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底辺 作者:富士江 三蔵
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第15話

初老の偉いさんは新しいオーナーでパンツスーツの妙齢の女性はその姪であるという情報が香住経由ですぐに伝わってきた。オーナーの本業はネジの工場経営であるらしく、その日以来コスモには来ていない。オーナーの姪はカウンター内にいるが制服は着ず、その日その日でラフな格好で業務をこなしていた。彼女は背丈が百六十センチ近く、中肉中背というより少し太く、言わばぽっちゃり型で、周りの奥さん連中の背が低いのも手伝って一際ひときわ大きく映った。そしてお世辞にも美人とは言い難い器量だが、切れ長の目と光沢のあるつややかな黒髪が目立つ。見た目だけなら大概たいがいの人はその容貌からきつそうな性格を予想するだろう。だが、女性ばかりのカウンター内で周囲と談笑しているさまはそれなりの社交性を示し、時折垣間見せる、真顔とは打って変わった表情は私の心にその存在感を植えつけた。

『年齢はいくつぐらいだろう?』

お尋ね者を気取っている私の外出は香住とパチンコに行く以外には風俗店にも久しく、そんな状況で彼女は久しぶりに見る“若い女”だった。盛んな時期を持て余していた私にそれは実物の何割にも増して魅力的に映っていたのかもしれない。
そんなことに気を取られて緩慢に日々を送るなか、劇的な幹部交代の後に店員は次々と入れ替わり、今朝には小川夫妻が姿を消した。現時点で香住以上の在籍者は居なくなり、コスモの現在の顔ぶれは香住、私、青山、そして役職者とオーナーの姪以外では織田、浅井、西野、という独身者と馬渕、笹原、藤山、岸部、山岡という夫婦者で構成されている。

岸部夫妻は二十五歳くらいで、旦那は背丈こそ百八十センチメートルを超える偉丈夫だが頭頂部から後頭部の途中まで浸食しているタイプの禿はげだった。にもかかわらず連れ合いは対照的に、小柄で目鼻立ちが整いながら可愛らしさの残る、たいがいの男なら一瞬は凝視してしまう美貌の持ち主だった。駐車場に止めてある遠い土地が記載されたナンバープレートの軽自動車は彼の所有物で、それと彼らの容貌のアンバランスさはただならぬ理由を容易に想像させる。それを詮索するほど興味もないが連れ合いが美人であるやっかみも手伝って、私は岸部に対して気障きざったらしくいけ好かない印象しか持っていなかった。
山岡夫妻は店長が以前勤めていた店から主従関係があるらしく、私と同じ年頃だった。
馬渕夫婦はこの業界に似合わず常識的な感じを持っていて、旦那は一流の板前さんの持つようなキリッとした気風を漂わせていて、連れ合いはそれをしっかり支える良妻に映った。
織田と西野はやはり訳ありなのだろう、三十前の年齢ながらこの仕事は全くの未経験者らしい。
浅井は麻雀好きで、金のあるうちは旅打ちをして全国を気儘きままに流れ、タネ銭が尽きればパチンコ屋で働くといった雀ゴロくずれで、多くのパチンコ屋を渡っていそうなクセのある中年男だった。
そんな中でも最も目立つのは藤山夫妻だった。旦那のほうは鷲鼻が際立つ細面ほそおもてで顎が少ししゃくれていて、無口で浅黒い顔の連れ合いはギョロっとした目が誰も寄せつけないような雰囲気をかもしている。そんな風貌の彼らはともに年齢も還暦に近いながら次々と店を変える根無し草の暮らしを重ねてきていた。その原因は旦那が夫婦の稼ぎを一途に競艇へと注ぎ込み続け、仕事に於いては嫌な事があればすぐにトンコを繰り返しきたからである。別にこの業界では珍しくもないことだが、彼はまるで悪びれることなく飄々(ひょうひょう)とした態度で他人事の冗談のようにそれを話すのだ。高年齢で博才のない藤山に私達はそれを失笑して聞きながらも少しでも生き方を変えるよう促すのだが聞く耳は持たない。

「今さら金貯めたってたかがしれとるやん。そやからフネ(競艇)で一発で増やすんや。」

それが彼の持論だった。

そんなクセのある人物たちの入店には特に関心を示さなかった香住だが、笹原夫婦が入った時だけ彼は遠目に訝しい表情で彼らを見ていた。

「よしぃ、あいつには気ぃつけぇよ。あいつどっかで見たことある。」

また得意のホラ話かと思ったが香住の表情はいつになく真剣だった。小柴の件がまだ記憶に新しいこともあって私は緊張気味にどういうことなのか尋ねた。

「どこで見たかは忘れたけどアイツはあかん。とにかく気をつけろ。」

釈然としない返答のあと、香住はさらなる詮索を拒むように私を仕事へと追い返し、その後も納得のいく回答は得られなかった。
班がちがうので接触する機会は早番と遅番の入れ替わり前の三十分だけだったが、警戒心を持って当の笹原を観察しても外観のぬぼ~っとしたオバQのような顔と左前歯が抜けている間抜けな感じはやはり危険さを微塵も想像させない。実際に口を利いてもその印象を裏切るものは感じなかった。彼の妻といえばでっぷりっと肥えていて、顔立ちも美人とは言い難く、簡単な足し算も満足に出来ない、年若い肌を持っている以外に長所のなさそうな女だった。そんな彼らを見る限り香住の情報は他人の空似か勘違いではないかと疑った。

人員も大きく変わったがそれに伴って店の内装も原形をとどめないほど刷新されていった。店の内装は明るいものになり、有線のチャンネルも気だるさしか感じないような演歌から流行歌へ切り替えられ、ナンバーランプも大当たりした台からシマ全体の他の台にも光が波のように流れる仕組みとそれを讃えるような派手なファンファーレが鳴るよう演出された。
当然遊技台も例外ではなく、たちの悪い常連の多くが巣くっていたダービーに始まり、一部の羽モノを除いて大半の機種は次々と新要件機に替わっていった。その光景はコスモの旧体制の終焉しゅうえんと同時にパチンコ業界の新時代を彷彿とさせた。
五カ月しか経っていないのが嘘のようにめまぐるしく環境が変化するなか、いつの間にか私はコスモで香住にぐ古参になっていた。古参といえば聞こえは良いが、わずかな経験しか持たない私にその恩恵などあるはずもなく、それどころか私は日々、鬱々(うつうつ)としていた。
管理体制が変わって窮屈になったからではない。面倒ではあるが仕事のやり方が多少変わっても馴染なじんでしまえばさほど苦にはならない。客層の面でも何かとけちを付け、事があれば集団になって詰め寄ってくる嫌な常連達も姿を消した。以前と違い、今の従業員のなかで(それがいけ好かない岸部であっても)挨拶程度でも口を全く利かない者はいない(奥さん連中は別だが)くらいには従業員間の関係も悪くはない。そういったことでは環境はむしろ良くなっている。
私を閉口させていたのは丸刈りだった。他の班長二人は大して問題はないのだが、丸刈りは忘れかけたときを狙ったようなタイミングで擦れ違いざまに私の金玉を掴むのだ。本人はコミュニケーションのつもりなのだろうが、だからこそ対応に困惑した。
当初は体面を保とうと威勢の良いことを周囲に吹聴ふいちょうしていたのだが、気の小さい私はそれ解決するどころか、それを香住にすら相談出来ずにいた。そして一度苦難から逃げると癖づいてしまうのか、解決への思考もなくコスモを辞めてしまおうかとも思案していた。それなら一人で勝手にトンコすればよいようなものだが、無責任に物事を投げ出す自分の卑怯さを上手くごまかさなければ、分かっていても認めたくない自分の汚らしさを自ら肯定しなければならず、そうなれば卑屈な人生に出口は見つからない気がした。そう思うこと自体、自分からさえ逃げているのだが当の私はそれに気づきもせず、相応の大義名分を得ることに腐心した。だから香住には丸刈りの件は隠して“体制が窮屈だ”だの“最近面白くない”だの難癖をつけて彼がコスモに見切りをつけるよう躍起になって店の現状を不満そうに訴えた。鍛造会社への電話の件で香住の言う通りにして随分気が楽になった経験から、彼にお墨付きをもらうことは私の免罪符だった。当の香住もコスモの現状を快くは思ってはおらず、すぐに行動に移すことを持ちかけるだろうと思っていた。

「もう少し様子をみて、いよいよいう時はワシにまかせろ。」

しかし意外にも彼の腰は重く、相談を持ち掛けても私をなだめるだけだった。
だが、私がそれにがっかりしきりだったかといえばそうでもなかった。実は私がトンコしない理由はもう一つある。オーナーの姪、伊藤梨華に好意を寄せていたからだ。
梨華はカウンターのおばちゃん連中からは“りっちゃん”と呼ばれ、馴染んでいたが、店長以外の男連中とは業務的なやりとり以外目にすることはなかった。
そんな彼女も私や香住が店長との距離が近づくにつれ私達に心安さを覚えたようでそれを見越した香住はオーナーの姪であろうと構うことなくからかう。

「おい、梨華!お前また太ったんちゃうか!?」

「変わってへんわ!もう、このおっさん嫌!森野君どっかに捨ててきて!」

それに対して声を張り上げる彼女の怒りは本気ではない。
そんなやりとりが日々繰り広げられ、彼女の生き生きとした姿に触れる機会が増えていく。
女性にあまり免疫がないからなのか、発散しきれていない若い性欲を持て余しているせいなのか、話す機会が増えるごとにけっして器量良しとはいえない彼女により心を惹きつけられていくのを感じる。相手が私に好意を持っているかなど計るすべもないのだが、もどかしさは妄想となってあらぬ期待を盛り上げた。その一方で、今でも通りを歩くだけでもおどおどと周囲をうかがうような逃亡者さながらの私と片やオーナーの姪という彼女との身分の差を意識して、彼女に対して好意を伝える行動を何一つ起こせない不甲斐なさを噛み締めながらいたずらに時は流れた。

二階の寮から階段への扉を開けるとつんとした鋭い寒さに本格的な冬の到来を感じる。階段を下りながら呼吸するたび、吐く息は長いマフラーのように顔や首に
まと)わり付いては消えていく。
店からの雑音に混じってどこからかかすかにクリスマスソングが聞こえた気がした。

『‥もうそんな時期か‥』

不意に感傷的な気分に浸りがちになるのを抑えながら店に入るとテレビ画面のチャンネルを切り替えたように騒々しいいつもの風景が飛び込んでくる。そこに季節感などあろうはずも無く、店内に一歩足を踏み入れれば私は一店員として風景の一部分となり吸収されてしまう。
いつものように今日の担当のシマを梨華に聞いて、フックに掛かった鍵を取る。
少し浮ついた気分でシマへ向かう途中で向かってくる数人の客の影から丸刈りが現れた。

「若者!今日も頑張れよ!」

すれ違いざま、耳障りな声が届くと同時に彼は私の金玉を掴んだ。

「痛ッ!」

梨華を見て気が緩み、無防備だったことの悔しさと下腹部の痛みが怒りに変わり、頭の天辺てっぺんを突き抜ける。

「おい!ええかげんにせえよ!コラ!!」

私は反射的に怒鳴ると自分の意志を制御出来ず、それに操られるがまま丸刈りに向かって悪態をつきながらその距離を縮めていく。

「いっつもいっつもしょうもないことしやがって!痛いんじゃボケ!!」

あまりに意外だったのか、丸刈りはきょとんとした表情でこっちを見たまま固まっている。

「人がおとなしゅうしとったら調子ん乗りやがって!コラ!!」

騒がしさに気付いた数人の客が動きを止めてこちらを見ている。その人数は次第に増え、私と丸刈りを囲む人集ひとだかりが厚くなっていく。丸刈りの眼前まで距離を詰めると私は彼のネクタイを左手で鷲掴みにしてそれをぐっと左へじ上げた。

「な、なんね自分!」

そこでやっと我に返ったように言葉を発した丸刈りは私の左手を両手で掴み返した。

「なんねちゃうんじゃボケ!」

右手の拳を固めながら左手にさらに力を込めて啖呵を切ったその時、人垣を掻き分けてきた馬渕が私の向かいに割って入り、私の両肩を抱えて丸刈りから私を遠ざけた。

「森野くん!なにがあったんか知らんけど、もうやめとき。」

涼しげな顔から放たれる声は優しいが、威厳のあるものだった。だが私の苛立ちは消えることなく馬渕が言い終える前に振り返り、丸刈りを睨みにかかる。

「落ち着きって。どうしたん?」

「あ、あいつが‥」

金玉を掴まれて‥とは馬渕には言いづらく、どう説明して良いのか分からないのと丸刈りに食って掛かった気のたかぶりが言葉を詰まらせる。

「おぅ、よしぃどないしたんや?」

揉め事が好きな香住にしては意外なほど遅く香住が駆けつけた。

「前野(丸刈り)のボケが金玉つかみやがるんすわ!」

丸刈りがいた場所を睨みながら私は吐き捨てるように毒づいたがそこにもう丸刈りはいなかった。

「森野くん、なんやったら俺が店長に言うて話はっきりさせよか。」

いつの間にか人集りの壁は無くなり、丸刈りも仕事に戻ったようだ。ここにいる三人だけがこの世界からはみ出しているようで、相手もいないのに怒っていることに気づいた私は馬鹿らしくなり、気持ちは完全にしらけてしまった。

「‥いや、いいっす。」

なんだか私が一人騒いでいたようなばつの悪さに早口で応えると私は馬渕に軽く頭を下げた。

「よしぃ、やるやないか。かっこよかったぞ!」

にやける香住を照れながら追い返したが溜飲の下がらない気持ちとばつの悪さは衰えず、仕事など上の空に今後のことばかりが頭をよぎった。
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