「その飾りの意味、知ってます?」
扉の上に掛けてあるリング状の飾りを直そうとして、背伸びしている彼女に俺は言った。
いつもながら、無理せずに呼んでくれたら良いのにって思う。
「それはミスルトーって名前で、クリスマスの間はその下の二人はキスして良いんですよ」
「残念、キスしたって何も変わらないよ」
こっちを見て、悪戯が見つかった子供みたいな苦笑いを浮かべて彼女は答えた。
俺は、真面目な顔を作って一歩近づく。
彼女が穏やかな笑みを絶やさないのが少し悔しくて、だからちょっと困らせたくて……でも、彼女は逃げなくて――。
そして、軽く触れてしまった唇。
柔らかいと感じたけれど、それ以上にパティシエの彼女の砂糖やバニラの甘い香りの方が、印象に残ってしまった。
「何も変わらないんですよね?」
その上、気の利いた事も言えずに出たのはこんな台詞だけ。
(俺は馬鹿か)
店内に二人きりなのは、今日は二十四日の夜だから。
雀の涙のクリスマス手当ては、イブと当日を二人で乗り切るという素晴しいプレゼントになってしまった。
普段の倍以上になった仕事をこなし、やっと看板をしまうともう時計の針は夜中の十一時を指していた。
彼女――斎藤 彩さんは、バイト先の洋菓子店のパティシエで、物腰が柔らかくたおやかな笑みを絶やさない女性。
そして、恋人はいないらしい。
状況は状況だけど、チャンスだなって思っていた。
「そうよ、何も変わらない」
彩さんは少し笑ってから、俺の額を指で突いて言った。
期待が全然無かったと言えば嘘になるけど、やっぱりって納得もしている。
(それなりにアピールはして来たんだけどな)
俺は、予定より遅くなっているフロアのチェックを始めた。
「本気にはならないで」
しばらくしてから、不意に背中にかかる言葉。
「大人になってくると、恋の前に余計なフィルターが出来てしまうの」
訥々と話す彼女は、もう笑ってはいなかった。
「趣味、職業、学歴、そんなものから始まって、いつか『好き』の気持ちが見えなくなってしまう」
一呼吸置いて彼女は続けた。
「そして、恋から遠ざかるのよ……私には、もう付き合う事が分からない。今は恋をする事が、不安で怖い」
絡み合った視線。
「遅いですよ、もう本気で好きなんですから」
けれど俺は、その視線がどの感情を表しているのか分からない。
何かしたくて、伝えたくて、でも何をしたら良いのかは分からなくて。
背中を押したのは、クリスマスを告げる零時の鐘。
少し離れた教会から、夜に響いて過ぎてゆく。
「Merry Christmas」
弾かれる様に抱き締めて、耳元で囁いた。
「クリスマスの雰囲気に酔っていると、後で後悔するわよ」
やんわりと答える彩さんの言葉には、好きも嫌いもどちらの想いも入っていない。
それが辛い。
「もし見込みが無いのなら――、何でさっき唇を許したんですか? ずるいですよ」
ようやく彼女の手が、躊躇いがちに俺の背に回される。
「返事は、YES?」
「焦らないの、そんなに直ぐに答えは出ません」
顔は見えないけど、彩さんは澄まして答えた。
「そんな〜」
情けない声をだしたら、彼女は済まなそうに口を開いた。
「ゆっくり少しずつ手にしていきたいの、恋をする胸の高鳴りも、温かな思いも。そうしたら、きっと私も応えられる」
やんわりと抱擁を解いて、見詰め合う。
ゆっくりで良い、彼女と歩いていけるのなら。
冬でも緑を失わない宿り木の葉は、やがて来る春への期待の意味もあったらしい。
二人で迎える次の季節への期待。
そして帰りには、二人で一緒にドアの下をくぐった。
そう、先程のミスルトーの掛けてあるドアの下を。
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