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底辺 作者:富士江 三蔵
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25/26

第25話

閉店間際のゴミ出しに外へ出ると、肌寒さに混じってほんのりと春の生暖かさを感じる。ふと目線を上げると建物の間から見える狭い夜空は僅かに赤みを帯びていて、ラグビーボールのような月が鈍い光を放っている。そろそろ河本との約束である“三年”になる。彼は覚えているのだろうか?それについて何も知らされていないことを考えると多分忘れているのだろう。

『どっちにしろもうすぐだ‥』

コスモに戻れないなら、私はビクトリーを出て行くつもりでいた。もっとも一年ほど前に積立金も諦め、トンコを試みたことがあったのだが正史に見つかり未遂に終わっている。それからは河本との約束だけは守ろうと決心して今に至っている。そうさせたのは
“嫌なことから逃れ逃れてやり過ごしてきた自分との決別するため”
それもあるが、そんな綺麗事きれいごとだけではない。

「自分で貯めてる金なんやから捨てるようなことすんな」という正史の説得に考えを改めた結果でもある。それを“河本との約束”という錦の御旗で自分を正当化しているに過ぎない。

―権利というものは義務を果たしてこそ行使できる―

そのうえで河本が約束を履行しなければ私はそれにのっとり、晴れて権利を行使して自由を得るつもりだった。

「おい、河本さん来てんぞ。」

その期限の間近、薄笑いを浮かべた正史がスロットコーナーで灰皿清掃をする私に伝えに来た。

『忘れてはいなかったのか!?』

嬉しさより疑った自分を恥ながら、冷静を装って正史に礼を言い、私はすぐにカウンターへ向かった。スロット台のエンドまで行くとカウンター内では河本と常務、それに事務長の奥さんが笑顔で会話に花を咲かせている。

『!?』

そのなかに笹原と見慣れない顔がある。カラフルな虎縞模様のセーターに身を包む初見のその青年の年齢は板垣くらいだろうか。
私はゆっくりと歩を進め、カウンターから3メートルほどの距離を残し、誰かに気づかれてから自然にその輪に入るつもりで機会を(うかが)った。すぐにその青年だけが私を察知して不意に目が合う。挨拶をするでもなく、彼はすぐに視線を切ると何事もなかったかのように話の輪に戻ってしまった。他にはまだ誰も私に気づいていない。

「河本も偉ぅなったもんやの~!こいつ副店長にばっかり仕事させて毎日遊んでばっかりなんやろ?」

「常務!そんなことないですよ!おい!笹原!笑とらんとちゃんと言うたってくれ!」

そんな会話にそれぞれの笑い声が飛び交う。

「笹原が副店長!?」

私がコスモから放出され、その間に彼は“修行”することなく高いポストに就いていた。

「よしぃ、あいつには気をつけろ‥」

その時、いつかの香住の言葉が(よみがえ)る。

「自分、ええのん着とるやないか!?」

「ええ。河本さんに買うてもろたんです。」

常務に褒められ、まんざらでもない様子で初見の青年は自分の胸元を改めた。

「常務、この山口はワシの弟みたいなもんですわ。」

『!!』

ビクトリーに来る以前に私も河本から同じような言葉をかけられ、三万円近いサマーセーターを買って貰った記憶が蘇る。

山口なる男の紹介を終えて河本はやっと私に気づく。

「おぅ、森野。元気か?」

さっきまでの明るい雰囲気は一気に止まり、全員の視線が私に集まった。私は返事だけして河本の次言葉を待つ。だが、第二声はなく、全員の視線が私がこの場にいることをゆるさない。疎外感に包まれた私は何も言えるはずもなく、ただただその場を離れたくなった。

『‥なんだ、やっぱりそういうことか‥笹原は特別扱いで俺との約束などどこ吹く風でそのうえ新しい“弟”を連れてこっちはほったらかしか‥今はっきりした!俺は耳当たりのいい言葉に騙されて河本に棄てられただけだったんだ‥!』

彼は“忘れていた”のではない。この約束自体“無かった”ことなのだ。結果としては予想と大差ないが、この内容の差は私の心を折るのに充分過ぎるものだった。

『無駄な三年だったな‥』

その思いを伏せ、通りすがりを装い、カウンターへ軽く一礼だけして素早く彼らに背を向けた。
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