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底辺 作者:富士江 三蔵
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第17話

蔦野駅とは異なる沿線の大きな駅に近い歓楽街の本通りから裏通りへと外れると街の様子はまた少し変わる。そこは色気こそないが小さな飲食店がひしめきあっていて、その健全な活気は行ったことはないが夜の台湾の屋台街を連想させるような雰囲気だった。
河本はこのあたりに馴染みがあるようで迷いなくこの通りを選んだ。盛り上がりに欠けながらも結局三人での二次会となり、てっきりスナックの類いだろうかと思ったが梨華に気を使ったのか、着いた先は意外にも小さな焼肉店だった。

「らっしゃい。まいど。」

年配の店主の素っ気ない挨拶をよそに小さなガスコンロを備えたカウンター席を過ぎて奥のテーブル席へ進み、河本と梨華が奥、私が向かいに腰を降ろす。すぐに奥さんであろう、店主より少し年若いにこやかなおばさんが注文を取りにくると河本はメニューに一瞥いちべつすることもなく生ビールとホルモンの類いを注文する。

「ヨシロー、お前若いんやからどんどん食えよ!」

『すごいな‥二人ともまだ普通に飲み食いできるのか‥』

この当時の私は焼き肉が苦手だった。といっても味の話ではない。空腹の状態で食べてもすぐに満腹になり、箸がとまってしまうのだ。それは肝臓が大分弱っている症状なのだが、そのことを知ったのはそれからずっと後のことだ。
ただ、自分の体調がどうであれ、とにかく今は梨華を前に泥酔や嘔吐など不様をさらすわけにはいかない。

『ビールはもう飲めない‥』

私は誰に期待されているでもないのに意を決して悲鳴をあげそうな胃に肉を焼酎で流しこみ続けた。

「ヨシロー、お前、親は韓国か朝鮮か?」

二枚目の焼き網が使い物にならなくなった頃に河本が出自しゅつじを尋ねる。

「いえ、ちがいます。」

「そうか‥まあ判っとるやろけどワシは二世や。梨華ちゃんもな。」

そう切り出すと河本は恵まれない境遇の幼少期から現在に至る経歴などを語りだした。それによると彼の人生はこの仕事にたずさわってから飛躍的に裕福なものになったのだが、そのとき師事していたのが河本を初めて見た時に居た、色彩豊かなセーターを着た男だったらしく、話しぶりから河本が絶大な尊敬の念を抱いているのが分かる。
梨華はさすがに酔ってきたのか、河本の苦労話の合間に普段聞き慣れない、酔った調子の相槌を打ってくる。河本の話にそれほど興味はないが、同胞ならではの苦労話に呼応していながら悲愴さを打ち消すような梨華の酩酊ぶりが面白く、胃の辛さも少しまぎれた。

「そういや梨華ちゃん、絵梨ちゃんもう小三くらいか‥元気にしてんのか?」

「ん~、元気よ~。元気なのはいいんだけどウチのチビ、最近ダンスの学校へ行きたいなんて言い出すの。なにに感化されてんだか‥」

『!!‥』

想像の範疇はんちゅうではあったがいざ現実となって聞くとやはり驚きを隠せない。今の会話から間違いなく彼女は少なくとも一児の母なのだ。そして話しから察するに母子家庭に間違いないようだった。それによって彼女への関心が薄れるわけではないが、かつての配偶者と今どうなっているのかを含めた異性関係が気にかかる。

「ほう。やりたいことがあるのはええことや。のう、ヨシロー。」

「はい。‥僕、子供のときからそんなんなかったんで偉いと思います。」

「そうなんか、そやけど今はなんか目標みたいなもんあるやろ?」

思わぬところから矛先がこちらに変わってくる。

「いえ、特に何も‥」

本当は何も考えていないわけでもない。

『ただ漠然と惰性的にこの仕事で一生を終えるのか?』と思うことが最近増えてきている。その場しのぎで簡単に衣食住を得られたことは有り難かったが、仕事に馴染んできて周囲を改めて観察すれば、この業界で下働きに長く従事するのはどこででも食べてはいける反面、そのまま年齢を重ねていけば潰しの効かないその日暮らしに近い刹那的な将来しか想像できなかった。かといって特技や確たる生活基盤さえも持たない私が転職できるかはあやしい。ただ、藤山のようにはなりたくない。嫌なことから逃れ逃れて欲望の赴くままに遊び、気がつけば崖っぷちという人生は想像するだけでうすら寒くなる。時間的にだけ彼らより余裕があるものの私は既にその入り口に入っている。今では一人前を気取り、少しばかり蓄えがあってもそれは衣食住を保障された甘ったるい生活支援があってこそのもので、それが全て自己負担であればやはり貧困に喘いでいるだろう。だが、当の本人は呑気なものだった。

『藤山のおっさんの年になるまでまだ四十年近くある。三十歳になるまではぶらぶらして何かチャンスがくればそれを掴めばいい‥』

自分の若さの付録である切羽詰まるまでの長い時間だけを過信してそれ以上の思考を停止させ、私は漠然とした未来すら満足に描けなかった。このままでは自分は自覚がないだけの立派な藤山の後継者である。それを無意識にうっすらと感じていたからこその藤山に対する同族嫌悪だったのかもしれないが、いずれにしても何をしていいのかも思いつかなければそれは目標などとは程遠く、胸を張って言えることでもない。

「なんや、若いのにお前、気概がないのう。なんか得意なもんとかないんか?」

河本はからかったように言っただけだが私は自分の不甲斐なさを自覚するよりなかった。梨華の前で嘘でも語れる夢すらない自分を改めて思い知って私は口をつぐんだ。自分の正当化のためにコスモに身を寄せている状況の理由づけとして阿藤のもとでの自己犠牲の生活を私は美化していた。しかしそれは自分の至らなさが招いたことでもある。にもかかわらず苦労人を装い、それが何かで報われるような甘い期待を私はほのかに抱いていた。河本の何気ない一言は私の甘っちょろい虚構の世界の張りぼてや書き割りを簡単に瓦解させた。

「なんやヨシロー。そんなことで落ち込むなって!俺はお前をちゃんとしたやつやと思てる。お前も訳ありでここにおるんやろ?」

すっかり塞ぎ込んでしまった私を河本が宥める。

「‥僕がパチンコ屋で働いたのはここが初めてです‥コスモに来る前は‥」

逃げて帰りたい気持ちを抑えて私はここに至るまでの経緯を語った。それは半ばヤケになった気持ちに酔いも手伝って自分の甲斐性のなさを強調する内容に表現された。話しながら私は増長し、自分などどこでも大した役にたたず、コスモでもそうならいつでも辞めます”などとうそぶいていた。

立場をわきまえず胸中を吐露した私の話に場が盛り上がるはずもなく、澱んだ空気が漂うなか梨華の終電の時間も近く、一同解散の空気が漂う。

「‥ごっそうさん。」

河本がカウンターに向かって告げると雰囲気そのままに三人とも重い腰を上げる。

「ヨシロー、梨華ちゃん駅まで送ったってくれ。」

「え!?は、はい!」

現金なもので河本の意外な指令に先ほどの陰鬱としたものなど吹き飛び、思わず顔がほころぶ。と同時に思いがけない僥倖ぎょうこうにどう反応して良いか分かず、返事が上擦うわずってしまう。ただ、どんな形であれ梨華と二人きりになることなど、この機会をおいてもうないだろう。
それを抑え、嬉しさと梨華への対応に戸惑いながら、河本に挨拶をして梨華と歩き出す。

外気はきんと冷え、暖かい室内の空気に緩んだ体が一気に引き締まり、吸い込むごとに気管にすっと清涼感を伴った痛みが広がる。そんな生き物の活動を拒むような寒空に無機質な、時折傍かたわらを走り抜ける車の音だけが大きくなっては消えてゆく。

「家まで遠いんですか?」

「‥電車で‥40分くらい。」

そこから徒歩を入れれば一時間弱だろうか。ついその場所を推し量りそうになるが、思い直して思考を話題作りに切り替える。

素っ気ない返答ばかりの梨華は元より酒に強いのだろうが店を出てからは意外なほど酔いを感じさせない。シングルマザーなだけに芯が強く、“酩酊するような隙を作ってはいけない相手”として私は映っているのかもしれない。会話が大して弾まないのはそれが理由だと私は自分に言い聞かせ、それでも思いつく限りの話題を彼女に投げかけた。
ほどなくして駅は眼前に迫ってきた。結局、想像するような楽しさを演出することは叶わず、二度とないであろう夜は早くも終わろうとしている。

「梨華さん、お疲れ様でした。また明後日あさって!」

白けた雰囲気を払拭ふっしょくせんとばかりに改札へ消えゆく梨華の背中に精一杯の笑顔を作って私は手を振った。それに応える一瞥いちべつも無いまま、帰路へつくはずの彼女がなぜか改札の手前で急に立ち止まった。店に忘れ物でもしたのだろうか、振り返るや俯きがちに足早でこちらへ戻ってくる。

「どうしました?」

うつむいた顔を上げると彼女は泣きそうな顔をしていた。

「‥やめるなんて‥言わないで。」

絞り出すように放った、か細いその言葉に私は我が耳を疑った。沈黙の続くなか、呆気にとられながらその意味を考え、梨華を見ているとその表情は“私に気がある”そんな気がしてならない。酒で幾らか気も大きくなっている私は勘違いの危険もかえりみず、彼女の唇を塞ぎにかかった。それは拒まれることなく受け入れられた。熱気を帯びた彼女の体温は、ふんわりとした甘さを含んだ、普段なら感じとれない髪の香りを拡散させ、吸い込むごとに私の興奮を高めさせ、脳内で無数の破片へと変化して絶えず爆ぜ続ける。こうなればもう抑えることなどできはしない。私は欲望の赴くまま、生物としての本能に乗っ取られた。その手先となった私の舌はのたくりながら雌を求めるひるとなり、まずは彼女の口中から体内への侵略を始める。欲望に囚われた私達は他人からすれば傍迷惑な恥知らずにしか映らないだろう。だが、今誰にどう思われようとそんなことはどうでもいい。誰しも性の欲望という呪縛から逃れることなどできはしないのだ。

私の気持ちがたかぶるほど梨華もそれに共鳴するように両の手で私の腕を強く掴む。

“彼女は求めている”

そう確信すると私は耳元で囁いた。

「‥ホテルへ‥行きましょうか?」

もう次の段階へ移るには充分気持ちは通じ合ったはずだ。小声での問いに彼女は小さくうなずいた。

タクシーに案内されたホテルは街の端にひっそりと外観に溶け込んだ、いかにも“連れこみ”という別称が似合うものだった。
仕事終わりそのままの体では具合が悪く、仕切り直しの意味もあって浴室に行こうとすると意外にも彼女はそれを止め、寄りかかってくる。それがとても愛おしく、一瞬で私を欲望の傀儡かいらいへと再び戻らせる。思考などまるで無く、飛びつくように梨華を抱きしめ、呼吸も激しく思うままに梨華の素肌をまさぐりやがて衣服を脱がせにかかる。ところが暗いうえに対面にあるブラウスのボタン一つ外すのさえ不慣れな私には至難のもので、どうにも間が持てない。もたつく私に痺れを切らしたかのように、彼女は途中で私を遮り素早く自らをほどき出す。するりするりと生地の柔らかな音は薄闇に溶けては消えていく。
生まれたままの姿になった梨華をゆっくりと押し倒し、目をらすと暗がりにうっすらと浮かぶ白い肌がわずかな灯りにぼんやりと浮かぶ。

「梨華さん、きれいです‥」

その起伏は抜群のプロポーションなどとは程遠いものだが、ぼやけたそれはとても妖しく、魅力的なものに映った。

照れたようにベッドへ潜り込む梨華を追うように続き、私は梨華の柔らかく、すべすべとした肌の感触を味わう。発情した雌の甘美な匂いは吸い込むたびに増幅して私の雄としての本能をさらに高めさせた。それに従い私は無我夢中で愛撫を続ける。首筋、乳房、腹‥どこに舌を這わそうが“美味い”と感じる。好きな人を『食べてしまいたい』なる表現があるが私はこの時初めてその意味を理解した気になった。

「‥背中を‥お願い。」

恥じらいを含んだように小声で梨華がねだる。私がそれに応えると控えめだった喘ぎ声は激しいものへと変わっていった。
頃合いを見計らい、いよいよ彼女の中へ入ろうとするが上手くいかない。入り口に当たっている感触はあるがどうにも先へ進めない。丹念な愛撫で充分に受け入れてもらえると踏んでいたが、梨華は愛液の分泌量が少なく、すんなりと私を通しはしない。だからといって退くことも出来ず、いたずらに角度を変えていきり立ったものをただねじ込もうと躍起になるが事態は好転せず、はやる気持ちは空回りするばかりだった。

「‥て。」

「て!?」

梨華の言葉に私は体の動きを止め、小さな声で伝えようとするものを聞き漏らすまいと彼女の口へ耳を近づける。

「‥待って。」

そう言うや梨華は体を這わせ私の下腹部へ素早く動くといきなり股間に顔をうずめた。

《ず‥ず‥ずちゅ‥》

淫靡な音を立てて一心不乱にそそり立つものに吸い付く梨華のなまめかしい顔は薄明かりによってよりエロティシズムを深め、私にさらなる興奮を与える。大量の飲酒で感度は低下しているにもかかわらず、このままではすぐにでも果ててしまいそうだ。快楽に身をまかせ、エロビデオのワンシーンのように彼女の口の中に放出したいとも思ったがそれではこの甘美な世界はそこで終わってしまう。

『まだだ!果てるのはここではない!』

そう自分を鼓舞して別のことを考えて気を散らす。
九九をそらんじたり仕事の事を思い出したりしたがどうにもかんばしくない。

『阿藤はまだ俺を探しているのだろうか‥』

これは効いた。‥だが効き過ぎた。目に入る風景に変わりはないのに場面が暗転したような一抹の不安がよぎる。さっきまで猛り狂うほどだったものはぴくぴくと射精することなく脈を打ち、膨張が明らかにゆるむ。
異変に梨華も気づいて動きが止まる。耐えた時間は僅か一分もあっただろうか、甘美な梨華の舌技から抜け出せた私は気持ちを切り換え再び彼女の中へと挑む。先ほどとは違い、今度はすんなりと梨華の中へ入れた。だが特効薬の副作用と酔いは先ほどまでの昂奮と快感を確実に鈍らせた。快楽の延命のためにみずからを白けさせる矛盾に苛立ちと後悔を織り交ぜたまま、やっと私は梨華と繋がった。
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