『NOAH』─1─
しん、と静まり返った広い室内。
大きな窓から差し込む橙の光が、僅かに細い線を作っているところから少し離れて、白髪混じりの短髪の男が、自分の顎鬚を撫でながら立っていた。
「やっと興味を示したか」
「はい」
男──ヒューイは、鋭い瞳で部屋の入り口に立つ中年の男を振り返った。
「それで、何か引き出せそうか?」
「いえ、やはり何もご存知でないようです。鍵を開けることは出来ませんでした。過去、デージェ様とレイ様の接点があったことも確認されておりませんから、恐らく本当に何も知らないのだと思われます」
その報告に、ヒューイはチッと舌打ちした。
「あの女め…」
ヒューイは親指の爪を強く噛んだ。
そして、大きな執務机の上に無造作に置かれていた写真を手にした。そこには、生まれたばかりの子供を抱いて、幸せそうに笑っている女性が写っていた。
赤みのかかった茶色の長い髪の女性は、どこかレイに似ている──。
「さて……どこに隠したのだ? もう随分待ったのだがね……」
写真をヒラヒラと弄んだ後、それをまた机の上に戻す。
ヒュッと空気が音を立てる。
ダン!
小さなナイフが、写真に写っている子供の顔に突き刺さった。
「さあ、亡者となって出て来い。さもないと……お前の大事なものが、壊れることになるぞ? 最も……そんな姿で現れるとは思わんがね……」
自嘲気味に笑みを漏らすと、顔を上げた。
「ディージェは例のプロジェクトに関するもの、すべてにロックをかけて死んだ。接点がなかったとはいえ、息子には何かしら残していると思ったのだが…」
「私どももそう考えております。しかし、今の所、何も出てきません…」
「スラムも調べたのであろうな?」
「もちろんです。しかし、あそこにも何もありません」
「ではどこにあるというのだ…」
あれ程のものをただ単に鍵をかけただけで命を落とすはずはない。
きっと、破壊するためのプログラムがあるはずなのだ。同時に、起動させるためのプログラムも。
それは開発者であるディージェの息子、レイに受け継がれているはずだとヒューイは確信していた。
だからこそ、息子たちの中でも一番の待遇を与えてきたのだ。このドームの中で、おとなしくしていてもらうために。
しかし、研究チームに入ったレイは、ディージェのプロジェクトを知っても、何らかの行動を起こす事はなかった。本当に何も知らないと見ていい。
では、起動プログラムは、どこに──。
「レイ様の指紋、声紋や遺伝子でも動きません。他に考えられるとしたら…」
「……直接触らせてみるか?」
「はい。ですが、それはすでにレイ様が子供の頃に検証済みです。あの時もまったく反応はありませんでした。……それでも、やってみる価値はあるかと」
「では、うまく誘き出せ」
「承知いたしました。それと、もう一つ、報告がございます」
「なんだ」
中年の男は、そっと、ヒューイに耳打ちした。
ヒューイはしばらく黙っていた。
そして、徐に笑いを堪えきれず、腹を抱えながら歩き出した。
「奴にそんな度胸があったとは! はっはっはっ、愉快だ! こんなに愉快なのは久しぶりだ!」
気でも違えたのかと思うくらい、ヒューイは笑い続けた。
そして。
鋭い瞳をキラリと光らせた。
「相応の償いをしてもらおうではないか。ククク、面白くなってきた。これで作業も捗るな」
そう語る瞳は、長い間仕えてきた部下でも背筋が凍りつくほど恐ろしいものだった──。
「う〜ん…」
レイはパソコンの前に座り、何度目かの溜息をついた。
「やっぱ分かんねえ…」
目の前にあるモニターに映っているのは、母であるディージェが残したプロジェクトのものだった。
先日見つけてから指導者に聞いたり、自分で開けようと試みたが……一向に開く気配はなかった。
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野いちご版「NOAH」
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