記憶─2─
すると、ハッとしたように陽央は笑った。
「別にいいわよ。ごめんなさい、うるさかったかしら」
「ううん、違うんだ。心配して言ってもらってるのに、変なこと言ってごめん」
そう謝る黎は、いつもの穏やかな黎だった。
「早く食べないと乃亜が来ちゃうね」
ぼうっとしていたため、まったく手をつけていなかった朝食を急いで掻っ込む。
そんな黎を陽央は不安そうな目で、聖は厳しい目で、李苑は心配そうな目で見つめた。
──『その時』が、近づいているのかもしれない……と。
そしてその不安は、現実のものになってゆく…。
朝食の片付けをしていると、いつものように乃亜が迎えに来てくれた。
「おはよっ」
いつもの明るい笑顔に、黎はニンマリと笑った。
「おはようっ!」
元気よく挨拶を返し、乃亜に続いて玄関を出ようとした時だった。
乃亜の後ろ姿が、一瞬だけ揺らめいた。
(…あれ?)
揺らめいて、揺らめいて、蜃気楼のように薄れていく…。
「──ノア!!」
叫んで、乃亜の手を思い切り掴んだ。
乃亜は驚いて、目を見開いて黎を振り返った。
一瞬の沈黙。
「あ……れっ? ごめん、何やってんだろ……」
静かに乃亜の手を離す。すると、乃亜の瞳がじんわりと潤んできた。
「うわっ、ごめん! 痛かった!?」
黎が慌てて訊くと、乃亜は顔を歪めて頷いた。
「心臓口から出そうだったー…」
よほど驚いたらしい。
黎が掴んだ手は、徐々に赤くなってきている。
「あー、ごめん! こんなに強く引っ張って……痛いか?」
「んもー、痛いよー。呼び止めるなら静かにやってよー」
涙目で頬をぷくっと膨らませる乃亜。黎は必死に謝りながら、家を出て行った。
それを見送った陽央は、リビングに戻り、ソファに腰掛けている聖に向かって、言った。
「話があるの」
その瞳は、真剣そのものだった。
「今、話しておいた方がいいと思うの。……アタシ達が、ここに来た本当の理由を」
それを聞き、聖はゆっくりと頷いた。
「俺も、聞かなきゃならないと思ってた。…陽央から言ってきてくれて良かったよ」
そして、陽央の口から真実が語られる…。
学校へ行ってからは今朝の変な感覚はまったく現れることなく、いつも通りに過ごすことが出来た。
(なんだったんだろうなあ、あれ…)
ボーッとしていたせいで陽央には暴言を吐き、乃亜にも痛い思いをさせてしまった。
(あああ、ごめんなさい…)
頭を抱え込み、胸の中でひたすら反省する黎であった。
放課後。
部活動をしていない黎と乃亜は、のんびりと帰路につく。
「今朝はごめんね」
黎は今日何度目かの謝罪の言葉を口にした。
「もういいよー。もう痛くないし」
と、乃亜は手をブラブラさせる。
しかしまだ黎がしょ気返っているので、乃亜は鞄を持つ手を思いっきり振り、
「ていっ!」
ガツン。
黎の頭に直撃させた。
「いっ…」
痛みのあまり、少し涙目になる黎。そんな彼を見て、乃亜はニカッと笑う。
「これでおあいこっ」
その笑顔に、自然に笑みがこぼれる。
(やっぱ、いいな)
彼女の笑顔は心を癒してくれる。
(乃亜が一番、好きだ…)
自分の中にある大きな想いを、改めて感じる。
この想いを伝えたい。
乃亜に、この想いを…。
「じゃあ黎、また明日ね」
その声にハッとすると、もう高倉家の家の前に来ていた。乃亜は軽く手を振り、玄関の方へと小走りに走っていく。
「あ…」
今、言わなくては。
そんな衝動にかられた。
乃亜は鞄から家の鍵を取り出し、鍵穴にそれを差し込んでいる。
黎は名前を呼ぼうと短く息を吸い込んだ。すると。
「あれっ?」
乃亜が小さく声を上げた。
黎は開きかけた口を閉じ、一呼吸置いてから乃亜に駆け寄った。
「どうかした?」
「…鍵、開いてる…」
乃亜は不安そうな目で黎を見上げた。
「えっ? 誰か帰ってきたんじゃないの?」
「ううん、今日はお父さんもお母さんも残業だって言ってたし…。それに、今朝お母さんと一緒に出て、ちゃんと鍵かけたの、覚えてる…」
「……」
二人の脳裏には、おそらく同じことが過ぎったのだろう。
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