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  NOAH 作者:緑川海月
相反する心─3─
ガチャリ。
ドアが開く。

「こんにちはっ。…あれっ、今日は起きてたんだね」
 
いつもの笑顔で、乃亜は部屋に入ってくる。
そして、ベッドに座っている黎の目の前の床に座り、カバンを広げた。

「これは今日の授業のノート。黎、いくら天才だからって、あんまり休みすぎるとついていけなくなっちゃうよ」
 
と、一箇所を留めた何枚かのルーズリーフを差し出す。しかし黎は反応を示さず、乃亜は仕方なくベッドの上にそれを乗せた。

「来週は三者面談もあるんだよ。黎は聖さんに来てもらう? 李苑さん身重だし、陽央じゃちょっと頼りない……あっ、これじゃ陽央に悪いね」
 
あはっ、と肩を竦めて笑う可愛らしい姿にも、今の黎は苛つくばかり。
しかし乃亜は、いつも寝ていた黎が起きているのが嬉しくて、つい饒舌になった。

「クラスの皆も、黎がいなくて寂しがってるよ。あの天然がいないと教室が静かだって。でも奈津子には『一番寂しがってるのはあんたでしょ!』なんて言われちゃって〜…」

「…帰れ」
 
耐え切れなくなった黎は、低い声でそう言った。

「あっ……ごめんね、うるさかった? つい喋り過ぎちゃった。……じゃあ、明日また来るね」
 
なるべく明るい笑顔を作り、乃亜は立ち上がった。

「来なくていい。…うんざりだ」
 
黎はまたも冷たく言い放つ。
乃亜は怯みそうになるが……ギュッと拳を握り締め、耐えた。

「また来るから!」

「来るな!」

「来るっ!」
 
負けずに言い返す乃亜だが……その目には、うっすらと涙が浮かんできた。
それを見て、黎は顔をしかめる。

「うっとうしいんだよ! はっきり言わねえと分かんねえのかよ!」

「分かってるよ! だけど、早く黎に元気になって欲しいからっ…」

「…お前が元気になって欲しいのは、“櫻井黎”だろ!?」

「えっ…?」
 
意外な言葉に、乃亜は一瞬言葉を失う。

「お前が心配してるのは櫻井黎であって、俺じゃねえ。悪いが“黎”はもういない。だから、もう俺に関わるな。いい迷惑だ」
 
乃亜は、しばらく立ち尽くした。

櫻井黎という人物は。
赤ちゃんみたいに素直で。
天使のような笑顔で笑う。
少し釣り目の鋭い瞳を、弓の様に細めて、優しい声で名前を呼んでくれる。『乃亜』、と。

でもそれは記憶を失った状態だったからで。
元々の“レイ”とは別人のように違うものだった……。

黎はもういない?
この人は、別人? 
私は──。
 


乃亜は、ゆっくりと口を開いた。

「違う…。貴方は黎だよ。黎もレイも……。貴方だよ」
 
大きな力強い瞳で心を射抜かれる。

「うまく言えないけど…。“黎”は貴方の一部なんだよ。
記憶を失っても、貴方は貴方で、あの黎は貴方の本質の部分で……えっと……ごめん、うまくまとまんない。でも、だから……私は貴方を好きで……だから、また来るよ」

「俺は……お前なんか大嫌いだ」
 
乃亜につられたのか、静かにそう告げた。
だが、彼女は笑った。

「うん、いいよ。仕方ないもん…。でも、やっぱり黎には元気になって欲しいから」

黎はギリッと奥歯を噛んだ。

──“それじゃ駄目なんだ”

伏せていた瞳を、乃亜に向ける。
その黎の目を見て、乃亜は背筋に悪寒を感じた。

「…へえ、随分愛されてんだ、俺」
 
唇の端を上げ、笑う黎の顔は、今まで見たことのないくらい狂気を帯びていた。
乃亜は思わず後ずさりする。
それを見た黎はクッと笑い、勢い良く立ち上がると乃亜の腕を掴み、そのまま壁に押しやった。

「黎っ…!?」

「なんて顔してんだよ。お前が言ったんだ。“俺”が好きだってね。お前がどう思ってるのか知らねえけど、俺は“黎”みたいに優しくしねえからな」
 
と、いきなり口付けてきた。
 


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