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四章『剣舞う』(7)
 リョーンの元に、シェラが駆け寄る。彼の表情がすぐに和らいだことで、カエーナはリョーンの無事を知った。
 三度。
 カエーナがリョーンを殺すつもりで打ち込んだ回数である。一度目はリョーンの剣を砕いた時、二度目は倒れたリョーンに打ち込まれた時、そして三度目が最後の一撃である。
 剣を犠牲にすることで辛うじて死を免れた最初の一撃とは違って、二撃は正面から跳ね返され、最後の一撃はこれ以上ない速度、タイミングで打ち込んだにも関わらず防御された。
神龍(リョーン)…」
 思わず、カエーナは呟いた。自分は神と戦っていたのだと。そう思わなければ、リョーンの豹変に説明がつかない。
 少々間をおいて、リョーンは意識を取り戻した。
「負けたのか。わたしは…」
「憶えていないのか?」
 意外そうに、シェラがリョーンの顔を覗きこむ。
「剣を砕かれて、それから…えっと。ああ、憶えている」
 そういった時、リョーンは目頭がじわりと熱くなるのを感じた。敗北が悔しいのもあるが、それ以上に――
(畜生か…わたしは!)
 と、カエーナを圧倒している時の自分を思い出して恥じたのだ。力に溺れ、欲望の赴くままにがむしゃらに剣を振る。それが、八年間の鍛錬の成果であったことに、リョーンは絶望した。
「お、おい…大丈夫か?」
 優しく差し伸べられた手を振り払うと、リョーンは何も言わずに立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩き始めた。死にそびれた敗者は、ただ去るのみである。
「待て、カル…」
 カエーナの最後の一撃を受けて無傷であるはずがない。どう安く見積もってもあばらの二、三本は砕けているはずである。そんな状態で一人で歩いて帰れるはずがない。
 肩を貸そうと近づくシェラを、リョーンは拒絶する。
「…ついて…くるな」
 力のないかすれた声。わき腹を抱えているリョーンの額には、脂汗が浮かんでいる。
「何を言っている。そんな状態で放って置けるか」
「うるさい…ついてくるな」
「そうは言ってもだな…」
「…黙れ……南人(なんじん)!」
 シェラの穏やかな表情が一瞬、青ざめる。それを見たリョーンが瞬く間に自らの過ちを知り、後悔するほどに。
「ああ、そうかい。だがな、ロマヌゥの奴らがまだそこいらをうろついているはずだ。悪いがついて行くぜ」
 傷の手当てのために自宅へ戻るカエーナを目の端で追いながら、シェラは無理矢理リョーンの肩を担いだ。
「―――っ」
 リョーンの顔が歪む。
「奇跡だな…」
 激痛に苦しむ女のことなど、そ知らぬ顔でシェラがいう。もはや話す気力も無いのか、リョーンは目で問うた。
「カエーナ相手に生き残ったことさ…」
 リョーンは黙ってしまった。シェラもそれを見越したように黙って歩を進める。
 十字路に至った。来る時は分かれ道など気にもしていなかったが、このまま直進すれば先ほどロマヌゥと遭遇した場所に至る。
(道を変えるか…)
 カエーナ剣士団はゴロツキの集まり同然である。ロマヌゥに剣を突きつけた腹いせにどのような報復が待っているかもわからない。手負いのリョーンを連れた状態で四、五人に囲まれれば終わりだ。
 道が暗い。日が落ちたのだから当然だろう。心なしか、リョーンが少し震えているようにも見える。
「寒いか。雪はもう止んだようだが…」
 そう言いながら、シェラは自分の羽織っていたコートをリョーンの肩にかけた。カエーナに投げ飛ばされたせいで泥まみれだが、無いよりはましだろう。
 リョーンの歯が震えている。よく見ると顔色が蒼白だ。
「お、おい。大丈夫か?」
 シェラはやはり、リョーンをカエーナに会わせたことを後悔した。リョーンが()き込むと同時に喀血(かっけつ)するのを見たときに、自らの浅はかさを呪った。
「カル。おい、カル!」
 リョーンは手についた血糊(ちのり)をまじまじと見た。そして咳き込みながら、言う。
「…シェラ。わたしは…」
「カル…もういい。喋るな」
 自らの放つ声が弱々しいのを嘲笑(あざわら)うかのように、もはや(かす)れているというよりは、()じ切れそうな声を振り絞りながら、リョーンは話す。
「化け物じゃないか。一度死んだ身でありながら、恥も知らずにおめおめと彼岸から舞い戻ってきた」
「カル。肺をやられている。もう喋るな…」
 苛立ちを隠さずにシェラが言う。だが、聞こえていないのか、彼女の嘆きは続く。
「…その果てがあの人間離れした怪力よ。しかも滑稽(こっけい)なのは、神から力を授かりながら、それをもってしてもカエーナに屈したという事実。わたしは、一体何…」
 再び咳き込む、もはや立ってはいられないほどの激痛に、リョーンはシェラの胸にすがった。
――こひゅー…こひゅー…
 すすり泣く様な、それでいて戸の隙間を吹き抜ける風のような音を立てながら、リョーンは辛うじて呼吸をする。放つ声はもはや言葉にすらならない。
「…ジェラ、一体(いっだい)どうじだのだろう。わだしは…」
 痛みのせいか、目を潤ませながらリョーンが訴える。涙が頬を伝って落ちないのは、男に支配されることを極端に嫌う、この女のもつ最後の意地であろうと、シェラは思った。
(肋骨が肺に刺さったか…)
 シェラの心が重くなった。カエーナの一撃を受けたときに既に、リョーンは剣士として死んだ。だが、このまま放っておくと本当に死んでしまう。
「安心しろ、カル。死なせはしない…」
 シェラはまるで自分を励ますかのように言い放つと、もはや意識をなくしたリョーンを背負った。
 リョーンの肺を傷つけないように、慎重に、だが急いで歩く。時々リョーンがずり落ちそうになる度に、シェラは立ち止まり、細心の注意を払って彼女を支える。
 ふと、周囲を見渡した。闇の中、ヘドロの弾ける音が微かに響く。
 気配。闇に紛れながらも、それはシェラの鋭意な感覚に反応した。
(殺気も隠さずに、三下どもが…)
 舌打ちするものの、絶望的な状況である。シェラとリョーンは既に、ロマヌゥの手勢に囲まれていた。
「…あまりしつこいと、女に嫌われるぜ。ロマヌゥ坊や!」
 闇の向こう、声高な笑声が響く。女のような透き通った声。ロマヌゥである。
「いつも女の尻を追いかけては、頬をはたかれている君に言われるとは思わなかったよ。シェラ」

「どういうつもりだ。ロマヌゥ?」
「何がだ?」
 シェラは闇の中に(うごめ)く影の数を数える。だがその表情に焦りは見えない。
(ロマヌゥの傍に二人、その後ろに三人。俺の背後は…四人か。少々厳しいな)
 ふっ――と、シェラは鼻で笑った。
「カエーナ剣士団は王の許可を持たぬ私設軍だ。(ねずみ)の真似してうろちょろする分にはかまわないが、おいた(・・・)が過ぎれば瞬く間にしょっ引かれるぞ」
「僕たちが鼠だと、シェラ…」
 ぎりりと、ロマヌゥの歯軋(はぎし)りする音が響く。
「こいつは剣翁(けんおう)の娘だ。万一こいつの身に何かがあれば、ロセがお前達を殺しに来る。無論、俺も加わらせてもらうがな…」
「ロセの娘だと? その女がか。だが何故ロセの娘がカエーナに会いに来る?」
「腕試しがしたかったそうでね。誰かさんが妙なものを建ち上げてくれたお陰で、調度いい相手が出払っちまったからな」
「それで、カエーナにボコボコにされて帰ってきたって訳か…」
 白く可愛げすらある顔で、ロマヌゥは意地悪く微笑む。
「いや…まぁ、そんなところだ」
 一瞬、事実を話そうかと思ったシェラだが、それで(ひる)む様な相手ではないだろう。むしろカエーナを傷つけたことにロマヌゥが激昂する可能性のほうが高い。
「調度いいや、シェラ。僕もそろそろ我慢の限界だったんだ」
 抜剣の音。凍えるような風に吹かれて、シェラは覚悟を決めた。
「ほう、坊やもずいぶんと偉くなったものだ。この俺の相手ができると本気で思っているのか?」
 コートを羽織っていた時には目立たなかったが、シェラの腰には二振りの短剣が差してある。右腰に差した剣は(さや)()(あか)く、異国の文字が白色で添えられている。短剣というには少し長めだ。対になる左腰の短剣は、全体が闇に紛れるように(くろ)く、やや弓なりに反っていることから片刃の短刀であることが窺える。こちらは朱い短剣に比べてやや短い。
 そして、彼がとったのは常ならざる構え。リョーンやその他の剣士のように、右手で左腰に差した剣を抜くのではなく、右手で右腰の剣を、左手で左腰の剣を逆手で抜くのである。この場にもし、ザイがいたとしたら「まるで西部劇の銃士のようだ」と感想を口にしただろう。
 ただ、背負ったリョーンを左手で支えているために、シェラに許される武器は右腰の短剣だけである。
 獲物を前に地に伏せる虎のような前かがみの姿勢のまま、シェラは朱い短剣をいつでも抜けるように構えた。ただ、柄には触れもしない。
(どういうことだ。カエーナとは絶縁状態にあると聞いたのだが…)
 明らかに、ロマヌゥはカエーナのために動いている。だが、そこにカエーナの意志は感じられない。カエーナ剣士団の当初の目的はクーン剣士団との対立だが、今のカエーナ剣士団がクーン剣士団と対決する姿勢をみせれば破滅以外の道がないことに、ロマヌゥが気付かぬはずが無い。
(今のカエーナ剣士団を操っているのはロマヌゥではない。だが、カエーナでもない)
 何者かの陰謀を感じ取ったシェラは、背に薄ら寒いものを感じた。背後に迫るもの、それは動かなければ確実に至る死である。
 シェラの耳元にかかる金髪が(わず)かに揺らぐ。
 背後からの一撃。それを最小限の動きで避けたシェラは、振り向き様に逆手で抜いた右腰の朱い短剣で敵の胸を貫いていた。シェラを凝視していたロマヌゥにすら、抜剣の瞬間は見えなかった。
 シェラの背後にいた影が一人、二人と続く。もはやリョーンの体を気遣う余裕すらないシェラは、彼女が振り落とされないように左手で支えながら、敵を瞬く間に刺し殺す。最後の一人が怯んだところで、シェラは(はし)った。
「馬鹿が。追え――」
 ロマヌゥが右手でシェラを指差したと同時に、彼の白く細い腕は上空から放たれた矢によって貫かれていた。
「あっ!」
 激痛に思わず悲鳴を上げたロマヌゥが、身を伏せる。彼から向かって右手の民家の上に、人影があった。
「次にお姉を狙った者は心の臓を貫くぞ!」
 若い、というよりはまだあどけなさを残した少女の声。後ろに束ねた黒髪が、上空で僅かに顔をみせた月光に照らされる。小さな体躯(たいく)でもってきりりと矢を引き絞る姿は、確かにエトである。
「痛い…畜生…血が…血が止まらないよぉ…」
 右腕に刺さった矢を引き抜いたロマヌゥは、少女の様に白くふっくらとした頬を、汗と涙で濡らしていた。
「畜生。痛い! 僕の…僕の腕が…畜生! よくもやってくれたな…僕の…僕の腕がぁ――」
 逃走を続けるシェラを追おうと、家屋の闇に紛れてロマヌゥの背後の男が動く。藁葺(わらぶき)屋根で死角にもかかわらず、エトは足元に矢を放った。屋根の端を貫いた先で、人の倒れる音が聞こえた。呻き声がひとつ増えた。どうやら先ほどの警告に反して、絶命には至らなかったようだ。
「畜生! 畜生…」
 頭目格のロマヌゥが錯乱した時点で勝負はついた。シェラが上手く逃げおおせたのを確認すると、エトはロマヌゥを守るように構える男達の足元に矢を放った。
 ロマヌゥとは反対側に降りたエトは、下で待たせてあったスサに乗る。
「スサ…いい子」
 リョーンの愛竜の首元を優しく撫でると、エトは手綱をとった。ロマヌゥの配下が慌てて駆けつけたのもつかの間、スサを駆ったエトは一跳びで闇の中へと消えていった。


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