挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
底辺 作者:富士江 三蔵
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

10/26

第10話

貸与された制服は青色のポロシャツだけだった。それに主任から貰った胴回りが少しきついスラックス、そして唯一の自前であるスポーツシューズというなんとも不恰好な出で立ちで私は初仕事に臨むことになった。新入りが奇異な恰好を伴っていればさまざまな人からきっと物珍しい目で見られると思ったが、客はおろかカウンターへ集まってくる遅番と思しき店員の誰一人として私に関心を示す者はいなかった。彼らはカウンターの奥のホルダーにかかった鍵の(たば)と充電器に収まっている無線式のマイクを取るとそれぞれの持ち場へと散って行く。それと入れ替わりで早番の者達が仕事からもうすぐ解放される喜びの笑みを浮かべて一人、また一人とカウンターへ集まりだし、ゴミ箱の袋の入れ替えや床の掃き掃除など、それぞれの持ち場の清掃に取りかかりだした。それを横目にまさか身を寄せることになろうとは思わなかったパチンコ店のユニフォームに身を包み、ぽつねんと置きざりになっている今の状況とさまざまな音の洪水の反響が意識を混濁させ、今ひとつ現実味を感じさせない。早く主任か小川が来てくれないだろうかと辺りを見回すとパンチパーマが伸びてアフロヘアのようになった頭でサングラスのような色合いの眼鏡をかけた堅太りの男がまっすぐこちらへ向かってくるのが目に入った。小川の情報から見た目の雰囲気で彼がおそらく総班長であると察した私は救われたような気持ちも手伝って、会釈をして彼を待ち構えた。

「自分経験ないんやな?」

私との身長差で覗きこむように話す彼の顔は浅黒く、無数の吹き出物の痕と眼鏡のせいもあるのだろうが喜怒哀楽の表情が分かりづらい仏頂面をしていた。そして周囲の喧騒からそれを聞き分けるのが難しい、(こも)った声で続けた。

「自分、パチンコはしたことあるんやろ?」

(およ)そ見た目は主任と兄弟とは思えないが、まっすぐにこちらを凝視する視線だけが面接時の主任を思い起こさせる。私が返事をすると彼は確認するようにその方向に首を向ける。

「‥ほんなら今日はフラッシュに行ってもらうか‥。」

(つぶや)くように言うなり彼はそこへ歩き出した。急な彼の動きに戸惑いながら私はその背を追う。フィーバーコーナーの端まで行くと彼は止まってこちらを振り返り、一つだけ鍵のついたキーロープを差し出した。

「釘に玉が引っかかったときのサービス玉は二個な。新人や思ってもっと入れろとか言う奴がおっても、絶対二個以上入れんなよ!


強めの口調とこちらを見据えた眼鏡越しからの双眸(そうぼう)が念押しの答えを求めている。

「はい、わかりました!」

ぶっつけ本番で臨む初仕事とあっては否が応でも緊張の度合いは高くなり、返事も自然と大きくなる。総班長はそれに満足げに(うなず)き、大当たりの図柄で持ち玉遊技を可能にする目印であるラッキーふだを私に手渡した。

「自分、パチンコやるんやったら分かるやろうけどラッキー札は“7”でつけて“コインの柄”で外せよ。取り忘れんようにな。客が呼び出しのボタン押したらあそこが光るから注意して見とけよ。それからマイクはここ押したら声入るからフィーバーかかったら大きい声でコールせえよ。あと台叩く奴おったら注意してやめさせるようにな。」

注意事項を一通りざっと述べると彼は何かかあればすぐにマイクで呼ぶよう言い足して私の仕事ぶりを確認することもなく去って行った。

いきなり任されることとなった“フィーバーフラッシュ”のシマは平日で会社帰りのサラリーマンなどが来る時間の前だが七割ほどの席がの埋まっていた。

『俺は今から本当にパチンコ屋で働くんだ‥』

今更ながら現実を確認すべく、こうべ)を垂れ着衣を一度見て右手でマイクをまさぐってみる。冷たく硬い感触は突き進むしかない今を再認識させた。

客として遊びに行く分には初めての店だろうがパチンコ店などどこでも同じようにしか映らなかったが、働くとなると風景がまるでちがう。仕事として見るべき場所は当然だが遊ぶ時と同じなわけがなく、さらに緊張と興奮の影響なのか、光化学スモッグのように薄くチカチカと(もや)をかけたように全てが映り、見慣れているはずのパチンコ台でさえ新鮮に感じた。同じ台が支配する閉塞的なシマで“フィーバーフラッシュ”はドラムが回る度にびかびかと光り、リーチ音やそれがはずれた音を伴って、その大群が私を圧迫する。

『しっかりしろ!ここを追い出されたらもう金も頼るアテもないんだぞ!』

浮ついている気持ちを戒めるように自分を叱咤(しった)して、まずは客の呼び出しを知らせるために設置されている台の両端のエンド上に設けられたランプを交互に見た。まだ光っていないのを確認して視線を下へ移すと奥のほうの台の大当たりランプが点灯した。小走りにそこへ行き、初めてのアナウンスに臨む。台番号は272番だ。腰のマイクを探り、取り出したマイクを握りしめ、意を決して教えられたボタンを押す。

「272番台、272番台、ラッキースタート!」

自分の発声がそのまま同時に店内の全てのスピーカーから大音量で流れた。そのとき、自分の中で何かが(はじ)けたような感覚があった。それに浸る間もなく一台がかかると連鎖するように次々と大当たりが頻発し、同じようにコールしていると小川が少し慌てた様子でやって来た。

「森野君!ラッキースタートは権利台だけやで!フィーバーはフィーバースタートでええから。そうしてもらわんとややこしいねん。」

その表情に昼間見た優しいものは無く、失意と恥ずかしさに囚われながら頭を小刻みに下げる私に構うことなく彼は自分のシマへ戻っていった。このときから徐々に客は増え出し、七時頃からは店はほぼ満席の状態となり、軍艦マーチと呼び込みが喧騒をさらに煽る。それに追従する慌ただしさが却って私に不安に浸る間も与えず緊張と気勢を持続させた。

下町に立地するイメージそのままに品が良いとは言い難い客層の中でサービス玉を過剰に要求する客に困惑したり、呼び出しボタンを押された意味が分からず連チャンした台のドル箱の交換が遅れ一喝される場面もあったが、時間の経過とともに少しずつ場に馴染んでゆく実感と、あまりに大きく変わった環境の変化にまだ浮き足立った気持ちが混在したが、慣れない仕事は他の全てを忘れさせ、瞬く間に時間は過ぎていった。

気がつけば館内に“螢の光”が流れ出していた。それが耳に入るとなんとかなったという安堵感と学生時代に初めてアルバイトした時以来の心地よい疲労と充実感が、重苦しくくすんだ心を洗い流した。そして気持ちに余裕が出てくると喉の渇きを強く感じ、同時に煙草を吸いたい衝動に駆られた。

『そういえば煙草を吸い始めてからこんなに間を空けたことはなかったな‥』

そんな感慨に(ふけ)っていると、隣の“ダービー”のコーナーから怒鳴り声がまばらになったホールに響いた。何事かと覗いて見ると、五十代くらいの禿()げた男が小川に何かを必死で訴えかけている。

「なんでやねん!ギリギリセーフやろ!?」

口振りから閉店間際にかかった大当たりの無効に抗議しているのが判る。騒ぎに気づいて私の隣である小川のシマと反対隣を担当する店員がこちらにやってきた。私よりも一回り背が低く、短髪で剃り込みが侵食したように薄くなったその男はやや青みがかった眼鏡をかけていて、その奥の瞳は黒目の位置がやや離れ、ピラニア軍団の川谷拓三をいかつくしたような印象だった。

「なんや、なにモメとんや?」

彼は初対面とは思えないほど自然に話しかけてきた。私は推測したままを彼に告げた。

「おお、ええ感じの火種やないか。」

彼は悪知恵を思いついたいたずらっ子のようににやりとした笑顔を浮かべ、すぐにそこへ向かって大股に歩き出した。
大当たりになりながら打ち手を失い、途中のラウンドでVゾーンに玉の入らなかった台からはエラー音が客の引けて静かになってきた中で放置され、その存在を訴えるように虚しく響いている。揉めている客は知らぬ間に正面出入り口付近へと誘導されており、衰えない怒声と真っ赤になった顔がまだことが収まっていないことを物語っている。向かっては小川、左に総班長、その隣には初めて見る長身の男に囲まれていた。そこへ川谷拓三似の男が加わり、構図としては四対一という格好になった。

『なるほど、こうやって囲んで威圧して客を封じ込めるのか‥。』

計算されたものなのかどうかは分からないが、これが店側の連携の巧さなのだと勝手に解釈した。案の定、揉めていた客は怒りこそ(しず)まってはいなかったが、なにか一言だけ怒鳴って小川と総班長の間から飛び出して行った。
小川は何事も無かったように無表情でエラー音を出している台へおもむき、あっけなく電源を抜く。それを気にする者は私以外になく、カウンターへ皆がぞろぞろと集まりだした。どうしていいのか分からず、やはり行くべきなのだろうと中途半端な駆け足でのそのそとそこへ駆けつけた。

「ほな始めよか。」

私が到着すると総班長の号令とともに皆が勢い良く動き出した。彼らは私の左右を障害物を()けるように分けて視界から消えていく。

「え、あの‥?」

訳が分からず目が泳ぐばかりで上手く言葉が出てこない。

「まずは鍵開けてってくれ。自分のとこな。終わったら灰皿な。」

そんな私を見て総班長は少し笑って指示を与え、パチンコ玉が千個入る小箱を渡した。それを受け取ると私は出遅れた分を取り戻すべく持ち場へ走った。
“鍵穴に鍵を入れて左へ回す”ただそれだけのことなのだが不慣れと焦りが簡単な作業を阻害する。もたつきながら鍵開けを終え、灰皿もやっと残りあと五台というところでさっきの川谷拓三似の男が現れた。

「おう!兄ちゃん、頑張っとんな!ワシ、これ吹いていくからこれで拭き取っていってくれ。」

そう言って彼は右手の霧吹きを振りながら端の台に雑巾を置いた。

「はい!すぐやります!」

彼が来たこととその威勢の良さが作業の遅さを責めているものと勘違いした私は怒られ癖から“良い返事”をしたらしい。彼は先程の笑顔とちがう、なにか嬉しそうなものを顔に浮かべた。

「兄ちゃん、ハキハキしとるやないか。今日からやろ?ワシ香住いうんや。よろしくな。」

「あ、僕、森野‥森野です。この仕事初めてなんでよろしくお願いします。」

彼の態度が私を責めるものではなかったのが判るとほっとして姓名を全て言いそうになったが、それを躊躇ためらったのはまたあの忌まわしい“クマ”という呼び名で呼ばれることへの懸念からだった。

後で知ったのだが閉店作業というのはどうやら店の全ての清掃までを示すもののようだった。この店での遅番の締めくくりは鍵開けに始まり、灰皿清掃、台の硝子拭き(パチンコ台のガラスは二枚入っていて内側のセル板の面と外側の外面のみ)、それと“カセット”と呼ばれるものの手入れだった。硝子拭きを終えると数人が小指の先ほどにちぎった脱脂綿が入った小箱に金属製のボールペンほどの大きさの物を配りだした。

「カセットカセット今日はどこ~。」

小柴が鼻歌のようでありながら誰かに聞いているような、分からない調子で言う。

「今日はダービー。」

小川も誰を特定するでもない感じで答えた。ぞろぞろと歩きながら私は金属棒をいじってみた。中にはバネが入っていて後部を掴んで前に押し出すと鉤状の三本の爪がにゅっと出た。

「香住さん、これって‥?」

ダービーコーナーで皆が足を止めだしたところで金属棒の鉤爪を出したり引っ込めたりしてシャカシャカとさせながら私が聞くと、彼は私を呼んで集団から離れ、向かいの端台へ移動した。そして素早くガラス枠の下にある金具を押し、ハンドル部分を引き開けるとプラスチック製の白い部分を金属棒で差した。

「これがカセットや。これをな‥」

言いながらそれを外し、中の空洞に脱脂綿の付いた金属棒を突っ込み、慣れた調子でかき回すように動かした。カセットとはどうやら上皿の玉をハンドルの軌道へと導くためのものようで、教えられたまま実際に隣の台のそれを外し、手にしてみるとその空洞部分は手垢の付いた銀玉が数えきれないほど通過したことを示すように不潔な異臭を放ち、黒くべったりとした汚れがこびりついていた。

六人がかりでやると四十台分ほどのカセットの手入れはすぐに終わったがそこで終業とはならず、再び皆がまたカウンター前へぞろぞろと集まりだした。よく見るとカウンターに入った総班長が一人一人に煙草を支給していて、受け取った者は次々とホールから出て行く。そういえば求人に“タバコ毎日支給”と記されてあったことを思い出す。忘れていただけに金のない私にとってこの制度は有り難いのみならず、なんとか今日を生き抜いた褒美のように感じられた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ