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底辺 作者:富士江 三蔵
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第11話

初日の仕事をなんとか乗り切り、気持ちの高ぶりと達成感のような余韻もそのままに部屋の鍵を開け、照明を点けるとテレビやビデオ、エアコンなどの調度品と何よりも欲しかった、すぐには思い出せないほど懐かしく感じる自分だけの自由な空間が私を迎えてくれる。私物のように慣れた調子でエアコンを作動させると自力で手に入れたものではない仮の住まいだが、念願の独り部屋を得た実感に嬉しさがこみ上げる。苦しそうな音を立てるエアコンもそっちのけに、まずは落ち着こうとテレビをつけて煙草を吸い、着替えてまた新たに火を着ける。ようやく気持ちに余裕が出てくるとコスモを探して歩き回った時の汗とホールのヤニで体中がべたべたしているのが気になりだした。他人との接触を避けようと深い時間を選ぶつもりだったが、その不快さは一旦腰を下ろして根の生えた私を簡単に風呂へと立たせた。なるべく早く済まそうと洗濯を兼ねて浴室に行き、洗濯機を回したまま食堂へと向かう。

たまさかのことなのかいつもこうなのか誰もいないのは意外だった。
厨房の手前に据え付けられたステンレスの棚にはラップのかかった晩飯の主菜と副菜がわかりやすく置いてある。私の分を入れて残り二名分であることから皆さっさと食べてしまったのか、或いは部屋へ持ち込み晩酌でもしているのかもしれない。どっちにしろ人を気にして食事をしたくない私には好都合だった。

遠慮がちに室内の半分だけを照らすようにスイッチを入れる。蛍光灯の光に照らされた皿には冷えたミンチカツが二個と目玉焼きと千切りキャベツが載っている。ここでの食事はまだ二回目だが勝手気ままに大きな電気釜から飯をよそい、テーブルに置いてあるウスターソースをミンチカツとキャベツにかけ一目散にがっつく。手持ち無沙汰を解消するべく、食いながら辺りを改めて見回すと厨房のコンロに鍋が置かれているのが見えた。熱い飯と冷たいおかずの組み合わせに温かい汁物が恋しく、それがおそらく味噌汁であろうと思われたがさっさと部屋へ戻ろうと考えていた私はそこから視線を外し、また飯を口へ運んだ。早く食べ終わりたいのに口一杯に物を詰めたせいで咀嚼そしゃくしてもなかなか飲み込めない。腹は減っているが食事というより飯を腹に詰め込む作業のような感じで、気もそぞろにまた辺りを見回すと今度は食器棚で目が止まった。手の届く高さであるその天板には焼きそばを含め袋ラーメンが四種類あって箱ごと立て置きに並び、箱の下部が開けられていた。減り方がまちまちで個人の物とは思えないことから各自随意に食べて良いことになっていると想像できる。

『パチンコ屋は全国どこにでもある。この仕事を覚えてしまえばどこでも生活できるし飢えることはないな‥』

そう思うとこれからもなんとか生きていけるような気がしてきた。しかしそれと同時に心の奥底に巣くう、無責任に全てを投げ出した上で快適な生活を手に入れた背徳感が妄想を逞しくさせ、それが私を非難し心の中に絡みつく。

『会社の人間はやはり実家に押しかけているだろうか‥。親父は怒っているだろうな‥いや、あきれかえっているかな‥阿藤は怒り狂って血眼になって今も捜し回っているかもしれない‥まさか何かの拍子で見当をつけられてはいないだろうな‥いや、大丈夫だ。バレるはずはない。見つけられるような場所に俺はいないのだから。もう実家にも帰らないし当然一切連絡もしない。‥犯罪者は自宅や犯行現場に立ち寄るなんてどこかで聞いたこてがあるが俺はそんなことはしない。これからは風来坊で気儘きままに居場所を変えて生きていくのだ。俺を悪く言いたいならいくらでも言えばいいさ‥。知ったことか!』

何の正当性も無い私がそれに屈しないようにするにはねたような開き直りで対抗し、耳をふさぐしか手段は無かった。

翌日の仕事明け、心の闇との対峙を嫌った私は、意識を逸らそうとテレビを眺めていたが内容など頭に入って来ず、気休めに腕立て伏せなどの運動で体を動かしたが成果は得られなかった。金もなく、酒の力を借りることも叶わずくさくさしているとドアをノックする音が部屋に響いた。この部屋に用のある者など心当たりはなく、隣りからの音と思っていたがノックの音は大きく、間隔は短くなって音の主はこの部屋に目的があることを主張する。

『主任だろうか?いや何の用もないはずだ。‥まさか阿藤が嗅ぎ付けたか!?』

最悪の事態に備えて右の拳を固めて身構えながら半身になって左手でノブをゆっくり回す。少し開いたドアの向こうを阿藤の高さに合わせて凝視したために一瞬何も見えなかったがその下に誰かいる。視線を落とすと左手にぼこぼこと膨らんだ白いビニール袋をたずさえた香住が額に汗をにじませて、笑顔を含んだ本気ではない怒りの表情で立っていた。

「こら、ワレ!暑いのに早よ開けんかい、ビールぬるぅなるやんけ!」

立っていたのが阿藤でないことが判ると私の警戒心は瞬時に解かれ、表情が緩む。

「あ、香住さん‥どうも‥」

張りつめた気持ちが安堵に変わると遠慮のないこの訪問者に対して思いのほか上手く言葉が出てこない。私がドアを開けると同時に廊下の暑さに耐えかねた香住はせきを切ったように部屋の奥へと突き進んだ。

「何してんのや。早よ閉めんかい!」

彼は小さなテーブルの奥側に陣取り、まるで部屋の主であるかのように振る舞う。
ドアを閉めてテーブルまで戻ると香住は私に早く座るようけしかけ、袋の中からレギュラーサイズのビールを差し出した。

飲み干された缶酎ハイとビールの空缶がテーブルに満たされる間、香住は広島の出身であることから始まって外国での傭兵経験などを語った。簡略すると彼の目の状態は戦闘の負傷によるもので、著しい視力の低下により引退してこの稼業で生きているといったものだった。にわかには信じがたく、嘘っぽい話だが、そうであっても私は深く詮索はしなかった。それは独りぼっちの私に親しく接してくれる香住を疑う気持ちにはなれなかったからだ。思えば私には昔から法螺ほらを吹いたり物事を大袈裟にして話す人に妙に好かれる傾向がある。しかし彼等の創作、或いは“盛った”話で私は実害をこうむった記憶はない。多分この人も常に淋しく生きていながらも自己顕示欲が強く、他人に興味を持ってもらえるように歪曲わいきょくした自分史を罪悪感なく創造しているのだろう。

一区切り話すと香住は残り少ないビールを一気にあおって缶をテーブルに置き、顎を右の掌に預け何か思案している。

「‥森野って呼ぶのもなんかひねりがないのう。前は何て呼ばれとったんや?」

まかり間違っても“クマ”とは言いたくない。

「え、と‥もっさんとかもっちゃんとか、小さい頃はよっちゃんとか‥そんなもんです」

彼の思考が“クマ”に辿り着くかもしれないと思うと私の返答は歯切れの悪いものになる。

「おお、そうや!」

なにかを閃いた香住がにやりとする。

『‥やっぱりそれか‥。』

彼の発言を待たずして私は諦めの気持ちに満たされる。

「自分、ファーストネームは喜朗やったな。ほんなら“よしぃ”や!これがしっくりくる。アメリカではな、すぐにニックネームをつけるんや。わしは健一、健康一番で健一や。ほんまはKENて呼ばれるんやろけどわしは軍でも勇猛やったからバッキーって呼ばれとったわ!」

「ば、バッキーっすか‥」

勇猛=バッキーの意味はさっぱり解らないが希望しない呼び名に辿り着かなかったことにひとまず安心した。普通なら気に入らないものを提案されれば笑って拒否すればいいだけのことなのだが、長く続いた鬱屈した生活が私を卑屈な受け身の気質に育てていた。香住が考えてくれた呼び名には友好的なものを感じ、それが心をなごませた。

「‥で、よしぃは何でパチンコ屋に来てん?」

その質問に私は戸惑い、硬直した。その途端に重い空気が静寂に広がる。十秒ほどの間があって、それを破ったのは香住だった。

「‥いや、言いたないことは言わんでええんや。みんなそれぞれ訳ありやからな‥」

会って間もない私に親切に接し、おもんぱかってくれる香住に酒の後押しもあって、私は今までの経緯を話すことにした。罪悪感と背徳感、それらが作り出す妄想から逃れたい気持ちが「打ち明けてしまえ!」と強く訴える。それは私なりのカタルシスだった。
黙って話を聞く香住に私は自分の正当性を基本にしながら言い訳がましくこれまでの経緯を話した。

「‥ほう、そうやったんか。」

ひとしきり説明を聞くと香住はトーンを下げて呟くように相槌を打った。

『彼はどう思ったのだろうか。私を責め続ける妄想や、世間の“常識”というものと同じように“お前が悪い”と片づけるのだろうか‥』

そんな不安が頭の中に広がる。香住はふと天井近くを遠い所を見るように目をってから私を見据え直した。

「よしぃ、わしは逃げてきたんは悪いとは思わへん。ただ、連絡だけはしとけ。それだけはしとかなあかん。」

叱責されなかったことにほっとしたが、意外な忠告に私は戸惑いと同時に正しい世間的な論理が香住の口から出たことに少しがっかりした。

「え、でももう三日も経ってますし、今さら連絡せんでも‥」

「いや、皆心配しとるぞ。それだけはちゃんとやっとけ。」

「‥もう帰ることもないですしいいですやん。」

「あんな、べつに居場所を教えたれって言うとるんやない。家でも会社でもええから、無事なことだけ伝えたらええんや。それを伝えたらすぐ切ったってかまへん。それがけじめや。分かるやろ、よしぃ。」

香住は声を荒げることなく、噛んで含めるように、しかし力強い口調で言った。それに対して私はもうごねることは出来なかった。

「‥今日は会社ももう終わってますし、明日でもいいっすか?」

仕方なく約束はしたが釈然とせず、少し不満気な言い方になってしまう。

「そうや、それでええ。」

彼はその返事でも満足だったのか、優しい表情を浮かべながら頷いた。
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