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底辺 作者:富士江 三蔵
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第23話


「ビクトリーは明日も休まず、休まず営業しております。どうぞお隣、御近所お誘い合わせのうえご来店いただきますよう、店主、従業員一同、心よりお待ち申し上げます!」

『あぁ、また休みなしか‥』

ビクトリーは店休日が木曜日なのだが、それがしょっちゅう没収される。祝日と木曜日がかぶっていたり、ゴールデンウィークや盆、正月、さらに新台入れ替えの時はその作業で、何かにつけ休みは潰れる。勿論給料には反映されない。しかも日程表のようなものはなく、水曜日の夕方に館内放送でいきなり発表されるのだ。これが意味のないような普通の木曜日であれば気落ちはさらに深いものとなる。当然、店員はすぐに辞めていく。コスモでは月に多くて数名だったがここでは人が入っても長くてもひと月、早ければ一日でトンコする。私がここに来て三カ月で主任は正史と揉めた末に辞めてしまった。今は正史が主任に昇格している。いつも残るのは井口と私を足した三人だけだ。私はこの状況になって定期預金が見事な“人質”としての役割を果たしていることを理解した。

人手不足は残りの者に負担だけを残していく。主任交代からは労働時間は通し勤務が当たり前になり、文句も言えない状況はストレスを肥大させるばかりだった。正史も少しきつく感じているようで雑談を交えて冗談混じりに互いにそれを吐露しあったりもするのだが、私が普通に使う言葉に急に怒り出すことがあった。例えば「それは正史さんの勘違いでしたね。」と言った途端に「誰が勘違いじゃい!コラ!」といった具合に本気で凄むのだ。気に入らない表現や間違った言い回しを諭す度量など彼にはない。だから腫れ物にさわるような細心の注意を払い、どれが地雷に相当するか解らない“禁句”を吟味して会話しなければならず、気のおけない仲になれるはずもなかった。井口とはある日に暴れだした際に注意に行って、言い争いになり、それ以来会話はない。ここでも私は鍛造工場同様に味方と呼べるものは皆無だった。

―過度なストレスは人間を破綻させるに足る破壊力を持っている―

劣悪な環境は精神を確実に蝕んでいく。少ない休日は『次はいつになるか分からない』という悲哀を含んだものとなり刹那的な考えに支配される。店休日の私は手持ちの金をすべて握りパチンコやパチスロに興じ、勝とうが負けようがその後はピンサロのような場所で酒色にふけった。金の使い道がちがうだけで私も井口と変わらない、ストレスに呑み込まれた哀れな亡者である。
そんな生活が一年を過ぎようとする時期に二十歳の青年、板垣が店員に加わった。
彼は竜司という常務の友人、(かつて先述の血みどろのケンカをした相手である)の子飼いらしかった。竜司は廃棄物回収の会社を経営していて今回の人事はパチンコ関連の“横のつながり”ではない。ただ、いきさつはどうであれ人手が増えるのはありがたい。だが、これでやっと最低の最小人数が確保されただけなのだ。

入店したての板垣を正史は気に入り、弟のように可愛がった。板垣も正史を“兄さん”と呼んで慕い、彼の連れ合いにも好感を持たれていた。一方、私は板垣とはどうも合わなく、彼も私に好感や敬意など微塵も持っていないようで互いに惰性的な挨拶をする程度の間柄あいだがらでしかなかった。
板垣が店の仕事にも馴染んできた頃、常務が以前から入れ込んでいたゴルフに正史を誘うようになり、板垣もそれに続いた。しばらくしてコースに出るようになった彼らから私に誘いの声がかかった。彼らの真意は私と仲良くゴルフをしたいわけではない。この頃はまだ会員権が値をつり上げていた時代でゴルフ人口が多く、グループ3人なら見知らぬ誰かと回らなければならないことも珍しくなかった。それを避けるためにもう1人必要だったのだ。そうとも知らず当初の私は面倒に思い断っていたが、“やってみれば面白い”だの“社交のために身につけておいて損はない”など繰り返しの説得に自己の運動不足への考慮も加味され、結局は彼らの思惑にまんまと嵌まる形となった。
それからは仕事が終われば彼らと打ちっぱなしに行くのが日課になった。正史のコンパクトカーを私が運転して助手席に正史が、狭い後部座席に板垣が横になって座り、片道三十分ほどかけて現地で常務と合流する。それから夜中の二時頃まで打ち込み、コンビニや牛丼店、深夜まで営業しているハンバーガーショップなどで飯を買って帰り、長い一日を終える。就寝前の大量飲酒と偏った食事を腹一杯食べる生活は私をさらに太らせた。睡眠時間も減り、前にも増して身体の負担は大きくなったが練習を続けていくうちにマシなショットも少しずつ増え、楽しさを実感しつつもあった。

一ヶ月ほど毎日打ち込み、下手ながらもなんとかなるだろうと初のコースへの参加が決まった。そこは常務が会員権を持っている名門とは呼べない小さめの、起伏に富んだ場所だった。オナー(※最初に打つ人。1ホール目は金属製のくじで決める。2ホール目以降は前ホールのスコアの良かった順となる)は常務で彼はいきなり空振りしてしまった。なんとも言えない重い空気で始まったのだが、私の第一打はドロー気味ながらなんとかフェアウェイに残った。200ヤードも飛んではいないだろうが初めてにしては上出来だ。

「ナイスショット!」

皆がはやし立てるかと思ったがその掛け声はキャディ達だけのものだった。

「‥森野、お前ゴルフを簡単なもんやと思うなよ。」

私が得意気に振り向くと苛立った表情で常務が凄んだ。私は力なく返事をする他なく、初日から彼らとのゴルフは萎縮するだけの、楽しさのない義務的ものとなった。それを言い訳にすればスコアはいつも四人中最下位、まれに三位がある程度だった。しかもこれはただの順位ではない。

「やるからにはニギらんとな。」

常務の発案で賭けゴルフになっているのだ。三位が二位に三千円、最下位が一位に五千円を払う方式で当然異論を唱える者などない。下手な私には最多のハンディキャップが与えられているが、それでもニアピン賞をたまに取る程度の私は吐き出すばかりの“カモ”だった。一回のラウンド料金が三万円、それに昼飯、ラウンド途中の茶店代、プレイ後の飲食、それに賭けの負け分五千円とドラコン(※特定のロングホールで第一打の飛距離を争う)、ニアピン賞のプラスアルファがゴルフに行く度なくなっていく。

彼らのゴルフ好きは年月を経ても留まることなく過熱してゆき、年間の店休日は合計三十数日という状況でありながら商店街の店主たちが集うゴルフ大会に参戦したり、リゾート地へ赴き、2ラウンド半プレイして宿泊して帰ってすぐに仕事という強行スケジュールにまで及んだ。
私自身、ゴルフ自体は嫌いではないが彼らとの相伴は楽しくなかった。旅行でもそうだが、気の置けない仲間とならどんな近場に行っても楽しいものだが、常に萎縮して気を使うだけの相手とならどんな大名旅行でもそれとはかけ離れたものになる。同じ金を払うなら楽しくなければドブに棄てるようなものだ。

「お前ら、この過酷な労働条件のなかようやるのぅ!」

毎回のようにそう言って笑う常務に胸の悪さが込み上げる。

『そう思うなら労働環境を少しでも良くしようとは考えないのか!?』

口をついて飛び出しそうな言葉を飲み込み、私はいつもだらしなく愛想笑いをする。性根を据えて諫言かんげんするにしても無駄なのだ。私がビクトリーに勤める以前に働いていたとある人物が常務になにかを訴えようとしたが「ウチには言葉返すようなやつはいらんのや!」と一蹴された。これは当の常務が笑い話のように披露したものの一つだ。クビになるだけなら全く構わないが、多分「誰に偉そうなクチ聞いとんや!?」と凄まれるか怒鳴られるかして、下手をすれば半殺しの憂き目に遭うだけで結果的に何も変わらないことは容易に想像できる。聞く耳を持たないと宣言している話し合いの余地のない相手にそれを行う胆力も気力も私にはない。ましてや河本の傘下にある私はいつまでもここにはいない。そんな考えも手伝い、消極的思考から私は抜け出せないまま過ごしている。

ゴルフの出費は大きいが新装開店時の祝儀や店休日の少なさも手伝い、切羽詰まるほど金に困窮するほどではなかった。だが自由な時間が全く足りない。疲れと腰痛の解消など気に止めず、若い肉体はストレスの昇華を求める。私はそれに応じてゴルフの後、体を引きずるように夜の街へと繰り出すようになった。
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