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いちひくいち

作者: 藤崎珠里

 ぐずっ……ひっ、ひっく。ふっ……。


 どこからか聞こえてきた泣き声に、あおは首をひねった。どこかで誰かが泣いているらしい。子どもの泣き声に聞こえるが、はて、この家には子どもがいないはず。ではなんだ、とますます首をひねって、あおはどてんと尻もちをついてしまった。おかしくなって、口からくふっと笑い声がもれた。

 いけないいけない、泣いてる人がいるのだった、とあおは立ち上がって歩き出した。

 ぺたぺたと足音を立てて、泣き声のほうへ向かう。庭であれば下駄を出すが、どうやら泣き声の主は家の中にいるようだから、裸足のままだ。

 歩くあおのおかっぱ髪が、ふんわりふんわり揺れる。この柔らかい髪の毛は、あおの自慢だった。

 この家の人間とすれ違った。何も気にせずそのまま行く人を、あおは振り向いて見送った。廊下の角を曲がって姿が見えなくなると、あおはまた歩き出す。


 ぺたぺた……ぺたぺた……。

 ぐずっ……ふぇ……ひっく……。


 近づいていくにつけ、もしや仲間なのではないか、とあおの心にむくむくと期待がわいた。

 あおは、生まれてこのかた、この家から出たことがない。当然、仲間に会ったこともなかった。会ったことはないが、自分の他にもたくさんいることは知っている。初めて会う仲間はいったいどんな子だろう、とあおはわくわくした。

 それにしても、なぜ泣いているのだろう。いつまで泣くのだろう。

 そんなことを考えながら歩き続けると、ついに泣き声がする部屋に着いた。

 えい、とふすまを開けば、ぱちっと大きな目がこちらを向く。


「おまえ、どうしてそんなに泣いているの。そんなに泣いたら、目が溶けてしまうよ」


 あおと同じくらいの背丈の男の子は、ひっく、としゃくりあげた。あおがいるのが不思議なのか、瞬きをしては、その大きな目から涙をぽろぽろこぼした。真っ黒で、どこまでも澄んだ目だった。

 あおは、その子にかけよった。


「ねえ、どうしたの」

「きみは、だれ?」


 もう一度尋ねると、問い返された。


「あおは、あおだよ。おまえは?」

「ぼく? ぼくは……つき」

「つき、どうして泣いているの? 悲しいの?」

「悲しい?」


 つきは、ぽよぽよした眉を寄せて、うーんうーんと考え始めた。もしや、悲しいという気持ちがわからないのかもしれない。

 誰かにものを教えられる嬉しさに、あおは頬を染めて口を開いた。


「あのね、悲しいと、ぎゅって痛くなるの。それで、涙が止まらなくなってしまうの。誰かにそばにいてほしくなるの。つきは? 悲しい?」

「……そうかも、しれない」

「じゃあ、あおと一緒にいよう。一緒にいれば悲しくない」


 いっしょ。つきは不安げにつぶやいた。

 つきは、不幸を呼ぶのだ。誰かのそばにいると、決まって何か悪いことが起こる。人間は、つきの前では笑顔になることがない。

 一緒にいたら、あおにも何か起きてしまうかもしれない。

 そう考えてから、つきはそういえば、と思った。


「あおは、どうしてぼくが見えるの?」

「あおはつきの仲間。つきも座敷わらしだ」

「……座敷わらし?」

「違うの?」

「うん、きっと……」


 座敷わらしは、幸運を呼ぶのだ。だとしたら、つきは座敷わらしではない。

 うつむいたつきを、あおはきょとんと見つめた。


「でも、つきは見えないのでしょ、人間には」

「うん……」

「だったら、あおと同じよ? 座敷わらしじゃなくても、仲間だ」

「そうなのかな?」

「そうよ、絶対。だからほら、一緒に遊ぼう」


 最近あおは、この家の人間が裁縫するのを見ることが好きだ。ただ見ているだけでも面白いし、そのうえちょっぴり笑ったり、くしゃみをしてみせれば、人間はびくっとするのだ。きょろきょろ周りを見て、これはおかしいぞ、と不思議そうにするのを見るのは、とても面白い。

 もしつきがそれに飽きたら、今度は暖炉の灰を外に撒き散らして、足跡をつけて遊ぼうか……。

 考えるだけで楽しくて、あおはくふっと笑う。一人でも楽しいのに、二人で遊んだらいったいどれだけ楽しくなってしまうのだろう。

 つきは、一緒に遊んでいいのかまだ不安だった。けれど、やっぱり誰かと一緒にいたくて、うなずくことにした。


「じゃあ、向こうの部屋に行こう。今の時間、きっと裁縫をしているよ。……あ、料理かもしれない。料理だったら、じっと見ているだけね。びっくりして怪我をさせてしまったらかわいそうだから。あのね、ここの人は、すごく美味しいものを作るの。たまに家族の数より多くお皿にもって、置いてくれるから、きっと見えなくてもあおたちに気づいているのね。たまーに、おーい、って声をかけてくれる人もいるの。はあい、って返すと、びっくりして、でも喜んでくれるのよ。ね、今度つきも一緒にしよう。楽しいよ」


 たくさんたくさんあおは喋って、嬉しそうに笑った。それを聞いて、見て、いつの間にかつきも笑ってしまっていた。

 笑ってしまってから、あれ、自分は笑えたのか、とびっくりした。自分の顔は見えないけれど、もしあおみたいに素敵な笑顔だったら嬉しいなぁ、と思った。


「さあ、着いた。通り抜けられるけれど、ふすまを開けて入ってみる?」

「どっちが楽しいの?」

「え、うぅん……きっと、開けないでそのまま入ったほうが楽しい。でもつき、最初は気づかれないようにしなければだめよ。そのほうが面白いから」


 まじめな顔のあおに、つきも、うん、と返事をした。

 足音を立てないように、そうっとそうっと中へ入った。あおは、ついくすくすと笑いそうになってしまった。それでも自分からつきに『気づかれないようにしなければ』と言ったのだから、と、あおは自分の両手で口を塞いだ。

 中には、女がいた。赤い着物はあまり上等なものではなかったけれど、丁寧に洗濯されていて綺麗だったし、髪の毛もきちんとまとめてあって、とても上品に見えた。あおと着物の色が同じで、ちょっと嬉しくなった。

 女は座って裁縫をしていた。お日様に当たってぴかぴか光る針で、布を縫っていた。

 あおは、この女が裁縫をしているところを見るのが好きだった。この家では、女しか裁縫をする人がいないけれど、それでも裁縫上手なのだということはわかる。するすると迷わずに縫っていって、綺麗な着物や手巾をあっという間に縫い上げてしまうのだ。

 あおとつきは、二人でしばらく女をじっと見ていた。



 これは、いるわね。と、女は心の中でふふふと笑った。

 姿は見えないけれど、この家には子供が二人いる。片方は女が物心つくころにはいて、もう片方はつい最近住まうようになった。最近のほうは、何が悲しいのかずっと泣いていたけど、どうやら元からいるほうに連れられて、女のことをじっと見ているらしい。

 姿は見えなくとも、声は小さく聞こえるし、足音も聞こえるし、気配もする。暖炉の灰が撒き散らされて、そこに小さくかわいい足跡がついていたときには、つい笑ってしまったものだ。この家に住んでいない者には、足跡などはっきりしたものしかわからないようだけれど。

 よかったわ、と針を動かしながら女は思う。

 ずっと泣いていたあの子は、こちらが近づくと更に泣くので困っていたのだ。理由はわからないけれど、近づくと決まって何か悪いことが起きたので、それが嫌だったのかもしれない。元からいるほうは逆に、近づくと良いことが起きるのだった。

 人に不幸を起こしたくないから泣くなんて、なんて優しい子なんだろう。人間ではないけれど、そういう優しい心を持っているのだと思うと、心がほっこり温かくなる。

 くしゅん、と小さなくしゃみの音がした。言葉は聞き取れないけれど、そのあとに二人で何か話している。あら、泣いていた子は男の子なの。声の調子で、そうわかった。


「でーきた」


 見せびらかすように、女は手巾を広げた。途端に喜ぶような声が聞こえたので、くすくすと笑ってしまう。ああかわいい。私もいつかは子供がほしいものだわ。

 すると何かが、女の背中に乗ってきた。とんとん、と軽く叩いてやると、嬉しそうな笑い声が上がった。続いて、そうっとまた何かが乗ってくる。後から来た子はきっと男の子のほうね、と女はそちらもとんとんと叩いてやった。

 そういえば、二人の近くにいるというのに、今日は何も起こらない。

 不思議ね、とちょっぴり首をかしげて、ああ、と納得した。二人が一緒にいることで幸福と不幸が混ざり、互いに打ち消しあったのだろう。

 でも、と女は思う。打ち消しあったところで、残るのは変わらない日常だけ。それは、とても幸せなことではないだろうか。


 これできっと、もう泣かないわね。


 女は笑みを浮かべて、二人の小さな小さな話し声を聞いていた。





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[一言] 疫病神と座敷わらしってとこですかね
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