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底辺 作者:富士江 三蔵
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第8話

行動するには早過ぎる時間であり、体調を整える意味もあって二度寝を試みたが眠れなかった。寝床から出ると全てが明るみになるであろう時間が迫りつつある。気が気でない私は煙草でも吸って落ち着こうと館内をうろついていた。時間はもう七時を過ぎていて、周囲の多くの人々は朝の身支度に余念がなく、夜中の館内とは打って変わってにわかに活気を帯びてきている。

昨日は誰も気にかけてくれないことにかえって安心していたが、予定も仕事も友人もない状況で仕事に向かうであろう人々が一人、また一人と出て行くのを見ていると羨ましさと同時に後ろめたさと世間に取り残されたような焦りが混ざった複雑な気分になった。

『‥そろそろだな。阿藤はもう起きて迎えが遅いといらついているだろうか?まだ寝ているとしたらおめでたいことだ。‥役に立たない者がいなくなっても会社では騒ぎになるんだろうか?』

阿藤に対しては『いい気味だ!ざまぁみろ!』といく)らか愉快に思えたが、生来せいらい)の臆病さが今から恩のある人々を巻き込む騒動を想像させ、心の底から晴れ晴れとした気分を手に入れることはできなかった。

別段急いでサウナを出なくてもいいのだが、八時を過ぎるとこれから起こるであろう鍛造会社での騒動に意識が離れず、じっとしてはいられなくなってしまった。しかし何か行動するにしても残金は一万二千円弱と今日明日を凌げるかどうかというなんとも頼りない状況だ。そんなジリひんを打開すべく働き口を探すという真っ当な選択もせず、私は不謹慎にもとりあえずパチンコで今後を占うことにした。しかし開店時間にはまだ長く、じっとしていても不安を呼び起こす想像からは逃れられない。その矛先を変えたい私は何かしら動いていたい衝動にかられ、サウナを後にすると無作為に辺りを歩き回った。しかしそんな生産性のない行為は時間潰しにもならず、仕方なく売店でスポーツ新聞を買い求め、公園のベンチで広げることになった。

十時になると私は鼻息も荒く、駅前に何店舗もあるパチンコ屋の中から慎重な下見やとりわけ考えもなく適当に店を決めた。身軽に動けるよう荷物は駅のロッカーに預けてある。仕事を捨てて僅かながらの財産を元手に行う勝負にしてはあまりにも不謹慎な臨み方である。そのくせ私は臆病で、少ない軍資金の消耗を恐れて比較的危険度が低い羽根物のコーナーを目指し、店内をうろつく。平日の朝らしく客が群がるのはモーニングサービス目当てのパチスロと新しいデジパチのたぐいだけで他のシマとの人気の差は激しい。閑散とした館内に流れる軍艦マーチはびりびりと暴力的な音の振動を放ち、二日酔いの私には不快なほど頭に響いた。

この頃、パチンコ業界は一つの変革期にあった。所謂いわゆる“新要件機”というものが出回りだしたのだ。【パチンコは射幸心を煽ってはならない】という御上おかみの意向のもと、釘を著しく曲げるのが禁止され、それにより大当たり穴に一発入りさえすればその店の裁量での予定終了(四先発の店が多かったが六千発という店もあった)まで大量出玉を放出する“スーパーコンビ”などの一発台は最早もはや姿を消し、自動で大当たりが終わる権利台が次世代にとって変わり、大当たりで開くアタッカーを外れ玉が大きく歪められた釘によりサイドチャッカーへ誘導され、三千発ほどの出玉を誇っていたデジパチも規制の対象となったため、多くの店が新台入れ替えを渋っているといった状況だった。羽根物は大当たり時の継続回数が十五回、そして役物内の賞球数を十五個と規定の限界に挑戦するような“ニューモンロー”や“サンフラワー”などが台頭してきていた。平たく言えば台の種類が異なっても大当たりの獲得出玉の差をなくし、賭博要素を抑える規則である。

《パチンコ客を公営ギャンブルに引っ張り込むために決まったことだ》

そんな噂がまことしやかに流れたが真偽は定かではない。ただパチンコ業界もそれに対抗し、規制に負けないその健在ぶりを世間に知らしめることになる。後の“麻雀物語”に代表される連チャン機ブームがもうすぐそこまでやってきていた。

そんな大量出玉の羽根物は当然避けて古い型の羽根物を探していると、奥のひっそりとした一画いっかくで古ぼけた盤面が並ぶ旧台のコーナーに辿たどり着いた。使いこまれ、手入れもろくにされていなさそうなそれらには新台であった時期の輝きや面影はすで)に無く、その一画はさながら死を待つばかりの姥捨山うばすてやまを連想させた。古い四十台程の羽根物は隣同士に同じ種類のない不規則な並びで構成され、私はその中から大当たり最大八回継続でじっくり遊べるイメージの“さめざんす”を選んだ。時間は腐るほどあって金の無い私にはまさにうってつけの台といえた。釘の具合など気にもせず、いつもの通り勘だけに頼る。
適した台を探す間に両替機で崩した二千円分の百円玉は箱の左へ無造作に置かれ小さな山となっている。そこから二百円を取り、台間の玉貸し機に入れた。冷ややかで、ずしりと重い玉には一つの運命が託されている。左手でそれを上皿へ流し込みながら早くも汗が滲み出ていそうな右手でハンドルを右に回し、狙い目を決める。ぱちぱちからからと玉は勢い良く飛び出しては虚しく盤面の下のレールで弓なりに左右への軌道を描き、下のハズレ穴へと吸い込まれてゆく。始動チャッカーに入っての玉切れの悔しさを避けるために上皿の玉がなくならないうちに玉を追加する。

『見極めろ!その台に合った打ち方だ。釘調整が良かったとしても狙い目を間違えていれば玉は出やしない。逆に狙い目さえ間違えなければそこそこは出るはずだ。玉の流れでそれを読むのだ!』

そんな勝手な持論を心の中で唱えながらまた二百円が玉貸し機に入る。狙い目を“ぶっこみ”(天釘という中央最上段の釘の左隅とその左斜め下の釘の間を通す)からその一つ左の役物へと続く誘導釘へと導く“弱めぶっこみ”へと変化させる。玉貸し機は早くも六百円を無表情に平らげた。
打ち始めから三時間、私のでたらめな持論で獲得できたのは小箱半分ほどの玉に過ぎなかった。
大当たり八回の旧台は賞球数が多いものでも大当たり一回の出玉は上皿と下皿を一杯にするのが精一杯で、連チャンがないとなかなか箱には溜まらない。少し出ては呑まれ、玉を買い足したり台を替えたりしながら三千円ほど使っている。小箱一杯で二千円強だから“獲得した”というのは間違いで、本当は確実に負けている。

『このままじゃらち)があかない』

“マジックカーペット”に移動していた私はそう思い、運試しに一度だけ始動チャッカーに玉が入り、Vゾーンを外れたのを見届けてから“ニューモンロー”へと移動した。
その台は真新しく、ピンクの色合いで盤面の大きな役物の中央には両手を“くの字”にして頭の後ろにやりながらウィンクをするマリリン・モンローとおぼ)しきマスコットが居て、打ち手を誘っている。
手持ちの玉は台に移すと上皿に一杯と下皿に少量になった。台の形状のちがいで小箱半分の見映えは大きく変わる。打ち出すとすぐに一回始動のチャッカー に入った。“チャンス”とばかりに盤面はびかびかと光り、モンローの黒い衣装がはだける。だが羽根が開くのはほんの一瞬で、まばたきをしていれば見逃してしまいそうなほど速く、初めて気づいたが羽根は指先くらいの大きさしかない。当然、玉は役物内に入ることはない。

『なんだ!この台は!?』

私は呆気にとられ、同時にこの台がぼったくりの店で、モンローはたち)の悪い客引きのように思えた。賞球の七個の玉が必要以上に勢い良く上皿へ流れ込むが無情にも残り玉の減り具合はそれをかなり上回る。下皿のものを補充しながら始動チャッカーを見つめていると電動チューリップである二回始動のチャッカーに入った。

『いけ!入れ!!』

呼吸も止まるその一瞬に私の耳は周囲の音を遮断し、目は役物内だけを拡大したように映し出す。期待を背負った銀玉は一回目の始動では入らず、二回目で一気に二つ役物内へと突入した。だが、モンローの衣服がはだける一瞬の好機に玉は中心部を外し、Vゾーンへの道は一瞬にして閉ざされてしまった。頂点近くまで高まった期待は打ち砕かれ、それは怒りへと変わっていく。

「なんやねん!こんなもん当たるかいや!!」

騒音にまぎ)れて掻き消されるのを見越して当たりどころのない怒りを声にしながら台を小突き、血が上った頭は両替を忘れさせ、熱くなるままに台間の玉貸し機へ千円札を直接投入する。

私の場合、種銭が少なく時間がたっぷりとある時に勝てた記憶はない。

「おい!こんな時くらい勝たせてくれよ!」

勝手な言い分を口走りながら台の上皿を叩き、また金をつぎ込む。こうなると千円札は呑まれる為の玉を引き換えるだけの価値の無い紙切れとなり、熱くなって玉を弾いても大当たりには至らずにまた台を叩く。そんなことを数回繰り返していると盤面の硝子ガラス)が背後の者の影に覆われた。

「おい、台を叩くな。」

振り返ると小太りの腫れぼったいまぶた)をした店員がこちらを見据えていた。こちらが座っていて見上げているせいもあるのだろうが、彼の風貌が威圧的でただならぬ迫力を感じる。

「‥ああ。」

一瞬で肝を冷やした私はすぐに台に視線を変えながら生返事で左手を軽く上げ、ぶらぶらさせてその場をごまかす。気恥ずかしさと苛立ちが混ざった心境に集中力は途切れたが幾らか平静を取り戻せた。だからと言ってこの展開で勝つ見込みはかなり薄いと改めて認識させられただけだったが、新しい人生の門出だけにこのままやられっぱなしの状況を甘んじて受け入れたくはない。そしてそんなつまらぬ意地がまた玉を買い足させる。

『こっちは全財産握ってやってるんだ。頼むから一回くらい当てさせてくれ!』

祈るような気持ちで監視カメラを凝視する。

都市伝説のように囁かれ、真偽しんぎ)のほども分からないがモニター越しに監視する店の権力者が適当に大当たりを指定する“裏操作”を意識して同情を求める情けない表情や『いい加減にしろ!いくら突っ込ますつもりだ!?』と言わんばかりの怒りの表情を作っては監視カメラに向けて訴える。

私の経験では負けが込んでくるとこの方法で当たることがままあって、切羽詰まってくると恒例行事のようにこれをやる。当然上手くいかない時のほうが多いのだが私は都合の良い記憶だけをつな)げ、これを信憑性の高いものとして扱っていた。そして今日もモニターに訴えかけたが状況が好転する気配はない。つの)る苛立ちを必死で抑え、残金を確認しようと思いながら残り少ない玉を打ち尽くすと最後の一発が二回始動の電動チューリップに入ってしまった。慌てふためいたがその一瞬の出来事になすすべ)はない。台はけたたましい音を立ててびかびかと光り、ややあって私を嘲笑あざわらうかのように“ちぃん”と鳴り、同時に僅かな賞球を勢いよく上皿へ吐き出す。

「なんやねん!これ!!」

叫ぶと同時に上皿を掌底で突いていた。

「おいこら!台を叩くな言うとるやろ!」

いつからかさっきの店員がこちらを注視していたらしく、ずかずかとこちらへ向かってくる。『しまった!』と思ったが『もう知るか!』となか)自棄やけ)になっている気持ちも混在していた私は反射的に立ち上がって彼と正面から対峙した。

「お前、おとなしゅう打てんのやったら出ていけ!」

立ってみれば彼は私より五センチほども背が低かったが、下から見上げる彼の眼光は先程さきほど)よりさらに鋭く、あご)をやや左へ傾け、覗き込むようにこちらを見据えて威嚇する。

「なんやねん!くそみたいな台ばっかり置きやがって!」

目立ちたくない身分で少数とはいえ客達の視線を一斉に浴びせられた私はひどく狼狽し、一刻も早くこの場を去りたい気持ちに駆られ、面目を保つように毒づきながら彼を押しのけるように右側をすり抜け外を目指した。

「もう来んな!!」

後ろから店内の有線放送を突き破って彼の怒声が聞こえる。

「二度と来るか!!」

それが耳障みみざわ)りで頭にきた私は腹立たちまぎ)れに振り向きながら怒鳴った。そのまま早足に店を出て後方に不安を感じながら駅に向かう。構内に入り誰もついてきていないのを確認すると緊張が解けて腹が減っているのに気付く。結局金を失い得られたものは気分を害しながらも頭の中にこびりつくしがらみ)をほんの一時ひととき)忘れていられたことだけだった。

『くそ面白くない!あの店員えらそうにしやがって!‥いや、そんなことより今からのことを考えなくては‥』

気にしないつもりでもさっきのやりとりが繰り返し反芻はんすう)され、金を失った後悔と最前の気恥ずかしさが消えず、それがまた自己嫌悪へつな)がっていく。それから逃れるべく、ふと思い出したように財布を覗くと残金は五千円ほどになっていて、その途端に急激な空腹に襲われた。。賭事に負けた後に襲ってくるそれはいつも心身に応え、“ひもじい”という言葉がよく似合う。

『さて、どうするかな‥』

飯を食うより)ずはこれからの青写真を描き、軍資金の配分を考えなければならない。捨てずにとって置いたスポーツ新聞をがさがさとめくり求人欄を探す。タクシーなどの乗務員募集から始まり、“月六十万可能!”というような怪しげな営業職、ユンボ等の重機操縦士や建築員と続き、残り半分ほどの広い面積をパチンコ店が占めていた。
やりたい仕事はないが特技もなく、運転免許以外資格も持っていない。先ずは自分の適性を熟々(つらつら)と考え整理してみると鍛造のような現場仕事には向いているとは思えないしやる気も起きない。内向的な性格に営業など有り得ないし、乗務員となれば阿藤に刷り込まれたトラウマから車を使う仕事も自信が持てない。そして何よりも“寮があるところ”という縛りで“自分でもなんとかやっていけるかもしれない”という希望的観測を加味すれば選択肢はパチンコ店しか残らなかった。先程の体験や当時の私のイメージ的には恐い人ばかりが居る殺伐とした職場が想像されたが迷っている余裕はない。良い材料をかんが)みれば裏操作は実在するのかこの目で確かめられるかもしれないし、今日揉めた店員のような屈強な男達に混じれば(私の勝手な偏見だが)こんな私でもいくらか強い人間になれるかもしれない。確実なのは今まで累計すればかなりの額を奪われたパチンコ店から確実に金が貰える。

『やっぱりこれしかない。腹を決めよう‥』

未知の世界への戸惑いと興味が興奮を伴って同時に湧き起こる。あとは店を決めるだけだ。

冒険的なこころざし)とは裏腹に私は生家方面へと向かっていた。別にそこに帰りたくもなければ里心が湧いたわけでもないが自分の小心さは身近に知っている名前の地名を選んで店を探していた、その結果である。
場所や条件を求人欄と照らし合わせながら閲覧していると、ふと澱粉工場で働いていたときに遊び人の先輩から、パチンコ屋で働くなら社会保険を完備しているところが良いと聞いたのを思い出す。信憑性を確認するすべ)は無いが他に頼るべき情報も無いのでこれを重要事項として記載のないものは除外して紙面を見直した。二部制、三部制の意味の違いは分からなかったが半分ほどの店が自信ありげにうた)っている“完全二部制!閉店作業なし!”の文句がなぜか誇らしげで待遇に自信があるように思えた。
そんな経緯で絞り込んだ末に条件の合致した店は、なみはな駅からは生家の方角で名前は知っていたが降りたことのない“蔦野”が最寄り駅だった。
だがそこでは降りずに私は一駅乗り越した。面接を申し込む時間に夕刻は適切とは思えなかったことに加え、もう一日ゆっくり休みたいという甘えも含んだ算段だった。そして隣の浜笠駅には行ったことはなかったが健康ランドがあり、さしあたっての宿泊とそれまでの間が持つ。持ち金の大部分が無くなるだろうがこれ以上の案も思いつかない。まさしく背水の陣といった現状に心中は不安と高揚が混在したが後者が圧倒的な割合を占めていた。金も味方も器用さも持ち合わせてはいなかったが自由を求めることに全てを賭け、世間知らずであっても無謀なことが平気でできる若さだけが武器であり全財産だった。

電車から見える風景は大きな川をさかいに背の高いビル群から窮屈そうに建ち並ぶ、マンションや一軒家の住宅街へと変わっていく。分厚い雲がいつものこの時期ならまだ早い夕闇を誘い出していて、それに先行きの不安が重なった。

『なんとかなるさ!』

自身を奮い立たせるように思いながらふと車窓を見るとそこには今にも泣き出しそうなほど陰鬱いんうつ)な表情のくたびれた男の姿が映っている。それがはたから見た今の自分と気づき、拭いきれない将来への不安が募った
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