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荊人

作者:雲鳴遊乃実
1,
 最初に見たのは僕が小学生のときだ。
 授業中で、教科書だかノートだかを忘れた僕のことを先生が怒っていた。あまりにも大声で怒るものだから、見ているのも辛くなって、僕はずっと俯いていた。クラス中がしんみりした空気に包まれて、そんな空気を作ってしまった自分が情けなくなった。
 視線を泳がせているうちに、先生の肩に目がいった。所在なくゆらいでいた瞳が釘付けになった。
 そこには緑色の蔓みたいなものがあった。何日かのちに、それを表す言葉を探して、「荊」という言葉を知った。
 棘の生えた蔓が、先生の背中から現れて肩でおれ、全面を覆い始めている。荊は見ている間にのびて、足にまとわりつき、地面にしみこむように広がった。
「戻って良い」
 いきり立っていた肩を下ろして、溜息交じりに先生が振り返った。
 背中の蔓はしぼんだ。あっと言う間にしゅるしゅるとおさめられた。そこには先生のやせがちの背中だけがあった。
 それがはじまり。
 以来、僕は嫌な人をみるたびに荊が見えるようになった。
 触れてしまったら傷ついてしまう、とあらかじめわかるようになったのだ。
2.
「オチは?」
 無粋なことをきいてくる。辟易しながら、「ない」と答えた。
「なんでよ、気になるじゃない」
「気になるも何も、事実だから脚色しようがないんだよ」
「ええ、じゃあ全部本当だったっていうの?」
「信じられない?」
「うーん、どうだろう。私には見えないからな。あ、どうも」
 ウェイターが僕たちの水を交換した。会話が途切れて、手持ち無沙汰に周囲を見回す。普段は入らないだろう高級そうなレストラン。誘ってきたのは彼女の方だ。僕と違って随分と羽振りの良い生活を送っているらしい。
「どう、このお店の中には荊の生えている人はいるの?」
 問いかけてくる彼女の瞳にいたずらっぽい光が宿った。彼女はすでに食べ終わった料理の皿を脇に退けて、肘をテーブルにつけ、手の甲の上に顎を載せた。
「いる、というか、このお店そのものに荊が巻き付いていたよ」
「そうなの? 何か傷つけられた?」
「さっきから緊張してて胸が痛い」
「たったそれだけ? ずいぶん過敏だねえ」
 屈託無く笑う彼女。その身体に荊は見えない。
 だから僕は、彼女と付き合おうと思った。この人ならば間違っても僕を傷つけることはないだろうから。
3.
 町中に荊は蔓延っている。
 駅前の繁華街のお店、建ち並ぶオフィスビルの窓、コンクリートの剥がれ落ちた廃墟のような古ビル。一見すると自然に生えているようだけど、違和感はすぐ僕にはわかる。
 人についても同様で、往来の人の手足や顔に荊は巻き付いていた。酷い人だと顔もわからない。巻かれた荊の折り重なった肉感がその人相を覆い尽くしてしまう。
 僕と一緒に歩く彼女だけが綺麗な顔のままでいた。
「ねえ、次はどこにいこっか」
 上気した彼女は僕の手を引いて踊るように歩いている。
 レストランのワインが効いたらしい。お酒に弱いのに、彼女は自分からどんどん飲んでいた。
「あいたっ」
「ぼうっとしないでよ」
 僕の額を彼女が小突いて、屈託のない笑みを見せた。
 ぼうっとしていたわけじゃない。笑っている彼女に見とれていただけ。
 そんなことは言えないから、額を抑えて「次はだな」と思案する。
 手頃なダーツバーを提案すると、彼女は少しだけ固まったのち、肯定してくれた。
 相変わらずくるくる回りながら、彼女が行き先を先導する。
 僕は一歩離れて彼女を追う。
 荊は見えない。
 ずっと見えないままでいたいと僕は思っている。
4.
 彼女とのデートは重ねていった。
 手を結ぶくらいの、ささやかなものだ。
 何度か彼女の方から接近してくることはあったけど、僕はそれを交わしている。
 踏み込んだら何があるかわからない。彼女の内面に迫って、彼女の身体に荊の見えるのが恐ろしかった。
 僕は頑なにささやかなデートを重ねた。
 会って、町を歩いて、食事をしたり買い物をしたり何かを眺めたりするだけのデート。
 今まで付き合ってきた人たちは、だいたい三ヶ月もすれば僕から離れた。刺激が足りないから。いろいろ言いつくろうこともあったけれど、結局はこの一言につきる。
 今付き合っている彼女が、そう思っていないとは限らない。というか、たぶん思っている。そんな顔色がときどき見え隠れする。
 それでも彼女と付き合ってはや三ヶ月をすぎ、四ヶ月、五ヶ月。知り合うきっかけになったバイトを止めてもまだ続いている。
 荊は未だに見えていない。今までにないことだ。彼女の横を歩きながら、胸の内は疼いていた。あまり気取られないように低く、小さく。
5.
 五ヶ月目もしばらく経ったある朝に異変に気づいた。
 アパートの自室の天井の片隅に緑色の染みがあった。顔を近づけてみたら、小さいながらも荊だとわかった。その先端がこっそりと顔を出していたわけだ。
 今まで自分の部屋で荊を見たことはない。少なくとも入居した時点では見えなかった。一度住み着いてしまえば、僕を傷つけるような事態が起るとは考えにくかった。
 荊もまだ小さい。勘違いだろう。そう思い込んで、その日一日を終えた。
 翌日、荊ははっきりと天井を這っていた。片隅から扇のように広がって、白い天井の禍々しい装飾へとなりかわっていた。既に壁にまで降りてきつつある。
 起きて早々に悲鳴を上げた。それから急いでハサミを取り出し、荊に刃を突き刺した。結果は空振りだ。荊はこの世のものではないらしい。わかっていたことだけど。
 いてもたってもいられず、僕は部屋を出た。アパートの廊下も、欄干も、エレベーターも、すでに荊に塗れていた。
 エレベーターに乗り込んで姿見を見た途端、心臓が跳ね上がった。
 僕の身体の腰のあたりがすでに荊に巻きつかれていた。
6.
 身体に巻き付く荊を感じる。足をぐるぐると締め上げて、腰から胸、肩のあたりに迫っている。足取りは次第に重くなった。歩くのも面倒に思われた。
 のっそりと進みながら、僕は大学の門の前に立っていた。
 彼女の通う大学の名前は知っていたけれど、足を運ぶのは初めてだった。バイトで一緒にでもならなければ、全く縁のないような格調高い大学だった。
 立ちすくんでいたら警備員に睨まれそうだったので門の内側に入った。部外者だけれども留められることはなかった。
 敷地はそんなに広くはない。その代わり建物がかなり高い。わざわざ上り詰めるのも億劫で、僕はベンチに腰掛けた。周りにも座ったり寝そべったりしている大学生がいたので、違和感はない、と思った。
 僕は彼女を待った。とりあえず何かを話そうと思った。
 荊は相変わらず僕を締め上げている。足の感覚は既にない。鬱血しているのかも知れない。肩は浸食され、は包まれ、一方で首にも締め付けが迫っていた。顎に荊の先端が触れている。もうじき顔も覆われる。そうなれば前も見えないのだろうか。
 僕は彼女に会って良いのだろうか。
 この荊が彼女を締め上げたら、せっかく綺麗だった彼女の顔まで覆ってしまったら。
 そんな恐れがふと湧いた。迫り来る荊の圧力に、絞り出されたようなものだ。
 背筋が震えて、荊の掌で無理矢理座面を突き、立ち上がった。正門までの道をのっそりと歩き始めようとした、そのとき背中を叩かれた。
 振り向けば彼女がいた。
「あ」
 と、声が漏れた。瞬間荊が僕の口を塞いだ。声はもう出ない。開けっ放しの口が味のしない荊を噛んでいる。
「どうしたの?」
 僕を見つめながら彼女は首を傾げていた。
 僕はなるべく穏やかに微笑みを返した。荊が少しだけ開いた。「ちょっと会いたくなって」
「なにそれ、ドラマの台詞?」
「いや。本音」
「いつの間にそんなこと言うようになったのよ」
「嫌かな?」
「というか、笑っちゃう」
 そうして本当にけらけらと笑った。笑窪が見えて、白い歯が覗けた。その顔のどこにも荊はない。そのことだけが救いだった。
「ごめんね、次授業だから」
 手を振って彼女は去って行く。遠ざかっていくその背中を見ながら、振り替えしていた僕の手が静かに降りた。
 荊はすぐに僕を包んだ。
 正門へ向けてゆっくりと歩いた。
 この荊はどこまで僕を包むのだろう。すでに顎は埋まり、鼻に乗っている。腕はもう荊と一体化している。そのうち僕は何もできなくなるだろう。
 最期に彼女と会えてよかった。
 安堵していた僕の、腕が不意に浮いた。
 息を切らした彼女が僕の腕に絡みついていた。
「やっぱりやめた」
「え?」
 問いかけると、彼女はにっと笑い返してくれた。
 僕の腕にあった荊が、彼女に絡み始めている。
「それ……痛くない?」
「何が?」
 荊は彼女の腕を汲み取り、僕の腕と彼女とを繋いでいる。
 荊の傷みが消えていた。
 巻き付いている姿は見える。でも棘を感じない。圧迫もない。首も腕も足も、自由に動かせる。
 この荊は僕を傷つけるだけのものではないんだ。
 今までずっと抱いていた間違いだった。
「どっか、行こ。考えはある?」
「ああ」
 思わず返してしまった。頭の中は真っ白で、何も思いついていやしない。
 僕と彼女は連れだって、大学の門を潜り出た。
 町の外に荊が見える。その荊の道を掻き分けて、僕は彼女と一緒に歩いた。腕を固く組んだまま。
 

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