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底辺 作者:富士江 三蔵
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第18話

新たな年に入り、世間から正月ムードが消え去った頃、コスモは馬渕と笹原、それぞれを筆頭として二つのグループに分かれていた。彼らが手を挙げてリーダーを名乗り出た訳ではないがウマが合いそうな者同士が二つに分かれ、その中心に笹原と馬渕がいるように見えたといったほうが正しい。
双方が特にいがみ合っているわけではないが良い雰囲気というわけでもない。ただ、店がどう変わろうが私はそれどころではなく、全てにおいてうわの空だった。結局あの夜、私は果てることが出来なかったのだ。その後悔とけ口を求める収まらない性欲が私をさいなみ、さらにはその後の彼女と親密な関係への発展を期待していたのだが彼女は何事もなかったかのように振舞っている。いや、こころなしかよそよそしさすら感じられるのだ。

『単なる気のせいか?いや、あの時を思い出して恥じているのだろうか?それとも酔ってガードを弛め、好きでもない男と関係を持ってしまった後悔からの態度なのか?分からない。‥これからどうすればいい?』

現在の状況と彼女の態度はどういう意味なのか、その答えなど解るはずもなく、憶測は頭の中で出口の無い迷路を作り、怒りと不安の堂々巡りを繰り返す。不安を打ち消す欺瞞ぎまんで希望を見いだそうとしても彼女に接するたびにそれは打ち壊された。そして学生の頃、好きな女子に告白するときに断られる、白けた情景が記憶の片隅から這い上がってくる。

『もう諦めるべきか‥』

幾度となくそう思ったがどうしてもこのままうやむやにしたくはない。私は意を決して手紙を書くことにした。

―突然の手紙失礼します。
僕は梨華さんが好きです。何もない自分ですが貴女を思う気持ちは誰にも負けません。貴女のためならマグロ漁船に乗っても構わないと思っています。もし、迷惑でしたらもう近づきませんので一言だけでも返事をください―

品性も知性もないこんな手紙をなんとかしたため、上手いタイミングを得るのに二日をかけ、私はようやわだかまりを彼女に投げ渡した。

「よしぃ、最近ゆるんどんちゃうか!?」

ここのところ全てにおいて漫然とした私に香住が少し怒りと呆れを混ぜたたように言い放つ。私はそれを否定するが出会った頃の私はもっとぎらついた鋭い眼光をしていたと彼は嘆く。確かに私はこの半年でぶくぶくと見苦しく太った。今の生活に慣れ、辛かった鍛造工場の日々を記憶の片隅に追いやり、安穏と怠惰な日々を送っている。その変わりように彼があきれるのも無理はなかった。だが、それを意にかいさず、当の私は以前ほど香住に依存しているでもなく一人で行動することも増え、自立した一人前を気取っていた。だからそんな私に苦言を呈する香住を少し疎ましく思うことも最近は多くなってきている。

そんな矢先、岸部と山岡が揉めた。発端ほったんは山岡のゴミ出しの袋が岸部に当たった、謝れ、否、のとるに足らないような内容だった。それが怒鳴りあいから殴り合う寸前にまで発展し、班長やその場にいた者が割って止めた、そんな顛末てんまつの出来事だ。皆の心がざわつき、ピリピリとした雰囲気の中、全員が店長としての河本の沙汰と今後の動向に関心を寄せた。結果、形こそ喧嘩両成敗で両者お咎めなしとなったが元よりの部下だった山岡が後で強く叱責されたそうだ。その情報は翌日、彼等夫婦がトンコしたあと私達の知るところとなったのだが、これを契機に馬渕のグループだった者は次々と抜けていき壊滅していくことになる。

その最中さなか、梨華から返事が返ってきた。期待は持てないが、それでも幸せな結末を想像してしまう。‥しかし現実は甘い幻想など受け入れたりはしない。
きれいに折られた手紙には『嫌いではないが』とか『忘れていた(その日のことなど)』などはぐらかす文章から始まり、『気持ちは嬉しいが親元に帰れないような人とは一緒にはなれない』ととどめを刺す内容で締めくくられていた。

『終わったな‥』

ぐうの音も出ない梨華のメッセージに振られた悲しさとこれからもつきまとう“やさぐれ者”の境遇を作ってしまった不甲斐ない自分への怒りが猛烈にこみ上げた。

「くそ!くそ。!!」

やり場のない怒りに私は半泣きになりながら部屋の畳に何度も拳を打ちつけた。“ドス、ドス”と鈍い音は今の私の無力さ同様、誰にも気づかれることもなく、鈍く響いてくる店の喧騒に掻き消された。
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