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  NOAH 作者:緑川海月
傷を負った少年─1─
高倉乃亜は後悔していた。
昼過ぎから降り始めた雨は徐々に強くなり、下校時刻には大雨になっていた。
友達はみんな親に迎えに来てもらっていたのだが、生憎、乃亜の家には誰も居ず、一人で帰ることになった。
友達の一人に一緒に車に乗っていくように勧められたが、このくらいの雨なら大丈夫だろうと、赤いタータンチェックの傘を差して歩き出したのだった。
しかしそれが間違いのもと。
歩き出してしばらくすると、台風並みの風が吹き出した。傘の柄をしっかりと握っていても、風に煽られて今にも飛ばされそうになる。
道路はあっという間に川となり、靴の中までぐちょぐちょ。

「あーもうっ、傘なんて意味ないじゃない!」
 
長袖の白いセーラー服はぐっしょりと濡れ、肌にピタリと張り付くのが気持ち悪い。
頭を覆っているはずの傘だが、下からも風が吹き上げてくるので、見事なまでに頭からつま先までまでずぶ濡れだ。
しかし意地になっているのか、それでも乃亜は傘を握って歩いていった。
それからおよそ二十分。暴風雨と戦いながらようやく家の前までたどり着く。

「やっと着いたよー」
 
小さな体で雨風と格闘したため、かなり疲労していた。

早く中に入って暖かいココアでも飲もう……そう思い、道路から玄関に向かって歩いていた。その時。
 
バンッ。
 
何か爆発でもしたかのような音が聞こえた。

「ん?」
 
顔を上げると、更にもう一度バンッと音がして、目の前にプラズマが散った。

「きゃっ!?」
 
更にゴウッと暴風が襲い掛かり、持っていた傘はそれに飛ばされ、乃亜も後ろにひっくり返って尻餅をついた。バシャッと道路の水がはねる。

「い…いたた……」
 
雷でも落ちたのだろうか…。おしりを押さえながら顔を上げる。目の前にはもくもくと水蒸気が立ち込めていた。

「…何これえ…」
 
深い霧で辺りが何も見えない。しかし、それは強い風があっという間に押し流してしまった。すぐに視界が開けてくる。
そこで乃亜が見たもの。
 
──少年が、立っていた。
 
暗雲から降りしきる雨に打たれて、少年は微動だにすることなく、佇んでいた。
 
乃亜はしばらく道路に座ったまま少年を見つめていたが、良く見るともう一人、少年の足元に人が倒れているのが分かった。

「……」

ゴクッと唾を飲み込むと、立ち上がり、恐る恐る近づいてみる。二、三歩歩いたところで、ふいに少年が振り返った。
目が合い、乃亜は硬直する。
少年は無表情でこちらを見ている。乃亜はしばらく動くことも声を発することも出来なかった。
しばらくして。
フッ、と少年が表情を崩した。とても穏やかな笑みを浮かべ、乃亜に手を差し伸べた。

「……ノア」
 
どくん、と心臓が跳ね上がる。

「…え?」
 
乃亜は少年の顔を良く見た。
見たことのない少年だった。なのに。どうして名前を知っているのだろう…?

「あの…」
 
もう少し近づいてみようと思い、足を一歩前に出した瞬間、少年の体が崩れた。
バシャン、と水溜りの中に倒れてしまう。

「あっ……ど、どうしたの!?」
 
急いで駆けつけ、少年の傍に膝をつき、ハッとする。
おびただしい血が流れ出ていた。傷口がどこにあるのかは分からないが、大量の血が雨に流れて、辺りは真っ赤な海と化している。

「ええっ……」
 
どうしたらいいのか分からず、オロオロする。
そうしていると、少年の傍らで倒れていたもう一人が、ゆっくりと起き上がった。

長い黒髪の、中性的な感じの人物だった。男だろうか? 女だろうか? 性別は良く分からないが、少年よりは少し年上に見えた。

「あ、あのっ、事故ですか? ひき逃げ? あなたも怪我を?」
 
オロオロしながら訊くと、その人物はハッとしたように少年に飛びつき、そして、乃亜から彼を守るかのように前に出た。

「──!」
 
その人物が何かをわめいた。

「…えっ?」
 
言葉が分からなかった。

「ええと……何て言ったの?」

「───」
 
その人物は何かを喋っているが、乃亜にはまったく分からない言葉だった。

(ええ…? どうしよう…)
 
乃亜はスカートの裾を握り、目を左右に動かしながら考える。
すると、慌てすぎて忘れていたことを思い出した。

「あのっ、お医者さん! すぐそこにいるから! 呼んで来るから待っててね!」
 
言葉の通じない相手に、そう言っても分かってはもらえないだろう。中性的なその人物は、警戒心丸出しの瞳で乃亜を睨んでいる。
とにかく、ここは乃亜だけではどうにも出来ない。
丁度高倉家の隣には小さな医院があり、そこには腕がいいと評判の若い医師がいたのだ。

「待っててね!」
 
もう一度そう言うと、その医院に向かって走り出した。




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