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四章『剣舞う』(8)
――こひゅー…こひゅー…
 同情を誘わずにはいられないような音に、蝋燭(ろうそく)の炎がゆれる。
 床に伏せるリョーンを囲んで、タータハクヤとエトは医人の言葉を待った。老いた男だがクーン剣士団専属の医人であり、斬り合いで受けた傷の治療など何万回とこなしている。
 医人はリョーンの胸元に薬草を塗りこむと、しわ枯れた声で言った。
「左肺がかなり痛んでいる。命に別状はないが、もう剣を振るのは無理だろう」
 それを聞いたエトは泣きそうな顔になり、タータハクヤはため息をついた。
 医人はリョーンに内衣を着せると、タータハクヤに薬草の煎じ方を教えてから部屋を出た。外にはロセとシェラが控えていた。
「すまない。俺がついていながら…」
 シェラの詫びに、ロセは無言で答えた。そこに、医人が口を挟んだ。
「ほっほ…カエーナと打ち合ってこの程度で済んだのだから、運の強い娘だ。ただ、危うい戦い方をしたな」
「わかるのか?」
 と、シェラ。
「一体何人の傷を診てきたと思う。か細い体で岩を砕くような戦いをしたのだろう。体中の骨が(きし)んでおったわ。しかしまあ、この娘にとっては剣を捨てた方が幸せというものだ」
 ロセは何も言わない。ただ、シェラの気のせいでなければ、微かに(うなづ)いているようにも見えた。

 晴れ渡った深く青い空。厳しい冬の到来を告げるそれに対して、リョーンの顔は晴れない。無理もないだろう。名のある女剣士を夢見て王都まで出張って来たはいいものの、ただの一戦をこなしただけで二度と剣を振れない体になったなどと、今でも信じられるものか。
 時々、シェラが見舞いに来る度に門前でエトに断らせるのだが、彼には一切の責任がないことは明白だ。それどころか、死に掛けの自分を窮地から救ってくれた恩人ですらある。
 だが、それでも彼の顔を見れば自分が泣き出してしまうのを知っているだけに、余計に会えないのだ。彼は現在リョーンの近くにいる人の中で、唯一自分のことをあだ名の「(カル)」と呼んでくれる。もはや虚しく響くだけの名で自分を呼ぶのだ。これが悲しくないことがあろうか。
 十日ほど、リョーンは寝たきりだった。それからは起き上がれるようにもなり、何やら騒がしい外の様子を見に出掛けるようにもなった。内面がそのまま着衣に現れるのは女の特権というわけでもないが、リョーンの(まと)う衣服は、男らしく動き回るのに適した(そで)の短い朱衣から、女物の長い蒼衣に変わっていた。あれほど男という生き物を軽蔑していながら、道行く男に声をかけられる都度、笑顔で返す姿は一介の街娘そのものであった。
 髪型も動きやすいように一箇所に束ねてあったのを下ろした。タータハクヤが毎日訪れては自分の髪を(くし)で入念に()いてくれるのは、何やら胸の底が(かゆ)かった。
 ただ、リョーンがカエーナに挑んで惜しいところまで追い詰めたという噂は僅かながらも広まっており、街の女達は道の影で(かしま)しく剣士カルのことを誇るのだった。リョーンは彼女らの憧れに満ちた視線に接する度に、シェラの奴め――と心中で愚痴るのだが、どうやら化け物じみた戦いの方は伝わっていないところを見ると、シェラの好意に満ちた悪戯であるようだ。
 ただ一人、現状のリョーンに不満を感じているのはエトである。
 エトは力強いリョーンが好きであっただけに、現在の彼女が腑抜けにしか見えない。タータハクヤが密かに浮かれているのは、彼女は元々からしてリョーンが剣を持つことをよく思っていなかったからで、彼女の気持ちがわからない訳でもないエトは、憤りにも似た感情を原因を作った張本人であるシェラに当てるしかなかった。だが、エトのような小娘にいいようにやられるシェラではない。彼が街の娘を口説くのと同じようにして彼女に接すると初心(うぶ)なエトは顔を赤らめて奔り去るだけだった。もっとも、街の娘に平手で(はた)かれるのには慣れていたシェラでも、エトに(すね)を蹴られた時には泣きたくなったが。

 その日は早朝から騒がしかった。タータハクヤが何やらめかし込んだ格好で現れたことにリョーンは驚いたが、そういえばアシュナ王女の婚礼の儀があることを思い出し、紅く(きら)びやかな衣に身を包んだ彼女をからかった。
「ほら、リョーンも化粧くらいしなさい」
 何やら言われるままに化粧をほどこされた。クーンには口紅の習慣はない。若者は頬に淡い桃色の粉を塗る。リョーンの望んだ蒼色で用意された外衣だが、胸の周りをきつく結ぶことができないために、重装備は免れた。コートは銀狼の毛皮ではなく、ロマヌゥの羽織っていたような狐の毛でこさえた物を纏った。
 戸口で既に用意を済ませたエトが待っていた。そういえばエトは全くの普段着である。彼女も道連れにと思ったリョーンだったが、返ってきた言葉は真摯(しんし)なものだった。
「ロセの口添えが効いて、婚礼の儀が終わった後にチャムが釈放される。お(ねぇ)はそんなことしてる場合じゃないだろ!」
 リョーンは一瞬目を伏せたが、すぐに苦笑で返した。
(返す言葉もない)
 自分はいったい何をしているのだろう。と、半月ほど前にシェラとともに腰を下ろした噴水の前でリョーンは考えていた。横では高い椅子に腰を下ろしたタータハクヤがリョーンの肩に手を乗せてはしゃいでいる。
「ねぇ、見て。リョーン!」
 タータハクヤが歓声を上げた。パレードの華、新郎新婦をのせた巨象の前を行くのは剣翁ロセである。
「ロセ!」
 タータハクヤが手を振る。ロセはそれに気付いたようだが、一瞥(いちべつ)しただけで視線を戻した。
「あの人、ああ見えて緊張しているのよ」
 そんな馬鹿な、とリョーンが呆れるような冗談を言うが、タータハクヤは嘘を言っているつもりでもないらしい。
 頬を膨らませていたエトもまた、全てを忘れたように巨象に見入った。
「おぉ、大きい!」
 リョーンもまた巨大な竜(象)に接するのは初めてだが、心の底から浮かれる気分にはならない。どうしてだろう。周りが騒がしければ騒がしいほど、自分ひとりが沈んでゆくような感覚。
「あれが、アシュナ王女か。おお、中々の別嬪(べっぴん)だ!…横の丸っこいのが新郎かな。何だ、仮面か。あの仮面の下はきっと酷い醜男(ぶおとこ)だぜ」
 思わぬ背後からの声に、リョーンは振り返る。そこにはシェラが、何食わぬ顔でリョーンの傍に居た。
「よく見ろ、王女の顔。今にも泣き出しそうだ。あぁ、下を覗き込んでるけど、もしかしたら飛び降りるんじゃねえのか」
 リョーンはシェラが何を言っているのかわからなかった。気がつけば、彼の手をとって走っていた。
「お、おい…どうした。カル?」
「うるさい。黙ってついてこい!」
 後ろで何か大きな音が鳴ったが、リョーンは脇目も振らずに走った。

 片肺が痛んでいるせいでまともな距離を走れず、しかし都心部を見下ろせる小さな丘に腰を下ろしたリョーンは彼女の様子を怪訝(けげん)そうに見守るシェラに向かって思いがけない言葉を放った。
「シェラ。わたしに剣を教えろ」
 鋭い目。思えばリョーンが心の底から思ったことを口にする時、シェラはこの表情をする。リョーンはこれが彼にとっての驚き、あるいは感動のサインであることにこの時ようやく気付いた。
「その体で剣をふるえると思うか?」
 最も厳しい答えに、リョーンは目をそらさない。
「わからない。いや、無理ね。きっと戦えない。でも…」
 シェラはリョーンの次の言葉を待つ。まるで何かを期待しているような、穏やかな目をしている。
 (あお)く透き通った瞳に、リョーンは語りかけた。
「剣を捨てれば、わたしは女として生き、それなりの暮らしをするだろう。でも、そうやって自分のやりたいことに目をそむけたまま、自分の中に沈んでゆくのは嫌だ。わたしはずっと、赤髪のカルでいたいんだ」
 聞き終えたシェラは視線を外した。
 リョーンはもう、剣士として死んでいる。剣を手にとれば、ただの一振りで呼吸は乱れ、その場に倒れるだろう。片肺が潰れた今、振れる筈がないのだ。リョーンはそれでも良いという。例え誰かと切り結ぶことはできなくても、剣の無い生活など考えられないのが、リョーンという女なのだ。
 だが、哀れむことなどできようか。シェラもまた、誇り高き剣士なのだから。
 リョーンはシェラが断るとは思っていないのだろう。期待を込めた眼差しがシェラの顔に刺さる。
(計算高い女だ…いや、女は皆そうか)
 シェラは再びリョーンに視線を合わせた。
「…いいだろう。だがひとつだけ誓ってくれ」
 ふと、リョーンの瞳に灯った明かりが揺れる。
「もう二度とカエーナとは戦わない――」
 リョーンの心底で(くすぶ)る残り火。シェラはそれを見透かし、息を吹きかける。
 静寂。それは長いようで、短いようでもあった。
「……わかった。誓う」
 リョーンの言葉に頷いたシェラは、腰に差してあった二振りの短剣をリョーンに手渡した。
「これは?」
「やるよ。悪いが、師事するからには俺の流儀に従ってもらうぜ」
 二刀流。カエーナとの激闘の後でロマヌゥの襲撃を受けたとき、シェラの背に負ぶさったリョーンは意識が朦朧(もうろう)とする中、確かにそれを見ていた。自らクーン剣士団の役立たずを名乗るシェラだが、リョーンは彼の剣技に力強く、そして懐かしいものを感じたのである。
「綺麗…」
 朱い短剣を手にしたリョーンは鞘に刻まれた字を見た。
「これは南じ…ナバラ王国の字ね。何て書いてあるの?」
 シェラはリョーンの小さな配慮が可愛かったのか、笑い出しそうになるのを堪えながら答えた。
「違う。ナバラじゃない。これは俺の一族が使う文字だ。『沈まぬ船(ペイルローン)』と書いてある。見ての通り短い懐剣だが、頑丈さは折り紙つきだ」
「ペイルローン。あれ、シェラの名前も確か…」
 剣に特別な名が与えられる以上、これは宝剣である。シェラの姓(正確には族名)である「ペイルローン」と名づけられたのなら、これはペイルローン一族の宝ということになる。そのようなものを容易くリョーンに授けるシェラの意図がつかみきれない。
「もうひとつの黒いのが南方で手に入れた『玄糸刀(げんしとう)』だ。髪の毛ほどの太さで鉄を両断するような特殊な糸を編みこんである。どっちも高価だから失くすなよ」
 懐剣ペイルローンに玄糸刀。この二つを腰に差したリョーンの姿はどうだろう。見ていればそれだけで誇らしくなるほどに、生き生きとしている。
「なあ、カル…」
 相変わらず騒がしい都心部を眺めながらシェラがいう。思えば、シェラにはリョーンの頼みを断る権利など無いのだ。たとえ剣を捨てたとしても、彼だけはいつまでもリョーンのことをカルと呼び続けるだろうから。
「何?」
 リョーンが髪を掻き揚げる。どうやら鮮やかな朱色の懐剣ペイルローンが相当気に入ったらしく、朱い刀身を愛でながら上の空で答える。
「何で俺なんだ。他にも大勢いるだろう。誰よりもロセがいるし、強いだけなら今日釈放されるチャムだっている。自分で言うのもなんだが、よりによって一番弱そうなのを選んだ理由は何だ?」
 足元を吹き抜ける風が芝をちりちりと鳴らす。
「簡単だ、シェラ。多分、その中で貴方が一番(つよ)い」
 二人だけの丘で、シェラの笑声だけが響いた。

 剣をひっさげて中央広場の噴水に帰ってきたリョーンを見て、エトが歓喜したのは当然だろう。タータハクヤは一瞬だけ暗い表情を見せたが、すぐにリョーンという人間を思い出したのか、優しく微笑んだ。
 (やぐら)が破壊されている。ロセが暴走した巨象を一撃で倒したという話を聞いたリョーンは驚くよりも呆れた。
――本当にあの人は、年甲斐もなく…
 ロセが聞いたら怒るだろう。ふと、シェラの方を見ると彼も同じことを考えていたらしい。
「いい歳こいて大暴れとは…おっと、今のはロセに内緒な」
 シェラは慌てて口をつぐんだが、エトが見逃さなかった。毎日シェラに煮え湯を飲まされているエトである。今を好機を言わんばかりにシェラをからかう。
「そういえばこの二、三日。エトはどこかに出かけていたみたいだけど…」
 小うるさい二人を傍目にリョーンがタータハクヤに耳打つ。
「剣士団副団長のチャムを救出するのに色々手伝ったらしいわよ。ロセに付きっ切りだったわ」
「へぇ…ところでナラッカ(タータハクヤの本名)。ペイルローンって知ってる?」
 リョーンの口から意外な名が出たからか、タータハクヤは小さく口を開けた。これが本当に驚いたときになると、金魚のように口をパクパクさせるのをリョーンは知っている。
「ペイルローン…彼らの言葉で『白き神龍(リョーン)』あるいは『沈まぬ船』を意味する。ペイルローンの一族は領土を持たない流浪の商業民族で、彼らの故郷は海の果てにあると言われているわ。本当のところは誰も知らないのだけれど。でもどうしたの? 急に…」
「いや、何でもない」
 ふと、リョーンの右腰に差してある鮮やかな朱色が目に留まる。その懐剣に書かれている文字を見たタータハクヤは、今度はシェラに目を移し、小さく頷いた。

 宴の夜は深い。
 それさえも静まった後、(せわ)しなく石畳を叩く車輪の音。
 一乗の竜車が暗闇の中を駆ける。
 手綱をとる若い男の横にはロセの姿があり、後部座席にはクーン剣士団団長エリリス、そしてもう一人の男が座っている。
 ぼさぼさに伸びた髪、(あか)が溜まって黒ずんだ顔、着衣は遠くから見ただけで酸っぱい臭いが漂ってきそうなほどに汚れており、しかしげっそりと痩せ細った男の視線は(りん)と前を見ている。
 クーン剣士団筆頭剣士――チャムの帰還である。

四章『剣舞う』了
五章『暗躍』へ続く


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