その仂 三十日残量時間報告
茹だるような日々の中、俺はただの紙切れと格闘していた
簡単に言ってしまうと庶務の仕事。掃除の名目で+α神楽さんの名前の印鑑を色々な部活だの委員会のものに押さなければいけない。きっと自分でやるのが面倒くさくて俺に押し付けたんだろう
正直な話つらい、とは言えないのが俺の情けなさを尊重しているかのように資料の山が築き上げられていて、上には丸いハンコにインクが丁寧に置かれて、その上にまた紙切れが一枚いや、それこそ丁寧な文字でこう綴られていた
『目を通した後、必要な物にだけ押し印をして僕の机に置いとくように 佑璃』
いわれたら、やらないわけにはいかなかった
溜息を押し殺して、俺は印を取った。ぱんぱん、というどこか空しいような音だけが室内に響いては俺の溜息をより一層促した
この何ヶ月かで、俺は神楽さんからいろんなことを教わった
まぁ半ば俺がいやがる神楽さんに無理に聞いたと言った方が正しいのかもしれないけれど
まず今まで知らなかった委員会の活動に、どうして俺が任命されたのかということ
それと、どうして初めてあったときあんな紙切れを見せて担任が授業に間に合わなかった俺を怒りもせずに放っておいたのか
どうして神楽さんは俺なんかそばにおいとくんですか?なんてこと聞いたら少し笑われたのをはずかしいとは思わなかった
「だって君に仕事なんてないもの」そう言われただけだったから
体力も無ければ仕切るような力も無い、それが自分で俺であるということは気が付いていたし、確かにそうなのだけれど、頭の回転が付いて行かない俺の脳味噌には思うように残らなかった
ただ神楽さんこの声がやけに耳に残って結局聞きたかったことがあやふやになってしまったのははっきりと覚えている
「ここの委員会?知らないで来たの君もしかして」
はい。とコクリと頷いたら深めに溜息をつかれた。どうしよう怒らせたかもしれない、なんて思ってたら面倒くさそうに話してくれた
「ここはね、東高等学校中央風紀ってところで僕が2年に上がるときに無理やり創ったの」
創設者は深めに背もたれにもたれ掛かるようにして座るソファのひじ掛けをぱんぱんと叩きながら言う
すこし得意げなのは気のせいなのかそうじゃないのか
「そもそもこの学校にはあまり校風にそぐわない生徒がいてね、風紀委員も一応あるんだけど実際は取り仕切ってるやつが委員長になるもんだから全然雰囲気も改善されてなくて」
そういうの僕許せないから。といって神楽さんはお茶を啜る
聞く所によれば神楽さんはこの高校の理事長の孫で、神楽さんは理事長からどうにか校風を以前のものに取り戻し、真面目なイメージだった東高校を復活させたいので、委員会を立ち上げ、『生徒の力』で改善してほしいと頼まれたという。だから神楽さんの意思があれば有能、かつ人気気質を持つ生徒など、中央風紀委員としてこの高校の改善に勤められそうな生徒を独断と偏見でこの委員会に引き込むことが出来るという訳だ。
こうなってくると先生や生徒がこんな神楽さんじゃなくても一目置いてるのが分かる。それに、あの強さを見せつけられたら嫌煙するのも当然だ。嫌でも悪い所を直さざるおえない状況まできっとこの人なら追い込むんだろう。
俺は残り少なくなった神楽さんのカップにお茶を注いだ。立ち上る湯気が弾けたような香りを抱いて部屋に落ちる
「少し手荒なこともするけど、どうせ変えるならそこまでしなくちゃ意味が無いじゃない」
君以外の子だって良く働いてくれてるし、『多分もう少しで僕が思うモノになる――――君だってそう思うでしょ』なんて突然言われたもんだから俺はびっくりして持っていたきゅうすを落としそうになった。遅れて「はい」と返事をすると、声が返ってきた
少しどころじゃない安心感が広まったのは言うまでも無いし、寧ろ今神楽さんの手元に竹刀がないのがとても有り難かった。心の中でふぅ、と溜息をつく俺がいてその後ろでは違う俺がぽんぽんと背をたたいている
女子一人にここまで慌てふためいてる俺って何。一体何者なんだ。
あぁ、切実にもう少し男らしくなりたい
「東高校では神楽 佑璃がルールだ」って違う俺が囁いてる気がするのは気のせいだと強めに想いたい
優雅、というか一歩間違えればわがままになりかねないこの言動も神楽さんが言うとしっくりくるのはどうしてだろう?
思いかけたときにはもう神楽さんの声が耳に届いていて、もう何を考えているのか忘れてしまっていた
「もう見回りの時間だね、行ってくる」
ゆっくり立ち上がって神楽さんは僕に掃除をしておくように言い残してドアの無効に消えてしまった
ドアの向こう側へ消えてしまった神楽さんのほうとは逆を振り返ってみればあら不思議
・・・・汚すぎてみたくも無い光景が。バラバラに落ちた本、机の上のカップ、ソファの上にお茶の零した跡、大量の消しゴムのカスに神楽さんの許可待ちの書類がグシャグシャになって書類の半分くらいは机から床に落ちてしまっている
あぁ、なんだかなぁ
こんな溜息をついたのはいつぶりだったろう
俺はとりあえず手身近にあった掃除用具を手に取った
気分が落ち込んでるのか怒っているのかさえわからないようなモヤモヤとした感じが余計に俺を不快にさせて溜息を促進させる
でも俺はこのときのモヤモヤがどうしてこんなに軽かったのかまだ知らなかった
そう、あのときまでは
「まただよ」
そんな不機嫌そうな声が聴こえてきたのはある日の見回り終了後の放課後
いつもの東棟の端っこだった
「どうかしたんですか?」
と聞くと、神楽さんはむすっとした顔でつかつかと俺の前を歩き出す
何か怒らせるようなことを言った覚えも、不機嫌になるような態度を取った訳でもないのになぁ、とかそんなことを考えていると神楽さんの声がした今度はすこし大きめに
「何君、そんな所に突っ立ってて楽しいの」
「へ?」
「まだこの部屋の掃除終わってないだろう」
あぁ、なるほど
部屋を掃除しろ、そして僕に茶を入れろって眼が言ってるってか?
肩を落としてため息をつくと、軋んだようなカランとした音が床じゅうに響く
はっとして顔を上げると、神楽さんの左手には・・・・・・・・・
竹の刀と書く物が握られていました。
うん、ここは素直に従っておいた方が良さそうだよなんて笑顔で言ってそうな危険信号が鳴り響いてるのを今だけは無視したいけどそういうわけにもいかない
まぁしょうがないかと自分に言い聞かせて食器をカチャカチャと手に取って神楽さんにお茶を入れる
コポコポと湯気が立つ間に神楽さんは自分の一人掛けのソファに腰を下ろして紙の束にそっと眼を下ろしていた
俺は神楽さんの机の上、あまり邪魔になりそうにないところにカップを置く
後から遅れてむすっとした声の「どうも」って声が聴こえるのが少しだけ楽しみで
俺は掃除道具を持ちながら部屋の中をうろうろ動いてホコリがないかどうかをチェックした
どこか酷く汚い訳でもないし、何かが乱れてる訳でもなかった
考えてみれば俺は今日授業が終わってから真っ先に掃除をしに来たような気がしないでもない
・・・・・ん?
まさかもう掃除してあって、俺は本日二度目の掃除してるわけ?
なんだそれ馬鹿馬鹿しい。っていうかこれは神楽さんのひそやかないじめですか
あの人が一番気が付いてることだと思ったんだけどなぁ
と思って振り返って神楽さんのほうを見る
まだ紙の束とにらめっこ中らしい
「神楽さん、俺今日もう掃除してますよ?っていうかそれ気が付いて言ってましたか?」
からかうならもっと別の方法でいじゃないですか!っていうか何このやんわりいじめみたいなからかい方は!?俺だってこのくらい覚えてるっての!
「・・・・・・・・」
え、完全無視?まさか聴こえなかったわけじゃないよな?
俺は神楽さんの方へと歩いていく
近づいても何の反応もないし、手元に置いてある竹刀もピクリともしない
「神楽さん?」
顔を覗きこむと長い睫毛が見えた。瞼を閉じて短い戸息の寝息を立てている
ソファに寄り掛かったままの体勢で手にはしっかりと紙を握ったままで
さてどうしたものだろう今日は会議があるってあんなに自分で言ってた人がお昼ねですか?
どっかの子供みたいじゃないですか神楽さん。いつもはあんな感じなくせに
「ねぇ神楽さん、起きてないと生徒会長に怒られますよ?」
聞いてるんですか。ねぇ神楽さん
「掃除しろって言ったの神楽さんですよ、終わったら俺どうするんですか」
寝ちゃったらわかんないじゃないですか。それにこんなところで寝たら風邪ひきますよ
「俺のことなんだと思ってるんですか、神楽さん」
なんか言って下さい
呟くように心の中で言った言葉は宙に舞って床に落ちた
拾い上げてくれる人は誰も居なくて、それでも何か言っていたかった
本当にこの人は俺のこと何だと思ってるんだろうな
何かで何処かを思い切り殴られたような痛みが走る気がする
血が流れてる訳じゃないのに痛い
誰か助けてって言って治るような痛みでもない気がする
あぁ、そっかって随分前から気が付いてたけど気付いてないフリしてたんだ
きっとその罰が来たんだ
「神楽さん、俺神楽さんのこと好きなんですけど」
当の本人は気持ち良さそうに眠ってる
独り言呟いてるみたいで虚しくなってくる
泣きそうになってるのは多分気のせいだと言い聞かせてみるけど、声が霞むのは否めないみたいだった
俺の声に涙が滲む
「どうしたらいいですか?このままじゃいけませんか?」
いつもふてくされた子供みたいな神楽さんが多分俺好きなんです
けど俺意外にも神楽さんには俺みたいな奴いっぱいいるし、慕ってる人も憧れてる人も一目置いてる人だっているし
こんな感情持ってる奴だって他にたくさんいることくらい分かってますよ
でも、―――――――
思いかけて俺は部屋の真ん中の方においてある二人掛けのソファの上に寝転んだ
これ以上涙が出ませんようにって祈りながら
気が付くと俺は眠っていたみたいだけど
そしてこの数十分後、神楽さんは俺の上に乗っかってたわけなんだけど
その時嬉しかったくせに、俺は同時に寂しかった気がした
近くに居る事はこんなに残酷なんだってことに気が付いたのは初めてで、自分でも取り返しのつかないくらいに誰かの事を好きになってた
神楽さんはもう見回りに行くと言ってドアの向こうに消えてしまったけれど
しばらくの間釘付けになっていたドアから目を離すと俺の瞳からは生温かいものが流れ出していた
生徒会長のところにいかないで見回りに行ってしまった神楽さんはもうすぐで卒業
神楽さんはもうすぐ委員会の委員長を止めてしまうんだ
思うたびに苦しくなっていく自分が嫌でしょうがなかった
あと一ヶ月で俺は神楽さんから卒業しなくちゃいけなくなるんだ
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