終章
それから、一年余りが過ぎた──。
道路の桜並木がようやく蕾をつけてきた頃。
「やったわあああ!!!」
陽央が叫びながらリビングに飛び込んできた。その手には、白い封筒と紙が握られている。
「入選! 入選よ! 見て頂戴!!」
バアン、とテーブルの上に思い切り白い紙を叩きつけた。
黎、聖、李苑、雛、そして一年前新しい家族となった翼がきょとんとしてそれを見た。
「まさか、これ…」
聖が紙を手にする。
「そう、この間駄目もとで出展してみた絵が入選したの〜! 嬉しい〜!」
陽央はクルクルと回って踊ってみせる。
「まあ! おめでとう、陽央くん!」
「おめでとう」
李苑、そして聖が祝辞を述べると、恐らく何だか良く分かっていない子供達も、
「おめでとう〜!」
「あうあ〜!」
と手を叩いた。
「へえ、昔からこういうの得意だったもんな、お前」
と、黎。
「ええ、絵を描くのは好きだったわ〜。それが人に認めてもらえるって、すっごく嬉しい!」
陽央は一頻り喜んだ後。
少し表情を硬くしながら言った。
「それでね、お願いがあるの…。アタシ、旅に出たいの」
「え?」
あまりに急な申し出に、聖達は驚いた。
「アタシ、これからも風景画を描いていきたいの。まずは色んなところに行って、色んなものを見てみたいの。アタシ……画家としてやっていきたい」
聖と李苑は顔を見合わせる。
「それは構わないが…。大変だぞ?」
「分かってるわ。聖くんや李苑ちゃんには、なるべく迷惑かけないようにするから」
「迷惑なんて、そんなことないのよ」
李苑は優しく微笑んだ。
「陽央くんがやりたい事なら、応援するから」
ね、と聖に目配せする。
「ああ…。でも定期的に帰ってきてくれ。体のことが心配だからな」
「うん、分かったわ。二人とも、ありがとう!」
笑って頷く陽央を見て、黎はふと寂しさを感じた。
子供の頃からいつも一緒だった。
喧嘩ばかりだったけれど、辛い時は慰めあったりして。こっちに来てからもずっと助けてくれて…。
考えてみれば、陽央とは十年もの間離れた事がなかったのだ。その彼が、旅立とうとしている。
置いていかれるような気分になってしまうのも無理はない。しかし、それを顔に出せないのが“黎”なのだ。
(昔は良かったよな)
記憶がなかった頃は、酷く素直な人間だった。
それが自分のなりたかった人物像だからだろうか。
あの時の自分だったなら、素直に「寂しい」と言え、笑顔で「行ってらっしゃい」と言えただろうに。
「…ま、頑張って来いよ」
それだけ言うと、黎は立ち上がってリビングを出て行こうとした。
「ありがとう。あんたも皆に迷惑かけないで、ちゃんと勉強するのよ」
「分かってるよ」
面倒くさそうに答えると、陽央はポン、と軽く頭を叩いてきた。
「寂しくても泣かないでね」
「…誰が」
ぶすっとしてそう応え、自室へと向かった。
何だか心を見透かされたようでバツが悪い…。
部屋に入ると、机の上に乱雑に置かれていた書物の整理を始めた。それらは植物や環境問題に関するものばかり。
すぐにそれらの研究を始めても良かったのだが、黎は大学進学を決めた。
研究に没頭する前に、もう少し同年代の人間と触れ合ってみたいと思ったからだ。
記憶を取り戻してからしばらくして、復学した黎を見て、クラスメイト達はかなり戸惑ったようだ。
事故で失くした記憶を取り戻したため──と聖は学校側に説明してくれた。
それでも、先日まで能天気で穏やかだった人間が、いきなりぶっきらぼうで愛想のない人間に変わったのだから、それは戸惑うだろう。
最初は皆、話しずらそうだった。遠慮も見えた。
しかし徐々に“黎”は受け入れられていった。
黎も溶け込もうと努力した。
段々と垣根は取れ、近頃では友人と呼べる者も出来た。陽央以外に何でも話せる友人というのは初めてだ。
日々の他愛無い出来事や将来についてや、ちょっとした悩み、好きな子の話も。人によって様々な考え方があることが新鮮に感じられた。
そういう環境の中に、もう少しいたいと思った。
まだ人間的に学ばなければならないことがたくさんあるように思えたから。
そして、何よりも…。
「こんにちは〜!」
玄関の方から元気な声が響く。その声を聞いて、黎は小さく息をついた。
「また来たか」
そう言いながら、顔がにやけていることを自身は気付いていない。
しかし、部屋の中にいたのでは彼女に会うことは出来ない。
一年前のあの一件以来、乃亜は黎の部屋へ入ってこなくなったのだ。二人きりになるのを避けてのことだと思うが……それでも『好き』と言う乃亜の心理が解らない。
口から出任せなのかと思い、わざと大学を乃亜の行ける所よりワンランク上を受験した。すると猛勉強を始め、先日、見事揃って合格した。
試すような事をしておいて、乃亜が合格したと聞いた時はホッとしたものだ。
リビングへと行くと、乃亜は陽央と話をしていた。
「そうなんだ…。寂しくなっちゃうね…」
どうやら陽央の全国行脚の話をしているようだ。
黎が入ってきたのに気付いて、乃亜はソファから立ち上がる。
「お邪魔してま〜す」
「おう」
黎は長くなった前髪を掻き揚げながら、乃亜とは対角の位置に座る。
前髪だけではなく、後ろ髪も肩まで伸びていた。それを見て乃亜が一瞬悲しそうな顔をしたのを……黎は気付かない。
この時、乃亜の気持ちに気付いていたら良かったのかもしれない…。
互いに想いあっていても、それが通じるとは限らない。
二人が正面から向き合えるまで、まだまだ時間がかかりそうだ…。
──終わり──
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