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底辺 作者:富士江 三蔵
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第9話

昨日同様いたたまれなくなった私は翌朝開店時間より二時間近くも早く蔦野駅に着き、店の所在を求めて歩き出した。記されている町名が駅の北側にあるのか南側にあるのかさえ分からないが改札口をそのまま降りて北側の駅周辺からあたってみることにした。周辺を見渡すと四軒のパチンコ店が目に入ったが名前が違う。多分近くにあるのだろうと気の向くままに小さな飲食店がのき)を連ねた通りを北上しながら辺りを見回すが、目当ての店どころかパチンコ店そのものがない。道に迷ったような不安に駆られながらそのまま進み続けると片側二車線の県道に行き着いた。

『間違った方角だったか‥?』

蒸し暑さと出端でばな)を挫かれた苛立ちが汗となってひたい)や首筋に流れ出す。

『こんな時に店の場所すら分からないとはまったくついてない‥』

新天地を求める旅路に早くも暗雲が立ち込める。

『土地勘もないのにうろうろしても時間の無駄だ。‥気は乗らないが人に聞くしかないか‥』

車の往来は激しいが通勤ラッシュの時間を過ぎた商業地のためか、人通りはあまりない。時折目に入る通行人は皆早足で、それを停めてまで道を聞く気にはならなかった。時間に余裕のありそうな、人の良さそうな人物を求めて辺りを見渡すと近くに花屋が見え、店員とおぼ)しき中年の女性が軒先のきさき)で品出しをしている様子が目に入った。私は早足に彼女が店の中に引っ込まないことを願った。


“コスモ”の所在地は分からなかったがおおよその場所は目星がついた。先ほどの道をそのまま行けば店のある町名の場所には着くようだ。

『もう少しだ。店が見つかったら飲み物を買って一服しよう。』

耳元へ垂れる不快な汗をタオルでぬぐ)いながら南側への車両一方通行の道を時折自動車とすれ違いながら北へと上る。最高気温に達せずとも蒸し風呂のような暑さに朦朧もうろう)としながら、いつかテレビで見た川をさかのぼ)る鮭の映像を思い出した。若く青臭い心情はナルシシズムをたくま)しくさせ、それを今の自分と重ね合わせる。一歩一歩を踏みしめながら中島みゆきの“ファイト”が頭に流れ、それが足取りを強くさせた。

およ)そ似つかわしくない場所に、だが違和感なく周りの風景に溶け込んでパチンコ店“コスモ”は建っていた。町工場と安そうなアパートや下宿がごちゃごちゃとひし)めく街並みは下町情緒に溢れ、久しぶりの晴れ間が射していてもどこか鬱蒼とした重苦しい色合いを帯びている。苦労して辿たど)りついただけに喜びも大きく、ほっとした私はまだ持て余した時間を潰す目的もあり無一文覚悟で道すがらにあった喫茶店へときびす)を返した。そこで時間稼ぎをしながら英気を養う。迫る時間に高揚と不安が軽い眩暈めまいを伴って心臓の鼓動は強くなる。やがてここまで聞こえるパチンコ店の喧騒が耳に入ると私は意を決して立ち上がった。
開店して間もないパチンコ店“コスモ”は周囲の静けさに何の遠慮もなく大音量の軍艦マーチをとどろ)かせていた。くぐもった呼び込みのアナウンスと、パチンコ台やパチスロ機から大当たりやリーチの演出音が織りなすけたたましい音は自動ドアから人が出入りするたび)にトーンを上げてはっきりと聞こえる。

『全財産は百五十円。‥もう迷ってる場合じゃない。‥行くぞ!』

私は正面から裏口へと回り込み、一度大きく深呼吸して店内へと足を踏み入れた。
ホール内部は外観と似つかわしく、古びた床や暗褐色に近づきつつある照明のくすみと空調の冷えた空気に染みついてじっとりと体にまとわりつくような煙草のやに)の臭いが長い営業年数を経た店であることを物語っていた。
カウンターへ真っ直ぐに向かうと化粧の濃さで四十代とも五十代とも見える、痩せぎすな女性店員がいぶか)しげな表情を浮かべながら私の動向に注目する。

「あの、求人見て来たんですけど‥」

遠慮がちに用件を述べるが周囲の音に掻き消されて伝わっていないのが彼女の眉間のしわ)で見てとれる。

「はい?」

そう口が動いたとほぼ同時に彼女は右耳をこちらへ向けた。

「すいません!求人見て来ました!」

怒鳴るようにもう一度声を張り上げると今度は要領を得たようで彼女は軽くうなず)くと何も言わずに私に背を向け、背面にあるドアを開けた。そしてノブを握りしめたまま上半身を部屋に入れ、室内の誰かと短いやりとりの後、彼女の背後から店の従業員とは思えないような赤地のアロハシャツを着た、角張った頬の男が現れた。

彼に手招きされて入った部屋は入り口から想像するより大きく、十五畳ほどの広さで、中に入ると右側上部にはせり出すように7インチサイズのモニターが横に八台、それが縦に三列に棚に並び、次々と視点を変えてはその画像を送り込んでいる。モニター群の対面にはそれを見渡せる配置で長方形の机があり、机上にはミキサーのような機器やマイク、青色の回転灯など様々な機材が置かれ、それらの配線が細くて黒い蛇の大群のようにうねうねと這っている。そして室内は修理中と見受けられるパチンコ台と列をなして置かれた予備のガラスや機材と部品で埋められ、広さよりも圧迫感がまさ)っていた。

「ちょっと待っててくれな。」

アロハシャツは部屋の片隅にある小さなテーブルを挟んで向かい合わせに配置されている奥のソファーに腰掛けるよう私に促し、モニター前の机に置かれたマイクで主任を呼び出した。その直後、回転灯がとも)り、くるくると部屋中に青い光が走り回る。アロハシャツはすぐに回転灯を止めてまたマイクに顔を近づけると台番号を告げ、終了確認をホールへ伝達した。

この部屋が店を集中管理する頭脳的な役割をにな)っているのは素人目にも明らかだ。ただ、他に場所を確保できないのか資材置き場と応接室も兼ねている違和感と窓もない雑多な室内はどうにも落ち着きがない。だが、普段なら滅多に目にすることができないパチンコ店の裏側を垣間見た実感が私を興奮させ、面接に依るものに違った緊張感が加わる。まるで潜入捜査に来たような気分で裏操作の片鱗でも感知できないだろうかと耳を澄ませ、目の届く範囲をちらちら見ているとドアの開く気配とともに一斉にホールの音が飛び込んできた。カツカツと革靴の音が響き、アロハシャツとなにかやりとりする声が聞こえ、ややあって衝立ついたて)から熟年の男が姿を現した。慌てて立とうとする私を制して彼はソファーに一旦深く体を預けてから前にせり出すと膝の上に手を組み、じっとこちらを見据えた。殆どが白髪で頬とひたいに入ったしわが相当な年齢を思わせたが間隔の開いた小さな目は眼光鋭く、機敏な歩き方から見た目よりも若いのは明白だった。私は彼に気圧(けお)されまいと睨むに近いまなこ)で彼を見た。

「年、なんぼや?」

落ち着いた、やや低めの声が室内に浸透していく。

「に、21です。」

彼との対峙ばかりに気を取られ、反応が鈍る。

「おぉ、若いな。どっかのパチンコ屋におったんか?」

「いえ、初めてです。」

「ふーん、前は何しとったんや?」

「あ‥日雇いで土木の仕事してました。」

咄嗟(とっさ)に上手く嘘が出たから良かったが、きょろきょろしてつまらないことばかりに気を取られず面接の質疑応答を考えておけばよかったと、いつもながら自分の思考の鈍さに嫌気がさす。

「ほう、どうりでええ体格しとるな。名前教えてくれるか?」

「森野吉朗です。」

偽名を使おうかとも思ったが犯罪を犯して逃げているわけじゃないというほんの小さな自尊心だけがそれを拒む。

「ほんなら森野君、今日の遅番から入ってもらうわ。」

拍子抜けするほど呆気なく仕事に就く展開になったが、一番大事な問題を解消せねばならない。

「あの、寮に入りたいんですけど‥」

「‥?」

主任は一瞬、怪訝けげんな表情をした。まさかまずいことを口走ってしまったのかと気が揉める。

「‥ああ、すぐ案内するわ。」

そう言って主任は少し頬を緩めた。私は面接はもう終わったと踏んで立ち上がろうとやや前屈まえかが)みの姿勢に入った。

「‥お前、どっかから逃げてきたんちゃうやろな?」

そのとき彼は顎の下で両手を重ね、真っすぐな視線で私を凝視した。

『この人は何かを知っているのか!?』

驚きのあまり一瞬身が固まり、全身の血液が頭に集まって逆上のぼせたかのように視界と思考がぼやける。

『いや、ありえない!初対面でなんの繋がりもない男が私の事情など知るはずがない!』

「そんなわけないですやん!」

不測の問いかけに戸惑いながら私は目一杯の余裕の笑顔を作った。しかし胸中では不安が募り、こわばった作り笑顔から全てを悟られはしなかっただろうか、あるいはその前の驚いた表情でばれてしまったのではないかと心配ばかりが一瞬の間を長いものへ変えてゆく。

「‥そうやな。そんなわけないわな。」

私の望まない予想に反して彼は何も詮索することはなかった。

思えば履歴書すら持たずに大きな荷物を持ち、住む所もありませんとばかりに入寮を求める私は誰が見ても訳ありの怪しい者にしか映らないだろう。だが、そんな人間が珍しくもなく数多く身を寄せる業界だからか、彼はそこから何も問い詰めることはなかった。

「自分、ええ眼しとるけど、ケンカはすんなよ。」

面接の最後に彼は皺の多い目尻を下げて微笑み、それだけ釘を刺した。

寮は店の二階にあり、裏手の隅の階段を上って案内された部屋はドアの上部に“5”と記されていた。そこから大まかに食堂やシャワー室、洗濯場を一通り案内すると主任は私にビニールにぴっちりと収まった制服を手渡し、仕事の時間まで部屋で待機するよう言って仕事に戻るべく階段を降りて行った。

5号室のドアを開けると六畳ほどの締め切られた室内から逃げ場のない夏の熱気が見えない塊になって飛び出してくる。目を見開くのもいやになるくらいのむんむんとした空気に目を細め、室内を見渡すと突き当たりに小さな窓と左壁面の上部にあるエアコンが目についた。その下の小さな箪笥たんす)のような物入れの上にリモコンを見つけるとそれを求めて反射的に体が動く。電源を入れるとややあって中のモーターが苦しそうにぐるぐるごろごろと音をたてた。額に汗が垂れ始めると動きの遅いエアコンに苛立ちが募る。もう一度リモコンに目を()ると吐き出すようにぬる)い風が送られ、それは徐々に冷たいものへと変わってゆく。それをもどかしく思い、設定温度を目一杯下げるとやがて快適な涼しさに部屋中が満たされ、寝床を確保できた安堵から私は荷物もそのままにその場にへたり込み、横になるとそのまま意識を失った。

思いのほか深い眠りから醒めた私は記憶喪失になったように見慣れぬ風景に戸惑い、事の経緯を思い出すのにしばらくの時間を要した。快適な涼しさに微睡まどろ)みからまだ逃れられず、定まらない焦点で天井を眺めていると店の喧騒が小さく、下から響くように聞こえる。はっとして時計を見ると既に二時間以上が経過していた。四時からの“初仕事”までにはまだ大分時間があるがだらだらとしてはいられない。

「昼になったら食堂に行けよ。飯作っとくよう(まかな)いのおばちゃんに言うとくから。」

部屋に入る前に主任にそう言われたが、昼というには随分遅くなってしまった。そのばつの悪さに加え、まだ仕事の一つもしていないのに飯を食ってもいいのだろうかという思いもあったが、主任の言いつけを無視してこのまま籠もりきりというわけにもいかない。ただ、初対面の人々に面通しせねばならない億劫(おっくう)さが私に二の足を踏ませた。

『‥やっぱり行っといたほうがいいか‥』

腹は減っていたが緊張はそれを低下させ、代わりに胃が縮まるような、あのきゅっとした痛みが走る。

食堂のドアを開けるとそこにいた三人の視線が一斉に私へと注がれた。その刹那、室内は無音になり、時間が止まったかのように全員が固まる。

「失礼します!私、今日からお世話になります新人の森野と言います。」

私は視線を避けるように頭を下げ、彼らの動向を窺う。

「おぉ~、若いのん入ってきたな‥」

左側に座っている血色の悪い、青白い顔をした男が誰に言っているでもないような口ぶりで言い放ち、それからはこちらに一瞥(いちべつ)もくれず、青海苔のような髭の着いた頬をもさもさ動かしてまた飯を食いだした。その右側にはほっそりとした七三の狐目の男がスポーツ新聞を両手に楊枝を口にしていて、後ろの流しではその男の妻と思しき髪を後ろで(まと)めた中年の女性が食後のお茶を淹れようとしている。

「‥あの、この仕事初めてですんでよろしくお願いします。」

三人全員に、しかし誰も特定しないよう視線を定めずに言って私はまた頭を下げた。
私が挨拶を済ますと七三は新聞を置き、楊枝を左手で口から離した。

「おい、この子に飯入れたって。」

彼は穏やかな物腰で妻に言いつけてからこちらを見て表情を緩めた。初対面の人に世話をかけるわけにはいかないと戸惑う私を制して座るよう促し、そこから面接でのやりとりを繰り返すような会話になった。

小川は班長を務めているらしく、話し好きなのか面倒見が良いのか、二部制の概要やアロハシャツの男が部長であること、班長は四人いて、その上に総班長という役職があり、それが主任の弟で彼らは堀池という名字であることなど私が質問した以外の事も教えてくれた。ろくに会話もせず、さっさと食堂を出て行った血色の悪い男が気に掛かったが、今は仕事を覚えることとまだ会っていない沢山(たくさん)の人に溶け込むことを優先しなければならない。

「小柴さんはいつもあんな感じやから気にせんでええよ。」

本当にそうなのか小柴の胸中は分からないが、今は小川からの情報しか頼るものもなく、深く考えるのは止めようと思った。

ひとまず最初の面倒事をなんとか消化できたが、部屋へ戻っての残り時間には今の居場所が阿藤にばれたかもしれないなどとありえるはずのない妄想に襲われた。そんなことはないと分かっていてもそれは頭の中でむくむくと膨れ上がり、ここを嗅ぎつけた阿藤と格闘する想定にまで至った。不安を抱え、落ち着きを失った私はじっとしておれず、急に体を動かしたい衝動にかられ、それは腕立て伏せや腹筋運動、果てはシャドーボクシングの真似事にまで発展した。馬鹿げているのは分かっているが、押し潰されそうになる不安はそうでもしなければ追い出せそうになかった。しかしそれは影のように付きまとい、上手く仕事をこなせられるか、まだ会っていない多数の人と仲良くやっていけるだろうかという不安と交互に差し替わる。孤独と煩悶から解放されるであろう四時はまだ遠く、時間を追うごとに緊張感だけが高まっていった。
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