旅に出ることにしました
私は赤ん坊のころ、このアーディア孤児院の門の前に捨てられた。
アーディア孤児院は人のいい貴族の経営する孤児院で、捨てられた私をなんの迷いもなく養ってくれた。
そこで与えられた名は――エリス。家名も何もない、ただのエリス。
この孤児院には三十人ほどの子供が入れられており、食べ物に困らない程度の生活をしていた。
そんなある日。
私の十六歳の誕生日。
私は……施設を出ることにした。
そう。
第二の人生を、享楽するために。
†
「エリス、行っちゃうの?」
「いやだよ。まだいてよう!」
妹達――もちろん血がつながっているわけではない――の言葉に、私はひどく後ろ髪をひかれる思いだった。
前世の経験もあってか、今回の人生では、私は他人とあまり軋轢を生まない生き方が出来ているという自負がある。
その賜物だろうか、孤児院の妹達から私は大人気だった。
正直、内心ウハウハだ。
だって皆将来が楽しみな可愛らしい子ばかりなのだもの。そりゃ、嬉しいに決まってる。
普通なら、この子達の言葉ならどんなことも叶えてあげる。
チョコが食べたいと言うなら、馬車に積みきれないほどのチョコを用意する。
玩具が欲しいと言うなら、古今東西ありとあらゆる遊びの道具を与える。
勉強を教えて欲しいと言うなら、私のもてる知識の全てを優しく教えてあげる。
でも、今回だけは駄目だ。
私は、いつまでもこの孤児院にはいられない。
人生を楽しむために私は転生した。だから、妹達には悪いけれど、この施設に居つづけても私は満足できない。だから、旅に出る。
それに妹達を連れていく、という選択肢もあった。私には、それだけの力がある。
けれど……やめておいた。
この子達には、この子達なりの人生があるのだ。
私は余りにも強大な存在だ。
もしもこの幼い子達が私についてくれば、この子達の未来は絶対に私の影響力に作用される。
それはもう、この子達の人生とは呼べない。私の為の人生だ。
私は妹達が大好きだ。
だからこそ、そんな惨めな未来など与えたくはない。
誰かの為でなく、自分の為の人生を楽しんでもらいたい。
だから、置いて行くという苦渋の選択をした。
「ごめんね、これからも、たまに帰ってくるから」
妹達の頭を撫でながら、なだめるように言う。
これが、私なりの、姉としての優しさのつもりだ。
「……エリスは、わたし達のこと、嫌い?」
「まさか。私にとって貴方達は宝よ?」
にこりと笑んでみせる。
「みーんな、私の大切な妹達だもの」
言って、私は一歩、妹達から距離をとった。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
「ねえ、皆? 一つ、お願いしてもいいかしら?」
「お願い?」
「そう。私から、皆に」
まさかこの私からお願いなんてものをされるとは思っていなかったのだろう。妹達の目が丸くなる。
それはそうよね。
私はいつも、お願いを叶える立場だったから。
そんな私からのお願いに驚かないわけがない。
「私はね、絶対にまた帰ってくるから。だから……今は笑って見送って欲しいな。出来るよね? 貴方達は私の妹だもの。強く、気高く、美しく……そんな風に」
妹達の瞳を一人一人、真っ直ぐに見つめながら言う。
少しの間の、沈黙。
妹達が、ゆっくりと表情を引き締めた。
そして、笑う。
私の好きな、凛々しい笑み。
一人前の女の笑みだ。
うん。
確信する。
この子達は将来、いい女になる。だって、子供なのにこんな素晴らしい笑みができるんだから。
「エリス……いってらっしゃい!」
『いってらっしゃい!』
皆の声に深く頷いて、私は身を翻した。
さて……と。
「またね、私の可愛い妹達」
背中から感じる、涙をこらえる気配に、しかし振り返ることもなく、私は真っ直ぐに孤児院を出た。
†
孤児院の門を出てしばらく歩いていると……道端に立っている人影を二つ見つけた。
見知った顔だった。
金髪の青年がアーディア子爵。孤児院のパトロンだ。
そして私と同じくらいの背の少年は、オーム。孤児院で、私が抜けた後は最年長になることになる。
二人が私に気付く。
「やあ、エリス。こんにちは」
「子爵……この季節は冷えますよ。こんなところに立っていたら風邪をひきます」
「いやはや、まだ私のことを父とは呼んでくれませんか」
子爵は孤児院の子供にはお父さんと慕われている。
正直に言えば、私としても子爵には、男性ながら好感を抱いている。
人としては尊敬に当たる人物である。
実のところ私が今回の人生で上手くやれているのは、子爵の性格を模範としているからなのだ。
だから、まあ父と呼ぶならば、子爵のことなのだろう。
けど、私は子爵を父とは呼ばない。
それは何故か。
「生憎、この長年呼び慣れた貴方の呼び方を変えるのは、ちょっと恥ずかしいです」
我ながら、変な所で恥ずかしがるものだ。
思わず笑ってしまう。
これは、そう。父親をパパと呼んでいた子供がある日決意して、お父さんという呼び方を使ってみる。そんな気恥ずかしさなのだろう。
残念なことに私は恥ずかしいという感情に免疫がない。
だから、やっぱり、呼び方は変えられない。
「おやおや、そんなに素直なエリスさんの言葉は初めて聞きますね。風邪ですか?」
今までは、子爵を何故父と呼ばないのかについては適当に誤魔化していたのだ。
「子爵、あまりふざけると怒りますよ? 私だってこういう日くらいは素直にもなります」
「おっと。エリスを怒らせるのは、国王を怒らせるのと同じくらいに恐ろしいですね」
それが比喩表現でないことはなんとなく分かった。
私は、自分の力――つまりは転生についてはもちろん、膨大な知識や、魔術の才能について誰にも話さないでここまできた。
勉強は常に夜遅くに皆が寝静まった後にやっていたし、魔術は人気のない場所で練習していた。ちなみに私の身体は転生特典で一ヶ月は寝ないでも普通に活動できる。
だが、にもかかわらず子爵は私の力について薄々感づいているようだった。
それでも黙っていてくれるのは、子爵の優しさだろう。
「――今まで、ありがとうございました」
改めて、私は頭を下げた。
「やめてください、エリス。それではまるで今生の別れのようだ。貴方はまた、会いにきてくれるのでしょう?」
「それはもちろん。約束しますよ。例え子爵が不遇な死を遂げたとしても、天国まで会いに行きます」
「それならば安心だ」
なお、冗談じゃなくマジで会いに行きます。
天国――というか、天界とか魔界とか、普通に行ったり来たりできるので。
ちなみに人間界と違って、魔界天界はそれぞれ一つしかない。人間界は数え切れないくらいあるのだという。ちょっと前に前世の世界に行ってみたのだが、私のいた痕跡は本当にさっぱり消えていた。神様はいい仕事をしたようだ。
「それより子爵。今日は婚約者とお出かけの予定では?」
「おや。よくご存じですね」
「私の知らないことをこの世界の中で探す方が、きっと難しいですよ?」
「それはそれは、なんとも恐ろしい女性ですね、エリスは」
柔らかな笑みを浮かべて、子爵は帽子をとって優雅に腰を折った。
「ではエリス。貴方の旅路に幸があることを祈っていますよ」
「ありがとうございます――お父様」
きょとん、と。
子爵が呆然と私の顔を見る。
その視線から逃げるように、少し顔を逸らした。
……まあ、親孝行のつもりだ。
「エリス、もう一度――」
「子爵、早く婚約者のところに行ってあげてください」
「いえ、その前にもう一度――」
「子爵?」
「……むう」
心底惜しそうに、子爵が肩を落とした。
「まあ、またいつかそう呼んでくれることを祈っています」
言って、子爵は近くにとめてあった馬車に乗り込んだ。
「それでは、また」
「ええ。またいつか、子爵」
馬車が走りだす。
そして残されたのは私と、オーム。
「……それで、貴方は私になにか用かしら?」
「別に。父さんに呼ばれたからここにいただけだ」
「ならば私はもう行くわ。じゃあね、オーム」
「待て」
呼びとめられて、足を止める。
「なに?」
「……俺は、お前が嫌いだ」
「あら奇遇。私も、子爵以外の男性はあまり好きじゃない」
「お前は妹達ばかり贔屓して、弟達にはあまり物を与えてやらない」
「私の手に入れたものを誰に与えようとも私の勝手でしょ?」
「そもそもお前はどこであんな沢山のお菓子や玩具を手に入れてくるんだ……」
「秘密」
転位魔術で盗賊のねぐらに忍びこんでは金をせしめているとは口が裂けても言えない。
実は私の所持金が六百万ペリアあって、それが次元を歪曲させて作った収納空間にしまってあるのも秘密だ。
ちなみに一ペリア一円って金銭感覚で問題ない。
「……お前は得体がしれない。だから、嫌いだよ」
「そう」
本当に嫌いなら声もかけてこなければいいのに。
まったく。素直じゃない。
オームが孤児院にいる誰もを等しく家族として愛しているのを、私はよく知っている。
だからきっと、今日旅立つ私に、応援の言葉の一つでも用意してあるのだろう。
けれどそれを口にだせないでいる。
……ほんと、男って情けないわよね。度胸がないのよ、度胸が。
「そういえば――」
何気なしに、私は口を開いた。
「昔、東の山で竜が現れたって騒いだ人達がいたじゃない?」
「ああ。結局幻だったってやつか?」
「そう。あれね……実は私が召喚魔法で喚んじゃったのよね。力試しのつもりだったんだけどあんなのが出てきて、ちょっと焦ったわ」
「……本当か?」
目を見開いてオームが尋ねてくる。
私は肩をすくめた。
「さあ?」
竜の召喚なんて、上級魔術師でも数十人必要になる大魔術だ。
もし私にそれをたった一人で出来ることが知れたら、さまざまな貴族や国が私を雇おうと押し寄せてくるだろう。中にはこの強大な力を危険視した者が暗殺なんかを仕掛けてくるかもしれない。そんなことになったら、すごく面倒だ。
基本私って転生特典で不死だから暗殺とか無意味だけど。まあ不死とはいえ、それは寿命が尽きないというだけで、殺されれば殺されるわけだが。それだって私を殺せる存在なんてそうそういないだろうけど。
それなのになぜ、そんなことをオームに教えたのか。
それは、自分でもよく分からない。
唐突に教えようと思ったのだ。
まあ、置き土産みたいなものかしらね。
「……お前は、得体がしれない」
「でしょうね」
「――でも」
オームが、私に何かを放ってきた。
それを受け止める。
……ピアス?
それは、小さな蒼い宝石のついた安っぽいピアスだった。
だが……安っぽいとはいえ、こんなもの、孤児院の子供が手を出せるようなものじゃない。
「まあ、頑張れ」
すると、オームは走って姿を消してしまった。
……驚いた。
いや、本当に私を驚かせるなんて、たいしたものよ、オーム。
多分オームはこれを買うために、いろんなところで仕事をしていたのではないだろうか。配達の仕事や、売り子なんかを。
そうやって貯めたなけなしの金で、これを買ったのだ。
まさか私の為にここまでやるなんて……予想外ね。
ふうん……。
ピアスを日にかざす。
なんて安っぽいピアスなのかしらね。
口元が緩むのを感じながら、ピアスを耳につける。
やれやれ、ね。
オーム、あんたってやつは。
将来、いい男になるわよ。
もし婿の貰い手がいなかったら、私が貰ってやってもいいかしらね。
そんなふざけたことを考えながら、私は歩き出した。
少しいい気分で、鼻歌と共に。
私は、孤児院と、慣れ親しんだ町を出た。
早速二話目。
ま、最初のほうだからね。更新も早く出来るさ。
しばらくしたら分からんけどね。
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