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底辺 作者:富士江 三蔵
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第19話

パチンコ屋での仕事のひとつに“頭計”というものがある。決まった時間に近隣のライバル店に行き、どのシマに何人客が座っているかを索引さくいんされたノートに書き記すといった内容のものだ。以前は主任か総班長の役割だったが、河本が店長に着任してから 彼の指名制となった。この役割など河本からすれば誰が行こうが構わない。その結果、彼にとって心安い者数名が順不同に指名されるようになった。
コスモの近辺にはパチンコ店は無く、多数の店が競合する最寄り駅へは二十分以上歩かなければならない。逆に言えば五十分ほど仕事を離れ気兼ねなく散歩できるのだ。だから私は声がかかるのをいつも心待ちにして、それが叶うと嬉々として出掛けたものだった。しかし、今日は最前のことを反芻はんすうして足取りは鈍いものになっている。

「ヨシロー、まあ座れや。」

頭計の依頼かと思いきや、河本は事務所へ私を連れ立たせ、着席を促した。
柔らかく沈みこむソファに馴れない居心地の悪さとすぐに本題に入らない無気味さを感じながら背を向けたままの河本を注視する。そのとき、丁度頃合いを見計らったようにドアがノックされた。

「失礼します。」

声で背後にいる人物が梨華だと判ると同時に室内はコーヒーの強い香りに満たされていく。
その途端、彼女の登場に面倒なことになったのではないかと一抹の不安が脳裏を掠めた。

―私のことを嫌がった梨華がそれを河本に伝え、これから咎めを受ける―

そんな想像が無意識に姿勢を正させる。

「‥どうぞ。」

コーヒーカップを置く梨華との触れるほどの距離がなんとも気まずい。私は彼女に目をやることもできず、うなだれるように頭を下げた。河本の分も置くとすぐに彼女は退室し、私はひとまず胸を撫で下ろした。
河本はチカチカと切り替わるモニターをしばらく見ていたが、梨華が出て行くと机に置いてある煙草に手を伸ばし、一服するとやっとこちらに向き変えた。そしておもむろに私の対面へと移動し、その巨躯きょくをソファに預け、屈むように手を組み、私を見据える。

「‥唐突なんやが、ヨシロー、お前ワシの師匠のとこへ修行に行かんか?」

「‥え!?」

梨華のことではなかった安堵にひたる間もなく、想定していなかった提案に私は返事もできず狼狽した。
それに構わず河本は話を続ける。

「この前話したやろ。ワシの恩師が常務をやっとる店や。そこで三年修行したらお前を役職としてこっちで迎える。どうや?」

「‥はぁ。」

私の返答に反応することなく河本は続ける。

「この業界は横のつながりが大事なんや。そこには常務の甥もおって修行しとる。お前はワシの弟みたいなもんや。それがいつまでも下働きしとったらアカンやろ。しばらく辛抱して上(役職)になったら後はお前らの時代や。‥男は自分で稼いでええ飯食ってええ服着んとな。‥住ちゃんのことは心配すんな。別の店で班長やってもらう手筈てはずになっとる。」

「‥。」

「ええ話しやと思うがなんか不満か?」

「いえ、なんかいきなりやったもんで‥なんとも‥」

「まあ、そらそうか‥。そやけど頼るもんもないお前にはチャンスやぞ。ちょっと外歩いて考えてこいや。」

確かにコスモを辞めようと思っていた矢先で、私には良い話のようだがどうも喜ばしく感じない。梨華の一件から派生したことのように思えたと同時にそんな話があったことを黙っていた香住にいきどおりを覚えたからだ。自分の知らないところで勝手に物事が進行していくことに釈然としないのだが断る理由も出てこない。

頭計を取り終えた帰り道、やはり答えを引き延ばそうかと思った瞬間、何か視線のようなものを感じた。ざっと辺りを見回すと、車が頻繁に行き交う片側二車線の県道の向こう側で信号待ちをしているカップルがこちらを見ているようだった。彼らに視線を移した途端に大きなトラックがそれを遮る。幕を開けるようにそれが通り過ぎると私は彼らを凝視した。その表情は何か凄いものを見つけた者特有の、見開いた目と半開きの口をしていた。私は二人の顔に見覚えがある。胸騒ぎと甦る記憶は無茶苦茶な旋律を奏でるバイオリンの音のような不気味なものになり、大音量で脳の中をつんざく。

「!!!」

それはマミとタカヒロだった。彼らはお互いを見ては何事かを口にして、またこちらを見る、そんな動作を繰り返している。

『見つかった!‥阿藤の仲間に見つかってしまった!!』

彼の怒った想像と数々の嫌な記憶がスライドのように浮かんでは消える。そして心臓の鼓動は自分で分かるほど激しくなり、辺りの景色が白っぽくかすむ。

『阿藤には言わないでくれ!頼む!!』

そう願うように私は彼らに手を合わせた。そのとき、トレーラーが轟音を響かせながらそれに見合うスピードを伴わず、私達の視界を遮った。その瞬間、私は彼らを背にしてひたすら全力で走った。

「‥なんで!?なんで奴らがこんなところにいるんだ!?いや、この辺りが奴らの地元だったのか!?いや、それより情報はすぐに阿藤に伝わるはずだ。すぐにここを離れなければ!」

まっすぐコスモへの道をたどらず、下宿が多い雑多な通りを走りながら思いつくまま右左折を繰り返す。無我夢中で店の裏手近くまで来ると路地に入り、咳き込みそうな肺の苦しさを両手で抑え、息を殺してそっと辺りをうかがう。‥彼らの姿はない。大きく呼吸をして、どくどくと脈打つ額の汗を袖で拭う。

『とりあえず助かったか‥でももうこの界隈は危ない。』

無人の路地に春の訪れを予感させる、まだ冷たさを含んだ一陣の風が吹き抜け、コンビニの袋がそれに翻弄されるようにてふわりと舞っては地面や街路樹に叩きつけられていた。

『あのゴミみたいなものか‥行けるところまで行くしかない。もう、なるようになれ!』

ひたすら逃げ惑い、風に流されるように生きて、自分はどこに辿たどり着くのだろうか。ぼんやりとしている時間はない。状況は切羽詰まったものに変わったのだ。
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