第49話
「歌子さんって、随分と可愛らしいお方なのね。ねぇオリエント様?」
ライラはクスクスと笑い、テーブルに置かれたカップを優雅な仕草で持ち上げると、一口コクリと飲み込んだ。
爽やかながらもどこか甘いフルーツティーは、気分を落ち着かせる。
静かにソーサーへ戻すと、歌子が消えてから無言のオリエントに視線を向けた。
オリエントはずっと窓の外を見ている。
先に見える広い森。あれは魔の森だ。ヴォールクの大神が御座す神聖な森。
あそこに歌子が居る。あの黒い瞳と髪をもった少女。
不安げに揺れる瞳の中に、力強い何かを秘めていたあの…、少女。
再び笑うライラの声を聞いて、オリエントは舌打ちをした。
「失敗だった。なぜお前を先に呼んだのか」
「先でも後でも結局は何も変わりませんことよ?」
「気持ち悪い!その口調はどうにかならないのか!?」
「まぁ。随分なもの言いですこと」
「いつまでこんなことを続けるんだ、お前は」
口調が変わり穏やかなその声音は、ライラの真意を聞きだそうと言う考えが聞いて取れた。
ライラは腰まで伸びるエメラルドグリーンの髪をすくい、指で解くと「……さぁ」と静かに呟いた。
「ずっとですわ。永遠に」
「お前を見たらお父上もお嘆きになるだろうよ」
「ふっ」とライラは笑った。
艶やかな笑みとは程遠い、どこか自嘲めいた笑みだった。
「嘆いていたわよ。すでにね」
スッと立ち上がりスカートの裾を翻すと、ライラは扉に向かって歩き出した。
嘆いていたわ。国の未来を担う子供が、自分の死ぬ寸前で様変わりした様子を見て、泣きながら死んでいった。
それでも止めようとは思えなかった。あの人を想い続けたいから、自分はコレを続けるの。
「ライラ」
扉の手前で名前を呼ばれ、ライラは振り向いた。
光に照らされ黄金に輝くオリエントの髪を見て、ライラは目を細める。
「あの人も来ている」
「…そうでしょうね」
魔を総べる者に会いに、国を総べる者たちが集まっている。
それは臣下から聞いていた。だから期待していたのだ。期待と同時に恐れを抱いていた。
自分を見たあの人は、何ていうだろう?
最後見たあの時と同じように、悲しみで染まった目で見つめられるのだろうか…。
「もっとも、あの人は私に会いたくないでしょうよ」
「ライラ」
「ごきげんよう、オリエント様」
控えていた兵が扉を開けると、ライラは振り向くことなく部屋を後にした。
ライラがヴォールクに来たのは十数年前。まだ幼い頃だった。
今と変わらぬ白亜の宮殿に、五大陸の王子王女が集い、仲良く遊んだりしたものだった。
それは一年に一度。世界を作ったと言われる魔たちに祈りを捧げる祭りのためだ。
皆と仲良く遊べる今は永遠に続かない、幼いながらも分かってはいたが、只々皆と宮殿内を走り回ることに精いっぱいだった。
年齢に多少の差はあるものの皆は年が近く、話す内容は至って子供らしいもの。
そして後に王となるべく生まれた者たちとして、当たり前の会話が多かった。
情勢がどうの、厭味ったらしい貴族たちがどうの、時には嫌いな食べ物を嫌々食べさせられただの。
好きな花を庭に埋めてもらった、城壁に穴があいていて城下に一人遊びに行った、皆が皆近況を語り、時に笑い、時に悩んだ。
ライラはふと横を見る。
自分の横に常に寄り添う、とある大陸を総べるべくして生まれた人。
やんちゃに走り回る皆の後ろを見守るように、いつも笑って着いてくる人。
ライラは足が速い方だった。今とは違い皆と走り回る方が楽しかった当時、群を抜いて早い足が自慢だった。
優しく笑うあの人は、ライラよりも年下だと言うのに、泥で汚れたライラを見て笑い、頭を撫でてくれた。
――――凄いね、わたしは足が遅いから、ライラがとても羨ましい。
肩ほどまでのダークブラウンの髪を、サラリと風に遊ばせたあの人は、子供ながらにどこか儚げな人だった。
皆と遊んでいる時、ふとあの人を見るのだ。
消えていないか、泣いていないか、ふとどこかへ飛んで行ってしまっていないか…、確認するために。
自分と眼が合ったあの人はとても嬉しそうに笑うから…。
常に寄り添っていたのはどちらだったのだろう。
あの人?――――いいや、自分だ。
当時から美しい、愛らしいと評された己の美貌は、どうやら仲間までをも虜にしていたらしい。
オリエントは言った。
「ライラ、おれと結婚しよう!」
結婚どころか、まともに恋をしたことが無いくせに、まるで太陽のような子供は明るく眩しい笑顔でそう言った。
――――朝露に濡れた深緑のように輝くお前を、ずっと近くで見ていたい。
オリエントは至極真剣な表情で、そうのたまった。
彼は小さいころからどこかロマンチストな面がある。
“自分たちのこと”を忘れ言葉にできるのは、幼い今だけだ。
考えとく、そう言っておいたけれど、本当は返事なんて一つしか考えられなかった。
「ライラ」
あの人の自分を呼ぶ声が、何よりも好きだった。
少し高いその声は、自分の胸の中にどこまでも響き浸透する。
全身にしみ込んだその時、まるであの人と自分が一つになったかのようにも思えるときがあった。
走ることが好きだった。
でもあの人を何よりも掛け替えのないものと気づいた今、あの人の横に常にありたいと願う。
走ることも好きだった。
でも今はあの人と読書する方が、もっと好き。
自分の髪と同じ色をした、あの人の瞳。
ああ、美しい。あの人が持つものは全てが清らかで鮮やかで、愛おしく感じる。
見つめられると熱が体にめぐり、沸騰しそうになる。
ああ、ああ…。
子供の時間は永遠ではない。
時の流れとは残酷なもので、あの人と会えないことが数年続いた。
一年に一度の逢瀬。それが近づくたびライラの胸は痛いほどに脈打ち、一年前のあの人の顔が浮かぶのだ。
最後に見た三年前のあの人。想いは薄くなるどころか強まるばかりで、今日来ると聞いた昨日はろくに眠れなかった。
手に汗を握る。こんなにもあの人を想うなんて、昔は知らなかった。
数年前に愛を囁いたオリエントも、十五歳となった今、それは封じたい記憶らしく、ライラの顔を見ては嫌そうに顔を歪めるばかりだった。
失礼な話である。
「あの人は今中庭に居るぞ」
「なぜ?」
「さぁ、読書に最適だと言っていたが」
手持無沙汰にソファに座っていたライラを見かねて、視線は書類に向けたままオリエントはそう言った。
アドラーはもうすぐヴォールクに着くと聞いた。
元から体の弱いルカンは今年の式典は欠席するらしい。
信仰心の厚いルカンのことだから、ベッドの上で祈りを捧げているに違いない。
ソファから立ち上がるとライラは中庭に向った。
――――ライラ。
名前を呼んでほしかった。
頭を撫でてほしかった。
羞恥を知ったはずの今でも、その思いは変わらない。
あの人が居ると聞いた中庭は、昔よく皆と遊んだ場所でも会った。
オリエントがとても気に入っていた場所。
渡り廊下に面した中庭は、己の城と違い別の美しさがある。
あの人のお決まりの場所に視線を向けた。
…やはりいた。
変わらぬあの人に、自然と表情が緩んだ。
「リナリア」
名前を聞いたあの人、否、彼女はこちらを向いた。
ダークブラウンの髪、エメラルドのように輝く瞳は変わらない。
ああ、けれど。
長く伸びた髪、ぽってりとした赤い唇、アーモンド形の大きな瞳を縁どる睫毛は扇方に広がり…。
釘づけに、なる。
「ライラック」
久しぶりに呼ばれた自分の名前。愛称ではなく、自分と言う体を表す名前。
軽装だった昔と違い、王族らしい煌びやかなドレスは襟口が広く、成長期特有の発育途中の胸が、窮屈そうに収められていた。
あの人が女なんだと痛いほど知らしめられた。
彼女の周りには蝶が飛んでいる。様々な色をした蝶が。
ひらひらと舞うその様はまるで花弁の中にいる妖精のようだ、と一人恥ずかしい事を考えてつい俯いた。
「久しぶりね、ライラック。元気してた?」
「ええ、リナリアも、お変わりなく…」
嘘だ。彼女は美しくなった。この僕が消え入りそうなほど、美しく華麗に。
彼女のが座る樹木下に近寄り、膝をついて手を取った。
楕円型の桜色をした爪は綺麗に整えられており、ほっそりとした指先を更に際立たせていた。
自分のそれを握る少し骨ばった、男特有の指先。
手の甲にキスをした。初めてだった。
それと同時に自分が男なんだと、改めて感じた。
「貴方に会えるのを楽しみにしてたのよ」
じゃあどうして会いに来てくださらなかったのですか?
去年も、一昨年も、その前も。
貴女はいつも微笑むばかり。
「さぁお座りになって。貴方が居ると、彼女たちも喜ぶから」
色取り取りの蝶の中に混ざる、黒い蝶。
それは大半がリナリアにとまり羽を休めていた。
数匹が羽を動かし、そのままひらりとライラへとまる。
彼女の国の魔は虫であり、彼女の身辺にはいつも美しい蝶が飛んでいた。
そして自分の魔は花。相性は格段に良かった。
僕と彼女が触れ合うと、植物の生長速度が速まってしまうほどだった。
手を握りながら歩いた庭には花の道が出来、オリエントによく怒鳴られたものだ。
キスをして取り合った手はそのままに、僕らの周りは花畑になっている。
このまま手を握っていれば、草は成長を続け、美しい白亜の宮殿は植物に覆われるだろう。
花で彩られるその様も美しいことは知っているが、その城の主が許さない。
手を離さなくては。今すぐに。
離そうとした僕の手を、彼女の細い指が引きとめた。
「ずっと、会いたかったの…」
――――植物に覆われようが、オリエントに怒鳴られようが…。
もう、知ったこっちゃない。
「僕もずっと貴女に、会いたかった…」
抱き寄せた彼女からは、どこか優しい香りがした。
彼女は蝶だ。
美しく華麗に羽を広げる蝶。
そんな蝶に捕えられたのは、哀れな僕という一輪の花。
花言葉
ライラック 愛の芽生え 初恋
リナリア 私の心を知ってください
投稿が遅くなって申し訳ありませんでした。
話が生まれずにくすぶったまま、気づけば数カ月。
ご迷惑をおかけして本当に、本当にすみませんでした。
ライラが男性だった、というのは最初から決めていたことです。
詳しいことは追々話しますが、リナリアの正体も、やっと出てきました。
常に行き当たりばったりなので、いつぐだぐだになるか分かりません…。
すでになっているかも知れません。
ですが気長にお付き合いください。
バラクーダでした。
【恋愛遊牧民】
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