第11話:傷跡
もう辺りは傾いた日によって、赤々と染められていた。
外に出てみて最初に思ったのは、自分の身体中がすすけて、炭坑から出てきたようだということだった。
いっそのこともっと黒く、闇に溶け込んでしまいたいとも思った。
私には紅く黒い、今まさにこの状態が似合っている。
長く延びる影に入り込み、私を呑み込んで欲しいとさえ思う。
全身の痛みなどとうの昔に感じなくなっていた。
私の頭は考えることを拒絶し、ただ誰のものかもわからない足を動かした。
帰巣本能とでも言うのだろうか。
気が付けば今日の昼前に出た拠点基地の入口に着ていた。
「あ……」
そこで最初に目についたのは、じっと私を見ている女性、晴香さんの姿。
私は直ぐに目線を下にやり、それにつられるように顔も落とした。
今の私に晴香さんと正面から話せる自信は、資格は無い。
どんな風に話せば良いかも、何と言って良いのかも分からない。
ずっと下を向いてはいるが、晴香さんとの距離が近づくのが分かる。
やがて、自分の視界に人の爪先から足首付近までが入るようになった。
「藍、今まで何処に居たの。何で通信に応えてくれなかったの」
当然だが晴香さんの第一声は私を責める言葉。
私は顔を上げることもせず、無言で手を前に出した。壊れた通信機を乗せて。
「そう…報告を聞くからこっちのテントまでおいで」
そう言って晴香さんは私の背中に手を当てる。
その手に押されるがままに歩きだし、無言で尚も下を向いたまま着いていった。
私はどうなるのだろうか。
晴香さんの部隊の人を、私の指揮下の人達全てを失って帰ってきた私は…
私は今の頭で考え得る処罰…軍からの追放、最悪責任を取って自害を命ぜられるか…
私はそうなっても良いと、今こうして私が生きていることがおかしいとさえ思った。
晴香さんもずっと言葉を発していない。
きっと怒っている。否、怒る程度で済むだろうか。
晴香さんに連れてこられた場所は人気のないテント。
背中に当てられた手になされるがままに中に足を踏み入れた。
「あの…晴香…さん……」
私が言葉を言い切る前に突然身体が包み込まれ、温もりを感じた。
「よかった…藍が生きていてよかった…」
晴香さんは本当に安心した風に言葉を発している。
でも…
私が生きていて良かったことがあるものか
そんな考えばかりが浮かぶ。
「藍から通信が無いから…私…本当によかった」
そう言ってさらに私を抱き締める腕に力が入った。
ああ…晴香さんはこんな私を心配してくれて…
私は泣きそうになるのを握り拳を作り、必死に堪えた。
ここで私が泣くのはおかしい。私は泣いては駄目なんだ。
私は責められるべき人間。
「ごめんなさい…ごめんなさい…晴香さん…ごめんなさい……」
謝ったからと言って許して貰える程の問題ではない。むしろ謝るのもせこいことだ。
分かってはいる。分かってはいるけれども、私はひたすら謝罪の言葉を口にしていた。
「ごめんなさい…ごめんなさい……」
「良いんだよ。藍、君が生きてくれていたこと、それだけで…」
私は晴香さんの胸の中で首を横に振り、謝罪の言葉は辞めない。
「藍、おかえり」
たったその一言で、私の中の何かが崩れた。
握っていた拳を解き、自分から晴香さんに抱きついて声をあげながら泣いた。
私が帰ってくることを許してくれる、それが堪らなく嬉しかった。
一度崩壊した感情と涙腺は直ることはなく、暫くの間この空間に泣き声を響かせた。
「落ち着いたかい?」
「…はい」
どれだけ泣いていただろうか。
泣いた後というのは、気持ちが落ち着いてくると急に恥ずかしく感じる。
晴香さんには泣きついてばかりだ…
今度は恥ずかしさでうつ向いていると、外から聞き覚えのある声がした。
「藍…ちゃん?……藍ちゃん!」
「えっ…ゆ、由歌ちゃん!?…何でここに」
テントの入口には私の、否、西原藍のクラスメートがいた。
まさかこんなところで会うなんて。
まさか由歌ちゃんが玄武に?
そんな疑問を抱いていると、由歌ちゃんが走ってきて、そのまま私に…
「わわっ、由歌ちゃんどうしたの」
「ごめんなさい…でも、藍ちゃんが戦場で音信不通になったって聞いたから…」
私に体当たりをしてきて、そのまま抱きつかれる形になり多少困惑したが、由歌ちゃんにも心配をかけていたと思うと心が締め付けられる気がした。
私は皆に迷惑をかけてばかりだ…
そんな暗い考えばかりが浮かんでさっきまであった疑問をすっかり忘れてしまっていた。
「そういえば、何で由歌ちゃんがここに」
そう言うと、由歌ちゃんは私から離れ、今まで忘れていたかの様に慌てながら敬礼をしてきた。
「私、玄武第六特別師団情報部所属、寺内由歌と申します。藍ちゃんが玄武に居るとは知らなかったからビックリしたよ」
最後の方は敬礼を崩してあの眩しい笑顔を向けてくれた。
いやいや、私の方がビックリだよ。
「由歌はね、藍が向こうの罠にはまった後、緊急に司令官となって私達に指示を出してくれたんだよねぇ」
そうだったのか。確かにあの司令官に任せるのは危険だった。
言い訳にするわけではないけど…
「でも焦りましたよ。私が司令部に着いたら、部隊の大半が劣勢、藍ちゃんが通信不能、中島隊長が怒って田口司令官の指揮下から抜けるとまで言って、説得が大変でしたから」
晴香さんが怒るなんて珍しい。少なくとも私は今まで怒ってることを見たことがない。
「あそこまで状況を悪く出来るのもある意味で天才よ。でも、由歌が見事に形勢を逆転してくれたからねぇ」
「由歌ちゃんが指揮を!?」
それもあの状況を打開したなんて…
凄い…
それと同時に、悔しい…
私より遥かに優れた判断能力がある。しかも私と同じ歳…
「あっ!私、司令部に戻りますね。中島隊長、失礼します。藍ちゃん、また明日学校でね」
「あ、うん…また…」
私はまともに顔を見ることが出来なかった。
悔しいと同時に、私に嫌な感情が渦巻く。
「はる――はぁ…戻ってきてたなら教えろよ」
由歌ちゃんと入れ替わるように暁先輩が来た。
入ってきた時は晴香さんに用があったみたいだが、私を見ると一瞬だけ目を見開き、相変わらずの反応をみせる。
「暁か、すまないねぇ。君に初めに伝えるべきだったかな」
「無事だったのなら別に構わない。それに、おれが最初に知ってどうする」
「そう、暁も素直じゃないねぇ」
「茶化すな」
晴香さんと暁先輩が他愛もない会話をしている間も、私の中には今まで感じたことのない、歓迎し難いものが現れていた。
「さて、そろそろ帰るよ。藍、君は今日はうちに泊まりなよ」
「えっ!?」
突然話を振られ、状況に着いていけない。
何故、私が晴香さんの家に?
それこそこんな日に行くなんて気が進まないどころではない。
早く一人になりたかった。
それなのに、誰かに頼りたい、一人になるのが辛いと言う自分もいる。
今の自分が何をしたいのか分からない。どんな表情をしているのかも分からない。
「ほら、行くよ」
「わわっ」
晴香さんは、有無を言わせないかのように私の手を引いていく。
ここで抵抗すれば簡単に一人になれるだろう。
でも、掴まれた手に伝わる暖かさにそんな野暮な考えは無くなっていた。
シャワーの音が木霊す浴室に少女の姿があった。
体にまとわりついていた黒いススは綺麗に洗い流され、髪は鮮やかな紅に戻った風に見える。
「私はどうすればいいの…」
無意識に溢した声は水の音にかき消され、その水は何が濡れているのかもわからなくしている。
蛇口を締めるとそこは、いきなり全ての音が消えたように静寂に包まれる。
その空間を静かに紅が動く。
「ずいぶんと長かったねぇ、さ、ご飯食べようか」
いつもと変わらずに優しい笑みを投げ掛けてくる晴香さんに、自分の醜い心が露呈される。
私は…私がこんな扱いを受けていいのだろうか。
何故、何も咎めないの?
何故、何も罰しないの?
「何故…」
「ん?どうかした?」
気が付いたら自分の疑問を声に出していた。
「何故、何も責めないの…あんな失敗をして…私のせいであんなに沢山の仲間を殺したのに!何故、私だけ生きて…何故、私だけこんな扱いなの!」
一度言葉を発すると、もう気持ちを止められずに叫んで乱暴に言葉をぶつけていた。
そう…ただの八つ当たり。
「どうして私一人だけ生き残るの…」
「そう、そんなに罰が欲しいなら…死ぬ?」
「えっ!?…あ……」
晴香さんの言葉に下げていた顔を上げると、真っ直ぐに向けられる銃が目に入った。
その瞬間から体中が恐怖に襲われ、自力で立つことも出来ずにぺたりと床に座りこんでしまう。
震えも止まらない。
私は無意識に両腕で体を包み、ただ向けられている銃口を見ることしか出来ない。
「あぁ……ぁ……」
「君、死にたいんでしょ。私が楽にしてあげるよ」
晴香さんからの突き放される言葉を聞いた瞬間に、私の目から涙が溢れてくる。
そうか…私が一番恐れていたのは、晴香さんから見放されることだったんだ…
私は一人になるのが怖かったんだ…
そう思うと更に涙は溢れだし、私も拭うことをせずにいた。
「…そんなに震えながら泣くぐらいなら、滅多なこと言うものじゃないよ」
そう言って晴香さんは手を下ろした。
「ごめ…ごめんなさい…ごめんなさい…」
ただひたすらに泣きじゃくる私の体を暖かく包み込んでくれる。
今の私にはそれが何より嬉しかった。
「さやが生きていてくれたことがどんなに嬉しかったか。君が死んでいたら私は…」
ああ…こんなにも想ってもらえているんだ。
「でも…私が…私があんな失敗をしなかったら……」
「だからって君が死ぬのは違う。いくら嘆いても死人は戻ってこない、だから私達はそいつ等の想いを背負わないと。さやはそれすら踏みにじろうとしてたんだからね」
晴香さんの言葉が私に深く染み込んでくる。
「さや、今日はお疲れ様。そして…ありがとう」
「あの…晴香さん、ありがとう」
しばらくの間涙を流し、それが止まると晴香さんの胸から離れた。
ずっと私に付き合ってくれていたのに、文句の一つも言わずに笑顔を向けてくれる。
「さて、お腹空いたでしょ。食べようか」
冷めてるだろうけど。という冗談を言いながら食事が並んだ席に着く。
私はその冗談を申し訳なく思いながら聞くしかなかった。
見放さずに私の全てを暖かく包んでくれる存在。
私には勿体無い程、大き過ぎる存在。
母が生きていたらこんな思いをしてたのだろうか…
どんなに考えても今の私には分からないことだけれど、晴香さんは母親のような姉のような、心地の良い雰囲気がある。
そうした安心感から私は先程の戦場での傷が少し治っていった気がする。
いや、傷を見えないようにしただけかもしれない。
それでも今の私には有難いことだった。
少なくとも今の私には…
「晴香さん、ありがとう。お休みなさい」
再びベットを貸してもらった私は、安心感と疲れからか直ぐに睡魔に襲われた。
「ゆっくり休みなよ」
晴香さんの言葉を聞くと、そのまま眠りに落ちた。
暖かい環境。
このことが原因で、自分の中で生まれていた感情に気付くことができなかったなど知る由もなかった。 |