったりと、エトやタータハクヤが寒さを忘れて楽しむ様を見ながら、リョーンは彼女らが自分にとってかけがえの無い存在であることをかみ締めていた。
――もうすぐ、貴方の大切な人が死ぬ。
 突然、神が降りたようなハルコナの言葉を思い出し、リョーンは首を振った。確かに今の王都は剣士団の分裂によって見かけほどに平穏ではないが、それでもエトやタータハクヤが死ぬなどといったことは想像できなかった。
「リョーン、ちょっと替わって!」
 エトはどうにも西方(さいほう)産の小物に目が眩んだらしく、自由に歩き回りたくてうずうずしているようだった。横ではタータハクヤが困ったように笑みを漏らしている。彼女の乗る車椅子は両端の車輪を回すことで自力で走れないこともないが、皆の歩く速度にあわせるには誰かが押した方がはやいし、田舎暮らしとはいえ、お嬢様育ちのタータハクヤが手が泥まみれになってまでそれをするかは疑問である。
「ハルコナ、しばらくエトと一緒にいてね」
 テッラが剣士達に執心なので、リョーンは婚期を逃しつつある彼女の心中を見透かしたつもりで、ハルコナをエトにつけた。端から見ると良くわかるが、好奇心旺盛なこの二人はこの中の誰よりも年が近しいこともあってか、気が合うのだ。
 風除けの天幕の中に二人が入って行くの見届けると、リョーンはタータハクヤの方を振り返ったが、雑踏に紛れたのか、そこに彼女の姿は無かった。
「ナラッカ?」
 リョーンは小走りで、先ほどまでタータハクヤのいた露店に行ってみたが、やはりいない。行商に訊いたところ、向こうの路地へ行ったという。
(まさか自分で椅子を押していくなんて…)
 彼女がひとりでどこかへ行くなど想像だにしなかったリョーンは、テッラに言い寄られて鼻の下を伸ばしていた護衛達を叱りつけ、タータハクヤを手分けして捜すよう命じた。三人の内二人はタータハクヤの捜索に向かったが、残りの一人はリョーンについた。
「わたしの任務はお嬢様の護衛です。お嬢様が丸腰で外出なさる以上、これは譲れません」
(丸腰でなくてもついて来るくせに…)
 悪い虫にたかられたような気分になったリョーンだが、そうも言ってられない。南の商業区はカエーナ剣士団の勢力圏ではないが、万が一ということもある。
 リョーンは言い知れぬ不安を感じながらも、ただの迷子であって欲しいと心から願った。


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