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第46話
静かな森の中、そこだけが妙な空気に包まれていた。
四足の魔たちが遠くからそれを見つめる。
一同が目を合わせては首を傾げた。

『ああ、歌子。お前が悲しいと我も悲しい』
『さぁ。この母に何があったのか話してみい』
「…」
「返事が無い。まるで屍のようですね」
『黙れ小僧!その喉食いちぎってやろうか!』

怒鳴るネロにアドラーは苦笑して「結構です」と言って断った。
一匹と一羽と一人に囲まれ、歌子は無表情でドレスをいじっていた。
着て逃げてしまったままのドレス。置いてくれば良かった。あの場で脱ぎ去ってしまえばよかった。
…何のために着たんだっけ?
繊細なレースを手に取った。
可愛いドレス。フンワリしてて、キュートなドレス。嫌いじゃない。
可愛いのは嫌いじゃないけど、今はなぜか好きになれなかった。
何でだろう?

「そんなに強く握っては、ドレスが破れてしまいます」

アドラーはドレスに力を込めて握る歌子の手を、そっと包んだ。
包まれた手を見て、小さく頷く。
反応を微かに返した歌子を見たアドラーは安著のため息を付いた。
ネロは歌子の頬を舐め、モアは小さな体のまま歌子の腕に抱かれる。

「…そうだね…。皺くちゃじゃ、良い値段で売れない」
「う、売る気だったんですか!?」
『流石歌子。考えることが一味違うな』
『引き裂いて送りつけることも、これまた一興』

恐ろしい事を言うモアに、アドラーはブルリを身震いをした。

歌子は目前の穏やかな泉を見ながら思いあぐねる。
――――婚約者、フィアンセ、許嫁。
現代人の歌子には到底縁のない単語だ。
許嫁…、許す嫁。お前なら嫁になることを許す。だから結婚してやんよ。
そういう意味だろうか。だとしたらけしからん言い分だ。いや、ツンデレなら仕方が無いのかもしれない。
オリエントがツンデレかぁ…と思いながらため息を付いた歌子を見たアドラーは、悲痛な面持ちで顔を歪めた。
オリエントの許嫁であるライラは本当に美しい女性だ。
目に飛び込んでくるような、超が付くド迫力美人。
歌子の友人であるリナリアも美しい女性だが、ライラは毒々しいほどの美しさを豊満な体から発していた。
別に黙っていたことは構わない。
意図的だったらぶん殴りものだが、無意識だったとも言い切れない。

(どっちにしても、意図的に甘い空気を作っていた事には変わりない…)

問題なのは婚約者が居ると自覚しながらも、歌子に触れたことだ。
恋人的な触れ合いは皆無だが、時折ドキッとさせられるようなことをされる。
甘くとろける様な笑顔で微笑まれたり、長い指で頬を撫でられたり…。
――――ああ、くそっ!
男とは本当に厄介である。

歌子は呆けたままだった顔を急に引き締め立ち上がる。
そんな歌子を皆が見つめた。
歌子はドレスの背中の紐を握りしめ勢いよく引っ張ると、パサリとドレスはあっけなく地面に落ちた。
見てしまったアドラーはバッと顔を逸らす。
『これこれ歌子…』呆れた口調で言いながら、モアは巨大化し歌子の体を隠した。
脱ぎ捨ててあったパンプス、ガーターベルト、コルセットなどを一気に持ち上げ己の影にぶち投げる。
それは音も無く影に吸い込まれていった。
そのまましゃがみ今度は影に手を突っ込んだ。そして手探るように手を動かす。
影から出てきたのはボロ布の洋服と、城でいつも着ていたフード付きローブだった。

『ほう。影から…。ネロもなかなかやりおる』

影から物を取り出す歌子を見ながら、モアは感慨深そうに頷いた。
手早く着替えた歌子を見届けたモアは小さい体へと戻り、クリクリとした瞳で歌子を見上げた。
ネロとアドラーに見つめられながら歌子は言う。

「あっちがああなら、こっちだって…」
「何やら悪寒がするのは気のせいでしょうか?」

立ち上がったままの歌子は黒い髪をばさりと手の甲で払い上げた。
サラサラと流れる黒髪に思わずアドラーは見惚れ、モアにつつかれる。
それさえも気にせず、強い視線を泉へ向ける歌子を見つめた。

「ナンパしかない」
「…はい?」

ことごとく期待を裏切る歌子である。

「ちょーイケメン見つけて、オーリの前に付き出してやるんだから」

うひひ、と歌子は笑い声を上げた。
ちょっと待ってくれ。そのイケメンは私じゃいけないのか。アドラーは思った。

「え、あの。歌子?」
「ヘイカモン、不思議歪み!」
『哀れな』

アドラーの顔を見たネロは、そう言いながらぱたりと尾を揺らした。
最初は熱心に話を聞いていたが、どうでも良いと感じたらしく今では呑気に寝そべっている。
遠目から見ていた四足の魔たちも、今では周りに集まり仲良くじゃれ合っていた。
皆歌子の発想をどうでも良いと思ってるらしい。
ゆらりと現れた不思議歪みに歌子は足を片方突っ込む。
その体制のままくるりと上体を捻り振り返る。

「もしオーリが来ても森に入れちゃ駄目だからね!」
『分かっている』
『気を付けるんだよ』

ナンパへ行くと知りながらも、一匹と一羽は心よく送り出した。
良しと言いながら姿を消した歌子を見、アドラーはため息を付いた。

「まったく貴方達は」
『夕飯までに帰って来るだろう』

だらりと肢体を伸ばしたままネロは返事をする。

「歌子に何があったらどうするんですか!」
『何か…か』

先日歌子を攫ったモアが呟く。

『有るはずがない。あったとしても何処にいても我には分かる』

頭に響く不思議な口調だった。力強く胸に沁み込むような。
しかしだるそうに寝そべる見かけが、それを半減させていた。

『前とは違うのだ。歌子の存在は全大陸へ知れ渡った』

己の大陸の者が歌子を傷つけようものなら、魔たちはその人間を消すだろう。
草が、生き物全てが歌子を守る。あるわけ無いのだ。歌子が傷つくなど。

「それなら、良いのですが…」
『我は少し眠る』

我関せずを付き通そうとするネロに、アドラーは口調を荒げ言う。

「大神よ。貴方は事が良くお分かりでは無いようだ」
『分かっている』
「ならどうして、オリエントに怒鳴り込むなりなさらない?」

その言葉を聞き、ネロはくつくつと笑う。
鼻先にしわが寄り犬歯が口元から覗くその様は、まるで唸り声を上げる猛獣のようだった。
オリエントの元へ行くのかとの問いに、ネロは心の中で否定した。
――――いいや、まさか。
我は感謝しているのだ。あの人間王に。
自分の不甲斐なさから誤解を招いたあの阿呆。会う事の程でもない。
悲しむ歌子を見るのは非常に胸が痛むが、縁が切れてしまった今の状況はまさに歓喜!
ネロの返事を待つ一羽と一人に向かい、ネロはにやりと笑う。

『分かっている。我は、全てが』

お前も直ぐに分かるだろうよ、アドラー。
名を呼ばれたアドラーは無表情のまま寝そべるネロを見つめた。
モアも無言でネロを見た。

『歌子が言わなかったことを一つ教えてやろう』
「え?」
『婚約者の名前はライラと言う』
「ライラ…。ライラ、ってまさか!?」

『なるほどのう…』とモアは頷いた。
興奮しているのか微かに羽毛が膨らんでいる。小さな目を三日月のように細めた。
反応を変えた一羽と一人を見、ネロは再び寝そべった。

『眠い。我は寝むる』
『ネロ…』

――――すぐに起きる。

そう言って瞼を静かに閉じる。
その微かなはずの一瞬が永遠のように感じ、モアはもう一度『ネロ…』と呟いた。



【恋愛遊牧民】


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